________________

 新コタツ文明でアジアへ  01.04.2009
     



 振れすぎた振り子は戻る。これが2009年の主な光景になりそうな気がする。しかし、余りにも復古主義に囚われるのもいかがなものか。歴史は元には戻れない。もはや共産主義政権が世界のどこかで支配的になる可能性は無いだろう。

 過去の日本文明は、どうもコタツ主義で有りすぎたようには思う。そして、コタツ主義、多少の変形として、温泉主義を含めて、若者達が再度そんな方向性を指向し始めているような気がする。

 多分、コタツ主義の方向性は間違いだろう。しかし、コタツ文明の本質は、地球の持続可能性とは整合性が高いような気がする。アジア地域には、新しいコタツ文明を広めることが良さそうに思える。

 何がコタツ主義なのか、そして、コタツ文明とは何か、これが今回の課題である。

 今年は、「新コタツ文明」を主張し続けてみたいと思う。

関連するコラムが掲載されています。

アラタニス:http://allatanys.jp/B001/UGC020001820090105COK00203.html
日経エコロミー:http://eco.nikkei.co.jp/column/ecowatching/article.aspx?id=MMECe2000005012009
Tech ON!:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090106/163640/



C先生:諸君2名の年賀状はもう読んだので、おめでとうは言わない。さて、2008年ほど変化の激しい年は、恐らく本当に100年に1度の出来事かもしれない。これを経験できたことは、悪影響があったことは別にしても、良い経験だったと言うべきなのかもしれない。

A君:金融万能主義が崩壊したのは、ある意味で、正解ですね。やはり基本は実体経済に戻らなければ。

B君:経済成長率という訳の分からないものを目標にして国家の経済運営が行われる。本来ならば、一旦、あるレベルに到達した後ならば、ゼロ成長こそがもっとも持続可能、いや、継続可能なのは事実なのだが。日本では、持続可能という言葉と継続可能が違うという認識が無いようなので、わざわざ訂正してみた。

A君:先進国としては、米国、EUの2極体制をある程度維持したい。日本は、米国の付属品みたいな存在でこれまでやってきて、そこそこの成功をした。しかし、それが実現できたこと自体、結構奇跡的だったと解釈すべきなのでは。
 これからは、米国、EUに加えて、中国、インドが巨大国として国際政治・国際経済の中心的存在になるのは確実。

B君:日本のビジネスモデルとしてどのようなものを考えるか、これがある意味でもっとも重要。

C先生:アメリカ人の借金体質を頼みにして、日本経済はこれまで成長してきた。しかし、いくらなんでも、借金には限界がある。あのアメリカ人が貯蓄を始めたというのだから、もはや頼みにならないのは確実。となると、何を国の根幹に据えるのか。

A君:やはりアジアではないでしょうか。アジアのメンタリティーというものが、どう考えてみて、アメリカ人にも、ヨーロッパ人にも理解されないのでは。

B君:アジア人のメンタリティーというものは、実のところ、中国人にもインド人にも理解できないものがあると思う。

A君:中国人は、メンタリティーとしては、アメリカ人にもっとも近いような気がします。

B君:インド人は、かなりヨーロッパ人に近い。しかし、地球の限界というか、人類の限界を知るという意味から言えば、ヨーロッパ人を上回っているかもしれない。

C先生:中国、インドが人口のピークを迎えるのが、それぞれ2020年と2045〜2055年ぐらいではないだろうか。中国の人口動態は、経済発展にあまり影響を受けることないだろう。なぜならば、政策的に人口の制御が行われてきたからだ。一方、インドは、特に農村貧困層の所得向上が重要な要素になる。

A君:そして、中国、インドに続いて世界経済の牽引車になりそうなのが、インドネシアであり、バングラデシュであり、そして、その他の東南アジア諸国になる。

B君:人口の多いインドネシア、バングラデシュはイスラム国だが、乾燥地帯のイスラムとは多少違うので、アジアの他の国、主として仏教国との相性はそれほど悪くはない。

C先生:こんなアジアに貢献する日本としては、西欧文明に代わる新しい21世紀型の文明の姿を提案する必要がある。その名前を昨年暮れに「新コタツ文明」と命名することにした。

A君:そんな話は聞いていない。

B君:コタツは日本文明の悪い部分の象徴でもあった。

C先生:それは「コタツ主義」というものだった。まず悪い部分を先に批判するか。(1)どうしても内向きのメンタリティーになって、活動度が落ちること。(2)定員が4名が普通で、コタツと隣のコタツが統合されることが無いこと。

A君:(1)の内向きメンタリティーは、ひとつは日本語という特殊かつ最難関言語の特性ですか。最近の若者は、どうも外国に興味が無くなった。しかし、女性を中心に元気に海外を目指している人々も多い。

B君:(2)の定員は、NPOに特に顕著に現れる。同じような思いが有りながら、連携とか合従が苦手。こちらも内向きとほぼ同義。

C先生:新コタツ文明の、新が外向きを意味する。「外向き」は、具体的には、コタツ文明の良さをアジアに広めること。

A君:「コタツ文明」は、すでに、ある程度こんなもんだという説明は行ったのですが。コタツは、ごく限られた「ところ」にだけサービスを行っている。これを拡張し、「必要なとき、必要なところ、必要なことだけサービスをする」ということだった。
http://www.yasuienv.net/WWWNeeded.htm

B君:むしろ、現時点では、その「必要なことだけサービスをする」という思想の本質が「コタツ文明」だということに変化しつつある。そして、とうとう、「新」が付いた。

C先生:その通り。「サービスを必要なことだけに限ること」。これを新コタツ文明の基本的定義としたい。ただし、快適性などは低下をさせないことを、当初の原則とする。

 このような方法が、21世紀型サービスの目指すべき姿である。「必要なことだけ」の「こと」には、3種類の意味があると考えている。今のところ、(1)空間、(2)時間、(3)方法、をこの3種としているが、いまだに熟成度が低いので、将来、変化する可能性も否定できない。

 「空間」はまさにコタツに代表される空間なのだが、多少拡張して、ITなどを活用して、ある空間から別の空間へのモノの移動を行わないこと、といったことを含む。

 「時間」はまさに時間。「時間」の優等生は、トイレ便座にモデルがある。センサーによって人の存在を知り、6秒といった短時間内に所定の温度まで上昇する。

  「方法」の解釈には、多少広がりがある。真意は、「無駄の無い方法で、高効率な方法」であり、「高断熱」とか、「高効率」とか、「自然エネルギー活用」とか言った概念をすべて含むものである。

 水道水が飲めるのに、ペットボトル入りの水をフランスから輸入することは、この最後の「方法」に反する行為である。

A君:いろいろなものがこの言葉で解釈できるかどうか、それを検証すれば、定義自身も徐々に完成品に近づくでしょう。

B君:大いなる無駄の例として、フランス製ペットボトルの輸入。確かに、これは、「方法」ということで解釈可能だ。

A君:1年に1回も乗らないのに、7人乗りのミニバンを買うことは、やはり「方法」だということになりますか。

B君:セントラルヒーティングは、コタツ文明の対局にある概念なので、「空間」で解釈できる。

A君:大した必要もない会議のために、業務で海外に行くことは? 先ほどの説明だと、「空間」という解釈もありうるが、個人的には、むしろ「方法」か。それほど重要でないのなら、電話でも良さそうということで。

B君:しばらく前のHPを調べてみたら、何がもっとも「もったいない」あるいは「無駄」か、というページがあった。
http://www.yasuienv.net/Mottainai.htm
そこに、あるもののほぼすべて、例えば、「5リットルの排気量の大型自家用車に一人で乗る」、「統一感のある街並みを壊す」、「割りばしを使う」、「乾電池と白熱電球」など、すべて「方法」に分類できる。

A君:海洋深層水のように無意味なエネルギー大量消費は「方法」の典型でしょうか。安全な飲料水を提供することを目的だとすれば。

B君:となると、本当に必要な「空間」「時間」にしかサービスしない、という考え方が、「もったいない」「方法」という考え方に加えて今後重要だということになりそうだ。

A君:今年は、どんなサービスの場合に、「空間」「時間」を限定することによって、新コタツ文明型の実現が可能なのか、という議論をすべきだということになりますか。

B君:「空間」を限ることのメリットは、本HPでは、液晶テレビの「視野角」がバカバカしい仕様だという指摘を何回か行っている。まずは、可変視野角。そして、その次は、人が居る方向にだけサービス。そして、究極が、視線検知型テレビの登場。

A君:本来、画像という情報を載せた光をテレビを見ている人が居る方向にだけサービスすること、これが本来のベストであるという基本的な考え方が無いからいけない。

C先生:そうなんだ。本来必要なサービスとは何か、という議論が行われないまま、なんでもサービスエリアを広げれば良いという単純な発想で行動を起こすと、西欧流文明になってしまう。

A君:この「空間」「時間」を限定することによってサービスの本質である快適性などは下がらないが、必要なエネルギー量は下がるという製品開発を行って、ここに日本製品の活力を求める。これが重要。

B君:「方法」だって、ITの活用によって、サービスの品質は下がらないが、必要なエネルギーは低下するということが実現できる。ただし、「何が本当に必要なのか」をクールに判断して貰わないと駄目だろう。無駄が豊かさだという誤解を解かないと。

C先生:その通り。本当に必要なことのみをサービスするという「新コタツ文明」の根幹は、「何が本当に必要なのか」、という問いにあるのだ。

A君:毎回本HPでは主張していることですが、「ゼロリスクを求めるメンタリティー」は、「本当に必要なことのみをサービスを求める」という考え方とは大きく異なる。

B君:もっと言えば、これ以上リスクを減らしても何の効果もないのに、それを主張して自分たちの商売に生かそうといった商業主義的マインドは、「新コタツ文明」の敵だということになる。

C先生:ということは、今年も、結局、多くの敵と戦うことになるのか。

A君:商業主義は、多くの場合に「新コタツ文明」の敵ですね。

B君:「偽善エコロジー」なども商業主義と分類すべきだ。昨年暮れの日本テレビの番組で、言いたい放題でひどかった。

C先生:こちら方面の敵は、文明的には、「冷笑文明」とでも言うべきだろう。高尚さからは程遠い敵なのだがね。やはり有志と共同戦線を張ることになるだろう。