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  中国ギョーザ事件のもたらした影響 03.08.2008
     



 中国の毒ギョーザ事件は、どうも、今後の日本の食に相当な影響を与え続けるような状況になってきた。
 恐らく、中国産の食品は、危険なものだという固定観念が固まるところまで行き着くのではないか。
 加えて、日本における食品の提供のあり方まで変わるのではないだろうか。

C先生:メタミドホス入りの中国産ギョーザ事件は、歴史に残るほどの影響を日本の食に与えるだろう。

A君:食に対する考え方としては、まずは、量が充分に供給されることが重要ですが、その条件を満たせば、次は、本来は味などの品質なのですが、それは別の課題で、多くの場合、安全性が問題にされますね。

B君:それから大きな問題が価格だ。

C先生:まさにその通りで、今回の事件は安全性の視点ばかりで語られているが、価格を含めた議論が必須だと思う。

A君:安全性を売り物にしてきた生協が、信頼を裏切ったという論調が多いですね。やや短絡的ですが。

B君:しかし、その生協の謳い文句が、「より良いモノをより安く」だったというから、これが安全性を売り物にするという事業者とは思えない。

A君:生協は、どうやら3層構造になっていて、今回、問題のギョーザを売っていたのは、日本生活共同組合連合会で最も下に位置する。

B君:最上位の生協である、「生活クラブ生協」への移行者が、今回の事件をきっかけにして増えたとのこと。

A君:「大地」など有機農産物、無添加食品を売り物にしている宅配も、メンバーが増えているらしい。

B君:まあ、これが個人レベルのリスクを下げる食品かどうか、それは大きな疑問だが、今回は、それが主題だとは言いがたい。

C先生:今回の主題は、「より良いモノをより安く」だ。いまやこの標語は非現実的「無いものねだり」だと思うのだ。「より安いものは、よりリスクが多い」方がまあ当然だろう。まず、その議論を少々やってみよう。それから、いささか刺激的かもしれないが、日本の食は安すぎた、ということが言えるのではないか、と直感的にそう思うので、それを検討してみたい。

A君:第一の話題、「より安いものはよりリスクが多い」か、は当たり前すぎて議論にならない。まず、コストが安いものは輸入品だということ。輸入食品は、なんらかのリスクを伴う場合が多い。その最大のリスクは、と言われれば、アフラトキシンでしょうか。

B君:残留農薬ではない、ということだ。

A君:アフラトキシンは、このHPでも何回も出てくる天然物質で、カビが作り出すもの。日本には、どうもこのカビは無いようですが、外国だと、アメリカも、アジアも、ほとんどすべての国でこのカビが生える。アフラトキシン濃度にも当然ながら、規制があって、その中のアフラトキシンB1というもっとも毒性の強い物質について、現在、10ppb(μg/kg)という基準。

B君:このアフラトキシンの規制値は、米国が緩い20ppbという値。世界の多くの国では、総量で4ppb、アフラトキシンB1については、2ppbとなっている。日本は、米国農産物への配慮のせいか、緩い

A君:その安全性評価について、他のカビ毒、総称してマイコトキシンといわれますが、それを含めて、詳しくは、
http://www.jsmm.org/common/jjmm46-1_011.pdf
あたりですか。
 アフラトキシンB1は急性毒性も強く、ケニアでは2004年に中毒が発生し、112名が死亡したとのこと。
 しかし、急性毒性だけでなくて、肝がんの発がん物質として極めて強力

B君:残留農薬や食品添加物のような人工的な物質は危ないという人は多いのだが、輸入食品に関しては、どうも天然毒であるアフラトキシンが最大のリスクファクターかもしれない。しかも、小児がんの原因だと言われるが、慢性毒性に関しては、食べるときに気づくほどの量以下の量でも危険だ。

A君:日本へ輸入される食品からもアフラトキシンはしばしば検出されて、廃棄処分になるものも多いようです。

B君:有名な例だと、ピーナッツ、ピスタチオナッツ、乾燥イチジク、トウモロコシなど。

C先生:トウモロコシは、米国から輸入されるものは、最近は、遺伝子組み換えのものが主力だ。このトウモロコシは、防虫を目的として遺伝子組み換えがされている。もっとも人が食用にするものではなくて、飼料用なのだが、スナックなどにする食料用のトウモロコシにも、遺伝子の交雑が起きないとは限らない。そこで、危険だ、という人も居るのだが、実は、アフラトキシンを産出するカビは、薫蒸されて死んだ昆虫の水分を使って繁殖することが多いとされている。となると、虫の付かない遺伝子組み換えトウモロコシの方が、実は安全なのではないか、という可能性もある。

A君:すべてのものにはトレードオフがある、という見本のようなもの。

B君:農薬を使って、虫を駆除した方が、たとえ若干残留しても、アフラトキシンという観点からみると、安全かもしれないということ。

C先生:要するに、ものごとは簡単ではないのだ。残留農薬は危険、天然物は安全などという○×でモノを考えると、大間違いに陥る危険性が高い。

A君:話が長くなりましたが、ここでの結論は、輸入食品の最大のリスクは、アフラトキシンかもしれない。

B君:日本の食糧は、ソバだって輸入品。アフラトキシンなどの汚染は、香辛料などにもあるから、全く汚染の無い食品を食べようと思えば、国産品を選ぶしかない。

C先生:日本には、アフラトキシンを産出するカビ、アスペルギルス・フラバスは生えないと言われているので、国産品はいまのところ安全。
 しかし、日本でも大分前になるが、黄変米事件というものがあったが、これもカビ毒だった。カビ毒が全く無関係という国ではない。

A君:輸入品には、人工的な毒物である残留農薬や違法の保存剤などのようなものが混入している可能性があるが、それ以外にも、天然の毒物すら可能性が高い。

B君:輸入品は多くの場合、安価。となると、「安価=ハイリスク」、という関係が成立する可能性が高い。すなわち、第一の話題は、イエスでよいだろう。

C先生:となると、輸入することを前提の商品について、何をもってして、「より良いモノをより安く」などということを主張したのか、これが疑問ということになる。

A君:中国の安い人件費を使っていても、管理体制をしっかりすることによって、日本と同等の安全性は確保できる、と言いたかったのではないでしょうか。

B君:それが今回の事件で脆くも虚構であることがバレタ。まず、食品テロ的なことが起こりうることが分かった。これは、日本国内でも無いとは言えないが、防止することが極めて難しい。となると、こんなことが起きる確率が最大の問題。今回の事件で本当の原因が解明されないと、中国の方が確率が高いと思う日本人が多いだろうから、中国産は、危険性が高いという判断を持ち続ける日本人が多くなるということになる。

A君:食品産業というものは、比較的労働集約的な色合いが強いので、中国が有利なのですが、その有利なところをさらに活用しようとすると、大量生産をせざるを得ない。となると、ますます、チェック体制が難しくなる。

C先生:もしも、テロのようなことの影響を回避しようとすると、一つは、大量生産品に対しても全数検査を行うことになって、流石にそうなれば、中国の方が人件費が安いというメリットが消える

A君:むしろ、少数生産で魅力的な商品を作る方が安心ということになる。

B君:となると、「より良いモノをより高く」になる。

C先生:今回、農薬に関するあらゆる状況が全く違うことを日本人すべてが知ったことも大きい。

A君:食品テロで無い場合にしても、残留農薬のレベルが日本とは比べ物にならないことが分かってしまった。メタミドホスのように、日本では使われない農薬がまだまだ使われていることが、その具体的な内容。しかも、それが残留していることも同時に分かってしまった。

C先生:大量生産の既製品となると、農薬を洗い落とせば良いという発想では対処できない。

A君:中国から野菜を輸入する場合であれば、ちゃんと洗えばよいのですけど。

B君:冷凍ギョーザのような完成品では洗うのは無理。

C先生:ということで、大量生産の既製品、例えば、中国製の冷凍食品を買うのは、かなり勇気が居るという状況が続くだろう。これは、日本国内の食品製造事業者にとっては有利だ。

A君:中国からの野菜の輸入量も減ったそうですね。しっかり洗えば、問題は無いのに。

C先生:それは、その通り。しかし、一般的な主婦のメンタリティーは、全く違うようだ。油性の農薬だと、水で洗ってもそう簡単には落ちない。となると、洗剤などを使って洗うことになるが、となると、残留農薬は落ちても、洗剤が残留する。どちらが危険性が高いか分からないというのが、メンタリティーの実態のようだ。まあ、恐るべき誤解なのだが。

A君:日本の農薬だと、さっと水で洗ってで充分だった。イチゴなども、常識的には洗剤で洗った方が安全性は確保できるのだが、まあ水だけが普通でしょうね。

B君:イチゴ狩りだけど、観光イチゴ園で摘み取ってそのまま口へ、という食べ方で被害が出ないとすると、洗わなくても大丈夫ということを証明しているようなものではないか。

A君:HPを調べてみると、残留農薬検査などもしているイチゴ園もあるようですけど。

B君:一方で、鹿沼産のイチゴのように、1年前に残留農薬騒ぎのあった地域もある。今年は、信頼回復のためにトレーサビリティーシステムを導入したようだが。栃木産のイチゴにも残留農薬騒ぎがあった。

C先生:いずれにしても、洗剤が有害というのは、本当は、時代遅れなんだが、世の中全体のゼロリスク思想の中で、まだ生き残ってしまった。ヨーロッパなどでも、水が貴重なところでは、洗剤を使って食器を洗っても、その後のすすぎはしないところもある。ある意味で、洗剤の人体実験もすでに終わっている。

A君:一時期の洗剤のように、分解性も悪くて河川も泡だらけ、といった時代の記憶がなかなか薄れない。一旦思い込むと、それ以外の考え方を受け入れない、という一般的な常識というものを常に更新しないとならないのですが。

C先生:さて、それでは最後に、この日本という国で、「より良いモノを、より安く」ということがどうして成立するのか、それは不思議だ、という話に行こう。すなわち、過去何年間か、日本という国は、食が安すぎたのではないか、という仮説が成立するかどうか。

A君:これだとデータ勝負ですね。まず、どこからデータがあるか分かりませんが、できるだけ多くのデータを収集してみますか。

B君:(1)世界の穀物などの価格の推移、(2)円とドルの為替レートの変遷、(3)日本のGDPの推移、このぐらいは最低でも必要。

A君:(1)世界の穀物に関するデータとなれば、FAOですか。
まずは価格ですが、Food Price Index というものをFAOは作っているようですね。ただ、1982年からしかデータがみつかりませんが。

C先生:それ以前のデータというよりも、常識的な話だと思って欲しいのだが、1950年から1996年までの50年弱の期間で、世界の食糧生産は3倍になったという事実がある。人口は当然のことながら、3倍にはなっていない。1950年が25億人、1996年で60億弱ぐらい。この時代までは、食糧供給事情は、改善されている。

B君:それ以後、食肉への需要は中国などで増えている。また、食糧の増産のペースもやや落ちている。

A君:(2)のデータは、有ります。(3)のGDPは、これまでも何回か、出しています。



図1 FAOのFood Price Index 食品の価格は、かなり落ち着いていたが、2007年に暴騰を始めた。

A君:このように、食糧の価格は、まずまず落ち着いていて、1982年から2005年までは、25%アップ程度で収まっている。

B君:これは、世界価格だから、まあドルで表現されていると思えばよい。国内価格を見るには、為替レートが必要になる。



図2 円−ドルの為替レート

B君:この図から見ると、1982年ごろには、大体220〜230円/ドルと判断すればよいのではないか。それが、2005年だと120円。ほぼ半分。

A君:この間に、日本はGDPを増加させて、購買力を増やしています。そのためには、GDP(PPP)の推移を見ないと。



図3 日本の一人当たりGDP(PPP)

A君:この図からみると、1982年ごろの17000ドルぐらいから、27000ドルぐらいまで上昇しています。

B君:ということは、非常に簡単に考えれば、食料の価格は、1982から2005年までに、

  1.25*120/225*17000/27000=0.42

 と相対的に半額以下になっている。

C先生:1960年ごろを基準とすると、日本のGDP(PPP)が5000ドルぐらい、為替レートは360円。すなわち、購買力は2005年比で0.062ぐらいしかなかった。食品の価格は多少安かったとしても、それほど大きくは変わっていないとするなら、2005年時点での食料品の相対的価格は、1960年の0.1以下であることは確実だろう。

A君:1960年比で、2005年の食料品の相対的価格は0.1以下。1982年比でも0.4ぐらい。すなわち、日本という国では、食品の価格は、相当低く保たれてきた。

B君:もっとも二つぐらいの要素を考えなければならない。その一つが、2007年の食品の値上がり、もう一つが、日本の格差社会

A君:バイオエタノール騒ぎなどの影響で、トウモロコシの価格が上昇、石油価格の上昇で輸送費が急騰、そのため、日本での飼料の価格が上がった。

B君:本日の読売新聞には、JAが意見広告を出している。「日本産の畜産製品が食べられなくなる」、と言うもの。

A君:価格を上げるけど、こういう訳だから、という広告ですね。

B君:日本の場合、価格転嫁が難しいという状況が続いてきた。化学品は比較的旨く価格転嫁をしたものだから、化学業界は景気がまずまずだった。ところが、運輸業が最悪で、小売も価格転嫁が難しいと事業者側が勝手に考えている業界だ。業界の特徴としては、競争が激しいこと。そして、すぐ体力勝負になって、弱いところは潰れる。安いモノを提供しないと潰れる、と思い勝ち。

A君:食品業界もそんな傾向があって、そこで、「より良いモノを、より安く」などという標語が意味を持っていた。

C先生:これからは、「より安全なものは高くなります」(より良いものは、高く売ります)「国産品は、安全性を付加価値にします」、といったことがより明瞭になるのだろう。現時点の食品価格は、所得格差を考慮すべきという点はあるものの、1960年ごろに比べれば、非常に安かった。しかし、現時点では、レストランでは5000円を平気で投資する人が、スーパーだと1円でも安いものも買おうとするというメンタリティーは変える必要がある。
 最近、死語になった言葉に「エンゲル係数」があるが、1950年代には、エンゲル係数が50といった家庭が普通だった。そこから這い上がった日本であることを知っていると、食品と価格との関係、食品と調理との関係などが、やや昔に戻るだけなのだが、抵抗感が強い人も多いことだろう。しかし、繰り返しになるが、これまでのように、食の安全性だけを議論できる時代は終わりを告げつつある。供給量と価格が限界を徐々に迎えつつあるからだ