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  グローバリズムが世界を滅ぼす    2015.09.05
          ネオリベラリズム派と反対派の双方の限界        




 最近、日本でも有名人のエマニュエル・トッドと、他5名による対談とやや短めの論評を集めた文春新書の題名です。

 5名とは、ハジョン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹の諸氏です。

 ネオ・リベラリズムだけが本当の経済学だという主張に対して、真正面から「反対」のスタンスをとっている論者達です。

 実は、この本は、かなり前から読み始めたのですが、この記事を書くにあたって、どのような論理展開にすべきかなかなか決まらずに居りました。しかし、出発前になって若干意志が固まり、ウィーンまでの飛行機の中で最後の作文をしておりました。

 その段階で考えついたことは、「電力の自由化」の主張は、ネオリベラリズム派のものとかなり類似性が高いということでした。

 ということで、クロアチアからの暫定アップです


 ネオリベラリズム(以下NL)派、「電力は自由化すべきだ」。

 反NL派、「電力の自由化は、方向性としては正しいかもしれないが、完全に進めると安定供給は成立しない。ネオリベラリズム派は、どこまで進めたら良いと思っているのだ」。

 NL派、「理由は、あくまでも規制は悪だからだ。既得権を生み出す規制は全部廃止すべきだ」、と論理のすれ違った主張をする。

 反NL派、「停電は許容するということか」。

 NL派、「停電で困る企業は自家発電のような対策を取れば良いし、個人の場合も、自己責任で、家庭用蓄電池を買える人は買えば良い。買えない人は、すぐにネオリベラリズムを信じて、金を儲けることを考えれば良い。すべてそれで解決だ。なんと言っても、社会の最大の害悪である既得権益を潰して行くのだし、誰にでも金儲けができる世界を作るのだから」、と貧困になったのは、本人だけに責任があるという言い方。

 反NL派、「低所得者層から電気を奪うと、寿命なども短くなるので、そう簡単ではない」。

 NL派、「我々は、経済学上のエリートとして、我々の理論が正しいことを主張しているだけだ。社会の矛盾は、コスト最小の対策で解決できるはずだ」。「我々だけが真の経済学を知っているのだ。世の中の人々は、経済学を知らない。」

 反NL派、「経済学を知っていても、この世の現実や現場を知らないと、なんの役にも立たない。それは、人の世は、理屈だけでは問題は解決できないということなのだ。やはり、規制に関しても、是々非々主義以外に方法はない」。

 米国茶会派(突然登場して)、「貧民を社会保障で救済しようとするから、金が掛かるのだ。個人の責任だ! 個人の責任だ!」、と怒鳴り散らす。

 経済学から遠いところにいて、現実の環境問題の解決などを考えていると、両者の争いは、こんな風に見えるのです。



C先生:「ドイツ帝国」が世界を破滅させる、と著者エマニュエル・トッド氏のご紹介をしたのが、7月12日の記事だった。この本は1年ほど前に発売されていた。

A君:それでは、著書の紹介から行きます。

グローバリズムが世界を滅ぼす (文春新書)
エマニュエル トッド (著), 柴山 桂太 (著), 中野 剛志 (著), 藤井 聡 (著), & 3 その他
単行本: 246ページ
出版社: 文藝春秋 (2014/6/20)
ISBN-13: 978-4166609741
発売日: 2014/6/20


B君:実は、あるシンポジウムの記録のような本なので、どうせ中味が薄いだろうと思って、買わなかったのだけれど、エマニュエル・トッド氏以外の著者、特に、韓国人のハジュン・チャン氏が何を言うかには、ちょっと、関心があった。

A君:日本人だと、中野剛志氏は、経済産業省の役人だけれど、TPP反対派として知られている人で、著書も多いですね。

B君:一部の固定客を持っている感じ。

A君:TPP反対派と言えば、保守派のかなりの割合ではないですか。保守派といっても、様々な主張があると思うのですが、既得権維持派といった色彩の保守派でしょうか。

C先生:さて、今回の記事は、第一部として、この本の主張を簡単にまとめること。そして、第二部として、電力の自由化を題材として、規制の廃止をどこまでやることが望ましいのか、を検討することとするか。

第一部:この本の内容の簡単な紹介。

A君:どうも、韓国のハジュン・チャン氏の主張を紹介すれば、十分と言えるのではないですか。
 チャン氏の発言の前に、日本の経産省の官僚の発言の紹介があって、なんと、「グローバル化についていい例が身近にある。IMFによって改革された韓国である」と述べたという発言によって、チャン氏は次のように答えています。
 チャン「日本が韓国をモデルにしているとは、ショックですね。新自由主義は韓国の経済と社会を激しく痛めつけたからです。確かにエレクトロニクス分野でサムソンがソニーを打ち負かした。また、理念面や英語力のスキルも、日本人よりは韓国人の方が上かもしれない。しかし、それだけが現実ではない。
 1年間に自殺した人の数は、10万人あたり30人を超している。これは日本の20人を上回り、OECDの中では、もっとも高い。かつては10人程度だったので、この20年足らずで、3倍にもなった。

C先生:韓国には、数名の弟子が居るので、以前は、かなり韓国にも出かけていった。今年の4月に、8年ぶりぐらいで行ったが、IMF改革のときの韓国の状況は、就職もほとんどなく、極めて悲惨な状態だった。そして、この改革によって何が起きたのか、というと、中小の財閥はほとんど潰れて、サムソン、ヒュンダイ、そしてLGの独占のような状態になった。それぞれの財閥は、近親経営が継続していたためか、意思決定が非常に速かった。そのため、短期的な利益を追求するのに、最適な体制になった。
 サムソンは、アップルよりも進んだ世界一のスマホを作っていた。しかし、アップルのブランド力には勝てなかった。ヒュンダイ(ヒュンデ)は、メルセデスからデザイナーを引き抜いて、メルセデス的な外観をもったクルマを北米市場で売って利益を得た。しかし、中味とCSR的な対応は、いささか遅れていた。そのため、ヒュンダイ・ソナタのハイブリッド車の燃費が過大評価であるとの消費者のクレームがきっかけとなって、米国市場の勢いを失った。デザインも飽きられた。もともと、韓国という国は、昔の日本と似ていて、自国内のクルマはほぼ自国産だった。自国内の安定した市場を基盤として、世界制覇という戦略が成立していたが、さすがに一方向という訳にはいかない。最近では、欧州車がかなり入っている。日本車もかつてよりはかなり多く見かけるようになった。日本と違って、軽自動車という特殊な規制がないだけ、韓国の方が状況は厳しい。
 学生にとってもっとも大きな変化が、やはりサムソン、ヒュンダイなのだ。他にまともな企業が無いもので、すべての大学卒の目標が、これらの企業に偏りすぎている。しかも、中小企業の活力が、日本に比べてかなり低いので、ますますその傾向が強くなる。
 一方で、学歴が日本よりも遥かに重視されている社会でもあるので、子供の数を減らして教育費を十分に掛けるという親の戦略のために、出生率は世界一低い。

A君:チャン氏は最近の韓国の情勢について、次のように述べています。
 「新自由主義経済社会に転換して以降、経済成長率は大幅に鈍化しました。改革前の成長率が6〜7%だったのに対し、改革後は2〜4%に落ちているのです。韓国のNL派は、「それは経済が成熟したからだ」というでしょうが、改革直後から落ち始めたことからみて、その理由は成立しない」。

B君:ただし、もしもIMF改革が無かったらどうなったか、と考えると、やはり、経済成長率は落ちていたと考えるのではないか。

A君:当然ですよね。韓国の一人当たりのGDPは、ほぼ日本と並んだのですから。

B君:チャン氏は、「新自由主義が規制なき自由貿易を推進することで、経済が過度に複雑になって不安定になった」とも主張している。「企業には、『短期的に成果を出せ』という圧力が掛かっている。『この1年、いや、次の四半期で利益を出せ』と言われると、5年後、10年後などという長いスパンの視点を持てない」。

A君:これは、日本でも同じで、東芝の不適正会計処理も、全く同じ動機によりますよね。これは、実に、日本あるいは韓国のような製造業・技術開発業を国のコアに据えるという国では、企業に、長期的なスタンスが無い限り成立しないので、ネオリベラリズムと相性が悪い。

B君:経産省のエリートがネオリベラリズムを応援しているという発言を、例えば、中野氏は行っているけれど、必ずしもそうばかりとは言えないと思う。単純に、ネオリベラリズムだけでは行けないということを、現場を知れば知るほど、分かっている。

A君:ただ、経産省の役人が、昔ほど現場感覚を持てなくなっているのが、最大の問題でもありますね。

B君:悪い例が多すぎた。インサイダー取引に近いこととか、金銭的負担を企業側に全部押し付けるとか。経産省の場合には、企業が正しく経営をすることが本来の職務なのだから、現場との関係をもっと深めることが必須だと思うのだ。

A君:日本の場合の市民感覚というものが、自分たちとほとんど同じレベルの人々=公務員に対しては、極めて厳しいのだけれど、個人的には、もっと上に人に対しても、厳しい感覚をもって欲しい。例えば、この本にも出てくるけれど、経産省の審議会に民間を代表して加わって置きながら、実際には、自分が代表取締役を務める企業の利益になるような発言をして、実行レベルでもその先頭を走って、利益をガッチリと得るといった例がある。そんな企業の実名を上げる訳にはいかないが、その企業に対して、FITという仕組みで、いくら税金からの支払いが行っているのだろう、と疑問に思ってしまう。発電量を調べれば分かるかもしれないけれど。

B君:いわゆる、レントシーキングというやつだ。

C先生:FITの話になった。少なくとも、第一年次は、明らかに不当に高い価格で太陽光発電からの電力の買い取りを行うことになっていた。これはすごく大きな問題だった。ある特定の企業が20年間もの優遇を受けて、かなりの利益を上げているのも事実だ。丁度、電力の話になったので、そろそろ最終結論に向かって、我々がこの問題との類似性が高いと主張する「電力自由化」の話に移行するか。

A君:はいはい。電力の自由化は、規制を弱める政策ですから、ネオリベラリズムの原理原則に則った行為ですね。
 すでに電力の自由化の第一歩が日本でも動き始めましたが、自由化をやることで、必ずしも良いことばかりが起きるとは限らない、ということです。

B君:しかし、それなら、自由化をしないで、ある程度規制を活用した方が良くなるのか、と言われると、それは、安定供給の面では良い点が多いけれど、どうしても、昔からある既得権を維持するという目的を持つ事業者は嬉しいだろう。すなわち、電力代は高止まりをする可能性があるだろう。

A君:何を基準にするかは難しいのですが、よくよく考えてみると、電力代は、その使い勝手の良さと、その利用による生活水準の向上を考えると、本当はかなり安い。より正確には、コストパフォーマンスは良いと判断すべきものだと思います。しかも、日本の電力は滅多に停電することもない。信頼性は抜群に高いですし。

B君:統計によれば、一人暮らしの水道光熱費の平均値は、月額で、6738円(2009)〜7604円(2013)とやや上昇気味とのこと。

A君:もし価格が今の二倍になったとしても、当然「高い」と言って反発はするものの、水道・電力(ガス)は要らないという人は本当はいないはず。

B君:そういう言い方ではダメかも。もしも今の価格のまま維持したとすると、しばしば停電が起きて、使いたいときに使えないかもしれない、という状況になってしまうかもしれません。そうなったら、皆さんは、二倍の電気代を選択するだろうと思うのですが、どうでしょうか。

A君:それは脅迫だ、といって嫌われるでしょうね。

B君:真面目にものを考えて欲しいだけなのだが。

C先生:通信代などは、本来生活水準には影響はほとんどなくて、ある種の遊興費だ。どうしても、エネルギー代<遊興費という構造が納得できない。

A君:それに対しても、「十分に通信機器を使いこなせていないから、そんなことを言うのだ」、という反論が来るかもしれませんね。

C先生:それなり以上には使っているつもりだ。最近、通勤に渋谷駅を使うのだけれど、とにかく、「歩きスマホ」をしている人々が、周辺の歩行者に対する気遣いがゼロなので、非常に不愉快。条例で禁止して欲しいぐらいだ。
http://www.sankei.com/west/news/140510/wst1405100063-n1.html

B君:話を元に戻して、何を問題にしているか、というと、電力のような生活の基盤を支えるものは、価格が若干高くても、安定した供給が行われるようなシステムが重要ではないか、と思うのです。

A君:しかし、「安定供給が最重要」、という合意をしたとすると、それなら、電力は特定の事業者にしか販売できない、といった枠組みまで戻るのことが必要になるかもしれない。もしも、これをやると、旧態以前の電力会社に戻って、「福島第一原発の廃炉を一旦検討したものの、やはり経済的な理由と安全神話が壊れてしまうからできない」、といった原子力村の論理に戻ってしまうのではないか、と不安になりますね。

B君:市場開放、すなわち、電力自由化を認めた上で何が必要なのかを考える、という問題になるのでは。

A君:方向としては、やはりネオリベラリズム的な規制改革のやり方になる。

B君:例えば、ドイツなどでは、Capacityを取引することを考えている。Capacityとは発電容量であって、電力量ではないのだ。なぜこんなことが必要になるのか、と言えば、もしも自然エネルギーが40%も入った状態になると、風力も太陽光もダメという瞬間が来る。そのときに、活躍するのが、普段は動かさないけれど、いつでも動かせるように準備がしてある発電機。このような発電機を用意している企業に対して、その発電能力に応じて、送電企業が費用を払う。これは、電力量に比例して払うのではないのだ。

A君:同じことを電池でやるという立場もありうる訳ですね。

B君:電池の方が、一見すると対応力があるのだけれど、やはり、電池は、充電のために、どこかで電力が余っているということが条件になる。ドイツのように、冬になると太陽光発電の能力が大幅に低下するような国では、電力の絶対量が不足することが怖い。やはり普通の発電機が最後の頼りなのだ。勿論、発電機に電池を組み合わせることはありうるのだろうけれど。

A君:しばしば言われることですけれど、普通の発電機のように一定速度でグルグルと回っているということが、電力網の安定性に寄与している、と言われていますね。

B君:アンシラリーサービス、直訳すると補助的サービスだけれど、送電会社が行っている周波数や電圧の安定化をして電力品質を維持することをアンシラリーサービスと呼ばれている。送電会社以外の企業がこのような能力、すなわち、慣性力の大きな回転式の発電機をもっていれば、そのアンシラリーサービスを提供していると認められれば、収入を得ることもできる。

A君:ネオリベラリズム的に言えば、電力を自由化したお陰で、こんな新しい市場ができた。やはり自由化はすばらしいだろう。ということになるのですが、実際には、市場にいつでも、こんなサービスを提供してくれる事業者が存在しているか、それ自身が疑問ということになります。

B君:何種類もの異なった機能をもった事業者を常に確保しようと思ったら、それなりの対応策を用意して、消費者に金銭的な負担を求めることになる。これをネオリベラリズム的にはどう評価されるのだろう。ある種の利権が設定されることになるのだろけれど。

A君:そのあたりが、ネオリベラリズムの問題点ですね。ネオリベラリズムだけで、現場対応ができないことは明らか。多分、いかなる現場でもこんなことはある。彼らがよく言う「経済学を知らない」という非難に対しては、「あなた方は現場を知らない」といって反論するしかないのでしょうね。

B君:そろそろ結論で良いようだ。理論的な美しさは、ネオリベラリズムが明らかに優れている。理由は、単純だから。しかし、現場現場で状況はかなり違うので、ネオリベラリズムが万能な訳はない。ところが、しばしばネオリベラリズムは万能なフリをする。

A君:一方、反ネオリベラリズムの主張は、それなら、どこまで利権構造を復活すれば良いの? という問を誘発し、この問を発しているとき、「あれ、復活という言葉は退歩のような気がするなあ」、という感想を抱かせてしまう。ある程度必要不可欠であることは当たり前だけど、「どこまで戻すべきなのか」ということに対して、反ネオリベラリズムを答えを出していないのですね。

B君:だから、反ネオリベラリズムは、反原発みたいに、なんでも反対する勢力の一部だと思われてしまうという不利がある。

C先生:いささか完成度が低いのは仕方がないこととして、暫定版としてクロアチアからアップするのは極めてまれなことなので、それはそれで、ヨシとしよう。