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  リサイクルを見る視点 その3 12.25.2007
     



(3)日本におけるリサイクル法対象商品の海外輸出の可否について

 しばらく前のことになるが、中国は、日本からの廃プラスチックの輸入を禁止したことがある。その理由は、生ごみが混入しているといったことだった。現在でも、香港経由の輸入経路が使われているのは、そんな名残のようである。

 一部には、海外にペットボトル起源のプラスチックが輸出されていることを問題視する向きもあるが、極めて割り切った考え方をすれば、これに関する国際的な枠組みであるバーゼル法を遵守するという姿勢のみで十分である。

 現在、日本から輸出されている使用済みペットボトル由来の廃プラスチックは、世界最高の品質である。そのため、ヨーロッパから輸入される廃プラスチックなどと比較して、中国など輸入国側では極めて高く評価しており、日本人として、なんら倫理的な責任を感じる必要はない。勿論、バーゼル法を基準にして、なんら問題のあるような輸出ではない。

 ヨーロッパでは、ペットボトルには未だに青く着色したものが多く使われている。これは、後述のように、別の理由があるのかもしれない。日本では、着色したペットの使用を自主規制によって使用していない。自主規制以前は、緑茶メーカーなどは、緑色のボトルを使いたがったものである。しかし、一旦、着色ボトルを禁止し、その後は、環境重視型のメーカーが主流になった。その理由は、やはり容器包装リサイクル法の存在にあるのだろう。リサイクル性の良い容器、資源消費量の少ない容器を使っているというイメージを一般社会に広めることが、企業にとって良い戦略だという考え方の基本には、やはり市民社会をリサイクル社会に向けて動かしたリサイクル法の存在は大きかった。

 以前、ドイツにはDSDというリサイクル企業が一社だけ存在して、グリューネ・プンクトというマークの付いた容器包装を回収し、リサイクルしていた。その当時、余りにも品質の悪いリサイクルプラスチック製品が製造されていた。その後、面白いことに、この企業は独占禁止法に引っかかって、最近では、複数の企業が参画している。

 市民の義務は、そのマークが付いた容器を集めるだけ。ペットボトルを特別扱いするようなことは無い。

 年間処理量3万トン程度の大型の工場を建設し、機械化を進め、廃プラスチック処理でも自動選別ラインがあるのが普通。いや、そのぐらいの規模でないと商売にならないらしい。そして、ヨーロッパ、特に、ドイツなどの方針は、機械で分別が可能な廃プラスチックはドイツ国内で処理し、手選別が必要な廃プラスチックは、人件費の安い途上国に輸出するといった方向性である。

 これに対して、日本からの廃ペットボトルは、ほぼ単独で収集される。そして、破砕され、洗浄され、場合よってはペレット化までされている。これは、むしろ、国内のリサイクル事業者への配慮だとも言えるが、結果的に、高品位の廃ペット樹脂が輸出されている。

 途上国側で廃プラスチックのリサイクルを実施する際に発生する排水負荷は、廃プラの品質が良ければ、ほとんど出ないのであるが、どうしても心配をするのであれば、実は古紙の輸出の方が遥かに問題が大きい。しかし、これもバーゼル法という国際条約の遵守という条件をクリアーすれば、倫理的な問題はない。途上国側から、技術的な対応に対して支援が必要な場合には、個別的な対応をすればよい。

 結論として、途上国に輸出されているからこそ、資源利用効率が高く保たれているのが現状と言えるだろう。そして、途上国側では、安価に原料が入手できるものだから、経済的な効果も大きい。

 バーゼル法の基準を満たしていても、廃棄物の輸入は嫌だ、という国もある。例えば、フィリピンがそれに近い。現地の多くのNPOが、日本などからの中古家電品の輸入に反対している。しかしながら、一方で、未だにスカベンジャーが存在しているものもこの国である。

 環境問題に対して、どのような方向性を選択するのか、それは、それぞれの国の国内的な責任であり義務である、外からの干渉を行うような問題ではない。問題が起きた場合を想定して、国際条約というものが存在しており、それを遵守することがそれぞれの国の義務である。そして、国際条約を適切なレベルに維持することが国連の役割である。

 中国のように、「先富論」を実施している国もあり、ベトナムなども似たような戦略のように見えるが、これは、まさに日本が歴史的に歩んできた道であって、だからといってそれを非難するには値しない。日本は、国内問題として、未だに、水俣病を克服できていない、アスベストなどのその他の多くの問題も起きたという経験を語ることは、重要である。しかし、できるのは、そこまでである。

 ただし、地球レベルの環境問題になると、「先富論」だけでは解決不能である。国境越えた汚染が拡散するからである。これに関しては、気候変動を別にすれば、適切な国際条約が存在しないのが問題である。越境汚染になると、結構難しい問題が多い。ヨーロッパからのオゾン(車の排ガス起源?)の越境汚染が中国まで届いているという説もある。


(4)日本の戦略としてのリサイクル

 資源利用効率を高めることが、地球レベルでの戦略とするのならば、その中で、日本としての戦略はいかにあるべきか。

 容器包装リサイクル法関連と家電リサイクル法とで、明確な違いがあるだろう。それは、日本という国の戦略として、素材をどう考えるべきか、という問題でもある。

 いずれにせよ、この観点が決定的に欠けているのが、日本のリサイクルである。

(@)容器包装関係

 まずは、使用済みペットボトル。このリサイクルについて、日本の現状は、すでに説明した。結論としては、分別システムなどでは、世界でもっとも精緻なリサイクルシステムを構築した。

 今後の方向性はこのような状況をどう発展させるべきなのだろうか。現在、再生PET樹脂が中国などに輸出されている理由は、日本国内よりも中国などに繊維や包装用など適切な用途があり、需要が旺盛だからからである。これを変える必要は有るのか無いのか。

 もし変えるとすると、日本国内に、再生PET樹脂を使うような需要を作るという方法がありうる。それは何か、と言えば、マテリアルリサイクルによってペットボトルを作ることである。問題は、このようなペットボトルを作っても、消費者が受け入れないだろう、という状況である。すなわち、現状だと、廃ペットボトルをリサイクルすれば、それは途上国に回すのが一番という状況がある。

 再生PET樹脂からのペットボトルの製造だが、ドイツでは、すでに、この方向性を目指しているように思える。リサイクル製品には有害性が使用段階で付与される可能性があるという問題があるが、ペットボトルのリユースよりは、マテリアルリサイクルによるボトルの製造の方が、リスクが低いかもしれない。すなわち、再生PET樹脂からペットボトルを作ったところで、大きなリスクを回避することは可能である。しかし、日本という国は、「すべてのリスクはゼロにできるからゼロにすべきである」、という大きな誤解に支配されている社会である。すなわち、まことに残念ながら、日本社会は超清潔指向であって、リスクの大小を議論できない社会になってしまった。

 再生PET樹脂から作ったペットボトルの透明性は、バージン樹脂からの製品に比べれば落ちる。そこで、着色して誤魔化すのも一案である。どうも、ヨーロッパの着色ボトルは、そんな狙いがあるのか、などと考えてしまう。

 このような日本社会を多少とでも変えて、日本国内で再生PET樹脂から作られたペットボトルを普及させるのか、これが重要な戦略である。

 再生PET樹脂以外の「その他プラ」の戦略はどうすべきだろうか。この問題は、まずは、国内のマテリアルリサイクルやケミカルリサイクルをどのようにすべきか、という問題に答えを与えることが先決だろう。

 具体的な問題点を列挙すると、
a)現時点のマテリアルリサイクルで作られる製品の価値が余りにも低いこと。それは、プラスチックの混合物をマテリアルリサイクルしていることが原因。
b)高炉還元剤やコークス原料化などの「準熱回収」が日本では「ケミカルリサイクル」とされ、リサイクル方法の一つとして確立しているが、これを将来とも維持すべきなのか。
c)熱回収がその効率の高低に関わらずひとくくりになっているが、これを分けるべきではないのか。

 これらの問題点を解決することは、かなり難しい。すでにHPでも取り上げたが、目指すべき事柄が、資源効率の向上だけではないからである。

 しかし、a)ならマテリアルリサイクル用の樹脂の純度に基準を設ける、b)なら原料化される割合に基準を設ける、c)なら熱回収率に基準を設ける、ことによって、格段に改善された入札を実現できるだろう。


(ii)家電製品

 家電製品だが、日本製の家電は、これまた異形なのである。未だに100Vが標準というのが世界的に遅れているからである。そのため、中古の白物家電の製品としての価値は低い。それでも、テレビなどが普及することは、途上国にとって重要なことである。これで生活の一部が確実に変わるからである。

 テレビ以外でも、現状の冷蔵庫やエアコンのエネルギー効率は高いのだから、近い将来、価値が増大する可能性も皆無ではないが。

 液晶テレビが輸出されるとなると、話が変わってくる。液晶テレビの寿命は、バックライトの寿命で決まる。となると、中古品を輸出し、再生して使用するということが資源面からも有効だという結論になる可能性がある。

 一方、不適切なリサイクルプロセスによって健康被害が出る可能性は、容器包装関係よりも家電製品には大きい。最近の製品では、ハンダは無鉛であるから、その被害は考えにくいのだが、それでも、金の回収などに危険な薬品類が使われているようだ。

 そのこと自体、ペットボトルからのフレークなどの輸出に関して述べたように、国際法上問題だということではない。倫理上の問題が全く無いとはしないが、それほど深刻に考え込むような問題ではない。技術的な情報の提供を行えば、それで十分ではないか。

 むしろ、各国におけるより一般的な見方は、それがその国の国益にかなう行為かどうか、ということである。それぞれの国がいかに国益に基づいて行動をしているか、サハリンにおけるロシアのエネルギー戦略などを見れば、一目瞭然である。

 白物家電であれば、その資源的価値はそれほど大きなものではないだろう。銅・アルミ程度か。しかし、液晶テレビが輸出されるようになると、これは、製品の特性としてパソコンのようなものである。それでもそれほどの資源が使われているというものでもないが、日本の資源戦略として、どう考えるか、ということを思考すべきであろう。

 このあたりは、今後の問題である。数年でなんらかの方針を出すべきかもしれない。なぜならば、次の家電リサイクル法には、薄型テレビが含まれることになっているからである。

(iii)パソコン

 パソコンリサイクルは、家電リサイクル法ではなく、別の枠組みで行われている。しかも、全く家電リサイクル法とは異なった方法である。製品を最初に購入した消費者がリサイクルコストを負担したことになっており、その証明として、リサイクルマークが付いている。このリサイクルマークが付いたパソコンのリサイクルの責任は、メーカーにある。

 となると問題が起きる可能性がある。それは、そのパソコンが海外に輸出された場合である。一旦、海外に輸出されると、それが日本に戻ってくることは、もはや考えにくい。

 この件、また別の機会で議論してみたい。


(5)今後の要改善点

(a)容リ法と収集コストの改善

 容器包装リサイクル法の範囲内だけでも、鉄、紙、プラスチック、といったことなった分類に属する材料が使われている。それぞれについて、適切な方法が適用されるべきである。現状では、プラスチック、特に、ペットボトルにのみ注目が集まっているようにも見えるが、ペットボトルのリサイクルについては、すでに述べたように、収集時にかなり大きなコストが掛かることが、最大の問題であり、この問題を、誰が費用負担をすべきかを含めて、どのように解決するかを除外すれば、それほど大きな問題は無い。

 収集時コストに関しては、歴史的な枠組みが依然として使われていることを認識すべきだろう。そして、この枠組みをすぐに変えることができると認識するか、そうではなく、しばらくは継続しなければならないと認識するか、それによって解答が異なる。

 個人的には、そろそろいくらなんでも別の枠組みで収集をすると宣言しても良い時期なのではないか、と思う。極論だが、例えば、使用済みペットボトルの収集は、自動販売機への飲料配送車や宅配便の空きスペースを利用して行うといった仕組みを検討する自治体があっても良い。あるいは、東京都が行っていたコンビニにおける店頭回収をさらに発展させた形も無い訳ではないだろう。

 フランスのエコアンバラージュ社の方式、すなわち、容器の製造・使用をする事業者の費用で回収専門事業者を設立し、その専門事業者が最適な回収方法を自治体に対してアドバイスし、それに従った場合には、費用の半分以上をその回収専用事業者が負担するという方式が良さそうに思う。

 これを何年後から実施するということを法律に明記する必要がある。容リ法の次期改正時にそのような変化が起きることは、まだ無理だろうか???


(b)容リ法は入り口側リデュースのインセンティブ

 この疑問も、対象となるのは、プラスチック関係である。特に、ペットボトルに対しては、現在、収集すれば有価になったこともあって、本来の容リ法の趣旨に従えば、その枠組みから外すことが検討されても然るべき状態にある。

 しかし、問題は、完全に外すと、このインセンティブを働かせる機能がどこにも無いことである。

 ところで、ペットボトルがなぜこのように普及したのか。その理由は、容器としての優れた特性に有ったと言わざるを得ないだろう。再度蓋をすれば、持ち運びにも便利。透明なために残りも一目で分かる。などなどの特性である。

 ペットボトルが置き換えた容器としては、ワンウェイのガラス容器とスチール缶が主なものだろう。この2種類の容器は、もともと環境負荷が大きいとも言えるので、ペットボトルへの切り替えによって、容器全体としての環境負荷の総量は低下しているのではないか、と思われる。ただし、総本数が一定ならという条件下での話である。この最後の条件が、過去何年かにわたって、成立してこなかった。

 まずは、ボトルウォータ(日本製の製品でフランスのミネラルウォータの基準を満たすものはほとんどない)の普及に加え、緑茶などの製品の普及がその原因である。

 ボトルウォータに関しては、項を改め、次項で記述したい。

 緑茶などが普及したことだが、これは、ある程度仕方が無いのかもしれない。それは基本的に、消費者が決めることだからである。どうしても、行政がそれを嫌だというのなら、高い課徴金を課すことも不可能ではない。ドイツ政府あたりならやりそうなことではあるが、日本の行政が、こんな権限を発揮することは考えられない。

(c)世界はさらなる挑戦 − ボトルウォータの購入禁止へ

 米国というのは面白い国である。中央政府は全く駄目だが、都市や州が独走を始める。ペットボトル入りのボトルウォータだが、サンフランシスコ市は、市の費用でボトルウォータを購入することを禁止した。サンフランシスコ市の水道水は、ヨセミテ国立公園あたりから引いている水であって、通常のボトルウォータよりも高品質だという主張でもある。
http://www.treehugger.com/files/2007/06/san_francisco_m.php
http://www.earth-policy.org/Updates/2007/Update68.htm

 東京都も東京水を売っている。しかし、水道水に関しては、いつでも不安感を募らせるメディアと、水道局は行政の一部だからという不信感から、なかなか信頼が得られないのが問題ではある。

 水道水関連で、最近、新聞種になったのは、医薬品が河川水に残留していることである。「単独の薬品では問題ないが、複合効果が心配」といったコメントをしている大学教授が居るようだが、もしもそのような複合効果が見つかれば、それはノーベル賞ものである。そう簡単には見つからない。なぜならば、もともと医薬品なので、何人かの患者は複数の薬を服用しているからである。生態系への悪影響を問題にするのは、ある程度の正当性があるかもしれないが、「都市河川における生態系の価値とは何か」、といった議論を再度行う必要があるだろう。

 東京都、あるいは、国が、ペットボトル入りのボトルウォータを買わないという方針を決めるのは非常に面白いが、やはり無理だろうか。