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    音楽は教養の一部になりうるか  06.23.2019
       教養としての絵画との違いは何か

               



 先週の記事で取り上げました東京大学教授による教養の本では、絵画をよく知っていれば、ビジネスでレストランに入ったときに、たまたまそこに飾ってある絵画をネタにして、高尚な会話ができるチャンスも無いとは言えないので、芸術に関する教養がビジネスに有効である、といった趣旨の記述がありました。
 絵画は確かにレストランにはありますが、バックグラウンド音楽があるようなバーのようなところでは、音楽の知識も芸術に関するある教養になりうると思ったのですが、残念ながら、そのような記述はありませんでした。クラシックが流れるバーは稀なのかもしれませんね。クラシックでなくても、ジャズなら教養になるかもしれないと思ったりしますが。
 そこで、今回は、ある書籍のご紹介をしながら、音楽も、少なくともクラシックは、教養の一部になりうるという主張をしたいと思います。しかし、バーは無理として、レストランでも教養になりうるクラシック音楽が流れているという例は少ないかもしれません。しかし、今回の論旨は、かなり別のところにあります。
 それは、絵画と音楽では、同じ教養ではあっても、その本質に相当な違いがあるのではないか、という仮定に基づいて若干の議論をすることです。
 そのきっかけになりましたのは、ある新書を読んだからです。かなり新しい本です。
 「ベートーヴェンを聴けば世界史が分かる」
 片山 杜秀著 文春新書 1191
  2018年11月20日 第1刷

 ちなみに、この文章を書いているときに書斎に流れているバックグラウンド音楽は、手持ちのCDの山から堀出したArchivのCDで、Gregorian Chantなるタイトルのもの。日本語にすれば、「グレゴリオ聖歌」で、無伴奏のモノフォニック(斉唱)。この本の最初に紹介されている音楽です。なぜか、確実に心が鎮まる音楽です。


C先生:先週の続きでまた本屋に行って関連する本を買ってきたという訳ではなくて、3週間ほど前に、たまたま日比谷の本屋に行って、先週の「東大の教養」の本と合わせて、もう一冊購入した本が、これだったのだ。このところ、教養関係の本を書かなければならないプレッシャーもあって、乱読度をさらに高めてみようといったマインドも若干あって、読むべき本の範囲を広げ、かなり買いだめをして積み上げてある。ほぼすべてが新書ではあるので、それほど高級なチョイスだということではないけれど。

A君:しかし、この本、中身が濃いですね。モノフォニックのグレゴリオ聖歌から話が始まって、最後は、第7章「20世紀音楽と壊れた社会」で、シェーンベルク、ストラビンスキー、ラヴェルなどの、ある意味、「壊れた音楽で壊れた世界を表現している作曲家」まで。その作品では、周囲も見えぬまま、我を忘れて熱狂し、時間も空間もすっかり分からなくなって、バタンと倒れて、それでおしまい。こんな人間が主人公になっている。

B君:クラシック音楽というものは、もう終わったということを主張したいのだろうか。なんとなく、そんな気もするけれど。

A君:歴代の作曲家のリストが日本語のWikiにあったもので、もっとも若い作曲家で名前を知っているのは誰かとチェックしてみたら、三枝成彰氏だった。C先生より年上。

B君:まともに、本の紹介から。著者の片山杜秀氏は、本業は思想史の研究者で慶応義塾大学教授。多数の著書を出しているようで、Amazonでチェックしてみたら、30冊以上だった。

A君:音楽が趣味なのか、それとも本業なのか分からないぐらい、音楽関係の著書が多い。それ以外に、「ゴジラと日の丸」などという本も書いていますが。

C先生:前回の「東大の教養」では、絵画が教養の一部で、それがビジネスでなんらかの有用さにつながるかもしれない、という主張だった。しかし、音楽はどうなのか。この直接的な疑問に取り掛かるより、もっと広範囲に、絵画と音楽の違いのようなものを最初に議論すべきかもしれない。

A君:「ベートーヴェンを聴けば世界史が分かる」ということは、まさに、「東大の教養」での絵画よりも、「音楽は教養だ」と強く主張していると思いますね。

B君:絵画も芸術ではあるが、実は、音楽ほどの社会との連結性は無いのかもしれない。例えば、ゴッホにしても、アルルあたりに籠って絵を描いている。そのときには、社会との関係はほとんど無いに等しかったと思う。

A君:絵画であれば、ゴッホの例のように、その後発掘されて、そして有名画家になるというプロセスがありうる。しかし、音楽の場合に、果たして、無名の作曲家が、後に発掘されて有名作曲家になるということはあるのか。

C先生:それは、この本の最初の序章に書かれている。「抽象的とも言える音楽が、なぜ時代を色濃く反映するのか」。それは、音楽の場合には、演奏され、誰かが聴いてくれることで初めて成立する芸術だから。これをそのまま受け取れば、すなわち、音楽の場合は絵画と違って、ゴッホのような可能性はほとんどゼロということだと思う。

A君:しかし、それは、「今でもそうか」、と言われると、可能性はゼロではないですね。過去は、確かに時代の特性がそうだった。しかし、技術が変わったために、しばらく前からそうでもない部分もあります。CDだって自分で作れる時代になったのはかなり前のことだし、You Tubeに自作の音楽の演奏ビデオを投稿することも可能

B君:You Tubeは2005年にひらめいて始められたとされていて、歴史は短いので、実例がでるまでには時間がしばらくかかる。CDはもはや買う人がほとんどいない。今後は、このような形で歴史に残る新しい音楽が広がるのだろうか。

A君:それは疑問ですが、いずれにしても、この本が取り上げている最後の作曲家は、第一次世界大戦時代まで。もっとも、ストラビンスキー(1882〜1971)だけは、相当な長生きをして、1960年ぐらいまでレコーディングもしている。もっとも、春の祭典を作曲したのは1913年。初演のとき、それは、シャンゼリゼ劇場だったのだけれど、その音楽の余りの意外性に演奏中に罵声が飛んだらしいです。

B君:いずれにしても、音楽という芸術は、聴いてもらって初めて芸術になるものなので、絵画の特性とは相当に違う。まず、聴いて貰うためには、オーケストラなどの演奏者を雇う必要があるし、会場としても音響的に優れた建物を選択することが必要。そのような大きな建物になると、聴衆の数も相当なものになるので、どうやって聴衆を集めるか、という非常に大きな問題がある。

A君:音楽は、経済的な規模が重要という特性。そのために、音楽にはパトロンが不可欠だった。金持ちが、作曲家や演奏家をお抱えにするということが必要とも言えて、どちらかと言えば、演劇や映画の世界に近い。

B君:しかも、作曲家にとっては、初演の会場が決まらないと、その音楽の規模も決まらない。ステージに何人上がるのか。バイオリンは何本あるのか。かなり特殊は楽器の演奏家は居るのか。などなどの情報が分かってから作曲をするものだった

A君:しかも、指揮者がその楽譜を見て、こんなものは演奏できない、という判断をすることもある程度の確率でありうる。

B君:そのような状況だったのだけれど、18世紀の半ばに音楽のエネルギーが爆発。そして、ベートーヴェンをはじめとする作曲家によって、現在まで残るクラシック音楽ができた

A君:すなわち、クラシック音楽が、ある意味で大産業になったことを意味するのですね。

B君:しかし、クラシックの始まりとなると、それは、グレゴリオ聖歌に間違いない。そこまで戻って、第一章が始まる。すなわち、それ以前、ギリシャ時代などに音楽がどのような状況であったのか、実は、よく分かっていない。グレゴリオ聖歌は、ローマ教皇グレコリウス一世(在位590〜604)が編纂したという伝承があるとのこと。

A君:グレゴリオ聖歌は、無伴奏で、しかも和音は無し。人間の声のみの単声で歌われる。その時代から、いまだにローマ・カトリック教会の典礼などでは歌われ続けている。勿論、正確な歌唱のスタイルなどは良く分からない。近代になって復興するというプロセスを踏んでいるので。

B君:しかし、グレゴリオ聖歌には9〜10世紀に記されたネウマ譜というものがあって、この古式楽譜を解読すれば、中世の響きが再現できる。

A君:ヨーロッパ文明というのは、なかなかに文化的な継続性を重要視していて、中国のように王朝が滅びれば、その文明を含め、1から100まで全部潰してから、次の時代に行く世界ではなかった理由は王家が滅びても、教会は残ったから。もっとも教会が分裂することはしばしばあったようですが。

B君:しかも、かなり哲学性があったようで、「耳で聴く音楽よりさらに高い次元の音楽」があって、それが「ハルモニア・ムンディ」すなわち、「宇宙のハーモニー=世界の調和」。これは、耳で聴くことはできない。しかし、これが「神の秩序」として認識されていた。

A君:「ハルモニア・ムンディ」と言えば、マニアックな話題で恐縮ですが、ドイツのレーベルの名前に同じものがありますね。

B君:C先生のCD貯蔵庫にその箱があるのは知っている。

C先生:CD100枚セットの箱だ。「ルネッサンス、バロック、クラシカル傑作集」なるタイトル。時代順ではなくて、ABC順に番号が付いているので、どの年代のものがカバーされているか、すぐには分からない。ちょっと興味があったのが、「ルイ14世の宮殿音楽」といったCDが入っていることだったので、ちょっと買ってしまった。なんといっても、箱入りのCDの単価は200円以下なので。しかし、ほとんど聴くことはないので、結果的に高く付いているのかもしれないのだが。

A君:所有欲は満たしているでしょう。話を戻します。グレゴリオ聖歌が、なぜ、無伴奏だったのか。それは、中世キリスト教の世界観を反映していた。神の次のランクに来るのが、神の似姿として創造された人間。そのため、「神の音楽」の次に来るのは、人体の発する音だった。そのため、グレゴリオ聖歌は、人間の声だけで構成された。

B君:続いて、著者による仮説として、「楽器の起源」というか、中世の教会が楽器を忌み嫌ったかという説明がある。楽器の起源を自然の風の出す音であるとすると、自然の中に不思議なものがあるというアニミズムに繋がる。これは多神教的な世界だから。うーーーん。こじつけ的な解釈とも。。。。。

A君:それを正しいとすると、それなりの解釈は出てきます。人間は神が作ったものだから神聖。自然はアニミズムだから多神教的で排除する。すなわち、日本の音楽が、西洋音楽と違ったということは、やはり、宗教が決めたのでしょうね。そもそも音楽は世界のどこでも宗教行事の一つだということは事実だったと思うので。

B君:ヨーロッパの「人間は神のインストルメント(=楽器)」に過ぎないという発想は、クラシック音楽に大きな影響を与えた。大げさに言えば、基本的に音楽最重視で、演奏者の人権は無視される。

A君:その例として、ボーイソプラノの声を保つために去勢されたりした。

B君:バイオリンという楽器の人体への悪影響もその延長線上。そもそも、弓で弾くためもあって、音量が半端ではない。そのため、演奏者は、必ずといってよいほど、耳を悪くする。これが西洋。

A君:同じ楽器が東に伝達されると、首に挟んで演奏するスタイルではなくて、床か地面に片手で立てて弓で弾くになる。

B君:確かに、西洋は妙だね。

C先生:突然だけれど、まだ48ページしか読んでない。これからはスピードアップ。

A君:本当ですね。第二章です。宗教改革が音楽を変えた

B君:簡単に言えば、モノフォニー(単音)からポリフォニー(多音)になった。そして、ドイツでは、宗教改革でラテン語の歌詞がドイツ語になった。その原因は、一説によれば、十字軍の影響とのこと。東方では、グレゴリオ聖歌のような単音ではなくて、多音の音楽が生き延びていた。さらに、バイオリンのような弦楽器は、東方に起源があった。

A君:東方から新しい文化が入り、同時に、大航海時代になって、遠方からの文化も入った。それに加え、過去を維持したい教会による統治が上手くいかなくなる。

B君:そして決定的な宗教改革が起きる。マルチン・ルター(1483〜1546)の免罪符(最近は、”贖宥状”と呼ぶのが正式だそうですが、漢字変換で出てこない。単語登録しました。)への攻撃。そして、ルターは、ラテン語の聖書をドイツ語に翻訳する。しかも、ルターは、セミプロ級の音楽家でもあった。そして、ドイツ語の賛美歌の誕生

A君:同時に、合唱という方法も無意味になって、独唱が普及し始めた。それも、ローマ教会が弱体化したから。そして、音楽も人間の感情に直接的に訴える形に変質した。

B君:そして、時代はバロック文化へ。大体16世紀末から18世紀半ば。音楽で言えば、アントニオ・ヴィヴァルディの四季(ここで、バックグラウンド音楽も四季に変更。演奏はイムジチ)。

A君:著者によれば、ヴィヴァルディは、バイオリンの演奏にオペラの独唱を重ねて作曲した。

C先生:これで第三章にやっと入るのか。どう考えても、今回のこの話題、1回では、終わらないな。第三章が終わったところで、第一部終了としよう。第二部は連続にするかどうか、他の重要な話題があれば、そちら優先するか。適切に判断するということで。

A君:第三章ですが、「大都市と巨匠」。この時代を経済的に支配していたのは、教会と王侯・貴族が二大勢力。すなわち、教会は残るものの、スポンサーとして王侯・貴族が重要になる。

B君:音楽家としては、バッハ、ヘンデル、テレマン。王様としては太陽王ルイ14世。ヴェルサイユには3つの音楽隊があったとのこと。

A君:しかも音楽隊は大規模だった。となると、練習をやるのも大変。余りにも複雑な曲は不向き。そこで、フランスの楽曲はシンプルな方向へ転換

B君:一方、ドイツの音楽隊は小編成だった。そこで切磋琢磨するような文化が醸成された。でも、これって、ドイツの最初からの特性ではないか。ドイツの作曲家には、人気が決める序列があった。上からテレマン、バッハ、ヘンデルという順で偉かった。バッハは、作曲家というよりも、オルガン演奏家として有名だった。

A君:テレマンがもっとも偉かった理由は、大都市ハンブルグ市の音楽監督だったから。なぜなら、ハンブルグ市は経済力では群を抜く存在だった。そのため、富裕な市民のために自分の曲を売った。とにかく、作曲数で群を抜いて多い。テレマン4000曲、バッハ1000曲と言われているぐらい。テレマンの曲を掛けたいところだけれど、CDを探すことから始めないとダメなので、バックグラウンド音楽にならない。

B君:ちょっと、失礼する。。。。。。CDを探ってみたが、1枚だけ見つかった。Windコンチェルトなので、管楽器のための協奏曲のようだ。テレマンの曲を買った市民は、自分で管楽器などを演奏をして楽しんだとのことだ。割合と演奏が簡単なのかもしれない。(ということで、バックグランド音楽がテレマンに)。

A君:バッハはライプチヒの市の音楽監督になったが、市の規模がハンブルグに比較できないぐらい小さかった。セントトーマス寺院の音楽監督でもあったので、日々の礼拝のためにカンタータを作曲することが義務。

B君:しかも、バッハの手法は古臭いと言われてしまった。それは、古いポリフォニーの手法に拘っていたから。すでに急速に廃れ始めていたフーガとかカノンとか言った対比的手法を使って作曲を続けたのが理由。これが音楽の秩序を守る手法でもあった。

A君:時代は、再度モノフォニーの時代になっていたのです。これは主役が目立つ音楽ということを意味する。秩序が重要ではなくなっていた。さらに時代はバロック。バロックとは、真珠のいびつな形を示すポルトガル語Barrocoが語源。すなわち、楽しい(ややいびつな)音楽が好まれた時代だったのに、古い秩序を求めたのがバッハだった。

B君:バッハが有名になったのは、実は、しばらく時代が経過してから。彼のポリフォニーの技法のすごさが再度評価されたから。そして、やはりバッハが「音楽の父」だと、認められた。

A君:次がヘンデル。ヘンデルが得意としたのは、オラトリオ。語源は、「祈祷室」だけど、大規模で物語的展開がある曲。しかも、ヘンデルは、合唱の出番を増やして、主役にしてしまった。特に、メサイアが有名だけれど、その合唱に参加する人数が、どんどんと増えていったらしい。最終的には4000人にもなった。わざわざそのような作曲を行ったらしいですよ。その理由は、活躍の場所がロンドンだったから。市民が参加するというマインドがあった都市だったから。

B君:メサイアはCD2枚なので、リッピングするのに、ちょっと時間が掛かる。ちょっと、休憩。。。。。(バックグラウンド・ミュージックがメサイアに切り替え完了)。

A君:話題は、モーツァルトの就職活動に移る。時代は、ロンドンのように大都会が勢いを増して、小さな領主は力を失った。しかし、音楽家をそれまで抱えていたのは、実は、そのような領主たちだった。そこで、音楽家達は就職難に直面する。モーツァルトもその一人。バッハ、テレマンが正規雇用の宮廷楽長だったのとは真逆の状況だった。職が見つからなかった。そこで、ウィーンに滞在し、フリーランスの音楽家になった。「フィガロの結婚」などのオペラで注目されたものの、やはり、お金持ちからは程遠かった。

B君:以上で大都市の音楽家の明暗を見てきたけれど、イタリアは状況が多少変わっていたらしい。なぜなら、この時期、イタリアは、ヨーロッパから置いてきぼりだった。ときどきイタリアはそうなるのだけれど。しかし、音楽では、「オペラはイタリア語という伝統」もあって、文化遺産としてヨーロッパ富裕層のあこがれの地ではあったらしい。

C先生:イタリアは、やはり、日本と似たようなところがあって、経済的・政治的な面で、国際的な力をいつでも保つことができるという国ではないようだ。もっとも、イタリアの特徴は、国際的な力が落ちてくると、文化・芸術面では、活躍するというところ。日本も真似をしたいところなのだけれど、残念ながら、それが可能かどうか判定不能。日本の文化は、やはり、非常に特異なものなので。

A君:この章の最後の登場人物がハイドン。最初フリーの音楽家だったハイドンは、ハンガリーの大貴族であったエステルハージ家に雇用され、後には楽長になります。かなり豊な生活をしていたようですが、大貴族がやはり没落し、ハイドンへの発注は無くなってしまいます。これに目を付けたのがザロモンという音楽家でプロデューサーだった人。ハイドンをロンドンに招いて、それ以後、ハイドンはロンドンで大成功します。

B君:ハイドンの流石なところは、ロンドンに移って、音楽の作風も変わること。分かりやすい音楽に変えて、様々な名称を付けて、受けを狙った。例えば、「時計」、「驚愕」、「軍隊」な。同時に、ロンドンで進んでいた市民参加の大合唱をウィーンに持ち込んだ。その作品の代表作が、「天地創造」、「四季」。大きな会場での大観客の前で、大げさな楽想の曲を大音量で鳴らすという新しい時代を作った。この新しい時代の新しい担い手が、ベートーヴェン。

C先生:これで、第三章がやっと終わった。まだ半分だ。この次の第四章がこの本の表題にもあるベートーヴェン。これは、次回以降のどこかで取り組めると良いと思う。
 さて、本題の「音楽は本物の教養の一部になりうるのか」。これまでの記述を読むと、絵画よりも、社会との関係が密接で、社会のニーズを早く読み取った作曲家が勝ったという世界のように思えるのだ。それは、当然ながら、音楽にはお金がかかる。大編成のオーケストラを運用しようとしたら、会場も大きいものが不可欠だし、そこに集まる客をどうやって集めるか、というビジネス感覚が非常に重要。これを教養と呼ぶのか、ビジネス感覚と呼ぶのか、これで判定も若干は変わってくるのかもしれない。
 しかし、「東大の教養」の記述で書いたことを思い出すと、ビジネス関係者とレストランに行ったとき、そこに存在していた絵画で自分の教養を示すことができる、という感じだったと思うのだけれど、確かに、きっかけとなるチャンスは絵画の方が、自然にそのような話を持ち出せる。そもそもレストランで、テレマンの曲が流れているという状況はまずないだろうからね。
 もう一つの問題、音楽が教養になるか、という点に関して、日本という国で不利なところは、ヨーロッパ社会では、やはり音楽と宗教との関係が強かった。だから、結論として、日本人の教養とは、いささか違った風味を持ったものが音楽だという点だろうか。
 しかし、今の時代、小学校で英語を習う時代なのだから、ヨーロッパ文明を十分に理解することは、世界でのビジネスにとっても必須なのではないだろうか。少なくとも、パリ協定の根幹の思想として挙げられている言葉、「気候正義」にはかなり宗教的な味覚と香りを感じてしまう。環境学者としては、ヨーロッパの音楽や絵画を学んで、日本とは違う感覚を身につけることが重要なのかもしれない。
 それでは結論に。音楽を通して、ヨーロッパ人の考え方の根幹に近づくことができるというメリットは確実にあるように思う。絵画より社会的背景の影響が濃い世界が音楽なので、きっちり理解すれば、より強力な教養を持つ人間として評価して貰える可能性が高いのではないか。これが、前半の結論。後半をどうするか、後日、考えたい。なんといっても、今回の記事は、ひょっとすると、本Webサイトでの、史上最長記録になったかもしれないので。