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   「不安」に関するFBでの応答の記録  06.12.2016
               




 まず、今回の記事を書くに至った経緯から説明します。

 それは、Facebookで江崎忠男さんが取り上げたブログ記事、その内容は、
http://sharetube.jp/article/2373/
をシェアし、拡散すべきという意見に対して、私の意見として、「この記事は怪しい」のか、「怪しくないのか」をまず判定することが先決であるという余分な指摘をしたことから始まります。
 主張した方法論は2つでした。
 一つは、『東電も認めた』ことを事実かどうかを確認すること。これをファクト・ベースの検証と呼ぶ。
 もう一つは、『危険な中性子放射性・猛毒トリチウム殺人水蒸気』が本当かどうか、という科学的検証。これをサイエンス・ベースの検証と呼ぶ。
 この二つが必要で、少なくとも、この記事に対して、ちょっとだけ検証をしてみたところ、「東電も認めた」という事実は見つからなかったので、ファクト・ベースの検証はできなかった。
 もう一つの『危険な中性子放射性・猛毒トリチウム殺人水蒸気』は、ほぼデタラメ。トリチウムが中性子を放射することが証明できたら、それはノーベル賞を遥かに超す新発見。代謝や放射線量からみて猛毒というには程遠いということと、過去の被害例からみても、殺人水蒸気とは言えないことを原子力資料室の放射線ミニ知識のページ
http://www.cnic.jp/knowledge/2116
の情報は科学的に確実だとご紹介して、Facebookとしては、これで終わると思っていたところ、別の方からの異なった見解が発せられて、それなりの対応をしたところ、結果的に、以下のような質問をいただくこととなりました。
 しかし、この問題、すなわち、不安をどうやって克服できるのか、という課題については、Facebook程度の文字数で記述をするには、非常に難しいことです。そこで、本サイトで取り上げることにしました。実は、今回程度の文字数(1万字以上あります)でも、やはり不十分で、本当は、何回も推敲し、さらには、ご意見をいただいた上で修正をしなければならない難しさのように思います。

 具体的な質問に、項目名、ポイントを筆者が追加したものが以下のものです。


質問のリスト

1.放射線の人体影響の個人差

『放射線の場合、人体への影響は、物理現象に近いですから、個人差はほぼありません。ご心配の人の放射線への耐性も、したがって、個人差はほとんどありません。ですから、科学的データをそのまま適用すれば、まあ良いと言えるのです。(by安井)』

→質問:まあよいとはどのレベルなのでしょうか?絶対に本当にそうでしょうか?他所の子供に対して責任取れるくらい自信があるのでしょうか?
 念の為に、私は不安要素が多い事に関しての疑問を呈してるのであって、トリチウムだけの事に関して論じてません。

◯ポイント1:「まあよい」というレベルは何を意味するか
◯ポイント2:「不安要素が多いことに対して、充分な対応がされているか」



◆2.なぜストレス対応重視のスタンスをお奨めするか
『安心して何かを取り込むことよりも、過度に心配してストレスで病気になることの方が、実は、はるかに重大な影響を受けることがヒトという生命の実態なのです。したがって、この弱点をつくことを目的としてSNSに記事を書いている人が多いのです。ある種の愉快犯に近い人が半分ぐらいだと思います。(by安井)』

→質問:では何故現地の人がこんなに苦しんでるのでしょうか? 全く問題なく、安心して過ごせればいいのですが、いまだに除染してるし原発の後片付け終わらないし、放射性のゴミも放置され続けてます。

◯ポイント3:「現地の不安が除かれないのはなぜか」

◆3.ストレス対応の秘訣は、バックグラウンドの理解による悟りの獲得(困難ですが)
『ヒトという生命が維持されることについて、絶対に大丈夫などということは何一つありません。そもそも、毎日、ヒトにとって異物である他の生命を食料と呼んで食べ、特に、絶対的毒物であるアルコールを飲み、有害性があきらかな塩分を過剰摂取し、さらに発がん性のある太陽光を浴びて生活をしている、さらに、子供の健康にとって重要な腸内細菌を健全に保つ重要性をほとんど理解しないで、過度に清潔思考になってバランスを崩している。そんなものなのです。もっとも重要な知恵は、過度な心配によるストレスがかなり重大な影響を与え、本来の原因が与える負の影響よりも大きくなる可能性があるということだけは、理解しておいて損はありません(by安井)』

→質問:確かにおっしゃる通りですが、指摘されることに最大限気を付けてる方もいるのに、(放射線は)目に見えないぶん自分で加減できないから漠然としたストレスが加わるのです。ましてや子供がいる家庭はなおさらです。私も知識が絶対ではないので大きく出ることはできませんが、記事のような不安要素の現象が起こり続ける事に関して問題であると思います。

◯ポイント4:「不安を乗り越える方法は、現実は厳しく多くの場合、実行できない」



それでは、以下に回答を記述してみます。



◆1.放射線の人体影響の個人差

◯ポイント1:「まあよい」というレベルは何を意味するか

 放射線の人体影響は、しばしばまだ分かっていないと表現されることがありますが、それは誤解を与える記述です。放射線の人体影響について、これまで最大の解析は、広島・長崎の被爆者に対して行われたもので、これ以上のデータ数をもった解析は、今回の福島のケースを含めても、あり得ないのです。

 しかも、現時点で問題になっているヨウ素131の被曝による甲状腺がんですが、その半減期が短いことから、きちんとしたデータは存在していないのです。

 統計学の厳しいところは、その結論の信頼性は、ほぼデータ数のみで決まってしまうということで、現在、もっとも信頼できる数値が、100mSvの被曝を一気に受けたとき、発がんする割合が約0.5%増加するというものです。この数値以外に、他には何もないのです。

 今回の福島事故で、100mSvを一気に被曝した人は存在していないと考えられます。となると、100mSv以下の被曝量での影響を考えなければなりません。

 ところが大変難しい問題が存在します。それは、100mSv以下の被爆者についてのデータは、広島・長崎の被爆者の数をもってしても、統計的に有意なものにはならないのです。要するに分からないのです。そこで、もっとも安全サイドで考えるのが、正しい対応になります。

 もっとも安全サイドという考え方が、100mSvからゼロに直線を引いて、例えば、10mSvの被曝量であれば、放射線量が1/10なのだから、発がんの確率も1/10になるという仮定です。なぜこれが安全サイドかと言えば、人体の中での放射線が何をするかを解析して分かったことが、放射線は、人体中で活性酸素を作り出し、その活性酸素が、遺伝子を傷つけて、そして最終的には発がんするというメカニズムです。

 この活性酸素ですが、実は、人体が外敵と戦うときに持っている武器でもあり、また、身体のパーツが受精卵から作られるときに使われる、ナイフのような役割も果たしているのです。前者はお分かりのように、細菌に対して、白血球は活性酸素を武器に戦います。がん細胞に対してもやはり活性酸素で戦って、かなりの勝率で勝つのです。すなわち、人体にはがんに対しても自己治癒作用があります。

 遺伝子に傷が付くということは、日常茶飯事に起きていることなので、例えば、太陽光は遺伝子に傷を付けますから、遺伝子の傷はかなりの割合で修復されます。そして、もしも傷の修復が不可能な場合には、人体は、その細胞に死ねと命じることもできる機能を持っています。しかも、それが活性酸素を使って命令が実行されるのです。

 実は、傷の修復が不可能なときにだけ、細胞に死が命ぜられる訳ではないのです。受精卵はたった2つの細胞からできていますが、最終的には人体は60兆個の細胞で構成されています。その数が増えていく段階で、どうしてもナイフのような役割をもった機能がないと不都合が生じます。例えば、指を考えて下さい。細胞が増えていくだけで、このような複雑な形を作るのは難しいのです。そこで、2本の指の間になると思われる細胞には、「プログラムされた死亡命令」が発せられます。これはアポトーシスと呼ばれています。そのお陰で、指が形成されるのです。この死亡命令の伝達にも、実は、活性酸素が使われ、遺伝子が破壊されることによって、実行されています。

 すなわち、活性酸素というツールを便利に使うのも人体の一つの特性なので、放射線でできる活性酸素が大量であれば、対応は不可能ですが、広島・長崎の被曝データを解析した結果である0.5mSv以下の被曝量だと、余りクリアーな結果が出ないことは、統計学の限界とともに、遺伝子修復能力の効果も見えているのかもしれません。なぜばらつくかと言えば、それは遺伝子修復は、遺伝子修復酵素というものによってなされますが、その分泌にはその人の健康状態、まさにストレス大小が直接間接に影響するからです。すなわち、ストレスは発がんの要素、より正確には、発がんしたがん細胞ががんという病気に成長する重要な要素の一つだと考えられているのです。

 そこで、低レベルの放射線による発がん影響を推定する場合には、もっとも安全サイドの仮定をすることが合意されています。それは、ヒトの持つ遺伝子修復能力がゼロであると仮定するということです。すなわち、放射線の被曝量が半分であれば、がんの発生確率も半分になるという仮定です。

 福島事故による被曝量は、かなり個人レベルで分かっています。なぜなら、ヨウ素131以外による被曝量は、ホールボディーカウンターによって後から測定できていますので、個々に分かるからです。ところが、ヨウ素131は、なんといっても半減期が8.02日という非常に短寿命の核種ですので、後から調べようと思っても、すでに消滅しているので調べようが無いのです(ヨウ素131はベータ線を出してクセノンという元素になりますが、このクセノンは気体であり、他の物質と結合しない元素なので、これまた、体内には残らないのです。もし、どうしても分析するとなったら、ヨウ素129を分析することになるのかも)。

 したがって、大きな不安の要素が存在することになるのが、甲状腺がんだということになります。

 ただ、やはり常識というものがあって、放射線被曝からがんが発症するには、数年という時間が掛かると考えられています。要するに、がんという病気の種は、常時、すべての人が体内で作っています。しかし、それががんという病気になるには、多段階の戦いが体内で行われて、そして、そのすべてで人体側が負ければがんになる。ただし、それには時間が掛かるということです。

 子供の場合には、そもそも細胞分裂の活性度が高いですから、がん細胞も早く増殖します。小児がんの進行は早いです。

 それに加え、福島で行われている甲状腺の検査は、実は、まだ本検査だということではなく、普通の状態でどのぐらい異常が見つかるのか、というバックグラウンドを見るという意図で始められたものなのです。

 ところが、現実には甲状腺がん(甲状腺がんの候補を含め)がかなり多数見つかっています。これが何を意味するのか、まだ分からないのが現実です。常識が覆されたのか、それとも別の要素があるのか。

 第一、日本では、これほど大量の甲状腺がんの超音波診断が行われた例はないのです。

 不思議なことに韓国には実例があります。韓国では、健康診断のときに、甲状腺がんの超音波検診を追加しても、余り費用が変わらないという仕組みを導入したとたんに、甲状腺がん発生率が世界No.1の国になりました。ちなみに、甲状腺がんによる死亡率では、世界で80番目ぐらいのようです。発生数が増えた理由は、検査の受診者が増えたからです。

 韓国の発生数の増大の理由は何でしょうか。もっとも推測しやすい仮定は、超音波検査の機器が進化したことによって、発見数が増大したことだろうと考えられていますし、これ以外の答えがあるとは思えないのです。そこで、韓国では、超音波検査の実施を減らすことにしました。恐らく、これで問題は解決することでしょう。

 日本には、津田教授という個性的な解析を行う研究者が居て、福島における甲状腺がんは、被爆したヨウ素131のためだと断言しています。海外雑誌にもその結果が投稿されていますが、大多数の研究者の意見は、その結論が確定するほどの状況にはない、ということです。要するに、まだ分からないということですが、韓国の状況を参考にした詳しい解析が行われることを期待したいのですが、残念ながら、そのような可能性は低いのが現実です。

 なぜなのか。常識ある研究者にとって、津田教授のような科学的にかなり怪しい論文を敵にまわして研究論文を書くことは、少しもメリットが無いのです。それに、現時点では不確実なデータしか存在していないので、かなり危ない推定をしなければなりません。だから、確実だという論文を書くのは、現時点でもまだ時期尚早で、相当苦労をするというのが科学的な常識だからです。

 「目立ちたい」。これが研究者というものの本性ですから仕方ないのですが、要するに、まだ真実が分かる状態(統計的に、の話)にないにもかかわらず、津田教授はそれを論文にしたということなのです。やったもの勝ち状態ということです。確かに目立ちましたが、支持する研究者はほぼ皆無という状態です。

 さて、そろそろ結論にしたいと思います。福島の現状で、放射線の被曝量が原因で健康被害が起きることは、現在把握されている被曝量から言えば、ほとんどあり得ないということが科学的結論です。しかし、相手はヒトという生命です。ヒトという生命の最大の特徴が、かなり不確実なことが平気で起きるということです。その理由は、心理的状況が肉体を支配する力が強いということでもあります。具体的には、がんの発生を防御する免疫システムなどは、心理的な状況の影響が非常に大きいのです。その例として、がんではありませんが、円形脱毛症が上げられます。これは、毛根に対して、免疫システムが一斉攻撃をするということで発症する病気ですが、心理的なストレスが原因だと言われています。要するに「絶対」は「絶対にない」のがヒトというものです。絶対的な健康や絶対的な安全性を目指すのは、ヒトという生命にとってあり得ないことなのです。

 これが、「すなわち、普通なら起きないこと」、これが「まあよい」というレベルです。これは、化学物質の毒性などを評価するときも同じです。要するに、普通なら、有害性が形になって現れる可能性は非常に低いということを意味します。非常に低いとは、数値化すれば、10万件に1件程度以下の確率を意味します。東京圏の総人口を3000万人とすれば、300件となりますが、3000万人が同じ条件であるということはまずあり得ないので、この300件が検出されることは無いでしょう。それでも絶対にでる可能性が何かないか、と言われれば、多分無いけど、3000万人が同じ条件ということであれば、もっとも可能性が高いのが水道水に何か特殊な細工がされたときの影響ぐらいでしょうか。しかし、300件の発症では、非常に特殊な被害状況でない限り、やはり分からないような気がします。



続◆1.放射線の人体影響の個人差

◯ポイント2:「不安要素が多いことに対して、充分な対応がされているか」

 残念ながら、不安要素に対して充分な対応は行われませんでしたし、今後もあり得ないと思われます。個人差があるか、ということについては、すでに述べました。題目の放射線の人体影響の個人差ですが、生体メカニズム上は、個人差はないけれど、個人の心理状況が大きく影響するので、個人差はあると考えられます。

 前項の説明で、大体はすでにお分かりいただけたと思いますが、人体のもっている機能から言えば、避難時点ですでに被曝した放射線による直接的な影響に対して、不安を持つだけの状況にはなかったのですが、実際には、避難生活というストレスの高い状況に置かれていること、元の自宅に行けば、そこは、長時間滞在できるような放射線量ではなかったことを考えると、心因性の影響は大きいと考えられるのですが、その対応は不十分だったと言えると思います。しかし、逆に、充分にする方法はあったのか、と言われると、かなり難しいです。なぜならば、これまたすべてのヒトに共通の真理なのですが、他に不安があるような状況では、あることを、特に、すべての原因になっているような根源的なこと(=今回のケースでは放射線)について、安心しても大丈夫ですよ、という言葉を信じる人はほとんど居ないのです。不安のある状況で、その原因に対して大丈夫ですよ、という発言をすると、まずは、信用出来ないという感覚になるでしょう。ひょっとすると、それは、補償金を値切りに来たという理解をするのが当然のことだと思います。

 政治的失敗を具体的に言えば、除染の基準を1mSv/年にするという決定をしたことが大きな間違いでした。この決定は、当時の民主党内閣の未熟さ、具体的にはその実施の困難さを理解できる能力が無かったことを露呈したと思っています。除染の基準を5mSv/年程度以下にし、それで浮いた費用で、地域社会の復活を目指すケースには補償金を増額したり、さらにその地域社会の復活を公的に支援するという決定をすべきだったと、いまさら遅いですが、そう思っています。1mSv/年という基準値が、放射線を取り扱う施設における管理目標であるということが、民主党内閣には理解されていなかったのでしょう。

 非常事態の目標は本来特殊です。目標は低ければ低いほど正解ではないのです。当時、非常に評判の悪かったのが、ICRPという組織がもともと提案していた非常事態への対応原則、「社会的・経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成できる限り低く(As Low As Reasonably Achievable;ALARAの原則)」被ばく線量を制限すること、という原則でした。

 もちろん、それによる被曝が引き起こす悪影響をできるだけ取り除くという条件付きですが、使用される予算の範囲内で、避難した人々の暮らしと、地域の復活が実現できる最適の分配はどのようなものか、という考え方を持ち、具体的な用途を決定すべきだったと思っています。場合によっては、できるだけ元の住居に早く戻ることを、補償額の条件に加味するといった配慮をすることもあり得たかもしれません。

 追加ですが、1mSv/年がなぜ管理目標なのか、と言えば、それは、この値以上だと有害だからという理由ではありません。自分に対する放射線被曝量が、1mSv/年程度増加することを、普通の人々はほとんどなんとも思っていない、ということがこの数値が国際機関で決められた理由なのです。

 今、東京に住んでいる人が、海外赴任をすることになって、パリに転勤しました。この人の1年間の被曝量は、1mSv/年程度増加します。それは、パリという土地は、自然放射線が多いからなのです。しかし、それを理由にパリに移住したことを後悔することは無いでしょう。

 一部の反放射線団体の人々で、カリウム40などの自然放射線は無害、セシウム137などの人工的に作られた放射線だけが有害、と主張する人がいますが、科学的根拠は一切ありません。これだけで、その団体の意図が透けて見える記述ですので、判断基準としてある程度の有効性があります。ご記憶下さい。



◆2.なぜストレス対応重視のスタンスをお奨めするか

◯ポイント3:「現地の不安が除かれないのはなぜか」

 現地の不安が除かれないのは、政治的に、対応の出だしから失敗の連続だったことが大きな原因です。加えて、そもそも、今回の福島第一事故の総括すらまだできていないこの国では、現地の不安が取り除かれないのは、まあ、当然だと言えると思います。

 したがって、自衛をしていただくのが、最善の行動でして、個人によって非常に多様なのだと思いますが、ある種の悟りのレベルに早く到達することが、ストレス対応という意味からも重要だと思います。悟りと言えるレベルには、いくつもの条件があると思います。

 条件1:ヒトという生命にとって、絶対的な安全は無いことを大前提として認めること。すなわち、なぜか自分は生きている。しかし、夜寝るとき、明朝、目覚めない確率があるのに、誰も考えないのが現実。
 それも当然で、現代科学でも、生命の実態が何であるか、分かっているとは思えないのです。どう言う条件が成立してしまうと、心臓が止まるのか、といった簡単なことも充分には分かっているとは思えません。その上、心臓が止まった状態が死であるという条件は、今や、便宜上そうなっているだけのような気がします。

 条件2:生命とは、単にそれが生きているだけで価値が生まれる訳ではない。どのような生き方をすれば、自分にとって、あるいは、他人にとって、自分の価値が高まるかを考えることが必要。逆な言い方もあって、ある生命の価値は、その死の瞬間で決まる。いつ来るか分からない死を認めることで、初めて、自分の価値を高めるという意志を明確に持つことができる。

 条件3:人間と人間の関係を良好に維持することが、人生にとって、最高の価値の一つであることを認める。完全に孤立した人間の価値をどう判定するのか、それはかなり難しい哲学的論争になる。

 条件4:社会的な不安を起こすことに価値を抱いている人々の存在があることも意識する。
 このような存在があることも当然でして、悟りを開くことを奨められて、簡単に悟れるような人ばかりであれば、現在のような世の中になっているはずもないのですから。

 条件5:しかし、「強い不安を持つことを避けることは良いことだ、と意識することは、恐らく正しい」と理解すること。




◆3.ストレス対応の秘訣は、バックグラウンドの理解による悟りの獲得
(困難ですが)


◯ポイント4:「不安を乗り越える方法は、現実は厳しく多くの場合、実行できない」

 ご指摘の通りです。最初にお断りしておきますが、不安から逃れる簡単な方法は無いのです。不安は逃れるのではなく、立ち向かって乗り越えなければならないのです。なぜなら、不安から逃げると、不安はものすごい勢いで迫ってくるもの、いわば、よくある悪夢のパターンと同じで、いくら逃げても逃げても、必ず追いつかれてしまうものなのです。これは、心理学的な事実だと認識することが、第一歩なのですが、これは、福島事故のように、否応なく不安な状態に叩きこまれ、そして、その不安をいかにケアするという立場から支援するという発想の人々がほとんど居ない状態で、むしろ、不安を煽ることでなんらかの利益(自己正当化を含む)を得ようとする発想の人々の方が多かったこと。また、当時の政権は、残念ながらこのような難しい対応については全く無能だったので、除染もいつのまにか全くあり得ない数値である1mSvが目標値になってしまったという状況でした。この目標値のために、様々な対応が非現時的なものになってしまったと言えるでしょう。しかも、現政権もそれを修正することができません。責任を過去に押し付ける方が安全ですからね。まあ、すでに遅いので、いまさら変えるのも不可能なことも事実ですが。

 すなわち、今となっては、政治的・社会的な対応で、この不安の問題を解決することはできないと思っています。福島で不安を抱える非常に多くの皆さんが、徐々に「不安を乗り越える」というマインドになるような支援をし、周りはできるだけ余分なノイズを出さないことが重要だと考えています。

 しかし、このような主張をすると、過去の政権だけでなく、現政権を含めて、東電や原子力関係者の利するところになるから、やはり福島の人々の不安はある程度仕方がない、という政治的は判断をもっている人々、あるいは、社会的不安を増大させて、自己の政治的目的を有利に進めようと考える人々も多いのです。

 この段階まで来て、政治的な判断によって様々な行動が取られることは、福島の人々の不安解消にとっては、逆の効果しかないのです。さらに言えば、その不安を下手に解消しようとすると、社会の方向性が、ますます不安になるような変化をしてしまう、という不安の力学が動いてしまうのです。

 しかも、この不安の動きは、インターネットの普及、特に、だれでも自由に自分の意見が掛けるSNSなど、特に、非常に短い文章である種の瞬間的な反応ができるツイッターの普及によって、確実に拡大されていると思います。

 昨晩(6月11日)のNHKの番組で、インターネットが不寛容な社会を作ったか、といった内容のものを少々見ました。多くの出演者は、この問については、イエスという判断のようでした。個人的も同様です。様々な要因があるでしょうが、余りにも情報量が膨大になって、人々は、自分の直感に合う情報だけを選択して受け取ることになったからでしょう。

 NHKを含めて、あらゆるメディアは、福島の人々の不安に対して、決して寄り添うことはないのです。彼らのマインドは相変わらず旧時代的であって、政治や経済面での巨悪を暴くことが究極の目的で、それには、できるだけ多くの犠牲者が出ることが、彼らの目的にとっては好都合だからです。この話、実体験としては、日本経済新聞の記者が、あるところのミーティングで語っていました。「だから、メディアには、最初から相当なバイアスが掛かっているのだ」、と珍しく自己批判を含めた主張をしていましたが。

 メディアといってもそれこそ多種多様で、「美味しんぼ」の鼻血騒動というものがありましたが、そもそもヒトという生命の環境への応答は、まさに複雑で、しかも個人差が非常に大きいのです。だから、誰も真実はこれだという正解を持っていないのです。その根本原因は、やはり心理的影響が、想定よりも遥かに強く肉体を支配しているからだ、と考えられるのです。鼻血現象を説明してみろ、と言われれば、福島県の取材をすれば、それは肉体的にも精神的にも疲れる。疲れると、そして、福島で受ける若干の被曝でも、何らかの健康被害がでると思い込んでいれば、そのストレスも加味されて、心拍数が高い状態が続き、当然血圧も高くなる。普通の風邪でも、鼻の粘膜が炎症を起こすのは当然なので、鼻血がでても不思議ではないが、通常の体調であれば出る量も知れている。しかし、ストレスによって心拍数が多く、かつ血圧の高い状態であれば、それこそ鼻血が「こんな量」というぐらいでても不思議ではない。一方、放射線の被曝によって、もしも急性の出血を起こすほどの影響が出れば、これは命に関わる量の被曝量だったことが確実。この二つの情報が、無作為にでも混じれば、全く新しいストーリーが書けることになります。これは、例え、漫画作家にとっても嬉しいことなのです。

 もしも心理的な影響を含めて、ご自分の体調を管理したいと思えば、最近可能になってきたお奨めの方法は、心拍数を常時監視できる活動量計を使うことです。私個人、これで半年以上使ってみておりますが、安静時脈拍というものが、自分の体調・ストレスをかなり反映するものだということが分かりました。

 安静時脈拍とは寝ているときの脈拍ですので、通常は計ることはできませんが、活動量計を使うと、簡単にデータが出ます。経験上、55/秒だと肉体的・精神的ストレスが低い、60/秒を超えると肉体的・精神的ストレスがやや大きい。ちょっと風邪気味なだけで、60/秒近くになります。海外に飛ぶと、大体63/秒ぐらいです。やはり海外のストレスはかなり高いです。

 ストレスの無い状態とは、自分のバイタルデータがどのような状態なのか。それを自己認識することが、恐らくストレスに対処する第一段階だと思われますので、測定をしてみることをお奨めします。