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    エネルギーと気候変動の大局観 
  08.03.2014
            エネルギーに関する書評と考察のまとめ


 8月2日土曜日の朝日新聞の論説「ザ・コラム」は、「気候工学」を取り上げています。著者は編集委員の有田哲文氏。

 「気候工学」は、温室効果ガスの大気中への放出を抑えるという発想では対処することが不可能、特に、化石燃料の消費を抑えることは、経済的な縮小を招く、という発想から、なんらかの人工的な方法によって、温室効果をキャンセルするような効果を実現することを狙っているものです。

 例えば、エアロゾルを大気中に放出して、人工的に太陽光の散乱を増やすことによって、太陽エネルギーが地球に到達する量を減らすという発想です。

 実現は不可能ではないですが、まあ、がん末期に使用する鎮痛剤のようなものですから、一度服用すれば、それで長期間効果があるというものではなく、一定期間後に、再度行う必要があります。すなわち、地球を薬物依存症にするようなことでもあります。

 また、中国におけるPM2.5を人工的に増やすようなものですから、必ず副作用があります。天文台や天文写真を撮影する人にとっては、大気の透明度が勝負ですから、恐らく、大反対でしょう。

 この論説の最後には、面白い表現があります。以下、多少モディファイしつつ引用します。


 まず、これまで「気候工学」が日陰者だったのは、「みんなの気持ちが緩んでしまうから」と科学者が警戒したからだという。「技術で解決できるなら、CO2削減などしなくてもいいじゃないか」と。たしかに人類はやすきに流れる存在だ。

 しかし、別の反応が広がることは考えられないか。「こんな恐ろしいことを考えなければならないほど、やっぱり温暖化はやばいのか」、と思う人が増えることはないのか。

 米国では、今でも、温暖化を疑う人が多い。気候工学を前に、彼らはこう言うのではないか。「温暖化はやっぱり本当なんだ」。となると、もしかしたら、気候工学を応援したほうがいいのか? がんばれと。冗談ではなく。 
 引用終了。

 この文章を読んだときの最初の感想は、「米国だけではない。最近、日本も同様で、温暖化を疑う人々が増えている」。

 日本で未だに温暖化懐疑論を唱えている人の主張の中身は二種類あるようで、一つは、昔ながらの「経済−環境相反論」。すなわち、環境を考えることは、経済の発展を阻害するという考え方。この辺りは、日本経済の発展の根源に、厳しい環境排出規制があったという歴史的な視点がない。また、プリウスが売れた本当の理由は、確かにガソリン代の節約が本音だったかもしれないけれど、環境にも配慮しているというスタンスを見せるという効果も無いわけではなかった、といったことを無視している。

 もう一つの立場は、原発の有する優位性の一つに、温室効果ガスの発生を抑制する点があるけれど、これを言われたくないから。本来、あらゆることには、リスクとベネフィットが共存しているのだから、すべてを比較して決定すべき、という原理原則が受け入れられない人々の寄って立つ一つが温暖化懐疑論になっているのでしょう。

 新聞で「気候工学」という言葉がこれほど長く説明されているのを、初めて見たような気がします。今回の「ザ・コラム」の著者は、どのような「裏の本音」と、「今世紀をカバーするような大局観」をもって、この記事を書いたのだろうか、と疑問になりました。

 個人的な感覚としては、「気候工学」は最後の最後にある手段で、それ以前に、CCSを実用化することが不可欠。さらに、それ以前に、やはり炭素税を考えるべきなのではないか。そして、先進国の炭素税の用途の一つとして、国際援助の大部分を、気候変動対策に関係のあるものに変えるべきではないか、と思っています。

 などと昨日の夜まで書いて、日曜日の朝、日経新聞を見たら、CCSの解説と苫小牧での実験の様子が掲載されていました。

 そこで気になったのが、CCSのコストと排出権の価格との比較がなされていること。現時点のように、世界のほとんどの国が排出の上限を定めていない状態での排出権の価格が、比較の対象になるようなものなのだろうか。日経はやはり経済最優先なのか、という感想を持たざるをえない状況でした。

 日本政府がCCSに前向きでない理由推測すると、(1)世界全体の枠組みができない状態で、推進する理由がないこと。さらに、(2)日本の国土の条件はCCSにも適していないこと。そして、(3)もっとも重要なことは、途上国のエネルギー効率の向上を支援すべきこと、と思われるのですが、上記三点は、正しいと考えています。

 ということで、今世紀の世界全体を検討の対象にして、できるだけ大局観をもって、エネルギー供給と気候変動の姿を記述してみたいと思います。


C先生:気候工学について、長々と序文を書いてしまったが、そう簡単な話ではない。それこそ、どんなリスクがあるのか、その全貌が明らかになるまでは、使うべきではない方法論のように思える。科学の不確実性が残っているところは、巨大システム系であるということを主張しているが、その一つに、「地球」がある。かなり分かるようなり、それなりの予測も可能にはなったけれど、だからといって、そのすべてが分かっているというものでもない。

A君:さて、今回のキーワードである大局観ですが、そもそも大局観とはなんですかね。ちょっと調べると、もともと、将棋や囲碁などのボードゲームで、的確な形勢判断を行う能力のこと、というのが起源のようですね。

B君:大局観の英語を何にするか。辞書によれば、どうもPerspectiveが多い。その他に、broad viewpoint とか、long term visionとかのようだ。

A君:もともとボードゲームということですが、ということは、チェスでも使うのでしょうか。

B君:chess.comというサイトに、A Player's Perspectiveという記事を連載している人が居るようだから、多分、使うのだろう。

A君:Broad viewpointというからには、視点の広さが重要。そして、Long term visionというから長期的視点が重要。

B君:空間的、時間的、双方の広がりを持つこと。

A君:その極限が、ある絶対的真理を示すことでもあると思うのですが。
 例えば、IPCCのAR5 WG1での図でどれがもっとも重要か、という我々の見解は、
http://www.yasuienv.net/AR5IPCC.htm
ですでに述べていますが、再度掲載すれば、この図です。


図1:1870年からのCO2累積排出排出量と温度上昇はある決まった関係がある。

B君:前回の記事を書いたときの図の読み方は、そこに書かれたRCP2.6、4.5、6.0、8.5のプロットに囚われ過ぎていたように思う。

A君:たしかに、キチンと読めば、この図は、時間という観点を乗り越えていて、ここ数100年間であれば、絶対的な限界が示されています。

B君:人間活動ですでに出したCO2の量が500GtC。その内訳を考えれば、1兆バレルの石油を燃やしたので、それで出たCO2の量は、110GtC。残りの390Gtは、恐らく、石炭を燃やしたために出たCO2。

A君:今後、気候変動が破壊的にならないことを考慮すれば、今後出せる量は、最大でも600GtCぐらい。すなわち、これまで使った化石燃料の量と余り変わらないぐらいしかない。

B君:石油で言えば、1.2兆トンぐらい。CO2で、130GtCぐらいになって、残りを、天然ガスとCCSをある割合で付けた石炭で分け合う。どのぐらいの年数かを予測すれば、まあ、40年程度。

A君:ということは、今の調子で使用量を増やしてしまえば、2050年以降に排出できる量はゼロになる。となれば、石油も、天然ガス、石炭も相当余った状況で、二酸化炭素限界を迎える。

B君:もしも、2.5℃上昇を超えて3℃上昇でも良いのなら、まだ1000GtCぐらいの排出が可能。

A君:それでも今の排出傾向を続けていた2100年過ぎには、この限界値を超しますね。

B君:図1の意味をこのように解釈することができるということは、これまでのような長期的な時間の流れを見れば、何か新しいものが見えてくるという意味でのPerspectiveではなくて、絶対的真理を提示することが、本来の意味でのPerspectiveを提供するということなのかもしれない、ということか。

C先生:AR5の説明をしたときにも、A君はそんなことを言っていたのではないか。

A君:これですか。
『目の前に美味しい食事があるのに、自分の成人病を考えるとカロリー制限をしなければならない。このような人は多いと思うけれど、人類にとって今の状況は、と言えば、美味しいエネルギーが目の前にあるけれど、地球の体温を考えると、使用制限をしなければならない』。
 でも、これが絶対的な真理を示しているという感覚は余り無かったですね。

C先生:もう一つ。この話は、2回ほど前にやっているが。
http://www.yasuienv.net/EnergyHuman.htm
なぜ、人類はエネルギーを使いたがるのか、ということを分析すると、その第一の目的が、良い食料を得るため、ということになるのだ。人類は、それをなんとか実現してしまった結果として、人口の増加と所得格差、より具体的には、良い食料を得る人と得ることができない人という不平等を招いた。

B君:それが、AR5のWG3にも似たような図が出てくる。もっとも、1971年からの分析なので、それほど大局的とは言えないが。


IPCC AR5のWG3 SPMより。
図2:CO2の放出がどのような結果につながったかを分析。


A君:方法論はよく分からないですが、なかなかおもしろい分析ですね。人口増加と一人あたりのGDPの増加のために主としてエネルギーは使われている。その定量的な解析が可能であることを示した。

B君:この図を出すのに重要なのは、単位量のGDPを創出するために必要なエネルギー原単位を解析することだったのだろう。その結果が、オレンジ色の部分。

A君:となると、現時点で、まだまだ途上国が存在しているために、一人あたりのエネルギー消費量は増える。

B君:それはそうだ。しかし、CO2の限界はもはや近い。しかも、どうやって三種類しかない一次エネルギーを活用してエネルギーを得るのか。

A君:高知工科大学の講義で、三種類の一次エネルギーに、形容詞を付けていましたね。

C先生:最近、形容詞がより現実味を帯びてきたが、そのときにはこんな表現になっていた。

★化石燃料=地球の破壊者
★原子力=危険人物
★自然エネルギー=気まぐれ者

表1:三種類の一次エネルギーの形容詞

C先生:しかし、最近は、もっと表現が変わっている。

★化石燃料=地球を破壊する悪魔
★原子力=暴力的危険人物
★自然エネルギー=気まぐれな浪費家

表2:三種類の一次エネルギーの形容詞の拡張版

A君:化石燃料が「地球を破壊する悪魔」というのは正確な表現ですが、「見かけは普通の人間のように見える」、という表現を加えたいですね。

B君:原子力が「暴力的危険人物」だということだが、これにも形容詞を付けるとしたら、「一見魅力的、実は」という表現が必要なのでは。

A君:それなら、自然エネルギーの「気まぐれな浪費家」の前の形容詞として、「善人ぶっているが、本性は」を付けましょう。

化石燃料=見かけは普通の人間のように見えるが、実は、地球を破壊する悪魔
原子力=一見、魅力的な人物だが、本性を見せると暴力的危険人物
自然エネルギー=いかにも善人を装うが、実は、気まぐれな浪費家


表3:三種類の一次エネルギーの形容詞、最終版

C先生:こんな三悪人を使っている人類が気の毒になってきたので、人格を変えることができる方法論を別途準備しよう。

A君:人格を変えるのは、通常、極めて難しいですが、この場合にも結構難しいですね。

B君:まずは、化石燃料は、やはりCCSという解毒剤はあるだけれど、その解毒されたときにでる毒=CO2は、どこかにしまわなければならない。最善の処理は、天然ガスや石油を取り出した後の空きスペースに埋めることなのだけれど、これが日本のように、天然ガス、石油を生産しない国では、適地が無いので、実施が難しい。

A君:原子力は、徹底的なリスク管理という方法になるのですが、これには、極めて優れた管理者が存在していることが条件。すなわち、ヒューマンファクターが大きく効いてくる。さらに、廃棄物の処理が大変で、これを後述の「定常状態」を作るという考え方に基いて行えば、やはり、深海海底処分にならざるを得ない。

B君:やはり、古い原発を動かすよりは、新しい世代、例えば、第4世代への進化を進める方が、よりリスクが減ることは確実。

A君:しかし、それを一般則として認めてしまうと、日本の場合には、原発への依存度を下げるという基本方針との整合性を取る必要が生じますね。それ以外にも、難しい問題が多数残りそうに思いますが。

B君:核燃料サイクルをどうするか。これも真剣に議論をしなければならない。これも特に日本の場合は。

A君:そうですね。加えて、長寿命の核種を変換するために、廃棄物処理用の高速炉を作らなければならない可能も残っているように思いますね。運転を止めたとしても、なにもかもすぐにゼロになることは不可能で、これは、廃炉をどう進めるかということを考えても現実的ではないことが分かるはずです。

B君:どこの国でも直面するのは、橘川先生の言われるリアルでポジティブな原発のたたみ方か。

A君:何か、事業を始めたとしても、そのもっとも難しいところが、たたみ方ですが、原発の場合には、何をやっても超長期間を要するので、さらに難しい。

B君:自然エネルギーは、比較的気まぐれ度の低い人物に活躍の場を与えるということが方法論になるはずだったのだが、どういう訳か、もっとも気まぐれ度の高い太陽電池君と風車君がでしゃばっている。やはり、日本の場合には、特に、風車君用の風が気まぐれなので、地熱君、海洋エネルギー君などのような気まぐれ度の低い人物を選択しないと。

A君:しかし、彼らは一部の事業者から評判が良くない。例えば、温泉旅館や漁協などから。

B君:日本の漁業も漁獲しすぎなので、徐々に、漁民の数を減らすことが必要になるかもしれない。そのとき、自然エネルギーの株式を漁協に持たせるといったことで、なんとか実現ができるかもしれない。

A君:こちらも難題ばかり。しかし、こちらには、FITという解決法が正当に、かつ、健全に使用されれば、何か若干の可能性はあるように思います。しかし、太陽電池のFITへ申請だけして、権利を確保し、それを売却するといった事業者が、FITに暗い影を付けてしまったので、果たしてどうなるでしょうか。最初から、売却は許可しない、また、申請後、1年以内に完成させるといった条件を付けておくべきだった。

B君:想定以上に事業者は強欲だという状況が現実に起きると、自然エネルギーは上手くいかない。

A君:しかし、単に、輸入代金が増えてしまう化石燃料に比べれば、日本国内で主としてお金が回り、国産エネルギーが増加するということの有利さを考えれば、できるだけ、自然エネルギーに投資を振り向けることが、長期的な戦略として必須なのではないですか。

B君:その通り。そのためには、国産技術を磨く必要がある。太陽電池は、中国製に完全に価格で負けたが、中国製が本当に寿命まで考慮したときに良いのか。特に、業務用だとFITが20年有効だけど、途中で劣化が起きてしまうと、再投資が必要になってしまう。しかも、その廃棄物処理が結構大変。

A君:風力発電に使う超大型のベアリングなどは、日本製が使われている。また、あの長い羽も、カーボンファイバー強化なので、日本の技術が使用されている。

B君:地熱用のタービンも日本製が優れていると聞いている。となると、自然エネルギーの優位性を確保し続けることが重要のように思える。

A君:自然エネルギーはそれだけではなくて、地域のエネルギーという性格を持つので、国内の雇用の確保などにも有効。特に、北海道と東北の地場産業としては、自然エネルギーによる発電を考慮しなければならない時代になるのではないですか。

B君:2100年ぐらいには、日本人の人口も、何も対策を打たなければ4500万ぐらいまで減少していると思うが、そのとき、日本のそれぞれの地域が、何で生きているのか。そのシナリオが必要不可欠。

C先生:さて、3人の一次エネルギーの人格を変えるのも、なかなか難しいことが分かった。しかし、やるしかないのも事実ということで、次の検討事項に入ろう。
 それは、第四のエネルギー源とでも言える「省エネ」、そして、第五のエネルギー源とでも言える、「ライフスタイル」。この「省エネ」、「ライフスタイル」は、地理的な有利・不利が無いので、日本のような国にとっては、極めて重要な課題だ。

A君:省エネのマインドに関しては、やはり日本が世界で一番。よくヨーロッパは立派という人もいるけれど、ドイツの一部が立派とも言えなくもないけれど、車の燃費でみれば、むしろ大型車を好むドイツよりも、イタリア・フランスの方がまし。

B君:ただし、家屋の断熱については、ヨーロッパはなかなか立派。ただし、日本のように蒸し暑い気候のところと違って、寒い冬の省エネを実現するのがもっとも重要なヨーロッパなので、断熱の基準が厳しい。

A君:ダメな国だったアメリカも、最近は多少考え始めているらしい。かつて、家庭用のエアコンも昔のものは、ON-OFF制御のひどいものだった。インバーター・エアコンの普及では、中国の遥か後ろを走る世界でもっとも遅れた国だった。

B君:ダイキンのサイトにこんな絵があった。2012年で、北米のインバーター普及率はまだ11%。中国が55%もあるというのに。


http://www.daikin.co.jp/csr/information/lecture/act01.html

図3 インバーターエアコンの普及率

A君:家庭用電気機器や自動車よりも、生産技術などの省エネが日本の誇るところ。次の図は、日本の製造技術を世界にすべて普及すれば、世界のCO2発生量を2050年までに半分にすることができる、というもの。

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/sangyougijutsu/pdf/001_05_00.pdf

図4 日本が強みを有する技術による貢献分などで、合計、420億トンの削減が可能。もしも、これが実現できれば、2050年の想定される排出量570億トンを現時点から半減するという目標値である約150億トンの達成が可能。

B君:この図を見ても分かるように、最大の貢献は、自動車の74億トン。より具体的には、ハイブリッド車の普及によるもの。ところが、途上国では、ハイブリッド車は高いので、なかなか普及しない。そこで、VWなどは、エンジンのダウンサイジングと過給技術で10%ぐらいの省エネ車という売り込みで途上国の市場を取ろうとしている。次がCCSの71億トン。そして、原子力の32億トン

A君:製鉄のエネルギー効率も、日本ができることをすべてやっているのに対して、世界、特にロシアなどは、ほとんど省エネ対策を採用していない。理由はエネルギー自給ができるから。もしも日本の省エネ技術が採用されれば、世界全体で16億トンもの排出削減になって、日本の現状の排出量である13.5億トンを超える削減量になる。

B君:これが、日本が二国間オフセット・クレジット制度JCM=Joint Crediting Mechanism)を普及させようとしている理由。なんといっても、CO2の場合には、世界のどこかで削減すれば良いことなので、この仕組は重要なのだけれど、果たして、EUのように、国に削減目標を設定して、排出権取引の市場に巻き込もうとしているところが、この仕組を認めるかどうか。

A君:現時点で、11ヶ国が二国間文書に署名済み。モンゴル、バングラデシュ、エチオピア、ケニア、モルディブ、ベトナム、ラオス、インドネシア、コスタリカ、パラオ、カンボジア。今後、この国を16ヶ国まで増やす予定。

B君:まず最初の難関は、これらの国に技術移転をしたとして、実際に、それによって、排出量が減ったということを証明することができるかどうか。これをMRVと呼ぶけれど、これが重要。もっとも簡単なことが、石炭火力発電所の変わりに、高効率なコンバインドサイクルを使った石炭火力にすること。一方、難しいことが、高効率のエアコンを普及させたとして、それによってどれほど削減できたと見做すか、といったこと。

A君:MRVは、Measurement, Reporting and Verificationのこと。

B君:今後、交渉して参加を求める国の候補としては、
 カザフスタン、ジブチ、モザンビーク、南アフリカ、タイ、ミヤンマー、インド、マレーシア、フィリピン、メキシコ、といったところだと思う。

C先生:このJCMは、世界を救うメカニズムだと思う。このJCMがもしも次のCOP21で認められなかったら、それこそ、地球は破綻の道を突き進むことになるのではないだろうか。
 EUなどの諸国は、例えば、自然エネルギーのアフリカでの普及といった方法で、生活の改善と温室効果ガスの排出削減、同時に、アフリカの出生率を下げるという面でも貢献すべきだと考えている。
 さて、それでは最後に第五のエネルギー源であるライフスタイル

A君:ライフスタイルの件も極めて重要で、そもそもなぜエネルギーを使うのか、という根本的議論をもっと行うべきだということです。

B君:これまでの結論では、エネルギーを使う最初の目標は、良い食物を得るためだった。そして、輸送などを楽に、そして、快適性・利便性だった。まあ一言で言えば、ヒトの欲望を満足するため。それなりに重要ではあるのだけれど、どこかに限界がありそうに思う。

A君:欲望というものをどこまで満たしたいと思うか。それは個人の価値観によって違いますね。北野大さん(たけしの兄さん)の講演には、「足るを知る」が出てくることが多い。

B君:ベントレーとかマセラティとか言った車に乗っている人の気が知れない。いかにも成金という車なんで、「成金」以外に自慢できることが無い人間だということを、周辺に、余りにも的確に示しているような気がするのだ。

A君:なんとなく、反論が来そうな気もする。少なくとも、米国人からは。彼らにとって、人生最大の目的は、成金になることなので。

B君:他の国だと成功者が必ずしもイコール成金ではないのだけどね。

A君:我々の考え方は、人生は、満足感を得ることをゴールとして設定するのは当たり前。満足感は、様々な価値観によって違うから、決して、満足感=成金ではない。地球に負荷を掛けない生き方で満足感を得ることができる人は、多大な負荷を掛けないと満足感を得ることができない人よりは、高尚な人なのではないか。まあ、要するに、「足るを知る」的発想。

B君:それで、環境省の審議会で、次のような式を提案して、採用された。



図5 同じ満足感をできるだけ少ないサービス量で得るライフスタイルが必要

A君:地球の限界のような知識と感覚を持てば、少ないサービス量で得られる満足感はより大きいということが理解できるようになる。

B君:要するに、地球に関する知識を得た人の方が、より大きな満足感を得ることができるようになるということだ。

A君:すなわち、これまでは、物量を消費することによって、満足感を得るという成金型だった。これを改善して、物量を消費しないで、満足感を得るという方向に変えよう、ということ。

C先生:最近では、多少、このような考え方が一般的になった。そこで、我々はさらに先に行かなければならない。ということで、最近、主張していることは、(1)すでに、持続可能性という言葉が古くなったのではないか。(2)それに変わる目標が「定常状態の実現」なのではないか。この2つ。

A君:持続可能性という言葉は、1987年にブルントラント委員会が発行した「Our Common Future」の中で、使われました。その意味は、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」とされていますが、これが実現可能であることは証明されていないのです。

B君:それは当然で、枯渇性の資源である石油・石炭・天然ガスを遠い未来世代が使える訳はない。枯渇性の資源が無くなった後でも、その時代に存在している世代のニーズを満たすには、人間の能力を開発しなければならない、という意味に過ぎない。だから、「持続可能な開発」のように、「開発」という言葉が入っている。

A君:開発を英語にすると、Developmentなのですが、主として、人間の能力開発を意味すると理解されています。資源開発をいくらやっても、地球は有限ですが、人間の能力は無限だから、将来もなんとかなる、という解釈が正しいと思います。

B君:「開発」は、このように、先進国にとってのみ、都合のよい言葉だと途上国からは非難を受けてきた。

A君:20世紀は、将来の地球の気候を決めてしまう世紀だとしても、途上国に対して、「持続可能な地球を」などといった実現不可能な理念で語るのは間違い

C先生:これが現実だと思うのだけれど、環境省をはじめとして、いまだに「持続可能な社会を作る」といったことを標語にしている。その実現には、枯渇性の資源の使用を回避することが不可欠なのに、まだ、それを言い出すには早いと考えているのだろうと思う。

B君:結局のところ、気候変動限界が厳しくて、CCSを付けない化石燃料の使用はどうせ不可能になるのだから、できるだけ速やかに自然エネルギーに切り替える、というのが正しい。特に、資源の無い途上国に対しての支援としては、自然エネルギーの活用以外に方法はない。

A君:化石燃料の見切りが必要ということです。しかしすぐには無理。なぜなら、ここで述べてきたように、三種類の一次エネルギーは、揃ってその人格が異常だから。しかし、超長期の目標として、「ほぼ自然エネルギーのみに依存した地球」を掲げることが必要な時期になった。

B君:達成される時期としては、まあ、100年後。もしも、国際交渉が上手くいかなければ、200年後かもしれない。

A君:とりあえず、100年後には、そうなるとして、どのような社会を作るのか、その定義をすれば、それは、「定常状態」の実現になります。「定常状態」とは、物理的には、(1)エネルギーの出入りの量が等しいこと。(2)物質の出入りの量も等しいこと。という2つの条件を満たす状態ですが、地球をこれに当てはめると、自然エネルギー以外の化石燃料と原子力をエネルギーを使うと、地球上でエネルギーが発生してしまうので、(1)の条件を満たさない。(2)について言えば、物質も元素レベルでは、惑星である地球は、もともと(2)の条件を満たしているのですが、物質の状態を「質」で評価すると、物質を何かに使用すると劣化したりしてゴミになる。すなわち、物質のエントロピーが増大してしまうので、エネルギーを使って、それを元に戻す必要がある。使うエネルギーは、当然、自然エネルギーのみという条件になる。

B君:原発も使用済核燃料廃棄物がでるので、やはりエントロピーの増大を免れない。しかし、(3)もしも廃棄物の処理を地球の能力の範囲内に抑えることができれば良し、という条件を導入して、擬似的定常状態と定義を拡大することも可能ではある。

A君:(1)、(2)、(3)の条件に加えて、(4)再生可能な資源は、再生量の範囲内で使用する、という条件を加えて、1971年にHerman Dalyが言い出したこと。本としては、1973年の"Toward a Steady-State Economy"。

B君:今年、旭硝子財団のBlue Planet賞を受賞するようだ。

A君:Herman Dalyの条件を実現するのは、理論的には比較的簡単で、すでに述べたように、自然エネルギーだけの地球社会を作ればほぼ完成

C先生:ということで、我々は、「ほぼ自然エネルギーだけの2100年」を目標として掲げることにした。これが最初に出てくるのが、
http://www.yasuienv.net/KoizumiZero.htm
だった。小泉元首相の「原発即時ゼロ」は実現不可能。誰かがアイディアを出すから大丈夫、という主張は無責任であることを指摘したときのものだ。

A君:さて、この標語にあった2100年までの3種類の一次エネルギーの推移を予想してみましょうか。

B君:仮定として、温室効果ガスの排出規制が、まあまあ進行し始めて、2100年における一人あたりの許容排出量が、全くのゼロではなくて、10%程度は残されている。

A君:何が難しいのか、と言えば、それは移動体のエネルギーの供給。特に、自動車というものが2100年には、まだ存在しているだろうと思わざるを得ないですね。となると、通常、電気で走っているのですが、電気の供給が無いところに行くためには、若干の液体燃料なり圧縮した気体燃料を搭載しているのではないか。飛行機は、電気で飛ぶとは考えられないので、やはり、液体燃料を搭載しているのではないか。

B君:したがって、先進国、途上国の区別なく、CO2排出量の約10%程度は許容することが必須なのではないか、ということで、排出権が残されている。

A君:このために、バイオ燃料があるか。特に、藻類から作成した液体燃料が使えるのではないか、という議論はあり得るのですが、10%ぐらいだったら、化石燃料でも良いのではないか。というのは、中東や中央アジアなどの国々の経済の状況が、まだ、化石燃料依存型を抜け出せないという状況に対応するため、という理由が大きいかもしれないのですが。

B君:地球よりも、人間というのが、やはり現実的だということだ。イスラム圏の経済的な発展は、現状のイスラム教国内の対立の状況を見ると、どうしても遅れそうな気がするので。

A君:次は原子力ですが、これも、2100年でも残っていると思うのです。それは、超長寿命の放射性核種の処理用。要するに、それを短寿命核種に変換するのに、高速中性子を応用した技術が使われている。当然、若干の熱エネルギーが出るので、発電用などに使われている。割合としては、エネルギー全体の5%ぐらいでは。

B君:一時期、日本でも廃棄物の処理がかなり重要視された。まあ、2000年以降の話。それと似た状況が起きるのだけれど、産業廃棄物の場合と違って、一気にやるという訳には行かないので、毎年、一定量がじっくりと処理されているといことか。

A君:まあ、そういうこと。結論的には、エネルギー使用量の10%ぐらいの化石燃料が、化石燃料生産国の経済のために残っている。5%ぐらいの核廃棄物の処理に伴う核技術の副産物として、熱エネルギーが発電に使われている。

B君:なぜゼロにできないの、と言われると、そうだなあ、早く処理するには、大量の処理用の施設が必要になるから、とでも答える以外にない。

A君:しかし、本当の話、この技術の中身が良く分かっていないというのも事実なので、なんとも言えないから、5%を仮定している、というのが正直なところではないでしょうか。


図6 「ほぼ自然エネルギーだけの2100年」が標語ではあるが、現実には、この程度の他の一次エネルギーが使われているのではないか。これは、一人あたりのエネルギー消費量で比較した図。対象は、世界。


C先生:まあ、数値の正確さは余り意味が無いので、良いとしよう。いずれにしても、3種類の一次エネルギーの人格が余りにも色々なので、なかなかゼロにはできない。というのが正しい理解なのではないだろうか。すなわち、自然エネルギー100%というのは、難しいことだから。

A君:3種の一次エネルギーのどれかを止めるのは、相当な覚悟が必要。別の言葉で言えば、止めることを前提として、万全の準備をしない限り、人類は、3種類の一次エネルギーを使い続けてしまう。

B君:まあ、そんなものだろう。化石燃料は300年。原発は70年。水力以外の自然エネルギーを大量に使い始めたのは、ここ10年程度。しかも、これ以外に無い。特に、自然エネルギーは、分類し始めると、余りにも多種多様の性格なので、フルに使う技術がまだ見えてこない。現在の方法が最善のものであるということも無さそうに思える。

C先生:まあ、そんなことだろう。自然エネルギーの利用技術が未完成なだけでなくて、その社会的な受容ということがきっちりと起きなければならないのだけれど、そのための努力もまだ本格的に行われていない。だから、すべてを自然エネルギーにするには、解決すべき問題が余りにも多い。

A君:太陽電池のFITへの事業者の対応なども、これほど貪欲な連中ばかりだということがやっと分かったという段階なので。

B君:Softbankのメガソーラなどをじっくりと観察していれば、もう少々、推測できたかもしれないが。

C先生:ということで、いくらなんでも終わりにしよう。「ほぼ自然エネルギーだけの2100年」を実現することを合意し、そのゴールへのロードマップをしっかりと書き、その合意を目指すといったことから始めないと、現在の問題の解決へは、何回も何回も回り道を歩かざるを得ないような気がする。
 3種類しかない一次エネルギーのどれかをすぐにゼロにすべきという主張は、何回も述べてきたように、使える一次エネルギーを2種類にするということなので、まず実現できないのだけれど、このことすら合意するのが難しい。それには、エネルギーと気候変動に対して、科学的に正しい大局観を持つ人が増えないと、やはり、難しいのだろう。科学的に正しい大局観とは何なのか、この議論にすべての人が参加することが第一段階のように思う。しかし、日本の現状では、なかなか難しい。