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   環境と健康とリスク   02.13.2016
           今後、自分バージョンを書きます        




 大体、15年ぶりぐらいになりますが、このところ、「環境と健康とリスク」の話を再度取り上げるべきご時世になったのではないか、という感触があります。

 まだ東京大学生産技術研究所に所属していた時期ですが、例のダイオキシン事件、といって余り若い方々はご存じではないかもしれないですが、極めて重大な事態が発生しました。焼却場からでる猛毒(?)物質ダイオキシンで、大部分の人々が、日本人全員の寿命が縮まると本気で信じてしまったということもあって、「環境と健康」という本を丸善から出版したのが2002年でした。

 その後、ダイオキシンの経験がリスク対応への学習効果になるのではないか、と思っていた時期があったのですが、それが大変に甘い考え方であったということを実感し、あのときどうすれば良かったのか、どのような対応を社会に迫るべきだったのか、しかし、有効な手段は果たしてあったのだろうか、などと考えてしまって、今でも、反省というか諦めというか、そんな気分になります。

 「環境と健康」を執筆していたころから15年以上が経過しました。その間にあった様々なリスク関係や健康法関係の事件としては、こんなものでした。

1998年:ダイオキシン:久米宏のニュースステーション
1999年:ダイオキシンは続く、環境ホルモン、JCO臨界事故
2000年:No塩ビ、環境ホルモン、海洋深層水
2001年:マイナスイオン、水道水、狂牛病、
2002年:マイナスイオンと遠赤外線、環境ホルモン
2003年:PM2.5と環境ホルモン
2004年:ダイオキシンで暗殺、スーパーへ水汲みに
2005年:食品安全、疑似科学(水への伝言、EM菌)
2006年:マイナスイオン終焉
2007年:なし
2008年:中国農薬餃子事件、ビスフェノールA
2009年:新型インフルエンザ、無菌
2010年:リスクへの過大反応、不安社会
2011年:東日本大震災、福島第一原発事故
2012年:内部被曝、放射線被曝リスク
2013年:リスクへの過剰反応
2014年:安心できない人々
2015年:食品リスク(赤肉、加工肉)


 一言で言えば、「健康影響」というキーワードが、その時代時代の雰囲気を反映したものになっていたのではないかと思います。しかも、繰り返しのループがあるようにも見えます。

 1990年代後半の環境不安時代が終わると、マイナスイオン・遠赤外線といった意味不明な健康増進の話題が増えました。そして、何かをきっかけに、また不安時代に再突入するのが通例でした。そして、現時点は、中国リスク(例:農薬入り餃子事件)、東日本大震災という大々的な環境不安時代の反動として、今の健康食品ブームやマッサージ・整体ブームの時期となっているのではないでしょうか。

 最後の赤肉、加工肉といったことが話題になったことは、健康食品に対するアンチテーゼだったと理解するのが良いのかもしれません。しかし、近々、またまた不安の時代になることでしょう。

 食品リスクへの食品メーカーの対応などには、いつでも批判的に見ておりますが、「そもそもヒトという生命にとって、食品というものは異物であると認識することが、食品に対する理解の第一歩である」、という正論は、少なくとも日本という国においては、通らないのが不思議です。日本の一般的市民には、「ヒトにとって完璧な食品があるのだ」、と騙して貰いたいという欲求があるのではないか、と思ってしまうぐらいです。

 しかし、食品と健康の話を真面目に考えれば考えるほど、「完璧な食品、完全無欠な食品などはない」、「食品はどのぐらい多様に摂取するかが勝負」という結論になります。しかし、それをどのように正当化して説明できるか、これが現時点における一つの課題です。

 健康とか体型などで、このところ流行っているものは、と現実を見渡せば、その一例がRizap。2ヶ月で理想の体型実現で、体重を減らすためには、ほとんど糖質を摂らないでタンパク質中心の食事のようです。2ヶ月間だけなら、まだ良いかもしれません。2ヶ月が終了して体重が落ちた後も、タンパク質=肉だけ食べると良いと思われると、これは問題です。赤肉と加工肉の発がん問題が話題になりましたが、極端な話をすれば、焼肉屋で自分の腸と同じ成分であるホルモンを食べたとき、どうして、ホルモンだけ消化されて、自分の腸は消化されないのか、をちゃんと理解してから肉を食べて欲しいと思うのです。

 そして、今回の特別企画では、自分自身の健康の現状と将来をどう考えるかを加えたいと思っています。その理由は個人的な事情になりますが、平均寿命で考えれば、あと10年間いかに健康に過ごすことができるか、これが非常に重要だからです。実は、単に個人的な理由だけではありません。日本の財政の中に占める医療費と年金の重さを考えると、できるだけ健康に生きて、その後、スーーーーとこの世から消えることが、かなり大きな社会貢献なのではないか、とも思います。

 具体的には、自分自身の健康寿命をできるだけ伸ばすということを意味しますが、色々な情報を得て、色々と人体のメカニズムを知ること、さらに、その知識に基づいて工夫をし、自分を対象に実験をすることで、有効な対応策を発見するなどを試みた結果、これまで見えなかったことが見えるようにもなってきました。

 そこで、「自己経験に基づく環境と健康とリスク」という視点から、色々と書いてみたいと思うようになりました。

 毎回述べていますように、今世紀は、産業革命で始まった化石燃料文明が終わって、自然エネルギー文明が始まる時代であることを考えると、人間の命とは何なのか、について考えることが義務化され、そして、自分のライフスタイルを変更することが求められるような気がします。取りあえずは、自分自身による環境への負荷を減らさなければならないのかもしれません。

 しかし、すべての人に対して、環境だけを考えて行動することを求めるのはあり得ないことだと思います。そこで、「環境と健康」を組み合わせることによって、ライフスタイルの変更が実現されるようなことが、重要な課題になるような気がしている訳です。

 この話のヒントになっているのは、シアトルで環境負荷がもっとも低いビルだと自己主張をしているBullitt Centerです。あらゆる省エネ技術が取り入れられていますが、やはり最後はこのビルを使用する人々への対応になります。地上5階建のZEB(Zero Energy Building)ですが、次の写真のように階段が外にあり、完全にガラス張りです。この階段を使ってもらい、外の景色を楽しんでもらうというのが狙いです。また、テナントとなる企業には、階段を登り降りすることで、健康増進にも役立てて貰おうという狙いがあるようです。このビルにオフィスを持つ会社では、恐らく、運動量計を付け、その報告をすることが、社員にとっての義務になるかもしれません。健康を重視せよといって、エレベータの消費電力を下げるという企てが、このビルにはあります。となると、環境と健康をどう考えるか、これは新しい課題なのです。



写真 シアトルのBullitt Center。ガラス張りの階段に注目。

 余分な話ですが、昨年11月から自分用の運動量計を購入し、常時活動をモニターしています。この部分を書いているのは、1月11日(休日)で、全く外出していませんので、午後には、新幹線の切符を買うことを兼ねて、自宅と恵比寿駅を往復する予定(計5kmちょっと)です。最近の目標値は、1週間に7万歩です。土日を考えると、平日は平均1万2千歩ぐらいが目標になります。休日を本当の休養日にしては、達成が不可能なのです。

 運動量計のモデルは、fitbitHRでして、メーカーの言う特徴は「本体内部の光センサーにより心拍数、歩数、距離、階数、アクテイブな時間、消費カロリー、睡眠時間、睡眠サイクルなどさまざまな活動を記録できます」。これまでのデータを見ると、安静時心拍数は、蓄積疲労とどうやら相関があるような感触です。蓄積疲労だけでなく、風邪気味になると、安静時心拍数がわずかに上がります。などなど、体調管理にも有効ですし、そもそも、歩く距離がやはり3割ぐらいは増えたようです。

 という訳で、今後、「環境と(自分の)健康とリスク」の記事を、ときどき書く予定です。取り上げる項目としては、以下のような分野になるのではないか、と思います。

1.体重と運動量計
2.体幹を鍛える
3.歯をどうメンテするか
4.白癬菌との付き合い方
5.姿勢は重要
6.がんに対する考え方
7.記憶力・集中力・作業
8.膝痛と歩き方
9.血圧・脈拍
10.食事と微生物と消化器の関係
11.アルコールの分解能力
12.シミが増えるのは日光角化症か?
13.脳の健康をどう維持するか

14.などなど

 本日は、その予告編として、「8.歩き方と膝痛」をちょっと書いてみようかと思います。



環境と健康とリスク−自分編
第1回 膝痛と歩き方

 膝痛が問題になりはじめたのは、東大を58歳で退職し、国連大学に移籍する1年ぐらい前からでした。今、考えてみれば、その原因は、車通勤とテニスに有ったのではないか、と思う次第。テニスは、20歳台の後半から始めたのですが、東大生産研のゴツゴツのアスファルトコートでのテニスは、膝関節などに良い訳はなかったのでしょう。57歳頃から、テニスをしても15分ぐらいで、右膝が痛くなって、曲げることができなくなってしまうという症状が、かなりの頻度で出るようになりました。国連大学も、車通勤でしたが、エレベータを使って自室に篭もるという生活では、やはり足の筋肉の使用量が足らなかっただろうと思います。たまに歩いて出かけると、10分ぐらい歩いたところで、右の膝が痛くなるという状況になることが、ときに起きて、しばらく安静にしているとまた多少歩くことはできるのだけれど、本当に直るのは翌朝という状況になってしまうことも普通でした。痛みが強いと膝を曲げられないので、階段を下る状況がもっとも厳しかったのです。地下鉄の階段の恨めしかったこと。

 最悪の経験だったのが、大町立山黒部アルペンルートを上がったときで、その日は、膝もまあまあの調子だったので、ロープウェーの終点から周回コースを歩いていたのですが、途中で膝が痛くなってしまいました。ロープウェーの駅まで戻ったものの、そこから長い下り階段を降りなければならない状況に遭遇して、大変に苦労をした記憶が未だに鮮明に残っています。

 長い間困っていたこのような状況が改善できたのは、エコプレミアムクラブの2013年会で、三浦雄一郎氏にご講演をいただいたことがキッカケでした。80歳でエベレスト登頂にチャレンジするために、どんな訓練をしたか、というお話でした。

 「一時、再起不能とまで言われる健康状態だったが、医師に『このままでは寝たきりになる』と言われて、一念発起。目標を高く持って、歩くトレーニングを始めたが、靴の底に5kgのおもりを付けて歩く方法だった」。

 ここまでの話は報道で知っていたのですが、直接話を聞くチャンスだったので、膝痛について個人的な質問をしたところ、歩き方が非常に重要との指摘をいただきました。「膝を上へ持ち上げて歩く。着地は、踵全体で」。これの反対の、もっとも悪い歩き方が、北朝鮮兵士の行進の歩き方、すなわち、全く膝を曲げない方法だということになります。

 片足5kgものおもりを付けていると、靴によって足首が固定されてしまうので、確かに、膝を持ち上げるという歩き方以外に方法は無いのです。この方法を、使う筋肉はどれか、という点から解釈すれば、「歩くのに本来使う筋肉は、大腿四頭筋(ふとももの前側の筋肉)である。太腿の後ろ側のハムストリングや、脛の筋肉を使って歩くものではない」、という結論になります。

 そこで、色々と根拠を調べてみると、こんなことが見つかります。「寝たきりになると、歩行に使われる筋肉量は大幅に減少するが、なかでも大腿四頭筋は、使わないと非常に早く減少する筋肉であり、普通に生活していても、30歳から80歳までで半分に減る。腰周辺の筋肉、例えば、大殿筋なども、減り方が早い。一方、ハムストリングの減少速度は、大腿四頭筋に比べると遅い」(例えば、『カラダが変わる!姿勢の科学』石井直方著、ちくま新書1115)。

 どうやら、人体は、いつでも自分の設計図を見ていて、常に使うはずの筋肉が使われないと、「この筋肉は不要になったのだ」、と判断し、「いらないものがあるのは不効率だ」、と積極的に減らすというメカニズムをONにするようです。一方、もともと余り使わない筋肉は、使わなくても不要になったと判断されないようです。不要細胞を減らす機構は、3つあるようですが、そのひとつがオートファジー(自食)と呼ばれ、いわば細胞のリサイクルで、極めて合理的な機能です。ヒトという生命は、脳の原理主義なので、飢餓状態になって脳への栄養供給が不足すると、リサイクルが特に活発に行われ、分解して作った栄養素は脳に送られることになります。すなわち、脳がエネルギー不足になるぐらい考え事をすると、痩せるということになります(?!?)。

 話を戻して、大腿四頭筋は、膝関節を支える筋肉でもあるので、その衰えは、当然、膝痛に繋がることになります。ということから、膝痛の治療法として、大腿四頭筋を使った歩き方に変えるとうことが、極めて重要のようです。

 2013年の夏以来、大腿四頭筋を意識しながら歩くというやり方を続けた結果、今では、膝の不安が消えました。以前なら平地でも4kmを歩く勇気はなかったのですが、今では、10kmぐらならまあまあ普通に歩けるという感触です。

 歩き方に関連して、歩行能力がどのぐらい老化しているかを判断する手法として、石井直方先生は、2ステップテストというものを推奨しています。2歩できるだけ大股で歩いて、その長さを身長で割るという指標です。やり方は、YouTubeにも動画がありますので、
https://www.youtube.com/watch?v=IVdULHlSJWs
見てください。年齢との相関の目安は、次の表の通りです。


表1:2ステップテストの標準値

 どうやら、このテストの結果が1.25以下になると、転びやすくなって、骨折のリスクが格段に増大するとのことなので、個人的には、1.55ぐらいは行くので、しばらくはもっと足を鍛えて1.6(30〜50歳台なみ)を目指そうかと思っていますが、まあ、無茶でしょうね。どこかの筋肉を痛めるのが落ちでしょう。