-------

   日本人は無宗教? 著書by島田裕巳 その1  03.17.2019
         意外な日本人の信仰と宗教の世界情勢

               



 パリ協定が気候正義という言葉を協定全体の基本姿勢にしたことが功を奏して、少なくとも、欧州各国では、パリ協定を順守しようとする動きが強まったものと考えてきました。現時点でも、多分、それほどは外れていないと思っています。
 一方、日本において、気候正義という言葉がほとんど無視されてしまうことも、充分に理解できることです。それは、「正義という言葉は使わない国」にした歴史があるように思うから、という表現が、まあまあ正しいもののように思えるのです。
 この島田先生の著書は、日本人は、なぜ、自分達が無宗教だと考えているか、その説明をしている書籍でして、このような本に出合ったのは初めてです。観察の対象としては、世界全体を見ておられるようですが、さすがに鋭い観察力で、別に宗教学者に限ったことではありませんが、「やはり、専門家は違う」という感想を持ちました。
 「気候正義」のことは、本書では全く出てきませんが、この本の内容を読んでみての感想として、やはり、日本人にとっては、気候正義という言葉は、当然のことながら、解釈不能の難題であることを確認できました。
 この原稿は、パリで行われたICEFのステアリングコミッティーの帰りの飛行機の中で書きました。土曜日には恒例のデモがあるパリですが、この日のデモは、2種類あって、一つは、例の蛍光黄色のデモ。もう一つは、地球温暖化対策強化を目指すデモでした。なんとか、無事に帰ることができました。
 パリでの会議では、もう一つの収穫もありました。パリ協定の全体構想を作ったのは、この人ではないか、と思っていたトゥビアナさんが、最後の夕食にだけ参加されました。食事終了後、気候正義という言葉を使うことを決めたのは、誰なのか、と質問をしてみました。
 しかし、答は意外なものでした。むしろ、「米国の代表団が結構、気候正義に執着した」、とのこと。そうだとしたら、考えられる理由は、米国の代表団は、アメリカの国民の25%を占めるヨーロッパのキリスト教とはかなり違う福音派に対して、多少の影響力の強化を考えた、ということになるのではないでしょうか。
 実際のところは、トランプ大統領が当選をしてしまったので、「気候正義」の米国での影響力は残念ながら、ほぼゼロという結果になってしまったのですが。
 

C先生:こんなイントロを書くと、この本が説明していることが、ヨーロッパ人の宗教観とアメリカ人の宗教観の違い、すなわち、両者ともキリスト教に違いはないのだけれど、かなり大きな違いがあるということを説明している本のように思われるかもしれない。しかし違う。この本がもっとも説明したいことは、日本人は一般に自分は無宗教だと言うけれど、実際の行動を見ると、神社・仏閣などに初詣はするは、クリスマスは祝うだから、自分は無宗教だと判断をしているものの、実は、日本人は独自の宗教観をもっている民族なのではないか、ということを主張するために書かれた本のようではあるのだ。さらに言えば、日本人は無宗教かという問題の答としては、日本人は、多神教を信じているだけであって、無宗教ということとは全く違うのではないか、という主張のようだ。なかなか面白い本だったので、パリ協定に対する日本人の対応を理解するためにも、一読をお勧めしたいと思う。

A君:例によって、本の紹介。島田先生は、かなりの多作家ですが、この本は、次ようなものです。
 日本人の信仰(扶桑社新書) 2017年7月2日初版
  著者 島田裕巳 207ページ

  • ISBN-10: 4594077420  ISBN-13: 978-4594077426

 「実は、日本でも宗教の政治への影響は非常に大きい」、というところから、記述が始まります。それは、知る人は知っている、「日本会議と成長の家」。そして、安倍首相を支えるのも、実は、「日本会議と創価学会」ということが、この本全体のイントロになっています。

B君:「森友学園」の籠池前理事長も、日本会議に関わっていた。ということで、日本の政治の世界も、実は、宗教の影響力がかなり大きいのだと言えるようだ。

A君:このあたりを詳しく知る人は、自分がある宗教の信者であるということを言わなくなる。政治に対する宗教の影響が、日本でも実は大きいことがその理由なのかもしれない。政治とちょっと距離を置きたいという感覚になってしまうからでしょうね。

B君:そして、次の話題が当然トランプ大統領。すでに出てきたように、キリスト教プロテスタントの福音派の信者達の支持を受けている。

A君:福音派という宗派を信仰している人々は、ヨーロッパにはまず居ないアメリカへの移住者の間で、ある意味で非常に分かりやすい教義をもった宗派ができたのですね。すなわち、「福音」とは聖書のことを意味するので、福音派は、旧約聖書・新約聖書に書かれていることは、すべて正しい宗教的に正しいだけでなく、科学的にも正しい。このような非常に単純な理解をもっているキリスト教徒

B君:それは歴史的な問題だと言える。そもそもアメリカに移住した人々とはどのような人だったのか。、ヨーロッパでの生活が余りにも苦しかったために、アメリカへ、という思いに駆られた。ある程度経済力があり、知性のある人々は、ヨーロッパでなんとか生活ができたけれど、アメリカ移住を決断するには、それなりの理由があった。多くの場合、、それが、ヨーロッパでは文字通り食えない(=生存不能)人々ということだったのだ。

C先生:ヨーロッパからアメリカに移住したということでは、メイフラワー号がもっとも有名ではあるけれど、先日訪問した、アイルランドのダブリンにある移民博物館に是非行っていただきたいとは思うのだけれど、アイルランド人がアメリカに移住、その後、南アフリカや、オーストラリア、ニュージーランドなどに向けて移民が出て行ったのだけれど、その理由は、アイルランドに残っていたら、まさに、餓死してしまうから、だった。

A君:ジャガイモ飢饉の際に、ヨーロッパ全体が不作になりましたが、アイルランドでは、300万人が餓死したと言われているのです。なぜなら、飢饉であったのに、アイルランドからイギリスへのジャガイモの輸出量は減っていない。なぜなら、ジャガイモ畑を経営していたのは、イギリス人が大部分だった。だから、できたジャガイモはイギリスに渡ってしまった。

B君:以上の記述は、福田先生の本にはない。しかし、こんなスピードだと、全く終わらないよ。せめて、トランプ大統領の話題は、ここで終わらせよう。

A君:はいはい。最初の段階では、福音派はトランプを支持していなかった。なぜならば、トランプは離婚歴があるから。一体、何回離婚したのやら。離婚をすることは、福音派にとっては、とんでもないこと。だから、支持を表明していなかった。しかし、トランプ大統領が福音派を代表する人々と合って話をして、福音派は、トランプ支持を決めた。

B君:どのような人が福音派を代表していたのか、この本にも書かれていないのだけれど、恐らくは、炭鉱労働者のような収入の低い層だったのでは。特に、アパラチア山脈あたりの炭鉱での労働者だったろうから。

A君:やっとこれで、イントロが終了。この後に目次があって、第一章が「無宗教化する世界」

B君:まず、言葉の定義から入る。学者だから当然のプロセスだと思う。そもそも、「無宗教」とは何か。さらに「無神論」とどこが違うか。

A君:さらに言えば、「汎神論」とは何か。

B君:「無神論」がもっとも分かりやすいかな。「=神の存在を否定する思想」。これはまあ、その通りだと思う。

A君:最後に出した、「汎神論」とは何か。「すべての存在を神と見なすこと」。これも定義としてはこれで良いと思いますね。

B君:それに比べると、「無宗教」という定義が難しい。この単語は、広辞苑にはないらしい。

A君:これが、実は、この本における議論の中心になっているのですね。まあ、当たり前なのですが、日本人に宗教はお持ちですか、と聞くと、大多数の人が、「自分は無宗教です」答えるようです。

B君:しかし、島田先生に言わせると、無宗教のくせに、初詣に行くということはなぜなのか、よく分からない。クリスマスを祝うのはなぜなのか、さらによく分からない。さらに言えば、結婚式は神式か教会で。そして、死ねば葬式は仏教だ。ますますよく分からない。

A君:もっとも形式上厳しい宗教かもしれないイスラム教だったら、形式上という言葉はちょっと言い過ぎなのですが、1日に決まった回数だけ、モスクに行くか、あるいは用意された特別の場所で、祈りを捧げなければならない。

B君:という訳で、島田先生は、日本で無宗教とは何かを知るために、無宗教いう言葉が使われている書籍を国会図書館で探して、研究をしたということ。どうやら宗教ということ自体が、明治になってやっと日本人に知られる言葉になったらしいが。

A君:島田先生の結論は、日本にキリスト教が入ってきて、それは、ご存じのように、フランシスコ・ザビエルによって、1549年のことだけれど、キリスト教と比較することによって、無宗教というものが再定義されたということのようです。当然、なんと日本の宗教はいい加減。悪い意味ではなくて、良い加減だと思っているのですけど。

B君:ここまで書いてきて、まだ、第一章の前半で、なんと23ページまでしかカバーしていない。全部で207ページもあるのに。

A君:でも、ここから数100字書き終えると、実は、全体像としての結論が出てしまうのです。
 キリスト教は禁止されてしまったのだけれど、長崎には、綿々としてキリシタンが残った。そして、明治時代になって、再度、キリスト教が日本に入ってきた。今度は、日本でのキリスト教信者は上層階層が受け入れた。それは、キリスト教の宣教師が教育熱心で、いくつもミッションスクールができたから。さらに、医療関係にも進出したから。

C先生:実際、ここまでの議論で、日本人は無宗教なのか、ということに対する答えがほぼ出ているね。日本人は、無宗教ではないのだ。多神教なのだ。なぜ、多神教になったのか、それには、一神教が世界全体に普及したのはなぜか。これが分かれば、ほぼ目的は達するのでは。

A君:それでは、第1章の残りを簡単に。明治以降の話だけど、すでに述べたように、キリスト教は、日本では上層階級に普及したけれど、これは、特異な現象だった。キリスト教が普及するタイミングは、日本以外の国だと、経済が急成長する時代になっている。韓国がその例で、韓国は、キリスト教徒が人口の30%もいるけれど、どちらかと言うと、急激な経済成長に付いていけない層に、シャーマニズム的な要素を入れた新型のキリスト教が普及した。これは、他の国でも同様の傾向が強いとのこと。

B君:現在中国で起きていることが、ほぼ同じ。「法輪功」と呼ばれる組織が地方から都市に出てきた層を吸収したが、これが韓国と同様のキリスト教だった。

A君:ブラジルで現在も普及が継続しているキリスト教は、なんと福音派らしいですね。ただし、米国における福音派とはどうも違うらしいですが。でも、単純な教義と形式的な儀式が受けているのではないかと思われます。

B君:第一章のもう一つの重要な情報が、実は、古典的なキリスト教は西欧ではすでに衰退に向かい始めているということ。

A君:教会に毎日曜日に行く習慣が消えかかっているらしいです。そして、増えているのはイスラム教

B君:しかし、島田先生は、大胆にも、イスラム教が宗教なのかどうか、いささか疑問という記述をしているね。

A君:それも、キリスト教徒がどんどんと減っているのに、イスラム教だけは増えていて、現在16億人、これが、今世紀末という遠い未来ではキリスト教徒の数を超えるという予測があるぐらいです。

B君:島田先生がそう記述しているのは、イスラム教の教義は「イスラム法に従え」ということだから。イスラム法とは、民法・刑法・国際法の範疇と思われることまで記述している。

A君:そして、イスラム教では、他の宗教が問題にするような信仰心という心の問題は問題にしないという特徴があること。例えば、仏教な煩悩、キリスト教なら罪の意識。C先生の講演では、パリ協定の説明になると最後の審判の話がでてきますが、あれが罪の意識の最たるものです。

B君:島田先生の大胆なところが、「イスラム教では、したがって、形だけ従っていれば良いことにもなる」と言い切ってしまっていること。

A君:イスラム教には教団に相当する組織がないのです。イスラムは学派で分かれているだけ。シーア派、スンニ派は学派。ムハンマドが最後の預言者なのか、そうでないのか、というところが違うだけ。

B君:さらに言えば、イスラム教では利子というものが禁止されている。それは、安全な銀行に金を預けているだけで、利子で増えるのは、おかしい。それは、人間の努力とは無関係だから、という理屈だったと思う。それが、イスラム金融という妥協的方法を発明して、実際には、金融が成立している。

A君:その仕組は、利子の代わりに、売買金額の差額、リース料、配当金などを組み合わせて、取引を行う。

C先生:どうも第一章がこれでほぼ終わったというだけだな。今後、この話題を継続するのか、それとも、もう取り上げないのか、それを含めて、今後検討しよう。最後に、今回の最大のテーマである、日本人はなぜ自分を無宗教だと思うのか、ということについて記述をして終わりにしよう。それが第二章の主題なので。

A君:それは無理です。第二章は余りにも要素が多すぎるので。

C先生:分かった。それでは、その話も含めていずれ取り上げるかどうか考えることにしよう。まあ、次回に取り上げる確率もゼロではないけれど。