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  未来の読み方 その2 
   05.16.2015
    地球環境の未来を読む方法の復習 




 前回、ミチオ・カクの著書2100年の科学ライフ」の第5章「エネルギーの未来 恒星からのエネルギー」がどのようにして、2100年を推測しているか、を解析してみました。

 結論的には、その分野で先進的な研究を行っている研究者にヒアリングを行い、自らの物理学のバックグラウンドを活用して、その研究のターゲットがどのぐらいの確率で実現するかを推定しているのではないか、と推察しました。まあ、直観的な読み方だと言えると思います。

 もう一つの方法論があります。それは、地球環境に対して適用する場合に有効と思われるものです。



C先生:ミチオ・カクの未来の読み方が、キーバーソンにインタビューをして、あとは、自分の学問分野である物理学的直観で実現するかどうかを判断しているという方法であることが、前回の記事の結論だった。

A君:物理学的直観が、材料開発といった話になると、やや楽観的になりすぎるという指摘を前回は行っています。

B君:いずれにしても、様々な製品分野におけるイノベーションを、ある一つの要素で解析するということは無理ではないか。したがって、個々の分野の最新情報をインタビューによって聞き、それを自らの判断基準、ミチオ・カクの場合であれば、物理学的考察を交えて、実現可能性をチェックするというやり方で、未来を考えている。

A君:最後は個人的な直感力ですから、まあ、この本の予測が本当にあたるかどうか、それは、2100年になってみないと分かりません。

C先生:今回は、地球環境の未来などを考える場合に有効な方法だと考えられているが、なんらかの歴史的トレンドを延長して、未来を読むという方法に有効性がありと言えるかどうか、を考えてみよう。

A君:イノベーション関係でもない訳ではないですね。歴史的トレンドに修正を加えながら、法則化して、それがまあまあ予測としての機能を果たしたものがあります。その代表がムーアの法則ではないですか。

B君:1チップに集積できるトランジスタ数は2年で2倍になるという法則だった。この法則は、2000年ぐらいまでは、よく当たったと考えられている。というよりも、このムーアの法則が一つのガイドとなって、このガイドに沿って、各メーカーによる開発が、足並みを揃えて行われたとも言えそうなのだ。

A君:いろいろと意見はあるものの、最近では限界説が説得力を持ち始めています。さすがに、最近は微細化に限界が見え始めたということです。これはあたり前です。まず、回路のパターンの線幅が光の波長程度になると、回折現象によって、パターンにぼやけるからです。そのため、近紫外線を使ったリソグラフィーが行われたりしています。

B君:それにもまして、原子だってサイズというものがあるのだから、微細化が無限に進むはずもないのだ。

C先生:もう一度、ムーアの法則がある程度まで成立したのはなぜかを考えると、それは、各メーカーが、これを実現しようと競争し、努力したからとも言える。この法則を満たすようなスピードで開発を行えば、競争している他メーカーとほぼ同じ競争力を維持できるという仕組みだったのだ。すなわち、ムーアの法則は、市場原理に非常によく合った法則だったから、市場が法則の通りに動くべく努力したというのが、正しい解釈ではないだろうか。

A君:ということは、市場原理が働くと、ある予測は当たり、別の予測は狂うということを意味するのですか。すなわち、ムーアの法則は、市場原理への適応性が良いから当たったけど、他の予測は、市場原理との適応性が悪いから当たらなかった。

B君:そうだ。それは、地球環境の予測を最初に行ったとされるローマクラブによる有名な単行書である「成長の限界」の予測が当たらなかったということの最大の理由にされている。

A君:そうでした。思い出しました。その復習をしてみます。まず、図1が「成長の限界」のリファレンスケースと呼ばれる各種パラメータの変化の予測図です。
 なんと、1900年から2100年までの200年間の傾向を示しているもので、極めて挑戦的な図でした。

         
図1 2100年までの各種傾向を示す図。参照ケース。

B君:この本が発行されたのが、1972年。この本が独創的だったのは、地球の能力、すなわち、資源供給能力、食糧生産能力、環境処理能力などには限界があって、未来は明るくないということを初めて示したこと。

A君:その方法論は、System Dynamicsと呼ばれる方法で、当時、MITのメインフレーム上で動いているソフトでした。人々は、当時コンピュータなどというものを触ったことが有る人は極めて稀な時代でしたので、そうかコンピュータが言うのだから正しいだろう、ということで大いに話題になったのでした。
 System Dynamicsとは、まず、工業生産、人口、食糧、汚染、資源という5つの項目を決め、それらに影響を与える変数が何で、それらが何によって影響を受けるか関数形で書き下すと、現在の状態から次の状態まで、コンピュータが最適化を行って5つの項目の変化を示すというプログラムです。
 当時のメインフレームといっても、現時点でのスマホよりも計算能力が低かったので、こんな計算しかできなかったのです。

B君:例えば、人口という項目は、出生レートと死亡レートが決まれば、決まる。当然のことだ。その死亡レートには、食糧比というパラメータと汚染密度が影響しており、出生レートは、どうも標準レートに食糧比による影響を考えていたようだ。

A君:そして、先ほど示した図1が、何も対策をしない場合の推移でして、2015年ぐらいには、資源が減り、汚染が2040年ぐらいがピークになる形で拡大するために、工業生産は下げざるを得ない。食糧生産も下がる。世界人口は、2030年がピークだということになるだろう、という予測です。

B君:図1の下の図で示されている生活水準を見ると、2020年ぐらいから、期待寿命がガクッと下がっているのが分かる。そして、これが成り行きケースだとして、次の図が、改善した場合のケース。


図2 改善された多少マシなケース

A君:人口が2040年ぐらいまで増えて、それからほぼ一定。工業生産は資源が不足してしまうので、どうしてもその後下がる。食糧は、不思議な動きをしているけれど、どうやら、汚染によって不作になるという主張だったようですね。
 一人当たりにすると、一人当たりの消費財が2040年頃から急速に下がるのが目立ちます。

C先生:要するに、「成長の限界」の未来予測は、結果として当たっていない。図2の改善されたケースを見ても、もっとも当たっていないのが、食糧生産かもしれない。

A君:それは、空気中の窒素を固定して生産した化学肥料の普及によって、穀物の単収、すなわち、単位面積当たりの生産量が1950年から2000年までの50年間で、5倍にもなった。これが人口増加を招いて、1950年には26億人だった世界人口が、2000年には60億人を超した最大の理由でした。

B君:世界的に先進国における飽食状態が広く拡散して、平均体重が増えたことも、この化学肥料のお蔭。

C先生:そもそも、平均寿命がこれほど伸びるとか、先進国における出生率がこれほど下がるとか、そんな予測は全くできていなかった。なぜなら、出生率を下げる要因が、成長の限界に用いられた変数の中に入っていなかった。恐らく、高い教育費と親の価値観の変化といった社会的要素を考えることができていなかった。
 それだけではない。やはり市場というものの柔軟性が全く考慮されていない。

A君:図1の参照ケースでは、資源獲得量が、2020年頃には半減、さらに2050年には1/4以下まで下がっていますが、実際にはそんなことにはならなかったのです。それは、資源の価格が高くなることによって、新たな資源の開発が行われて、供給量が増えたからです。

B君:資源の場合、価格が高くなると、品位の悪い鉱石であっても、商業ベースに乗る。石油の場合なら、より深い井戸を掘ることが可能になって、埋蔵量、すなわち、供給量が増える。

A君:1972年という年ですが、翌年には石油ショックが起きるのです。「成長の限界」が資源の限界を主張したため、産油国は、これを使って石油価格を高めることができると考えたと言われています。

B君:石油生産は、「成長の限界」の予測を破って、その後も増え続け、どうやら2006年ぐらいにピークを迎えた。しかし、これにしても、天然ガスの利用が増えたためだと考えられている。資源が限界を迎えたからではない。

C先生:結論としては、「成長の限界」は、以下のような教訓を与えた。
 もしも未来を正確に予測できたとしても、人間はそれを唯々諾々と受け入れるような生命体ではない。未来の予測に対して、なんらかの調整機能を働かせて、可能な範囲内で、問題を解決してしまう。市場メカニズムがその一例であり、新しいイノベーションを起こす能力を持っていることもその一例である

A君:それでは、もう一つの未来予測を試みた例を検討してみます。それは、「西暦2000年の地球」という本になっています。

B君:「成長の限界」が世界的にヒットしたもので、これをそのまま信じられてはいけないということだったのだろう、1977年に、当時、米国大統領だったカーター氏の指示によって、国務省を中心に13の連邦政府機関が協力して、世界の様々な状況の予測を行った報告書。

A君:人口、南北問題、食糧、水供給、森林減少、砂漠拡大、気候変動について問題提起をしています。報告書の公開が1980年、そして、予測対象年が2000年ということです。
 以下、1980年時での予測値、2000年の実際の数値について、比較を示してみます。

人口:
 1980年予測:63.5億人
 2000年実際:60.0億人

石油:
 1980年予測:オイルピークが1990年に来る
 実際:オイルピークが来たのは2006年のことだった

銅の価格:
 1980年予測:$1.21/ポンド
 2000年実際:$0.85/ポンド

農地の状況:
 1980年予測:砂漠化して30%が失われる
 2000年実際:耕作放棄地が存在するようになった。化学肥料の普及による単収の増加が原因。

環境汚染・公害:
 1980年予測:まだ存在し深刻
 2000年実際:先進国では問題解決
         中国などでは深刻

重金属汚染:
 1980年予測:鉛の公害が深刻
 2000年実際:先進国では問題なし
         中国などではやや問題

オゾン層破壊:
 1980年予測:0.4〜13%の減少
 2000年実際:最大15%の減少

排気ガス:
 1980年予測:SOx、NOxが深刻
 2000年実際:先進国では問題なし
         中国などでは深刻

地球の気候変動:
 1980年予測:深刻になる可能性あり
 2000年実際:深刻になりつつあった


B君:こうしてみると、いくつかの傾向がみられる。公害とか環境汚染・重金属汚染のような国によって状況が違う現象は、対策が取ることができる国では、問題は解決するが、そうでない国では、状況は深刻になる。すなわち、人の命の値段が高い国では、人命は守られるが、そうではない国では、守られない。これも市場メカニズムとも言える。

A君:中国では、なんとか政府が豊かになったもので、北京のような首都では、そろそろ大気汚染の対策が進むでしょう。

B君:中国人もそう思っているらしい。

C先生:北京精華大学の教授と話をすると、大気汚染は政府の高級役人も同じ空気を吸うので、そのうち、良くなるだろう、と言っている。最大の市場原理かもしれない。

A君:銅の資源価格は、予測よりも価格が高くならなかったのですが、それは、リサイクル業が頑張ったからではないですか。これも先進国だと人件費の違いから成立しないリサイクルが国際的に廃棄物の流通が起きて、行われるようになった。

B君:農地が不足するかもしれない、特に、水不足が深刻になって砂漠化するというのは、まだ少々時間的余裕があるかもしれないが、気候変動の影響を考えると、海面上昇も無視できないので、そろそろ危ない。

C先生:水への影響を含めて、気候変動が予想よりもさらに深刻になっていると理解すべきかもしれない。オゾン層の破壊も、予想よりも深刻になった。要するに、地球レベルの環境問題になると、各国が自らの責任であるという意識を持つ状況にはなかなかならない。先進国がそれなりの責任を果たしたということなら、オゾン層破壊に関するモントリオール議定書(1996年)が好例と言える。しかし、これと同じことを気候変動について行うことが果たして可能だろうか。

A君:今年の11月のCOP21で自主的な目標が出始めているし、日本も約束草案の原案ができましたが、まずは、世界全体の削減計画をすべて合算しても、恐らく、2050年に世界の排出量を半減するという目標に到達できるような2030年での数値にならないのではないでしょうか。

B君:先進国は、今世紀後半あたりで現実になってしまうバングラデシュあたりでの海面上昇といった悪影響に対する補償金を支払わないで済ませようと、削減努力をし始めているように見えますが、それでも、最終的には、1850年以降の歴史的な国別累積排出量あたりが責任を定量的に評価する基準になりそうな気がする。

A君:当然、なんらかの方法で、一人当たりの排出量に換算する。そして、それを金銭に換算して、国際的連帯税の形で徴収するということになれば、公平性は担保できると言えるのかもしれない。

C先生:いずれにしても、今後、環境問題の未来を読むには、どうやら国別の被害補償という経済的メカニズムが、どの時点から働き出すか、をしっかり読み切ることが重要。国内の問題で、しかも、人の健康に直接関わるような問題は、その国が経済的にあるレベルになれば、自動的に動き出す。それは、人の命の値段が高くなれば動くと言っても良い。
 しかし、地球レベルの問題で、典型例が気候変動だけれど、人の命に直接的な影響ではなく、例えば、より強力になった台風の影響といった間接的な影響の場合には、被害補償という経済的メカニズムは動きにくい。なぜなら、因果関係が必ずしも単純ではないからだ。
 となると、これは意図的に動かす以外に方法はない。しかし、今回のCOP21でも、恐らく、まだ先進国対途上国といった構図はキープされたままだろうから、意図的に動かすという状況にはならないだろう。