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  循環が解決できること、できないこと 02.28.2004



 このところ、やたらと時間不足。更新も中途半端。書き溜めを出すということでお茶を濁している状況。悪いことに、今週末の28日、29日、3月1日は、研究室の解体旅行でスキー場にいて、原稿を書くことができません。そこで、これまたお茶を濁します。

 先日、月刊「廃棄物」なる雑誌の2月号に掲載されたものです。長野県の某Yさんのお薦めにより、HPに掲載します。



循環が解決できること、できないこと
                                国際連合大学    安井 至

1.はじめに

 「ごみ問題が最大の環境問題であり、産業の発展を阻害する」、と考えられていたのは、1992年ごろであっただろうか。その後、容器包装リサイクル法ができたのが、その証拠であるように思える。
 そして、リサイクルがごみ減量の切り札となり、実際に最終処分量は順調に減少しつつあるようにも思えるが、リサイクルという行為が実現できることとは何か、リサイクルでは解決できないことは何か、その理解は未だ十分であるとは思えない。循環をもう一度考えて見たい。

2.循環の学理

 自然科学を支配している極めて根幹的な原則に、エネルギー保存の法則があり、また、質量保存の法則がある。そのため閉鎖された系を考えれば、物質を繰り返し使うことによって、持続可能な社会が構築できるように思える。
 地球は、物質的には閉鎖系に近い。極少量のガスが大気から宇宙空間へと失われているが、その量は無視可能なほど少ないからである。地球上に存在する元素の量は、核反応で多少変動するものの、基本的には不変量である。すなわち、質量保存の法則は、地球レベルでも成立している。
 地球がこれまで持続可能であった理由は、実はエネルギー保存の法則や物質保存の法則のお蔭ではない。近年、人類が使用しているエネルギーは増大しつつある。主として、地下資源である石油・石炭・天然ガスに依存しているが、実は、太陽がその第三惑星に向けて供給しているエネルギーの総量は、人類が使用しているエネルギー量の1万倍以上である。勿論、雲や海面で反射してしまう光エネルギーが1/3ほどあるので、地球に最終的に吸収されるエネルギーは多少減少する。しかし、この太陽エネルギーが、地球上の物質循環の原動力であることに変わりは無い。
 太陽エネルギーが地球上の物質循環に貢献していることは何か。熱エネルギーの供給、運動エネルギーへの変換、光エネルギーの物質エネルギーへの転換、ポテンシャルエネルギーの蓄積など、あらゆる形でのエネルギーに作用している。そして、結果的に、何が起きているのか、と言えば、人類社会からの排出物の処理には、このエネルギーが使用されている。二酸化炭素も排出物であるが、太陽エネルギーによる処理能力は、人類社会の二酸化炭素排出の約半分を処理できる程度である。
 金属資源や石油資源の循環には、残念ながら、太陽エネルギーは余り有効には作用しない。金属資源は、むしろ、地下マントルという惑星として地球の能力を利用することが有効だと思われるが、人類は、その能力を未だ開発できずにいる。石油資源の循環は、単にタイムスケールの問題だとも言えるが、それに要する恐らく数1000万年といった時間は、10数万年のホモサピエンスの歴史からみれば、無限に長い。
 以上のような考察から何が導かれるのか。勿論、熱力学が教えることであるのだが、
(1)循環にはエネルギーが必要である。
(2)循環は、完全に元に戻ることを意味しない。
(3)循環には、劣化を伴う。
 すなわち、循環には、エントロピーの増大を伴うことが結論である。

3.循環をどのように評価すべきか

3.1 大前提
 循環という人間活動を評価すべき関数がエントロピーであることは明らかである。残念ながら、環境学者がこの問題に直接的に取り組んだ例は多くは無い。
 エントロピーは何に付随する量なのか。勿論、熱力学量であるから、系に対して定義される量である。系は、一般には物質で構成される。すなわち、エントロピーは物質量に対して割り当てられる量であると考えてよいだろう。
 いかなる物質についても、それを使用すればなんらかのエントロピー増加が起きることが自然なことであり、最後の最後には、エントロピーが増えすぎて、実用的な価値を喪失し、廃棄物になる。
 すなわち、どの循環が優れているか、といった観点から循環を議論するときに、もっとも重要な合意は、「どのような材料も、いくらリサイクルしても、例えそれが水平リサイクルと呼ばれていても、実は、最終的に廃棄物になる」ということである。
 リサイクルにどのようなエネルギーが必要となる、とか、あるいは、水平リサイクルはカスケードリサイクルよりも優れているといった議論をするにしても、すなわち、LCA的な議論をする大前提として、すべての人々が合意すべきことは、「資源を採取してから廃棄物になるまでに、何回使えるか。また、どのぐらいの時間使えるのか」ということが最大の問題であり、この議論抜きにリサイクルを語ることに意味は無いということである。

3.2 具体例:スチールvs.アルミ
 いくつかのケースを考察してみたい。
 まず、飲料容器を対象にしてみたい。これまでも、飲料容器はしばしばLCAの対象になった。それは飲料容器というものは、それ自身が商品ではなく、中味の保存や運搬に寄与するものでって、中味が使用された後には、たちまちにして廃棄物になるものだからである。
 アルミ対スチールの争いは、なかなか激烈な状況ある。アルミは水平リサイクルが可能で、スチールは、技術的な理由よりも経済的な理由が大きいのかもしれないが、水平リサイクルは困難である。このことだけを取り上げて、アルミがスチールよりも優れていると言うのは余りにも荒い近似だと言わざるを得ない。すなわち、アルミニウムについても、その100%がリサイクルされている訳ではないことに注意を図る必要がある。そこには、ある「歩留まり」がある。よく知られているように、アルミ缶の場合、蓋の組成と胴の組成は違う。蓋にはマグネシウムが含まれているが、再溶融の際に、酸化されスラグになって溶湯の上に浮く。勿論、アルミの一部もスラグとなる。すなわち、リサイクル過程でリサイクルループから外れて廃棄される部分が存在している。プロセスの改善によって、歩留まりを改善することは可能なのであるが、残念ながら、経済的な制約のために、例えば不活性ガスの中で溶融を行うといったプロセスの採用は非現実的である。アルミ缶が水平リサイクルされるようになったのは、溶湯をろ過するフィルターの進歩だと思われるが、この解は、どちらかといえば、End Of Pipe型とでも言えそうである。
 だからといって、スチール缶が威張ることができるということではない。リサイクルのためには、製品化する際にいくつかの要素を満足する必要がある。そのひとつに、できるだけ単一の材料で作るといったものがありそうであるが、スチール缶の蓋は、相変わらずアルミである。アルミが鉄のリサイクルの邪魔になるということではないが、アルミという材料を使い捨てにしていることは、非常に大きな問題であるように思える。
 自動車のリサイクルにおいて、主たる対象になる材料は鉄である。エンジン、ドアなどの主要部品は、部品レベルでの再利用が行われ、インターネットを活用した市場が無い訳ではないが、すべての車の部品が有効活用されている訳ではない。となると、鉄スクラップとしてのリサイクルが有効であるということになる。
 さて、鉄のリサイクルには、「トランプ元素」なる阻害元素の存在が知られている。いったん鉄に溶け込むと、容易には取り除くことができない元素である。その代表格が銅である。自動車における銅の用途は、主として電線、伝導材料である。最近の高級車は、モーターをいくつも使っている。パワーシート、パワーウィンドウなどなどである。これらのモーターには、当然ながら銅線が使われている。勿論、アルミ導線にすることも不可能ではないのだが、やはりコストの壁があるようだ。自動車メーカーにコストの壁を越えさせるには、社会がそのような変化を望んでいることを伝達する必要があるだろう。また、それが社会的責任の一部であることを伝達する必要がある。今回の自動車リサイクル法の対象となったのは、エアーバッグ、フロン、そして、シュレッダーダストである。しかし、このような枠組みを拡大し、リサイクルの阻害となるような物質の使用を制限する必要があるのだろう。それが物質が廃棄されるまでに、何回使えるかを決めるものであれば、循環型社会の効率向上のために、そのような制限も仕方が無いことである。

3.3 具体例:プラスチック
 プラスチックといっても、様々な種類がある。現状リサイクルが行われているものは、しかしながらかなり限定されている。
 ペットボトル、塩ビ、そして多少のスチレンであろうか。そのうち、どうしても問題になるのが、ペットボトルである。何が問題なのか。これまでの議論を適用すれば、
(1)回収率は上がったものの、依然として半分はごみになる。
(2)回収されたもののリサイクルが水平型とは言いがたく、リサイクルされた材料はごみになる。
 これらの状況を勘案し、また、リサイクル過程で新たに消費されるエネルギーや材料の歩留まりを考慮すると、恐らく、ペットボトルに使用されている材料は、平均的に1.1〜1.2回程度使われているに過ぎない。もともと、ペットボトルは商品寿命が短い。家庭に入ってから、ペットボトルがごみになるまでの平均的な時間は、まあ、1〜2日程度だろう。となると、リサイクルによっても、その寿命が2日程度になればよいところである。
 このような市民社会からの攻撃に対応するためか、ペットボトルのケミカルリサイクルが行われ始めている。しかし、このケミカルリサイクルによって救うことのできる寿命がどのぐらいのものであるのか。リサイクルのために投入しなければならないエネルギーを考えると、材料の寿命を延ばすということに、どれほど貢献できるものか、それが問題である。
 もうひとつの問題が、現在すでに整備されたリサイクルシステムに加える形でケミカルリサイクルが行われることである。これらのリサイクルシステムが有効に活用されるためには、ペットボトルの回収率を高めるか、あるいは、さらにペットボトルの生産量を増加させるしかない。
 他のプラスチックのリサイクルについても状況はそれほど良くはない。ただ、塩ビ管の場合や家電に使用されたスチレンの場合には、材料としての寿命が極めて長いこともあり、リサイクルによる寿命の延長がそれほどでないとしても、材料寿命としてはかなり評価すべき状況にあるかもしれない。

4. 解決法

 解決法は実は簡単であるが、実行不能である。新たに作る材料をゼロにすることが解だからである。そこで、これまた実行不可能に近いが、新たに作る材料を半減することは長期目標として設定できる可能性がある。
 供給される新材料が半分になると、材料を効率よく使わなければならないことになる。リサイクルは当然のこととすれば、1回の使用でどのぐらい劣化させるかが本当の問題になる。
 できるだけ劣化させない方法がある。それが、再利用である。容器であれば、リターナブルであり、電気・輸送機器であれば、部品の再利用である。もう一度、再利用を評価すべき時代が来ることは必須である。
 さて、そのような時代はいつなのだろう。環境問題では、常にそうであるが、長期的な見通しを持つことが必要不可欠である。材料に関しては、いくつかの問題に答える必要がある。
 すなわち、
(1)2050年で、その材料の国内生産量はどのぐらいか。輸入量はどのぐらいか、
(2)その時点で、材料の平均的な寿命はどのぐらいか、
(3)循環システムを構築することによって、その平均的寿命はどこまで伸びるか、
(4)(1)、(2)、(3)の経時的なプランはどのようなものか、といった設問が有り得るだろう。
 すべての材料は、このような設問に対して地球環境を境界条件として回答を用意し、いかにして、寿命を延ばすかについて、競争を行うといった準備をしておくことが必要になるだろう。

5. まとめ

 リサイクルに関しては、これが問題解決の切る札ではないことを明示すべきである。すなわち、回収率の高さを主張するだけではなく、リサイクルによって何回分の有効活用をしているか、明示すべきである。すなわち、そのリサイクルは”ニサイクル(2サイクル)”なのか”ゴサイクル(5サイクル)”なのか。現状だと、PET類でも、まあ、イチテンニサイクル程度だろう。
 2003年3月に閣議決定された循環型社会基本計画では、それまでの排出側を制御するという考え方を変えて、資源の投入量を減らすが、資源生産性は高くするという入り口側の目標が掲げられた。
 すべての先進国は、50年以内に、投入資源・投入化石燃料の量を半分にするといった大きな目標を掲げるべき時代になったように思える。それは、石油の枯渇が本当に目前に迫ってきたからである。これまで、石油は40年で枯渇すると言い続けられていきたが、実際には枯渇しなかった。それは、石油掘削技術・探査法の進歩があったからであるが、さらに重要な要因として、もともと地下資源というものは、「可採年数が40年を超すと、経済的な価値が低下するために、それ以上探さない」、という大原則があったからである。
 今回の石油の枯渇は恐らく本物である。温暖化もエネルギー消費量を下げろと人類に迫っているように思える。
 このような状況で、循環という行為も、過去10年間の発想で行うのでは十分ではない。いかに、地下資源を掘らないで循環を行うか、といった考え方に、根本から変えるべきである。