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 書評:原子力規制委員会の孤独 
    04.18.2015
  福井地裁の高浜原発差止仮処分を読み解くために  




 産経新聞の原子力取材班キャップである天野健作氏の著書のご紹介である。天野氏は同志社大学法学部卒であるが、その後京都大学大学院人間・環境学修士号を取得、さらに、ニューヨーク大学国際関係学を修了しているので、文理両方の情報の理解が可能なのかもしれない。

 この本を買い込んだ直後の4月14日に、福井地裁による高浜原発の仮処分の決定が行われた。原子力規制委員会の存在を頭から否定するような仮処分の実態を理解するためには、規制委員会について、なんらかの基礎知識が必要である。そのために、もっとも手っ取り早いことが、この本を読むことだと思われる。

 まずは、高浜原発の仮処分の決定について、いくつかの情報をまとめてみる。



 読売新聞のサイトでは、福井地裁の仮処分については、以下のような記述になっている。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150414-OYT1T50067.html

 高浜原発再稼働差し止めの仮処分を決定したのは、樋口英明裁判長である。「原子力規制委員会が策定した新規制基準は緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない」とし、福井など4府県の住民9人の申し立てを認めた。

 決定はまず原発の耐震設計の基本になる基準地震動(想定される最大規模の地震の揺れ)の数値の信頼性を検討。関電は700ガル(ガルは揺れの勢いを示す加速度の単位)とし、規制委も安全審査の合格証にあたる「審査書」でこれを認めた。

 決定は、2005年以降の地震のうち全国4原発で5回、想定の地震動を超えたことを重視し、「高浜の想定だけが信頼に値する根拠はない」と指摘。基準地震動は発生しうる一番大きな揺れの値ではないとする専門家の意見も挙げ、「理論面でも信頼性を失っている」とした。

 また、700ガル未満の地震でも、外部電源が断たれたり、給水ポンプが壊れたりして冷却機能が失われ、炉心損傷の危険があるとした。

 決定は新規制基準の妥当性にも言及。高浜3、4号機の脆弱ぜいじゃく性を解消するには〈1〉基準地震動の策定基準を見直し、想定を引き上げ、根本的な耐震工事をする〈2〉外部電源と給水設備の耐震性を上げる――などの対策が必要だが、新基準は規制対象にしていないとした。

 さらに、事故時の対応場所になる免震重要棟の設置に猶予期間があることについても「地震は人間の計画、意図とは無関係に起きる。規制方法に合理性がないのは自明」と批判。「(新基準は)深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容にすべきだ」との見解を示した。

 そのうえで「住民らの人格権が侵害される具体的危険性がある」として差し止めの必要性を認めた。

 関電は異議のほか、決定の効力を止める執行停止を同地裁に申し立てることができ、異議審の結論に不服があれば名古屋高裁金沢支部に抗告できる。決定後、「主張を理解いただけず、誠に遺憾で到底承服できない」とのコメントを出した。

 樋口裁判長は昨年5月にも関電大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の訴訟の判決で再稼働差し止めを命じた。この訴訟は名古屋高裁金沢支部で控訴審中。今月1日付で名古屋家裁に異動したが、継続して審理するため福井地裁判事職務代行の辞令を受け、今回の仮処分決定を担当した。

 仮処分は福井、大阪、京都、兵庫4府県の住民9人が昨年12月に申し立てた。



 福井地裁による差止め仮処分決定要旨全文は、次のサイトから得るのが簡単である。
http://www.news-pj.net/diary/18984



 「発言を曲解」−決定文に発言引用の京大名誉教授が反論 これは必読であるので引用。
http://www.sankei.com/west/news/150416/wst1504160063-n1.html
2015.4.16 19:14

 関西電力高浜3、4号機の再稼働の差し止めを命じた14日の福井地裁の仮処分決定で、新聞記事の発言を引用された京都大の入倉孝次郎名誉教授(強震動地震学)が産経新聞の取材に応じ、「発言を曲解された」と話した。
 入倉氏は、国内で起きた地震の平均像をもとにした地震動の計算方法を考案した専門家。今回の仮処分をめぐり、入倉氏が法廷で証言したことはなく、意見書も提出していなかったが、住民側が証拠提出した記事をもとに発言が決定文に引用された。
 決定文では、入倉氏のインタビュー記事での「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われるが、そうではない」「平均からずれた地震はいくらでもある」との発言を取り上げ、「基準地震動を平均像をもとに策定することに合理性は見いだせず、理論面で信頼性を失っている」と断じた。
 これに対し、入倉氏は取材に「決定は発言の一部しか引用しておらず、内容が曲解されている」と反論。「基準地震動は地震の平均像だけで計算しているわけではなく、原発が立地する地盤特有の影響や断層の動きの不確実性も考慮して策定される。明らかな事実誤認だ」と強調した。



事実誤認いっぱい…再稼働差し止めに田中氏反論
http://news.livedoor.com/article/detail/10010367/
2015年4月15日 22時4分 読売新聞

産経の見解
http://www.sankei.com/west/news/150414/wst1504140095-n1.html
2015.4.15 05:02

日経新聞の4月18日のWeb刊。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85697510V10C15A4EA1000/
2015/4/15付



C先生:今回の司法判断は、いささか暴走気味だ。このような暴走が起きることは、地裁レベルでは不思議なことでは無くなっているが、やはり、単一の価値観のみで司法判断が行われるということは、少なくとも科学的な事実を十二分に確認することが必要不可欠な事例については、慎重に対応して欲しいと思っている。

A君:今回の主張の最大の特徴が、原子力規制委員会の存在意義を根底からくつがえすような司法判断だと言えることです。原発再稼働については、様々な検討を行い、極めて分量の多い報告書を出している原子力規制委員会の決定を根底からくつがえすような、新しい科学的な論理を提出できたと言えるのでしょうか。

B君:論理の重要な要素になっているのが、京都大の入倉孝次郎名誉教授(強震動地震学)の見解だったのだが、ご本人が産経新聞の取材に応じ、「発言を曲解された」と話したそうなのだが。

A君:どうも入倉名誉教授のインタビュー記事を引用したようですね。仮処分決定要旨によれば、”活断層の状況から地震動の強さを推定する方式の提言者である入倉孝次郎教授は、新聞記者の取材に応じて、「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われることがあるが、そうではない。」「私は科学的な式を使って計算方法を提案してきたが、平均からずれた地震はいくらでもあり、観測そのものが間違っていることもある。」と答えている。”、と引用されているのですが、まず、「新聞記者の取材に応じて」とあるように、インタビュー記事は記者が書いたのですよね。それをそのまま司法判断に使って良いのでしょうか。

B君:まあ駄目だ。最低限、本人に意見を聴取すべきだった。それをサボったのなら、大問題だ。

A君:決定要旨には、その次に、”地震の平均像を基礎として万一の事故に備えなければならない原子力発電所の基準地震動を策定することに合理性は見い出し難いから、基準地震動はその実績のみならず理論面でも信頼性を失っていることになる。”と書かれているのですが、地震動の強さも統計的事象として扱うのは当然で、平均値はこのぐらい、その分布はこのようなものだから、ある値を超える確率はこのぐらい、という判断をするのが科学的だと言えるのではないですか。

B君:その次にある文章も、これも問題。”基準地震動を超える地震が到来すれば、施設が破損するおそれがあり、その場合、事態の把握の困難性や時間的な制約の下、収束を図るには多くの困難が伴い、炉心損傷に至る危険が認められる。基準地震動を超える=絶対に危険、という判断はオカシイ。超えたときでも、どうやって対応するか、を考えるのが、リスクのマネジメントなので。

A君:世の中の安全というものは、そうやって維持できているのですよね。先日、広島空港でアシアナ航空のA320が事故を起こしました。滑走路に通常の高度よりも30mも低い高度で侵入し、高さ6.4mの計器着陸装置に接触して、タイヤが回らない状態になって滑走路を外れた、という事故でした。こんな状態にならないように、前輪の足とタイヤには覆いを付ければ良いのでしょうか

B君:その覆いのために重量が増大して、離陸時の重量が増えてしまう。通常よりも30mも低高度で進入するという異常事態の発生確率は、熟練を積んだパイロットであれば、考えられないぐらい低い、という判断をして、システム全体の安全設計をしているのだ。

A君:この裁判官に言わせれば、このような可能性が少しでもあるような通常の航空機は、乗客の人格権を侵害しているのでしょう。

B君:世の中の機器の設計など、すべてにおいてそんなものなんだ。例えば、自動車のブレーキは実質的に1系列しかない。もしも、何か起きて、ブレーキオイルが完全に漏れてしまったら、ハンドブレーキで止まれるのか。これは至難の技だ。最近、手動でないタイプも増えたこともあって、ハンドブレーキという名称も使われなくなっているが。

A君:なにもかもリスクをゼロに近くしたければ、それは不可能ではないのですが、本来の機能と抵触するものだから、リスクゼロを求めることは行われないというのがこの世のルールになっている訳です。

B君:エネルギーの場合には、それだけでなくて、加えて様々なリスクを考慮しなければならない。

A君:エネルギー供給は、人間生存の基本的条件に関わりますので、極めて重要な事項だと言えます。このようなものについて判断をするときは、複数の視点からの判断を行わなければならないのです。その基本原理は3E+Sにあるとされていて、供給の全体像を描いた上で、他のエネルギー源との相対的な比較の中で、できれば、リスクガバナンスの考え方を導入した相対的な比較の中で、大きな方針を決めるという方法論以外に正当な方法論はない、と我々は主張をしている訳です。

B君:今回の仮処分の決定を見てみると、やはり、リスクという考え方が、いかに理解されていないか、裁判官のような知性の高い存在でもか、と嘆かわしく思ってしまう。

C先生:面白いのは、差止め仮処分決定の要旨の中に「万が一」にもという言葉が使われていることだ。これは、リスクが「万が一」であれば良いという主張ではなくて、「完全なリスクゼロ」を主張しているようだ。日本語というものは面白い言語だ。

A君:それにしても、原子力規制委員会という組織の役割も理解されていないようですね。

B君:誤解してもらいたくないことの第一が、原子力規制委員会は、3E+Sという4要素を均等に見るということを使命としている組織ではないということだ。原子力炉に関する許容されるなんらかのリスクの大きさを仮定し、そのリスクとの見合いで、新規制基準と呼ばれる安全基準をクリアーしているかを判定している。

A君:言い換えれば、ある目標を定めて、その目標にそって、リスクを考えています。その確率的な表現は以下のようなものです。
 原子力規制委員会は、事故の程度により発生頻度を三つ区分している。
(1)米スリーマイル島事故のように炉心が損傷する程度の事故を「
1万年に1回」、
(2)放射性物質の放出を抑えられるとしても格納容器の機能が喪失した程度の事故を「
10万年に1回」、
(3)放射性物質の放出が抑えられない事故を「
100万年に1回」。ただし、東京電力福島第一原発事故で放出されたセシウム137が1万テラベクレル放出されたと推定し、その100分の1となる「100テラベクレル以下」になるようにする。

B君:最後の100テラベクレルだけど、これ以下であれば、長期間に渡って計画区域が設定され、避難を余儀なくされるということはない、という考え方に基いている。

A君:このようなリスク的な考え方に対して、福井地裁の「万が一」は、明らかに有限の数値を意味するものではないですね。指摘の通り、「完全なゼロ」という意味なのでしょう。

B君:いかなるものにも完全なゼロリスクはあり得ない、という意味で、現実性を欠いていると疑問を呈さざるをえないよね。

C先生:ここまでの議論が原子力規制委員会の判断のスコープで、原発の事故発生リスクを基本に据えている。まあ、S(安全性)だけを考えるのがそのスコープだ。それを3E+Sのリスクに拡張して考えるべきというのが、我々の主張でもある。

A君:言い換えれば、エネルギー供給が途絶えるといった可能性、使用者にとって余りも高価なものにならないことも考慮する必要性、さらに、人類の生存基盤である地球環境の永続性を十分に配慮する必然性、このすべてを総合的に判断して、3種類の一次エネルギーの使い方を考えるべきだというのが、我々の主張です。

B君:これらの中では、エネルギー供給が途絶えるという可能性について想像ができないのが日本という社会だ。ほとんど停電の無い国なので。

A君:電力の場合には、供給量と使用量が常に同じでなければならないという同時同量という条件があることを理解している人が少なすぎます。

B君:もっとも新電力のように、取り扱う電力量が少ない事業者の場合には、同時同量といっても30分間で辻褄を合わせれば良いことになっているが。

C先生:そろそろ、いくらなんでも本論をやろう。この本の紹介に戻ろう。

A君:本当にそうでした。簡単に紹介します。

原子力規制委員会の孤独 - 原発再稼働の真相

 天野健作著、発行所(株)エネルギーフォーラム
 エネルギーフォーラム新書031 
 2015年3月1日 第一刷発行


B君:内容は、まさに原子力規制委員会がどのような委員会であるか、をかなり客観的に記述をしている本ということ。

A君:エネルギーフォーラムの本であり、産経新聞の記者が著者なので、原子力無条件推進の立場から、過度に原子力規制委員会を批判的に記述している本かと思ったのですが、そうではなかったですね。

B君:地震を専門とする規制委員会の委員だった島崎邦彦委員が活断層の判断基準を40万年前まで拡大したことに対しては、その活断層が再度活動する確率が余りにも低いという批判が一部からあったし、活断層が原子炉本体の下に存在していれば、それがいかに小規模なものであっても、規制上はダメになるということも、ゼロリスク的発想だ、とか、土台の補強などによって、建築技術上の方法で対応可能ということを無視しているといった批判があったのだが、そのような考え方の記者ではないようだ。

A君:あとがきには、このように書かれています。
 「エネルギー確保や安全保障などの政策面から原発の必要性を説く自信はない。いったん事故が起きれば、放射性物質の汚染が広範囲に及び、農作物や魚などの安全性にも影響することを考えると、むやみやたらに原発を増設することは、もはやかなわないかもしれない。
 このように原発の存在について様々な思考を続けているが、私はいまだ明確な答を導き出せていない
」。

B君:ということのようだ。我々が3種類の一次エネルギーを対象にして、かなり純粋にそれぞれのリスクの大小と制御の可能性から考えているのだが、このような自らの思考をまとめる道筋が見つかっていないのかもしれない。また、原発事故というものが再発すると、それが、必ず福島第一原発級になってしまうという思いが強いのかもしれない。

A君:原発のリスクを色々と考えることは重要ですが、福島第一級の事故がもしも再発したら、それが世界のどの国であっても、原発はそれで終わりになると思わなければならないでしょう。そのため、必要な発生確率のレベルが、100万年に1回よりかなり低いこと。もしも、自然エネルギーを取り扱う技術が完成レベルになるであろう2100年以前にそのような事故を起こしたら、化石燃料回帰が唯一の道筋になってしまって、人類の破滅が近くなるでしょう。そのぐらいの間、すなわち、100年間程度でよいから、原発の安全性をしっかり確保することは、人類全体にとって重要なことになりました。

B君:中東の政治情勢が不安定なことも、化石燃料に対する供給の信頼性に暗い影を落としている。

C先生:そろそろ終わりにするが、いつも述べているように、人類が未来永劫使えるエネルギー源は、自然エネルギーしかない。化石燃料は、気候変動リスクが非常に大きい。原子力は、完全に安全といったレベルにするには、コストが非常に高くなる可能性が高い。しかも、今回の司法判断の様子を見ると、ちょっとした故障が起きた時に、運転が停止させられてしまうリスクが非常に大きい。比較的安全と言われる核融合は、材料技術が完成できない可能性がある。ということで、「今世紀末には、ほぼ自然エネルギーだけ」ということを目標にして、あらゆるイノベーションを起こすことが重要だと思えるのだ。