名古屋議定書合意の理由   11.07.2010   




 今週の初めて。
 やっと秋空になった。これまで、目黒の自宅から、これまで撮影したことのないアンドロメダ星雲に挑戦。渋谷の光が邪魔。
   使用機器は、カメラ:EOS KissF(改造)、レンズ:EF400mmF5.6L、赤道儀に載せて50秒露光
 さすがに、本の中心部しか撮れない。本当のサイズは、左側にある三ツ星の真ん中まで広がっているはず。しかし、心眼で見ると、若干の筋模様が見えなくもない。右下のぼんやりした光も星雲。
http://dl.dropbox.com/u/8952137/Andro2010_11_05_0459ctrim.jpg



 本題:やっと、名古屋議定書の英文版を入手した。

 出席していた人に聞くと、名古屋議定書の合意ができて、松本環境大臣が木槌を振り下ろしたときには、やはり感激したとのこと。昨年のデンマークでのCOP15の二の舞にならなかったことは、やはり将来的には良かったのではないだろうか。日本にとって、名古屋という日本の地名を冠した重要な議定書ができた。京都議定書の名前が生きるのは、が97年から2012年までの15年だが、こちらは相当長持ちすることだろう。それが拠出を宣言した1600億円余(もともとODA)の価値があるかどうか、と言われれば、それは考え方次第。

 名古屋議定書に関して、準備会合の段階から先進国と途上国の激しい議論が行われたポイントがいくつもあるが、今回は、それにも関わらず、なぜ合意できたのだろうか、と疑問に思う。

 それを明らかにすることが今回のHPの目的であるが、いくら原文をもとに解析しても、恐らく推定の域をでない。しかし、試みることに意義がないとは言えない。

参照する文書は、
 UNEP/CBD/COP/10/L.43/Rev.1 29 October 2010
まだ、議長ドラフトである。最終文書はまだ入手できていない。若干の変更点はあると聞いているが、余り本質的な変更点ではないとのこと。



C先生:これから名古屋議定書の中身を少々検討することになるのだが、この内容であれば、先進国の産業にもそれほど大きなダメージが無いし、途上国の不満もそれほど大きい訳でもない。直感的には、かなり先進国よりという内容だと思うのだが、なぜ、途上国はこの内容で了承したのか、その検討になるように思う。

A君:この文書は、名古屋議定書の議長案で、いわゆるABS(=遺伝子資源のアクセスと利益配分)に関するもの。COP10での検討で、こちらが決まらないと、多様性の保全に関わる愛知ターゲットも合意されないと言われていたもの。

B君:議長案と余り違わない形で合意がなされたということは、議長団のバランス感覚が極めて優れたという証拠ではある。先進国側の懸念、途上国側の不満、資金援助額という3つのバランスが良く取れていないと、合意には至らない。


名古屋議定書の全体構成

A君:文書の構成ですが、プリアンブル(preamble)と呼ばれる前文から始まるのは、すべての国連文書と同じ。最初の文の主語はCOPになっている。最初の文といったものの、前文は4ページあるけれど、実は、これ全体が一つの文章になっている。しかし、内容的には、前文の前文に続いて、3つのパートに分かれている。

I. ADOPTION OF THE NAGOYA PROTOCOL
 この議定書への各国のサインを来年2011年の2月2日から1年間受け付ける。その他、様々な記述。
II. INTERGOVERNMENTAL COMMITTEE FOR THE PROTOCOL
 最初の国際コミッティーの会合を2011年6月6〜10日、二回目を2012年4月23〜27日に開催。GEFに資金援助を求める。途上国は、必要なキャパシティ・ビルディングのニーズを表明する。などなどの記述。
III. ADMINISTRATIVE AND BUDGETARY MATTERS
 生物多様性会議の信託基金が最初のMOPの資金を提供。任意のさらなる出資を要請。

B君:このあたりは、国連文書の定型的な形式になっている。


名古屋議定書の本文

A君:附属書T(Annex I)として、名古屋議定書の記述が始まる。

B君:最初は、これも多分Preambleと呼ばれるのだと思うが、現在分子が26も繋がる文章があり、以下を合意する、と来る。

A君:第一条は、目的。特筆することはない。第二条が用語の説明で非常に重要。
■「遺伝資源の利用」とは、遺伝子資源そのもの、もしくは遺伝子の生化学的な研究や開発を行うことで、バイオテクノロジーの応用的活用を行うことを含む。
(c) “Utilization of genetic resources” means to conduct research and development on the genetic and/or biochemical composition of genetic material, including through the application of biotechnology as defined in Article 2 of the Convention.
■「バイオテクノロジー」とは、生態系、生物、派生物、を使って、特定の利用目的のために製品を作ること、あるいは改変する技術的な応用方法を意味する。
(d) “Biotechnology” as defined in Article 2 of the Convention means any technological application that uses biological systems, living organisms, or derivatives thereof, to make or modify products or processes for specific use.
■「派生物」とは、生物もしくは遺伝子資源の遺伝子的な表現あるいは生物的な代謝によって、自然に生成する生化学的な生成物を意味する。遺伝を司る構成要素そのものを含まない場合にも適用される。
(e) “Derivative” means a naturally occurring biochemical compound resulting from the genetic expression or metabolism of biological or genetic resources, even if it does not contain functional units of heredity.


「派生物“Derivative”」の問題

C先生:今回のABSに関する重大な対立点が、この派生物の定義だった。先進国の産業としては、抗生剤などの医薬品が派生物として認められるかどうか、それが問題だという意識だった。
 例えば、中国料理で使われる香辛料の一種、八角の成分であるシキミ酸を原料として、合成されるオセルタミビルという物質が、インフルエンザ治療薬のタミフルの有効成分。もしも、オセルタミビルが八角の派生物として認められると、その使用料金を中国に払わなければならない可能性が出てきて、これは大変なことになる、というのが先進国側の医薬品企業の懸念だった。


図 シキミ酸の分子式


図 タミフルの有効成分、オセルタミビルの分子式、シキミ酸とは大幅に異なる。シキミ酸から多段階プロセスを経て、合成されている。


A君:名古屋議定書で定められた派生物の定義だと、自然に生成する生化学的な生成物と書いてあるので、タミフルは八角の派生物だとはとても言えない。

B君:実際、多くの抗生剤などでも、最後には、化学的な手法を用いて、より有効な分子構造に変えて商品にすることが行われている。そのため、医薬品の世界では、この「派生物」の定義が有効になるケースはほとんどないと思われる。

C先生:そのため、先進国の医薬品産業は、ホッとしたというのが実態ではないだろうか。

A君:それならどのような場合に、派生物という定義が適用されるのか、と言えば、健康食品ならば可能性がある。
 具体的には、例えば、「マカ」がある。マカは、ペルー産のアブラナ科の根菜で、赤道直下のアンデス標高4000mの高地で育つ。日中は照りつける太陽の光が強く、夜は気温が0度以下になるような条件。
 サントリー製の「マカ」の広告のよれば、
http://www.suntory-kenko.com/listing/maca/a/?key=7035&waad=6Y4yW2jS
「ペルーの契約農家に対して、採取、加工、保管、輸送などのすべての工程について、厳しい品質管理を徹底しました」。
「主成分のマカに加えて、サントリーならではの4つの元気成分を配合。冬虫夏草、ベニバナ、トナカイの角、亜鉛」。

B君:マカは遺伝子資源そのもので、たとえその抽出物を使っていたとしても派生物だから、サントリーの利益の一部をペルーに還元せよということになる可能性がある。そのような状況が起きるには、まず、ペルーが名古屋議定書に対応する国内法を整備することが条件。そうなると、サントリーと契約農家との合意のみで話を進めることができなくなる。

A君:冬虫夏草も同様かもしれない。もともと中国のチベット高原で産出する。サントリーは、国産の冬虫夏草を使っていると言うが、その場合には、どうなるのか。ベニバナは、もはや世界各地で栽培されているので、適用外だと思いますが。

B君:冬虫夏草は、ガの幼虫に生えるキノコなので、派生物ではなくて、遺伝子資源そのもののように思えるが。

A君:冬虫夏草の場合、何か、有効成分を抽出ぐらいはしているのではないですか。

B君:中国ではそのまま料理に加えて食べるけどね。

C先生:薬草の類からの抽出物は明らかな派生物になる。植物からの油も当然のことだ。
 最近、藻類から自動車用や航空機用の燃料油を作ろうという話があるが、その油も、藻類が自然に作るものだから、派生物。

A君:どこかの原産地から藻類を得て、それが良質な油を大量に産出することが見つかれば、その原産地に、利益還元を当然行う必要がある。

B君:話を戻すけど、冬虫夏草は、チベット高原が原産地だが、サントリーは国産でそれを育てている。この場合にはどうなるのだろう。

C先生:「伝統的知識」というものがあって、それが関連するかもしれない。


伝統的知識

A君:派生物という概念の他に、伝統的知識という言葉もあって、それも、この名古屋議定書の適応対象になっています。

B君:名古屋議定書ではなくて、遺伝子組換えに関するカルタヘナ議定書にも伝統的知識という言葉が使われている。しかし、何が伝統的知識か、となると、名古屋議定書の第九条を読むしか無い。

A君:第九条に遺伝子資源に関わる伝統的知識の記述があります。「国内法を策定するときには、原住民のあるいは地域社会の慣習法律、儀典、やり方を考慮する必要がある」。
1.In implementing their obligations under this Protocol, Parties shall in accordance with domestic law take into consideration indigenous and local communities’ customary laws, community protocols and procedures, as applicable, with respect to traditional knowledge associated with genetic resources.
 そして、伝統的知識を使う場合にも、利益配分に配慮すべしということになっている。さらに、原住民や地域社会の伝統的知識の活用が阻害されないような配慮をしなければならない、と規定されている。

C先生:さきのサントリーの例は、かなり難しい。もしも同様のことが今後なされれば、何か言われる可能性があるが、サントリーのケースは、名古屋議定書以前から使われている。後述のように、遡及は行わないことになったので、法的には過去はセーフ。今後は不明。
 ところで、発酵食品ではどうだろう。かなり伝統的な知識が適応可能なケースかと思われるので、ちょっと考えてみるか。

A君:発酵食品は多数ありますね。味噌、醤油、酒類から、漬物、さらには、乳酸菌飲料などまで。

B君:紅茶、ウーロン茶、プーアル茶、酢、パン、塩辛、ナタデココ、納豆、魚醤などの各種醤、チーズ、馬乳酒、タバスコ、ヨーグルト、バニラ、、、、

C先生:ヨーグルトは、明らかに乳酸菌の派生物だと言えるだろう。どこかの国で採取した乳酸菌を無許可で持ち出すこと自体、すでに不可能だが、今後、正式な手続きに基づいて乳酸菌を貰ってきて、それでヨーグルトを商品化したら当然、利益配分がなされなければならない。これは当然だ。
 それだけでなく、微生物をある条件下、例えば、特殊な温度管理とか貯蔵法を用いて活用するといったことで、伝統的な知識が加味されるというケースもあり得ると思うのだ。

A君:すでに商品化されている具体的な例としては何でしょうか。ちょっと手持ちの知識の中には無さそうです。

B君:具体的に、利益配分がどのような対象に対して行われるべきか、イメージが湧きにくいのは事実だ。

A君:途上国としても、伝統的知識を重んじろということは主張できても、そこから遺伝子資源の活用に関するなんらかのヒントが得られたとき、その価値を無視するなとしか言いようがないのでは。ある植物が薬草として使われているという伝統的な知識があったとして、その植物からなんらかの有効成分が得られたとして、伝統的知識をどのぐらい評価し、その植物そのものの価値をどのぐらい評価するか。

B君:そもそもそんなことが想定されているかどうか。

C先生:ということだろう。伝統的知識という無形物を取り出して、それだけを評価するということは難しい。なんらかの遺伝子資源の価値に付け加わるエクストラな価値としての意味は分からない訳ではないということだろうか。


対象を遡及するか

A君:もう一つの議論の中心が、対象となる遺伝子資源を、大航海時代まで遡って適用するか、という議論だった。しかし、これに関しては、どうやって適用するかが非常に難しいこともあって、名古屋議定書が発効してから、適用することになった。

B君:大航海時代に移動した生物資源がどれで、それがどのぐらいの利益をもたらしたか、ということになるとその評価は大変に難しい。

A君:名古屋議定書ではなく、愛知ターゲットの方で外来種について述べていますが、今や日本の秋を象徴する花になっているコスモスだって、外来種ですからね。

B君:Wikiによれば、メキシコから18世紀末にマドリードの植物園に送られたとある。日本には明治20年頃に渡来したという。秋の季語になっているというから、もう日本文化の中に完全に定着している。

A君:同じWikiですが、コスモスを象徴とする日本の市町村のリストが有りますが、これを見ても日本の花ですね。


途上国はなぜ合意したのか

C先生:ここからは完全な推測になるが、途上国がなぜ合意したのか、若干議論をしてみよう。

A君:派生物が最大の難関かと思っていたのですが、やや意外。

B君:上述のように、医薬品に関しては、派生物に分類されるものが多分何も無い。

A君:遡及範囲が大航海時代まで戻れば、抗生剤も含むことになる可能性があった。ペニシリンをフレミングが発見したのが1929年で、それ以後、各地の真菌類や放線菌類の探索が行われたから。しかし、どこの産地の菌が実際有効だったか、などといった記録がすべてに残っているものなのでしょうか。

B君:ストレプトマイシンなどを発見した、ラトガース大学のワクスマンの研究室は、相当多数の抗生剤を見つけた。しかし、1943年当時、土壌から細菌類を採取したと言われているが、どこの土壌を使ったのか、明らかでないようだ。

C先生:細菌は、ある地域にしか存在しないのか、それとも、似たような気候地域であれば、似たような細菌が存在しているのか。この議論に決着がついているという訳ではないようだが、多くの微生物学者は、ある特定の地域にのみ存在している細菌がある、という考え方に懐疑的であるように見える。

A君:ヒトがかかる感染症というものが世界的に余り異なることは無いように、恐らく、その感染症を引き起こす細菌に抗菌性を示す他の細菌というものも、世界的に特異なものは少ないと考えて良い、ということではないでしょうか。

B君:だとすると、自国の土壌中に存在している細菌が、世界的に特異であるという可能性は少ないということになる。そうなれば、新規抗生剤が自国の土壌細菌から開発される可能性はもはや少ないと考えるのが妥当だ。
C先生:そう言えるだろうか。アフリカなどで時に発生するエボラ出血熱のような極めて死亡率の高い感染症がある。これが他の地域に広がらない理由があれば、それを研究すべきだ。死亡率が高すぎるために、単に広がらないだけなのかもしれない。

A君:なるほど、植生や気温が完全に違えば、栄養源が違うということで、活動している細菌は違うかもしれない。しかし、だからといって、他の地域にはその細菌が居ないということではなく、単に活動していないだけかもしれない。

C先生:詳細はいずれにしても未解明。しかし、細菌を探索して新規の抗生剤を見つけようという企業は少なくなった。

A君:バクチのようなものなので、短期的な利益を求める株主がいると、投資ができない。

B君:そんな訳で、細菌由来の抗生剤の発見は、かなり確率的に少なくなったと、COP10に参加した途上国の専門家も考えるようになっていた。ということで、医薬品分野を派生物に入れたとしても、それほど金銭的なメリットは無いと考えたのかもしれない。

A君:むしろ、健康食品程度への自国の遺伝子資源の活用を考えた方が、細かく儲けることができる可能性が高いと考えた。あるいは、微細藻類からの油生産のように、これまで余り探索されていない遺伝子資源の方が経済的な可能性があると考えた。

C先生:実際、そんなところだと思う。地下資源は使い尽くしつつある現在、遺伝子資源というものが、途上国に残る最後の資源だという考え方は正しいのだが、その遺伝子資源が生み出すと考えられる利益はそれほど大きくはないのでは、ということがなんとなく合意されているように思う。

A君:遺伝子資源が生み出す利益でもっとも大きいものは、実は、食料ではないでしょうか。単価はもちろん微生物からの医薬品なのですが、それはそう簡単に見つかるようなものではない。簡単に見つかるものは、1950年ごろまでに大体見つかってしまった。その後もいくつかあるものの、今後大量に発見されるとも思えない。やはり、見つかるには100億円単位の投資が必要なので。

B君:食料の価格は高くはないのだが、それでも、実際のところエネルギーの価格よりは高いとも言える。原油価格が1バレル=159リットルで$80だとすると、1リットルはわずかに50セントで40円にしかならない。

A君:日本のコメは異常に高い穀物だが、政府買入れ価格が平成13年に60kgあたり14700円。245円/kg。

B君:しかし、考えてみるとシカゴ商品取引所のコムギは、一時期、ロシアの干ばつを受けて高かったが、8月中旬に暴落した。価格が27キロあたり7.25ドル。27セント/kg。円にすると、21.5円/kg。
 トウモロコシも実はかなり安い。シカゴ商品取引所のトウモロコシは27キロあたり4ドルでしかしない。11円/kg。

A君:日本の食料はエネルギーよりも確実に高いけど、米国の穀物は、なんともいえないレベルということですか。

C先生:穀物について、今回の名古屋議定書の仕組みで儲かるというようなことはもはやない。かなり前から実用にしているものだからだ。遺伝子資源が有用だとすると、漢方薬のようなものを含めて健康食品が第一候補、そして、発酵食品が第二候補ぐらいではないだろうか。

A君:発酵食品でも値段は知れている。お酒やチーズ類には高いものがあるけど。

B君:酒もチーズも開発しつくされているような気がする。

C先生:しかし、これまでのチーズなどは、自然発酵で作られているが、今後、原料と菌とを相互に変えることによって、新しい食品ができないとも限らない。しかし、それは立派な派生品の定義に当てはまる。ということで、派生品に対して妥協したとも考えられる。
 このようにどうやって儲けるかを考えると、途上国に必要なのは、自国の植物や微生物などを商売につなげる能力。特に、微生物の分離や分類などの技術が無い現状では、やはりキャパシティビルディングが重要。すなわち、途上国の細菌類が名古屋議定書の基で活用されるには、途上国の研究者自らが最近の分離・同定・分類などが行えるような能力を身につける必要がある。
 人類は植物については、すでに、その大部分に名称を与えた。しかし、新規な発見の可能性が大きい微生物については、まだまだ1%ぐらいしか名称が付いていないと推測されている。
 そのために名古屋議定書が技術移転のキッカケになるという形が必要だということに、これまでの検討過程で途上国も気づいたと言えるのではないだろうか。技術移転は、名古屋議定書が合意されれば、確実に推進される。もしも決裂すれば、技術移転は進まない。
 これが今回、途上国が名古屋議定書の採択を合意する動機になったのではないだろうか。