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   EcoLeadサマースクールの今年の課題
     
含む:プラネタリーバウンダリーとは  08・20・2017
               



 昨年も実施しましたが、今年も、すでにお知らせしておりますように、9月11日から、EcoLeadプレミアムサマースクールという長い名称のスクールを開講します。小数(20名程度)の環境を専攻する大学院生を中心とするメンバーを集めて、日本の環境分野(やや広義)の有名教授などに、1駒3時間の枠を受け持ってもらうもの。
 現時点で、15名ぐらいの参加希望者ですが、あと5名程度の枠があります。せっかくの豪華講師陣に講義をしてもらうのですから勿体無いので、どなたか応募してみませんか。受講資格は、大学院生、大学院への進学内定者、ポスドクです。
 大学院生などの参加者には、交通費・宿泊費の最大75%(出席率などによります)は補助します。最近の東京は、かなり変わってきていますので、たまには、東京見物を兼ねてという考え方も、当然あるかもしれません。
 また、企業の環境関係などを担当する方々の傍聴も可能でして、ただし、椅子1客の権利を9万円(NPO、公共団体等の割引きあり)でお買上げいただくシステムです。どなたが座ろうと、それは自由です。興味がお有りでしたら、EcoLeadのHPから、担当者にコンタクトをお願いします。なお参加費は、上記の大学院学生の旅費と滞在費の補助に使われます。

 今年の全体テーマ、といっても、各講演者を強く縛るものでもありませんが、一応、
「地球の限界と未来をどう読み、国と地域の持続可能性をどう評価するか」
 となっております。
 今年の講師は以下のようです。持ち時間は、各3時間です
・安井 至(東京大学名誉教授、一般財団法人持続性推進機構理事長)
・原田 幸明(国立研究開発法人物質・材料研究機構)
・沖 大幹(東京大学生産技術研究所・教授、国際連合大学副学長)
・黒沢 厚志(エネルギー総合工学研究所・部長)
・矢原 徹一(九州大学理学部生物学科・教授)
・伊坪 徳宏(東京都市大学・環境学部環境マネジメント学科・教授)
・細田 衛士(慶応大学経済学部・教授)
・馬奈木 俊介(九州大学工学研究院・教授)
・環境省からの講師(鮎川智一市場メカニズム室長) 1時間枠

 開催場所(渋谷のフォーラム8)、プログラムなど、開催の詳細につきましては、EcoLeadのHPを御覧ください。
http://www.eco-lead.jp/archives/news_eco/summer-school2017/


C先生:サマースクールの開催も、いよいよ4週間後になった。まだ、あと数名の余裕があるので、これから申し込みをいただいても良いので、その広告を兼ねて、本日の記事にしたい。
 院生だけでなく、社会人の傍聴も可能にしているのは、もちろん、企業関係者にも聞いていただきたいから、ではあるけれど、実は、院生にちょっと緊張感をもって貰いたいということと、場合によっては、就職先になるかもしれないと思って貰いたい、という思いも若干はある。
 ところで、昨年にも行ったサーマースクールではあるけれど、その際、スピーカーとして、超大御所を選択した。今年は、超大御所を含めて、若干の若手を入れた構成になっている。来年は、さらに若手を増やす予定で、准教授級まで、範囲を広げたいと思っているところ。
 いずれにしても、3時間で完結する講義をしようとすると、なかなか準備が大変。講義形式に対する考え方にも二種類あると思っていて、少人数の院生が対象なので、対話型の講義で3時間を使うというやり方と、情報密度の高い資料を3時間分作成して臨むというやり方のいずれかの流儀になる。

A君:普通に講義をしようとしても、密度を落とす訳にも行かないし、3時間の講演というのは結構難しいと思いますね。

B君:C先生みたいに、枚数の多いパワポを準備しながら、実は、質疑応答を含めて、雑談で3時間をつなぐのもありですけどね。

C先生:自分の講義はそんなものなのだけれど、講義が終わる17時以降は、講義の無い時間ではあるのだけれど、4名程度でチームを作ってもらって、準備した課題に取り組んでもらう。夕刻以降が4回しかないので、これは結構大変。しかし、我々主催者側としては、このような密な議論をしてもらうことで、将来に渡る友人ができるのではないか、という思いを込めている。

A君:実際、これまでの経験からも、友人ができることは事実で、その面からもこの試みの評価をもらっていますね。

B君:国連大学のときにも、同じような試みを行っていて、その同窓会は、このところ幹事不在になったので、止まっていますが、かなり長い間続いていましたね。

C先生:こんなところが実態。環境というテーマは、まさに何でもありなので、多様な講師からバラエティーに富んだ講義を受けて、異なった研究課題に取り組んでいる大学院生同士が交流することは、少なくとも、視野を広げるという意味から、必須に近いことだと考えている。しかし、最近、価値観も狭くなっていて、現世利益に直結していないと、価値が低いと思う人も増えてしまった。残念なことだ。

A君:夕方5時以降の院生同士の共同作業としては、課題がいつも出されます。今年の課題は、次のようになりました。


2017年EcoLeadプレミアムサマースクールの課題

課題:「日本という国と日本人」の有する良い特性をいかに活用すべきか、という考察を含めて、以下の課題のいずれかに取り組むこと。

1.世の中の変化が激しい。どちらかというと、閉じた世界へ移行しそうに見えるが、本来、人類として行くべき道は、閉じた世界なのか、開いた世界なのか。多くの人は開いた世界を目指すべきだと考えているようだが、なぜ開いた世界でなければならないのか。逆に言えば、閉じた世界の欠陥は何か。複数上げ、できれば、開いた世界を目指す世界を実現するための解決策を考察せよ。

2.できるだけ広い視野をもち、世界を眺めるという人材が必要不可欠であることは、当然のこと。しかし、どうやったら、広い視野を持つことができるのか。何をどう努力したら良いのか。具体的に取り組む課題としては、どのようなものが現実的なのか考察せよ。

3.今世紀に限れば、どちらかといえば、対立関係になりがちな「人類と地球(他の生命を含む)との両立」が、おそらく、最終的なテーマになる。テレビを見ていても、かなり不便なところに住む日本人を探しに行く番組などがあるように、地球を隅々まで歩くことが可能になった現在を踏まえ、この「最終的なテーマ」の解を探すために、我々は、何をすることがもっとも有効なのか。

4.日本人は未来を読むのが苦手だと言われる。なぜ、日本人にとって未来を読むことが難しいのか。地球環境の場合のように、Planetary Boundaryというものがかなり明らかになりつつあるにも拘らず、未来を読むことは難しいらしい。その原因はどこにあり、その解決法はどのようなものになりそうなのか。

5.人類の地球との共生も最終的には失敗に終わるような気もしないでもない。過去の失敗の歴史を学ぶことも、重要な課題かもしれない。失敗を一般的に学ぶことの重要性について、どのような人がどのような指摘をしているかをチェックし、20歳代で、理解すべきもっとも重要なこと=「失敗を回避する方法」、を考察してみよ。

6.最近、「おとなの教養」の重要性を説く著書が売れている。代表的な著者は、池上彰、佐藤優が二大著者だろうか。そもそも、おとなの教養とは何か、それがなぜ今後の社会人にとって必須なのか。自分たちは、どのようなことを学べば教養人と呼ばれるようになれると考えているか。上記の二大著者とは違った独自の案を作ってみよ。

発表:金曜日の午前中に1チーム20〜25分(質問時間を含む)の枠を準備するので、プレゼン資料を作成し、発表を行うこと。



C先生:こんな課題を出してみた。特に、説明を要するようなことは無いと思うが。問題の最初にある境界条件、すなわち、「日本と日本人の良い特性を活かすこと」という条件は、環境省の某氏の提案を採用させていただきたものだ。全体が、ポジティブな感覚になってよかったと思う。

A君:日本という国、日本人という民族は、やはり、過去の歴史が違うためか、かなり変わっていますね。その特性をどのように活かすか。いや、もっと積極的は表現にすれば、特性を活かせば、世界とは違った解決法があるかもしれない、ということを考えて欲しいということなのでしょうね。

B君:なかなかの提案。大学の教授は、どちらかというと、普遍的な解を求めることが多いように思う。すなわち、人間としてはどうなのか、という解を求めがち。しかし、考えてみると、日本人は、世界的に見ても、非常に優れた特性を持っている。それが逆に作用すると、ダメになるのも事実だけれど。

A君:これで、サマースクールの説明は、終わりですね。しかし、問題があって、それは、この課題の中で、本HPでも一度も説明したことのない名詞がでてくることでしょうか。それは”Planetary Boundary”。この言葉の説明をして、今回は締めることにしませんか。

B君:良いと思う。

C先生:それは必要なことなのかもしれない。なぜ、そう思うかといえば、あまりにも現世の話なので、どうかと思われる方々もおられるだろうが、先日行われた環境省の審議会で、環境基本計画の中間とりまとめを議論したとき、ある企業からの委員が、「本文にPlanetary Boundaryのような、研究者が論文に書いただけのことを取り上げる理由はどこにもない。IPCCとかの報告書ではないのだから、これは削除すべきだ」と発言したのだ。これには驚いた。

A君:そこで、C先生は反論したようですね。そもそも「パリ協定」の基本的理念は、地球のCO限界が予想よりも小さいということ、すなわち、地球には限界があることで、Planetary Boundaryはまさしく、それを意味している。

B君:審議会の怖いところは、発言が残ってしまうこと。

C先生:という訳だが、Planetary Boundaryは、今や、地球環境問題を考える基本的コンセプトの一つ。このWebサイトで取り上げたことは無いので、今回は、それを取り上げたい。

A君:そもそもPlanetary Boundaryという概念を発表したのは、Sweden Stockholmの研究組織であるResilience Center。
http://www.stockholmresilience.org/

B君:Dr.Carl Folke氏が長を務めるStockholm大学の研究機関がResilience Center。Resilienceをどう訳すか。これが問題。ちなみに、Google Translateでは、「反発力」となる。英辞郎だと、回復力・立ち直る力・復活力。まあ英辞郎か。

A君:立ち直る力というのが、地球環境の場合には、もっとも適しているかもしれない、と思いますね。

B君:破壊者は、いずれにしても人類を考えての話。実際には、人類以外にも自然を破壊することができるものは多いけれど、例えば、台風などが明らかに破壊者ではあるけれど、これは、地球の能力の一部であると考えるしかない。弱い人類は諦めるしかない。しかし、今後、さらにスーパー台風などが出現して、その原因が地球温暖化にあるとしたら、諦めるより、先進国が排出したCO2が原因だとして、怒る途上国が多くなる。

A君:現時点で、天災については、日本、フィリピン、インドネシア、それにチリあたりが、世界の天災頻発のトップクラス。死者の記録としては、中国がトップではあるのだけれど、中国の特徴は、かなり稀ではあるが、何かが起きると死者の数が膨大になること。恐らく、人口の多さを反映しているように思います。

B君:話をPlanetary Boundaryに戻せば、1枚の図と1枚の表で充分に表現できることだと思う。まずは、図から。


図1 Resilience CenterのPlanetary Boundaryの図
 未だに程度が分からない3つの項目を含めて10種のジャンルがある。赤が、すでに危機的、黄色はかなり危ない、そして、緑はまだ多少余裕あり。

A君:この絵はかなり有名なものですね。そして、次の表が、Wikipediaがまとめたもの。こちらの方が内容が定量的なので分かりやすい。

B君:Wikipedia に掲載されている図は、2015年バージョンなのだけど、多少、誤解を招き安いとも言えて、気候変動は、まだまだイエローゾーンに入りかけたところに見える。これは、最近の理解とはいささか異なった表現になっている。このところ急激に様々な影響が目で見えるようになっている気候変動なので。

A君:ということで、定量的には、次の表を。しかし、この数値も、2010年のものなので、進展が速い気候変動は、いささか古い。



表1 Planetary Boundaryの表による表現(Wikipedia)https://en.wikipedia.org/wiki/Planetary_boundaries

B君:大気中のCO濃度は、植物の影響を受けるので、5月が最高濃度で、それから、減少しはじめて、大体9月に最低値になる。南鳥島の測定値だと、2016年9月に、とうとう400ppmを超した。

A君:このところの濃度増加は速くなっているようですね。年平均濃度を見ると、1990年代だと6年で10ppm増加。それが、このところだと4.5年で10ppm増加しているように見えます。

B君:排出量が増えていることに加えて、海水へのCOの溶解量が減っているのではないか。一般に、温度が高くなると、気体の液体への溶解度は減るので。それに、植生が減っていることも、影響しているのかもしれない。

C先生:まあ、そんなところだろう。実は、Planetary Boundaryという概念に反発する発言を聴きながら思い出したのは、アル・ゴア氏の不都合な真実。ビデオにも書籍にもあるのだけれど、地球と金塊はどちらが重いのだろうか,という次の図だ。


図:アル・ゴア氏の「不都合な真実」の書籍にある図。

 確かに、金塊も重要だが、もし地球が消滅してしまったら、金塊を持っていても、余りうれしいとは思えないだろう。Planetary Boundaryに問題があるという指摘もそうだし、パリ協定のNet Zero Emissionもそうなのだが、そろそろ、貴方の孫の時代には、地球は危ない状況になっているかもしれない、ということなのだ。それはそれで仕方ないと言い切れるかという問題なのだ。
 これは、価値観の問題だとも言えるが、理解力や知識の問題であり、また、知性の問題でもあり、かつ、教養の問題でもあると言えるだろう。高等な知性とは何か、また、高等な教養はどのようなものであるか、という議論は難しいが。こんなことに、サマースクールに参加者がチャレンジして欲しい。