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  最近よく受ける質問に答える 
  10.02.2011
            その1



 このところ、講演を行うと、当然のことではあるが、質問がある。しかし、会場によっては無いことも多い。大会場で質問をして貰うと、自分の意見を述べるために質問をしているとしか思えない高齢者に出会うことが多く、がっかりすることも多い。

 さて、質問を貰えることは、次の機会に何をどうのようにコミュニケーションをしたらよいのか、という考察のために極めて有用であるので、できるだけ質問をできるような雰囲気での講演ができると嬉しい。狭い会場で、25人ぐらいまでの聴衆が理想的。

 いずれにしても、今回は、いくつかの質問に対してどのように答えているのか、その一部をご紹介したい。


T.気候変動・地球温暖化

質問1:太陽光発電のように、地球外から来ているエネルギーを電力にして使うと、その電力が最終的には熱になって、地球温暖化を加速することになるのではないか。

回答:心配ありません。太陽光発電に使っている太陽エネルギーは、もしも太陽光発電などに使われなければ、地面を温めるために使われるだけです。地表付近で、太陽のエネルギー、光あるいは熱ですが、これをどのような形で活用しても、温暖化を加速することはありません。

追加質問:宇宙発電というものがあるそうです。宇宙空間に太陽電池を打ち上げ、それで太陽光を受けて発電し、電力をマイクロ波で地表に送ることによって電力網に加えるようです。これは地球温暖化の加速になりますね。

回答:宇宙発電の場合、打ち上げる太陽電池の高度によるのでは。準静止衛星のような高度3万6千kmといった高度であれば、宇宙の彼方に消える太陽光を受けて発電していることになるので、地球温暖化の加速になりそうです。


質問2:今後の世界レベルでの排出規制の枠組みはどうなりそうですか。

回答:難しくてよく分かりません。

 日本は京都議定書の延長を拒否する予定のようですが、途上国は先進国の責任の一つとして京都議定書の延長を求めており、また、EUは、折角作った排出量取引制度が1年でもブランクがあると消滅する危機に直面するために、京都議定書の単純延長を狙っています。

 単純延長に反対しているのは、カナダ、ロシアなどに限られていますが、日本の主張は極めて正当で、米国、中国が40%以上の排出をしている以上、この2ヶ国を除いた枠組みは無意味であることは事実です。米国、中国は、途上国からの攻撃を受けていない訳ではないが、なにか特別扱いされているのが不思議。

 途上国は、最終的には京都議定書の延長を主張することによって、なんらかの国益を狙っています。その国益に寄与できる国は、見逃されているのかもしれない。

 民主党政権が述べた、「日本の途上国への様々な貢献によって、日本の排出の全量に相当する13億トンを削減する」ということを実現できれば、途上国は高止まりする化石燃料への依存を多少なりとも下げることができることを意味するので、これをネタにして、途上国を説得すべきだろうと思います。


質問3:気候変動問題に対する、日本の責任はどのようにして果たすべきか。

回答:すでに述べた地球レベル、特に途上国での削減を省エネ技術と高効率化技術で実現することでは。


質問4:排出量削減のためには、排出量取引制度を作って、二酸化炭素の排出を有価にすることが効果的だと思うが。

回答:排出量取引制度の本質は、二酸化炭素の排出を有価にすることではなく、事業者の排出量に、超えたら罰則のある強制的な上限=CAPを課すことが本質。それだけでは、対策費用が高くなりすぎるので、その減免のために、排出量取引制度を設けると理解すべきです。


質問5:京都議定書のような枠組みが無い場合でも、日本が二酸化炭素排出の削減に費用を掛けるべきだと考える根拠には、どのようなものがあるのか。

回答:一つ目は責任論。そもそも地球が4億年程度を掛けて作ってきた化石燃料を、500年足らずで使いきってしまうことへの責任。これは、消費する行為それ自体の未来世代に対する責任なのですが、その未来世代に温暖化という別のリスクをも課している。せめて、この後者だけは、削減のための費用を負担すべき、というのが筋論。

 この責任論にもっとも適合しているのが、世界二酸化炭素排出税。その国がこれまで排出してきた二酸化炭素の総量(国民一人あたり)に比例して今後の税額を決める。宇沢弘文先生が創始者だが、現在、相手にされていないのが残念。

 この責任論に対する反論は、米国あるいはアングロサクソン流の能力論。「経済活力は、先見性のある技術開発を行う能力によって実現される。ヒトは、その能力を発揮することによって、自然資源を使用する権利を獲得してきた。先進国は、能力的に遅れていたゆえに現在でも大量に使うことができない途上国に対して、なんら引け目を感じることはない。エネルギーを使うのは、アメリカ人の権利である」。

 日本は、どちらかというと、大衆民主主義の国で、国民の多くは、「エリートは悪いことをするから、エリートを育てることは良くない」と考えています。このような大衆民主主義を貫徹するのであれば、途上国はエリートではなく「大衆」だと思うので、途上国に対して責任を果たすという結論になるのではないか。すなわち、なんらかの形で途上国に資金援助をすべきだろうと考えます。

 二つ目の考え方は経済効率論。英国のスターン・レビューがその考え方の代表例。「もしも地球温暖化が重大な状況になると、生態系への影響、降水の不足、極端気候現象の増加などによって、あらゆる経済活動に対して被害が生ずるだろう。予め行う対策によって、その被害を防止することができれば、想定被害額に相当する投資を先にすることは当然である」。

 この考え方に対する反論は、割引率。ロンボルグが代表か? 「未来のことはよく分からない。そんなことをしたら、かなり高い確率で無駄な投資になるかもしれないし、今後、革新的な技術ができて、極めて安価に温暖化対策を進めることができるかもしれない。だから、未来に対して投資をすることは損失でしかない。いざとなったら、投資をする準備を行うことで充分」。


U.2050年頃の日本は何で食っているか

質問4:日本という国の状況から言って、「食う」ということは何を意味するのか。

回答:「食う」とは、文字通り「食う」こと、すなわち、「生活」することで良いのではないか。ただし、生活するといっても、非文化的な生活は嫌だろうから、生活に必須なこととして、(1)稼ぎ=国内に職があること、(2)食料があること、(3)ある程度の自由度があること、(4)文化レベルが維持できること、が条件なのではないだろうか。

質問5:「稼ぎ」があることは「職」があることとは違うのではないか。

回答:確かにそうです。しかし、日本全体としての貿易収支が黒字でも、日本国内には職が無いという状況は考えられます。ここでは、「稼ぎ」の主体はヒトであって、「日本資本」ではないことにしたい。なぜならば、資本が稼いだ金を日本国内に居住する個人に還元する仕組が無いからです。


質問6:日本のように資源・食料が無い国だと、そのために、30兆円程度の輸入が必要だとされている。30兆円を資本ではなく、国民が稼ぐことが必要だということだと理解したい。

 まず、この30兆円をもっと減らすことはできないのか。

回答:食料の自給率がしばしば問題にされますが、実は、こちらは贅沢を言わなければ、なんとでもなると思います。カタクチイワシ、サンマなどの漁業資源は余っている。コメだけなら自給もできる。

 一方、日本国内でトウモロコシ、大豆、小麦は作ることを考えない方が良いように思います。それは、世界市場での価格が馬鹿みたいに安いからです。2050年でも、状況はそれほど変わっていないのではないだろうかと想像していますが、もしも人口の増加が2070年でも継続しているようだと、大変なことになる可能性がありますが。

 現在、マグロなどの高級食材の輸入が多いのですが、それを諦めて、むしろ、高級食材の輸出国としてのスタンスを強化すべきだろうと思います。これによって、食料に関しては、必要な輸入量は減ることでしょう。

 一方、エネルギーの輸入量は、減らすのが難しい。特に、原発は、燃料代は極めて安価な発電方式なので、減原発を目指す日本では、今後、エネルギーの輸入代金は増えるとしか言いようがない。

 風力発電ですが、日本国内だと1基2MW程度が主力になるとしたら、原発だと中型の100万kWという出力は1GWなのですが、500機の風力発電が1GWだから簡単ではないか、というのは大きな誤解です。風力発電は、風の弱い時間もあるので、最大出力換算では、年間2000時間程度しか運転できないので、フル運転を行う時間は1/4以下だと考えるしかない。すなわち、原発1基分を置き換えるのに、2000基が必要ということになります。

 また、現在の原発の容量すべてを不安定発電である風力やメガソーラーで置き換えることは、不安定さ故に不可能でもあります。

 取り敢えず、安定な自然エネルギーの大量導入が必要で、地熱、中小水力、それに、小型であるため導入しても問題のない家庭の屋根に設置する太陽光発電の導入を進めると同時に、海洋エネルギーなどの開発を推進すべきだと考えます。

 食料の自給率と違って、エネルギーの自給率を問題にしない人が多いのですが、実は、エネルギーがなければ、農業すらできない。最近の農業によって作られた農産物を食べることは、実は、石油を食べることに等しい状況であると理解すべきです。

 要するに、しばらくの間、30兆円を維持するのがやっとで、自然エネルギーとそれに適した電力網の整備に対して、余程の積極投資が無いかぎり、エネルギー輸入代金は増えるのではないだろうか、と思います。


V.日本が食える条件の詳細=「どのような商品なら欲しいのか」


質問7:先ほどの回答中の言葉、「ある程度の自由度」の本体とは何か。

回答:この自由度では、特に、移動の自由度が重要かもしれない。どこかに行こうと思ったら、それが可能になる程度の所得があること、と言えるかもしれない。


追加質問:車というものは、自由度を得るために買うものだと思う。それなのに、燃費などがそんなに重要なのか。

回答:米国流のように、エネルギーを消費することは人間の権利だという発想を、どうにも持ちにくいのです。自由度を獲得するにしても、未来世代の自由度を奪っていると思うと、どうも正当化しにくいのです。そこで、自らの罪の意識を下げるために、その時点で燃費が最も良い車を選択して買っているのが実情。

 世界一燃費の良いトヨタ・アクア(これまでプリウスCと呼ばれていた車)が出たら買い直すかどうか、これは多分しないと思いますが。

 自由度と車の話になったので、ついでに追加したいと思います。車の自由度とは何か、という話です。

車の自由度とは、

(1)1年に1〜2回しかないことでも、自らの要求を満たしてくれること。例えば、7人乗って+荷物が搭載できること。通常考えると、普段は小型車に乗って、そのようなときにはレンタカーを借りるのが合理的。確かに、7人乗ってなどという状況は、お盆と正月休みぐらいにしか起きない。しかし問題は、いざそのとき、7人乗りのレンタカーを借りることができるか。半年前から予約すれば可能かもしれないが、かなり難しい。

(2)給油をする機会ができるだけ少ないこと。これもお盆と正月に高速道路の渋滞の中を帰郷することを考えると、当然、休憩時間は必要であるが、その休憩時間を給油の行列待ちに使うのは合理的ではない。なるべくなら無給油で500kmは走り切りたい。となると、燃費が良い車を買うことが賢い。プリウスなら、2代目で3代目でも、1000kmの無給油走行は簡単です。

 こんな状況から、今だとプリウスαの7人乗りが大人気なのだと思います。この車は、リチウム電池を搭載しているハイブリッド車であるが、どうやらリチウム電池の量産体制が整わないのが問題で、それが待ち時間が長い理由。ニッケルを使った電極材料などに拘ったためかもしれない。来年1月に発売されるプラグインハイブリッド用の電池も同様なので、値段次第ではあるが、比較的安価だという予想が当たれば、長蛇の列ができることだろうと思います。

 これまで回答してきたことは何を意味するか、というと、車は自由度を獲得するために買うものだとしたら、小型化をすることによって、燃費を稼ぐという方法だけでは不十分だということです。ということは、むしろ、7人乗りのワンボックス車の航続距離を伸ばすために、燃費を改善するといったアプローチが正しいのではないだろうか。となると、やはりハイブリッドの出番でしょう。


追加質問:電気自動車は、航続距離という自由度の一つに、制限がある。ということは、電気自動車は普及しないということか。

回答:通常の車としての重要な魅力の一つを欠いている商品だと言えるでしょう。したがって、用途を限定した商品に普及の可能性が高く、要するに市場は狭いのではないかと思います。

 例えば、バッテリーを共通化し、交換可能にしたタクシー仕様の車。これなら、航続距離にも問題は出ない。近所を細かく回るための、宅配用のキャブ。これもなんとでもなる。

 さらに、地方都市で普及している軽自動車の大部分は、電気自動車に置き換えることが、性能だけを考えれば、可能だと思います。消費者の本音は、軽自動車を電気自動車で置き換えることを決断するには、車本体と燃料、維持費のトータルコストが問題。となると、置き換えは難しいかもしれない。

 やはり、ガソリン税の仕組を変えて、電気自動車の普及を加速する必要があるのではないだろうかと思います。


質問8:文化レベルが維持できること、の具体的な説明は

回答:日本製品は、他国の製品とコストで勝負になるだろうか。性能が世界トップであると同時に、壊れにくい、使い勝手に心配りがある、長期の修理が可能といった別の特性によって売る以外には、方法が無くなるように思うのです。

 それには、国内に程度の高い消費者が存在していることが重要です。その程度の高い消費者を維持するには、社会の文化的なレベルが高くないと不可能だと思う。


追加質問:文化的なレベルが高いと商品の質が変わるのだろうか。そもそも、個人として、どんな商品だったら買うのか。

回答:最近、個人として買いたいと思うものはいくつかありますが、分類すると、以下のようになるようです。

(1)他人の知識・技が詰まっているもの。具体的には本とか、CDとか。これを自らの知に移転できると嬉しいから買う。

(2)自らの時間を節約できる商品。相変わらずノルマが、自己が課すものを含めて減らないので、意図的に無駄に過ごす時間以外は、時間を効果的に使えることを切望しています。そのため、デジタルガジェットは色々と備えています。ふと気づいたら、手持ちのAndroid端末が5台になっていた。2枚のSIM、1枚はdocomo(通話用)、もう一枚はbmobile(通信専用)を差し替えて、2台持ちで、いろいろなコンビで使っています。通話用には、2年前から使っているHTC-03Aが良い。なんといっても通話ボタン、切断ボタンがあるので。

(3)テーマは(2)の時間の節約の続きですが、いまさらながら、キングジムのポメラを買ってみた。これは、パソコンを持ち歩かなくなってから、ときどき「キーボードが欲しい」と思うことがあるからです。新幹線の中でキーボードを使おうとすると、スマホとキーボードという組み合わせは、何種か試みてみたもののイマイチ。ポメラなら一体なので使えるし、ファイルもSDに保存すれば消えることもないし、DM20ならQRコードを表示してスマホで読み取るなどという技もできるので、通信機能が無くても、なんとかなる。Amazonで1万8千円程度だったので、もしやダメでも良いか、と決断した次第。

 結果は、キータッチが今ひとつ(やや弾性が強く重い、ストロークが深い)で、キートップが平らであることもあって、好みとは言いがたいが、それでもそれほど悪くもないし、サイズはちょっと練習すれば、慣れることができるレベル。ただし、思ったよりも重い製品なので、多少抵抗感あり。

 余計ながら、パソコン用のキーボードについては、現在自宅で使っている東プレのリアルフォース(2万円級)、オフィスで使っているFilcoのMajestouch(1万円級)が、ミス・タッチも少なく、疲れもせず、大量の文章を最も速く打てる。タイプ速度が思考の進展を邪魔しない程度に保てることは、文章の生産性を維持する上で必須のことなので、手放せない。

 理想は、考えたことが、自動的に文字になって出てくる感じでタイプできるキーボードではある。まあ、このレベルに近いとも言えないが、現実的に、これ以上のキーボードは存在しないだろう、というレベルではあります。本当に手放せない。

 もう一つ、無駄かもしれないと買い込んで見たところ、手放せない愛用品になったものが、CanonのLレンズ。旅先の感動を記録したいと思って、通常のレンズやコンパクトデジカメで撮影しても、「なーーんだ。大した景色ではなかった」、という写真になることが多いのだが、Lレンズだと、当然腕が問題なので100%そうではないが、ときにその画像の出来にも感動することができて、感動を二回味わえる。すなわち、変えがたい価値がある。これも文化の一つではないだろうかと思う次第で、とうとう、4本のLレンズ持ちになってしまった。

             次回に続く。