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   オープンイノベーションとは 07.30.2017
     
日本でなぜ進まない?? 進める方法はあるのに!
               



 この記事は、日付先付で28日にアップされました。

 この週末は九州です。本業のEA21の九州全体の審査人研修会で講演をするために、金曜日、土曜日が宮崎市。終了後、土曜日・日曜日は、個人的な一つのチャレンジ課題である、「日本の海岸をできるだけ長くドライブ」、の実施のために、鹿児島県垂水市、大隅半島の先端まで行って、霧島まで戻りさらに1泊。そして、月曜日に東京に戻る予定です。

 さて、本題です。経済産業省がオープンイノベーションを推進しはじめて、すでに数年かと思いますが、やっと、言葉が普及をし始めたところではないでしょうか。

 オープンイノベーションの本質は、異なった主体が参画することによって、これまでよりも、斬新な枠組みを速やかに作ることです。しかし、それだけではないようです。

 日本の現状を見ると、なんとなく遅いのです。様々な解析や記述がされていますが、やはり、日本に固有の問題点があるような気がします。

 本日のご紹介する本は、「実践するオープンイノベーション」トーマツ ベンチャーサポート著、日経BP社 (2017/5/25)のKindle版です。

 個人的経験を振り返ると、産学連携に関しては、大学側としては先駆者の一人だったと思います。東大の生産技術研究所が六本木キャンパス(現、新国立美術館)から駒場第二キャンパスに移転し、そこに、国際産学協同研究センターなる建物ができたときの初代のセンター長でした。平成8年(1996年)のことです。まさに、黎明期でした。様々な企業の方々と議論をするチャンスに恵まれ、大変良い経験を積んだと思います。

 経済産業省(2001年に名称変更。当時は通産省)が大学等連携推進室という名前だったと思うのですが、産学連携推進の組織を作ったころでもあります。何人かの室長と良い協調関係にありました。

 大学では、産学連携は、最初は産学協同という言葉が使われ、それが悪の象徴だった時代が、実は長いのです。今で言えば、「大学での軍事研究」がそれ相当するかもしれません。それでも、1990年代中頃から産学連携センターのようなものがかなりの大学に設置されていたのですが、東大は、対応がかなり遅れました。最後の最後に参画したのが京大だったのが、色々な意味で象徴的です。

 それと言うのも、当時、産学連携への文科省の資金は、地域コンソーシアムのような形をとっていたので、東大などは出番が無かったのです。しかし、最初の科学技術基本計画ができたのが、やはり平成8年(1996年)。これは大きなインパクトでした。経済的な発展には、科学技術の発展が必須であるという理解になったからです。しかし、日本の科学技術の実力は、2009年頃から急落してしまったのです。そして、まだ、過去の栄光を取り戻せていない。これが日本の現状です。

 その大きな原因が、国立大学から国立大学法人への転換だったと思います。イノベーション創出という目線が喪失し、「文科省の大学への影響力をどこまで大きくできるか」、が主要課題になり、大学の理事に文科官僚が入り込んだことが直接的な原因かと思います。さらに、インパクトファクターという、研究の方向性を操縦するツールが持ち込まれたことの影響が決定的でした。iPS細胞の山中教授より若い世代からのノーベル賞の「筆頭」受賞者はもはや出ないのでは、と思います。なんと言っても、Natureに代表される『商業誌』に論文が掲載されることが、国立大学法人の学長にとっての最大の目的になっているのですから、どう考えても変なのです。これは金融以外の企業がほとんどないシンガポール向けの指標だと思います。しかし、残念ながら、大学教授で、このやり方がおかしい、という勇気のある発言をする方は希です。一方、ノーベル賞は、社会の進展に寄与しないと受賞できません。すなわち、イノベーション指向です。これが、大学が人づくりを通して、本来貢献すべき方向性です。

 ということで、個人的には、「インパクトファクターよりノーベル賞を目指せ」、という方針の転換を切望している次第です。加計学園の問題よりも、遥かに日本という国の将来の成り立ちに影響する問題だと思います。

 こんなことを考えながら、この本を読んだ次第です。



C先生:という訳で、今回は、オープンイノベーションが話題。先日、このサイトでご紹介した「未踏チャレンジ」は、オープンイノベーションの範疇ではなくて、それを超して、まさに未踏領域をどうやって開拓するのか、ということなので、オープンイノベーションの次のタイプのイノベーションだと思う。すなわち、今日の議論が未踏チャレンジにそのまま連結するという訳ではないと思うけれど、一応、オープンイノベーションという手法を活用する可能性も考慮して、検討することにしたい。

A君:そもそもオープンイノベーションとは何か。これがやはり最初の検討課題でしょうか。
 この書籍では、日本が得意としていた古いタイプのイノベーションが、「自社の技術を起点」としたイノベーションであり、いわば継続的改善のようなイメージのイノベーションであった。

B君:トヨタの「カイゼン」が日本流イノベーションの象徴のようなものだった。

A君:ところが、起点が変わった。自社の技術が起点ではなくて、外的な要因を起点とするイノベーションになった。だから、自社内での問題の「カイゼン」という発想ではできないイノベーションが主流になった。別の表現をすれば、起点が「自社の都合」ではなく「社会的ニーズ」になったというのが良い表現でしょうか。

B君:もう一歩踏み込めば、「イノベーションの起点」が外部になった。「社会的ニーズと顧客ニーズ」がその中身という表現が良いかもしれない。

A君:「未踏チャレンジ」は、パリ協定という企業から見れば外部の要請に伴うイノベーションですから、オープンイノベーションの一つといっても良いはずです。

B君:しかし、未踏チャレンジで実用になる時点が、2050年だとすると、企業活動にとっては、完全に視野の外。だから、未踏チャレンジがなんらかの『良い副作用』、例えば、人材育成の良いツールとか、しばしばオフスプリングと呼ばれる派生的な価値が生まれるチャンスとか、こんなことに意義を見出せる企業以外は、参画が難しい。

A君:しかも、これは良く言われることで、クリステンセンがもっとも得意とするところですが、継続的イノベーションが、破壊的イノベーションに変わった。これが、変化のもっとも本質的なところ、かつ、重要なところ。

B君:そうなのだ。この書籍では、日本の企業は、「リスクを回避するから」イノベーションができないという説明をしているのだけれど、実際には、2〜3年といった短期的な継続が企業における最大の価値になっているので、当然イノベーションはできない、という表現の方が正しいと思う。

A君:社長の話がまだでてきていませんが、日本の社長は、まあ4年ぐらいが任期で次々と変わる。これが仕組みであれば、冒険はできないですね。リスク回避以外に対処のしようがない。

B君:社長が自分の企業のある部門は将来性がないから潰す、という決断をしようとしても、内部的な抵抗が非常に大きいと思えば、やはり取り上げらることはない。

A君:内部的な抵抗の実体としては、もともとオープンな発想が求められていない知財部や法務部の承認が得られないという表現になっていますが、その通りだと思いますね。

B君:この書籍の記述として面白いのはこれ。現在の中核的な社員は、企業が不採算部門を切り離すという行為しか目にしていない。「新しい部門を作るという行為がどのようなものなのか、経験ができなかった不幸な世代だ」=「イノベーションの経験皆無」、ということなのだろう。

A君:この本の著者は、デロイトトーマツの考える「真の解」は、「既存事業」と「イノベーション/新事業」を両輪だと考えるだ、と述べていますね。しかし、それが本当のオープンイノベーションの解なのか、と言えば、そうでも無さそうな気がするのですが、もっと先に進んでから再検討しましょう。

B君:たしかに「両輪」が正解かどうか、それは分からない。そうしよう。

A君:もう一つ重要な要素として、社内の効率化を重視する余り、「選択と集中」という言葉で取り組みすぎたという面はありますね。要するに、「無駄ゼロ」が目標だと新しい発想などは生まれない。特に、上司の常套句が、「それは無駄ではないか」といったものだと、それでイノベーションは終わりになりそう、いや、始まらないでしょう。

B君:かつて日本の製造業には、「闇研」があった、と紹介されているが、これは、闇(=非公認)研究活動のことで、無駄は承知で創造性を高めるために行われていた。恐らく事業部長ぐらいまでは、その存在と実態を知っていたけれど、むしろ、それを推奨していた。

A君:ところが、社長が、東芝の例ではないですが、短期的に利益を産まないものはやるな、と言って、それを徹底するような企業では、「闇研」はあり得なかったのでしょう。

B君:現在の欧米系の企業では、自社での闇研などでは、イノベーションが遅い。トップが目標を掲げ、一気に実践するというところが多い。ところが、日本の社長でこれができる人材が居ない。

A君:間違っても良いからやってみろ、という社長でないと、事業部長クラスも全く動けなくなりますからね。

B君:プロクター・アンド・ギャンブルの例が上がっているが、ラフリーCEOは、「私の仕事は、イノベーションをすべての業務において取り組んでいくこと」との明言していた。これでないと。

A君:その次に、GEのイメルトCEOの話が出ていますが、そもそもイメルト氏がトップになったのが、2000年。そして、今年退任で、この8月から、新CEOとして、フラナリー氏が着任することに。イメルト氏はなんと16年間CEOをやってきた。しかし、まだ61歳と若い。

B君:イメルト氏は、それまでの重工業だけの企業を金融を含めて、様々な複合的企業に変えた名社長だったと思うけれど、米国金融界からの評価は落ちていた。それは、株価が上がらなくなり、むしろ下がっていたから。

A君:株価だけを考える米国の現状は、ある意味、日本にとってラッキーだと考えないと。グーグルやフェイスブック、アマゾンといった企業は、確かに成長が著しいのだけれど、だからといって、GEほど長くトップ企業であり続けるかどうか。多分、凋落も早いと思うのです。

B君:それは、IT産業共通の弱点というものがあって、Appleにしても、そろそろ神通力は無くなってきている。マイクロソフトの成長の時代も終わったが、今後どうなるのか。果たして新しい戦略はあるのか。

A君:IoT(Internet of Things)に対するGEの戦略がどのぐらい成功するのか。それは、今後のこの社会の流れをどのように読むのか、それに掛かっているように思うのです。

B君:それに、イメルト氏がトランプ大統領を厳しく批判したことも、退き時が来た一つの原因かもしれない。イメルト氏にとっては、パリ協定の遵守と環太平洋経済連携協定(TTP)が基本的なスタンスだった。

A君:財界人ですから、もともと共和党支持者ですよね。しかし、オバマ大統領の要請に応じて、米国経済の立て直しに努力した人でもあるので。トランプ大統領から見ると、敵に利した経済人だった。

B君:話変わって、GEがいくらベンチャーに投資していたか分からないけれど、米国が日本ともっとも違うのが、ベンチャーに対する態度で、日本におけるベンチャー投資の総額がわずか1302億円なのに、米国では7兆円以上がベンチャーに投資されている。もっとも、件数は、日本が1162件で、米国は4380件。件数1/4、件数あたりの投資金額1/70というのが惨状

A君:ベンチャーと言うと、そこが日本と米国の大きな違いのように思えますね。

C先生:黙って聴いていたが、ちょっと口を挟むことにした。そこは文化の違いだと思われるのだ。またまた古い話になるが、産学協同の講演会などで話をするとき、産業界からの代表として、しばしばお目にかかったのが、堀場製作所の創設者である堀場雅夫社長。私よりも20歳ぐらい年上だったが、色々と面白い裏話を個人的にも聴くことができた。日本では、失敗した人に「七転び八起き」で頑張れと言うけれど、これは全くのウソだ。日本のベンチャーは、「一転びアウト」が現実なんだ。ベンチャーの成長には、エンジェルという鷹揚な投資者の存在が大きいのだけれど、日本のエンジェルはその出身が金融会社なもので、実は、デビルでしかない。

A君:この話は、しばしば聞いていますが、その通りだと思います。どこが違うのでしょうね。

C先生:最近、一つの悟りに到達した。米国などで、ベンチャーに失敗した人は、次のチャンスがあれば、同じ失敗はしないから、全くの初心者よりは有能だと判定されるのだ。ところが、日本では、「失敗経験が有能な人間を作ることはない。ある人が有能な人間かどうかは、大学受験の結果が分かった段階で判別できていて、その後変わることはない」という社会が長く続いた。これは全く不幸な社会だった。現時点の成功者の大部分は、この判定基準で選ばれた人々だと思う。勿論、例外が居て、その方が破壊的なイノベーションができることを証明しているのだが。

A君:実際には、人間の成長は失敗を経験しないと起きないのですけどね。

B君:人間、実際に失敗してみないと、真実の世界が見えないものだ。失敗を経験することによって、同じ失敗をしない人間に成長することができる。

C先生:実際、その通りだ。このところ、ヨーロッパ各国を「自分で計画し、自分で手配した旅」で回ったが、順調に進んだような顔をしているのだけれど、実のところ、それこそ失敗だらけだった。しかし、小さな失敗をかなり多く経験したもので、その対策ができるようになった。失敗の一例だが、ホテルの場所をカーナビに入力するのだけれど、なんとその数値を間違えたことがある。ポーランドのクラクフでの話。しかも、この日はアウシェビッツとビルケナウに行っていたもので、かなり大きな衝撃を受けて、現場に長く留まっていたため、かなり遅くなり、真っ暗になってしまった。カーナビに指し示すところに行ったのに、ホテルなど全くなかった。たった200mぐらい離れていただけなのだが。しかし、都会であれば、ネットのアクセスができるSIMを持っているので、なんとかなった。しかし、それ以後は、日本出発前に、GoogleMapのStreetViewで、ホテルを発見する予行演習をやることにした。郊外の道路はどんどんと新しくなっているので、余り意味はないが、古いホテルが多いヨーロッパの都市では、予行演習を経験しておくと、馴染みの景色が現れて来るので、もう近くに来たことが分かる。これで、安心できるのだ。

A君:日本人は、準備をしっかりやることで失敗を回避するよりも、どうも、一発勝負で勝つことに意義を感じているような気もしますね。このタイプの才能がある人だけが認められる。

B君:言い換えれば、失敗することは、努力不足。何事においても、注意を払えば失敗は避けられるという考え方なのですかね。

C先生:どうも少しだけニュアンスが違うような気がする。失敗した人は、もともと、何かそのような運命を持った人であるという判定をするように思う。これが大問題で、嫌な言い方をすれば、失敗する人は、「穢れているから失敗する」。穢れた人は、いつまでたっても変わらないから、付き合いたくない。これが、日本のエンジェルと言われた人々の発想だったような気がするのだ。

A君:これでそろそろ文字数も限界ですが、どうしますか。

B君:まだ、13%ぐらい読み進んだだけではないか。ざっと、最後までページをめくってみよう。

A君:その後は、いくつかの企業の例がでてきていますが、どうも、礼賛的な記述ばかりで、どんな失敗をして、それを克服したか、というような記述は無いですね。

B君:この本がその次に書かれているようなノウハウを提供するから、大丈夫というのがこの本の著者の思いなのではないか。

A君:そんな感じですね。

B君:ちょうど80%ぐらい進んだところで、鮫島正洋氏という弁護士がインタビューを受けているが、ここで、大企業がやりそうな失敗例が出て来る。例えば、「大企業のモラルハザード行為がイノベーションの邪魔をする」という指摘はあるが、それ以外は余り参考にならない。

A君:第6章になって、製造業が行うオープンイノベーションに基づく技術導入が課題解決型ばかりだったが、それが若干変わりつつあるのかもしれない、という記述になって、例えば、「ユーザと一緒にアイディアを生み出す」ことの重要性などが指摘されています。新たな課題を探すというタイプのアプローチなのですが。

B君:そして、元日産の副会長の志賀俊之氏のインタビューがある。やはり、日本はクローズドな社会だと喝破している。さらに、日本は産学連携が弱いという指摘もある。

C先生:産学連携は、実は色々と試みたのだけれど、かなり難しかった。現時点、大学の運営がかなり自由になったので、例えば、大阪大学方式と呼ばれるようなやり方、すなわち、大学内の施設に、企業人だけからなる研究チームを作って、教授、准教授がその相手をするといったやり方もできるようになってきた。以前だと、大学院生のテーマにしてしまうといったこともあるが、それだと博士論文の発表会で、企業秘密を話さなければならないことになる。また、隣の学生にも自分のやっていることが喋れない状態になる。
 産学連携の実験の一つとして、当時、大阪大学方式とは逆に、何名かの教授に企業に週に1回出かけて貰って、企業内の研究室で企業人を指導をするという方法も試みたのだけど、また社会的理解が得られなくて、充分な成果がでるというところには至らなかったという経験もした。

A君:この志賀氏のインタビューは読む価値がありますね。余り紹介してしまうと本屋の商売の邪魔になりますので、このあたりで。この本のもっとも価値のある部分ですので、皆様もお買上げをどうぞ。

C先生:さて、本日の結論か。オープンイノベーションという言葉は、経産省の押しもあって、かなり一般用語にはなってきた。しかし、これまでの日本のカルチャーとは整合性の悪い部分がかなりあるのも事実。また、研究者のマインドなどとも上手く合わない可能性もある。しかし、なんでも自前主義ということに拘泥していると、その企業の株価が上がらない。となると、GEのイメルト氏のように、社長を退任しなければならないかもしれない。
 途中で問題になった、両輪の話、すなわち、この本の主張する「『既存事業』と『イノベーション/新事業』を両輪だと考える」が正解ということはどう考える?
 個人的には、現時点では、既存事業はいつでも切る、という覚悟をもった経営者が、イノベーションを実現できる人材なのではないか、と思っている。かなり乱暴ではあるが。
 ということで、ここからは環境話になるのだ。お奨めできるのが、実は、パリ協定というものが、過去に人類が経験したことのないイノベーションの大きなきっかけになりうるのだ、という認識をすべきだと言いたい。ユーザーと共に新しいニーズを求めて行うイノベーションが成功するのであれば、パリ協定が要求していることは、場合によると2040年頃まで実現しないかもしれないが、少なくとも、その方向性は明確で、人類が本気で追求すべき新しいニーズであり、その実現がイノベーションの大きくかつ共通の目的であって、これがパリ協定の中には記述されているのだ。
 となれば、もっと想像力を働かせて、パリ協定を実現すること、特に、その極限的な要求事項であるNet Zero Emissionを実現するということが、どのような条件を満足することなのか、を考えることが、イノベーションの成功に導く発想になる。
 この目標は人類共通のものであり、しかも、それが完全に明確になっているのだから、オープンイノベーションの種が、まさしくパリ協定の中には描かれていると思うべきなのではないだろうか。
 そして、その方法論の一つが、『バックキャスト』であることは、ほぼ確実だ。こちらは、いずれ。