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  リサイクルを見る視点 その1 12.09.2007
     



(1)廃棄物処理としてのリサイクル

 歴史的にみると、東京オリンピック前後まで、リサイクルという行為は、経済行為であった。屑屋と呼ばれる商売が成立しており、家庭には廃金属製品やガラス瓶がためてあって、それを現金化することができた。この時代、すべての市民は、資源を大切に使っていた。使い捨ての容器は、缶詰と一部のガラス瓶ぐらいなものであったが、これらの資源も経済行為として見事にリサイクルされていた。

 しかし、経済成長が本格的に進行するようになるにつれ、人件費が相対的に高騰し、屑屋は経済的に成立しない商売になった。また、誰のせいか、市民の考え方も変わり、「消費は美徳」になった。

 この時点、1970年代初頭が経済行為としてのリサイクルの終焉である。しかし、勿論、残ったリサイクルもある。金、銅、アルミ、である。これらは、概ねいつでも経済行為として成立するようだ。鉄と紙は、古くから確立した市場をもっているため、経済的に成立しているかどうかは、若干疑問がある時代にも、なんとか継続している。

 折も折り、1973年に第一次石油ショックによって資源小国であることを再認識させられる。このとき、不思議なことに、消費者はなぜかトイレットペーパーの買占めに走り、どの店でも売り切れた。これからしばらくの間、日本のエネルギー効率の改善が続いた。しかし、バブル景気が起きて、再度、エネルギー効率の改善よりも、その大量消費に向かったのが、1987年からである。そして、1992年にバブルがはじけるが、慣性のためか1994年までエネルギー効率は悪化し続けた。当然のことながら、廃棄物量も直線的に増大した。

 このままでは、廃棄物処理の限界、特に、最終処分地の限界が日本産業の足を引っ張るのではないか、という懸念が語られるようになり、また、最終処分地の不足によって、処理費用も高騰し、埋立量はエネルギー効率の改善が始まるよりもやや早く1991年にピークを迎える。

 このような経緯で、1995年の容器包装リサイクル法の成立を見る。このときの基本的な考え方は、リサイクルの目的とは、あくまでも「埋め立てられる廃棄物の量をリサイクルによって減らすこと」であった。それ以来、リサイクルとは、基本的に「増大する廃棄物にどう対処するか」、という問題に対する一つの答えであり続けている。すなわち、「リサイクルの基本は廃棄物」であった。

 1997年に容リ法が部分的に実施され、2000年から完全実施された。某教授の「リサイクルしてはいけない」という主張が単行書になったのは、このころである。彼の主張に反して、世間はリサイクルに突き進んだ。しかし、2000年にできた循環型基本法によって、リサイクルは最後手段であって、その前に、リデュース・リユースを実施すべきであるとの方針が提示された。すなわち、3R概念が提出された。

 先ほどから述べているように、政策としてのリサイクルは、もともと廃棄物処理を基本にした決定であったため、ここでのリデュースは、廃棄物の削減を意味する出口側のリデュースであって、入口側のリデュース、すなわち、資源をなるべく使わないということが強く意識されていた訳ではなかった。

 言い換えれば、ペットボトルに代表される使い捨て社会に対する対応であり、地球の資源的な限界が見えてきたことが確実な段階にもかかわらず、容器包装リサイクル法は、なんらかの入力側の削減効果を示すような法律になることが求められていたのに、そうはならなかった。

 この頃、日本の製造業は、東アジア・東南アジアへの製造拠点の移転が一気に起きるのではないか、と本音レベルで心配をしていた。当時、ほぼすべての企業が、人件費を考えて、もしも経済的に有利であるのならば、中国をはじめとする国々への製造拠点の移転は必須であり、それは際限なく起きると信じていた。

 となると、日本国内に3Rをネタにした雇用を創出すべきではないか、といった思いがあったことは否定できない。リサイクルを失業対策に使うということになるが、そのような考え方は、未だに存在しているのではないだろうか。

 基本法ができると基本計画が作られる。2003年に成立した循環基本計画では、なぜか入力側に対する配慮が滲み出す。「なぜか」と書いたが、実は、この循環基本計画は、単に基本法への対応という役割だけではなく、ヨハネスブルグサミット(WSSD2002)でのPlan of Implementationへの回答という性格を同時に持っていたからである。

 すなわち、WSSD2002において先進国に対して出された要求である「非持続可能な生産と消費パターンからの離脱」を意識しなければならない状態になった。「廃棄物面での非持続可能性も重要だが、資源面での非持続可能性をさらに意識する」ことが必要となってきた。

 そのため、リサイクルの目的は、それまでの廃棄物の削減という単一のものから、いくつかに分かれた。
1)地球レベルでの資源利用効率のアップ
2)温室効果ガス排出削減
3)大量廃棄型消費文明への警鐘
4)特に、市民のマインドセットの変更
5)あまり大きな効果はないが雇用の創出

 そして、リサイクルを実施する際に考慮すべき要件として、以下のような問題も指摘されるようになってきた。
a)バーゼル法などの国際条例の遵守
b)自治体の収集作業の経済効率を高めること

 地球レベルでの資源利用効率・温室効果ガス排出削減と、バーゼル法関係については、後述したい。

 何か抜けているのではないか、と言われるかもしれない。経済行為としてのリサイクルという観点である。リサイクルを経済行為として成立するようにすることは、各種リサイクル法それ自身の目的なのか。それは目的ではない。なぜならば、経済行為になるようなリサイクルは、ある種の例外を除けば、その対象となるものが消費者の手を経た廃棄物ではない。端材であったり、加工屑であったりするからである。すなわち、産業廃棄物である。産業廃棄物の処理には金が掛かる。リサイクル費用が、産業廃棄物としての処理費用よりも安価であれば、リサイクルは自然に行われる。それだけである。

 日本のリサイクル法は、消費者の手を一旦経た商品や、消費者に提供される段階にあった商品を対象にしている。消費者から遠いところにある端材などは、当然リサイクルされるものとして、リサイクル法の対象にしていない。

 容リ法に関して、リサイクルを経済行為にするということが目的の一つであるとしたら、それは、「ある程度の雇用の確保」ということが目的である。

 現状、容器包装リサイクル法には、上述のように様々な目的があるものの、それ以外にもっとも重要な目的がある。それは
あ)自治体が自前で処理する廃棄物に、もう一つの新しい処理ルートを与えること、
である。

 なぜこのようなルートが必要か、と言えば、一般廃棄物用の最終処分地が、NIMBY現象がはびこるこの社会的風潮のもとでは、もはや作れないと思われるからである。東京都23区は、中央防波堤海面処分場があるので、まだ多少の余裕があるが、多摩地域は、現在の最終処分地である二ツ塚処分場が最後であろう。すなわち、全く余裕が無い。

 名古屋市のケースも同じようなものである。藤前干潟を最終処分地化することが不可能になって、名古屋市には最終処分地が早晩ゼロになるだろう。

 一般廃棄物を焼却しても、どうしても多少の焼却灰が出る。しかし、廃棄物をリサイクルに回してしまえば、その処理によってたとえ廃棄物が発生するとしても、それは、もはや産業廃棄物である。自治体が一般廃棄物として受け入れる必要は無い。

 ところが、家庭から廃棄物としてタダで捨てることができるものをリサイクルしようなどというインセンティブはどこにもない。そこで、法律が作られる。容器包装リサイクル法であり、家電リサイクル法である。

 この2つの法律は、基本的に、一般廃棄物処理の観点からのリサイクル法であると解釈しても良いだろう。

 自動車リサイクル法は、いささか性格が違う。自動車の本体は、自動車リサイクル法の対象にはされていない。難処理物のみがその対象である。もともと自動車リサイクルの枠組みで出てくる廃棄物は産業廃棄物である。自動車リサイクル法が取り上げている対象の一つ、シュレッダーダストに関しては、それが適切に処理されずに、埋立されることを防止する法律だとも言える。エアバッグは、解体作業における危険性の回避のため、そして、フロン回収は、特定フロンを使う旧型車ではオゾン層保護が目的で、新型車では温暖化対策である。

 食品リサイクル法と建設リサイクル法は、産業廃棄物の減少をねらったものだと言える。

 以上のような歴史的考察によって明らかになることは、容器包装リサイクル法の対象物である一般廃棄物処理の処理において、経済効率を追求することは、少なくとも現時点において、リサイクルの目的の一部でしかないのである。

 それは、むしろ、これからの問題だとも言える。これまで、廃棄物処理コストというものが、ほぼすべての自治体において、これまでほとんど明らかにされないままであった。この現状を、容器包装リサイクル法を梃子にして、より透明性を高めるような体勢に変えることも、大きな流れにすべきことの一つである。

 容器包装リサイクルに積極的に取り組む名古屋市などでは、収集コストの問題についても、かなりの改善が見られているようである。

 そして、もう一つ確認しておくべきことは、経済至上主義が、社会を大量消費社会・大量廃棄社会へと変貌させた張本人ということである。リサイクルを通して、経済至上主義ではない対応が必要である部分もあることを、市民社会に対してメッセージとして出すことも、一般廃棄物を対象とするリサイクル法の目的の一つである。言い換えれば、21世紀に起きるであろう環境的な限界に対処できるマインドを、市民社会に醸成することも、リサイクル法の重要な目的の一つである。

 実際、この目的を確実に実現するのは難しい。グローバリゼーションの大きなうねりの中で、すでに右肩下がりの社会に突入したにもかかわらず、いまだに、自動車の大型化・大排気量化が見られる。このような大量消費のマインドセットをMore by Lessのマインドに切り替えることには、明確な困難さがある。

                              次回に続く