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   環境問題でも歴史は繰り返す   08.14.2016
              「持続可能性」の意味の変遷




 これまでの歴史を見ると、環境問題というものは、常に新しい問題が発生し、そして、しばらく時間は掛かるものの、解決されていくという経過が普通でした。

 そこで、環境問題の今後も、ほぼそのような経過を経て解決に向かうものと考えてきました。しかし、このところ、そうではないかもしれない、と思い始めるようになりました。

 何故か、というと、全く新しい問題が発生するのではなく、問題が別の形にはなるものの、また元に戻ってしまうということも起きるような気がしてきたのです。そこで、今回のタイトルは、「環境問題でも歴史は繰り返す」としました。

 今回は、その考察ですが、主題は、「持続可能性」という言葉の定義です。余り馴染みの無い言葉だと言われるかもしれませんが、環境関係では、かなり前から、極めて重要なCONCEPTなのです。



C先生:オリンピックのお陰で、このところいささか寝不足が続いている。今回のリオのオリンピックは、日本のメダル獲得数(金メダル数と総数)が14日現在で、4位で、大健闘と言えるけれど、そこで、感じることは何か、と言えば、実は、昔のお家芸が戻ってきただけではないか、ということだ。柔道、水泳、体操、卓球とほとんどすべてが、元々、日本のお家芸であった種目。残りの三宅選手の重量挙げも、娘が父親の後を継いだとも言えるので同じジャンルかもしれない。要するに勝ち方を知っているかどうか、それが歴史的な重さであり、同時に、極めて重要な要素だということかもしれない。

A君:今日の本題ですが、「環境でも歴史は繰り返す」というタイトルなのですが、実は、これも「パリ協定」関係の記事でして、「持続可能性」という言葉の意味が昔の定義に戻ってしまった、という事実を指摘するのが目的です。

B君:論旨は単純なので、できるだけクリーにかつ短く行こう。

C先生:オリンピックに免じて貰って、普段の70%ぐらいの長さで行こう。

A君:まずは、初めての読者もいるかもしれないので、持続可能性という言葉の歴史をやや丁寧に、しかし、できるだけ短く説明します。
 持続可能性は、英語では、Sustainabilityと言います。しかし、元々はそのような言葉ではなくて、Sustainable Developmentという2語の表現で使われていました。

B君:Sustainable Development、面倒だから以下、SDと略すことにして、この言葉が最初に使われたのは、1987年の"Our Common Future"と呼ばれる報告書、あるいは、この委員会の座長だったのが、ノルウェーの首相を3回も務めた女性Gro Harlem Brundtland。その後、WHOの総裁も務めている。そのため、ブルントラントレポートとも呼ばれる。

A君:国連の正式文書が、
http://www.un-documents.net/our-common-future.pdf
で読むことができますが、p45あたりからの記述である政策の方向性(パラグラフ40から)で取り上げられている項目が、やはり示唆的です。
1.人口と人的資源
2.食料安全保障
3.種と生態系(今なら生物多様性)
4.エネルギー
5.工業生産
6.都市の挑戦

となっているのですが、もっとも意識されていたことが、地球の持つ限られた空間・資源の限界がであったのは、明確ですね。

B君:この報告書が書かれた1987年の世界人口は、1950年の25億人超えから爆発的に増加して、48.5億人と50億に迫っていた時代。人口を支えるのに必要な食料が得られるかどうかが大きな問題だった。もっとも、穀物の生産性も、窒素肥料の生産量が急増して、1950年頃までの1トン/haのレベルから順調に増加していたので、実は、それほどの問題ではなかった。むしろ、アフリカの人口増加が止まらない現状を見ると、今後の方が問題かもしれない。

A君:まあ、いずれにしても、SDの意味するところが、やはり、人間一人当たりの分配量と、その未来予測といった問題意識だったということですね。特に、エネルギーについては、石油は比較的早く枯渇すると考えられていた時代だし、工業生産品の代表格である鉄鋼についても、何らかの量的限界にぶち当たると考えられていて、現時点ほど大量生産されるとは考えられていない時代だった。

B君:人口増大が進行し、将来、一人当たりの分前が減る。これが基本的な問題意識だった訳だ。特に問題だと考えられていたのが、化石燃料、特に、石油。なぜなら、石油消費量と経済活力との相関が非常に高いので、将来、石油が枯渇したら、将来世代の生活はどうなるのだ、ということが大きな懸念事項だった。

A君:一方、現時点で最大の問題である地球の気候変動問題の存在は、まだリオの地球サミット以前のことでもあり、ごく一部の科学者しか知らなかった。

B君:ということで、"Our Common Future"で主張されたことは、人口増大に伴う空間を含めた枯渇性の資源の配分が、現世代と将来世代で大きく異なってしまって、極めて不公平な状況になるだろう、ということだった。これは、すなわち、すでに経済成長が実現できている先進国では、人々は豊かな生活ができているが、これから経済成長をするということが途上国にとって果たして可能なのだろうか、という問題意識だった。

A君:当時の中国の一人当たりGDPは、250USD。それが、2013には6800USDになった。27倍以上の増加。中国がこんな金持ち国になるとは、誰も想像していなかった。

B君:ということは、当時の想定を超えて、枯渇性の地下資源はかなり充分にあった。むしろ、中国の過剰生産が問題になっている現時点は、当時から言えば、全くの想定外だということ。まだまだしばらくは、温暖化を加速しつつだが、鉄鋼の生産量は維持できてしまいそうだ。

A君:食糧供給問題の方が、実は、将来の見通しが不透明ですね。なぜなら、森林保全を相当にやらなければ生物多様性を守ることができないでしょうから。生物多様性がどこまで失われると困るのか、といった議論に結論は出ないと思うのですが、地球上の生態系の脆弱性が高くなって、どこかでポキッと折れるような事態が起きるような気もするのです。

B君:現時点での最大の問題は、かなり冷静に判断したとしても、やはり地球温暖化であって、中でも、海面上昇がもっともリスクが大きい。毎回、取り上げていることだけれど、バングラデシュだけでも、1.5mの海面上昇によって、1700万人の環境難民が出ると予想されている。

A君:現在、ヨーロッパで大問題になっているシリア難民ですが、UNHCRの情報によれば、2015年の7月に400万人を突破した。加えて、潜在的な難民が760万人ほど、まだシリア国内に居るということです。

B君:1.5mの海面上昇は、今世紀中に起きることは無いと思う。IPCCの第5次報告書での今世紀末までの世界平均海面水位の上昇予測は、0.26〜0.82mということなので、1.5mの上昇になるのは、来世紀になってからだ。

A君:しかし、現在のように、未来予測がかなり正確になってくると、気候変動に関して、新たに第二のブルントラント委員会のようなことをやらないとダメなのでは。

B君:多分そういうことなのだろう。

C先生:そろそろ、Sustainability、より古くは、Sustainable Developmentの議論に入らないと、字数が制限を超える。

A君:そうでした。ブルントラント委員会の報告書であるOur Common Futureの懸念は、人口増大とそれに伴う地球の容量不足という枯渇性でした。そのため、何が阻害されてしまうのか、と言えば、途上国の経済成長ができない状況になってしまうのではないか、ということだった。そこで、有名な記述ですが、Sustainable developmentという言葉が使われた。

Sustainable development is the kind of development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.

将来世代のニーズを損なうことなく、現世代のニーズを満たす開発を持続可能な開発と呼ぶ。

B君:これを世代間調停とか世代間衡平という言葉で呼んでいた。要するに、地球限界を議論する際の重要なコンセプト=「世代間調停」が、ブルントラント委員会によって提案されたのだ、という理解だった。

A君:それが「持続可能な開発」という表現だったのですが、いつのまにか、開発という言葉が削られるようになった。なぜならば、ブルントラント委員会の指摘である途上国の発展が、中国の例から分かるように、特に、資源的な悪影響を受けることがないで実現できるということが分かってしまったから。枯渇性資源に関する世代間調停が「持続可能な開発」の主題だったのですが、その縛りが解けた。

B君:そこで、「な開発」が省略されて、「持続可能性」だけになった。すなわち、持続可能性=Sustainabilityという表現になった。持続可能性だけであれば、それこそ、対象が何でも良かった。むしろ、一般論として「持続可能性」を議論する自由度を得た、と思った研究者が多かったのではないだろうか。特に、文科系の研究者には。

A君:実際そうでしょうね。Sustainable Developmentだと、概念が固定的なのですが、Sustainabilityであれば、それこそ、社会の持続可能性、地域経済の持続可能性、地域発展をどのように実現するか、地域文化をどうやって維持するか、などなど、自由自在に問題を取り扱うことができますから。

B君:もともと環境の研究をやっていなかった学者にとっても、極めて有利な状況が生まれたとも言える。なんといっても、定義が無い言葉が学問上重要だということになったのだからね。

A君:そのため、最近では、Well-beingの実現などを持続可能性の目標として取り上げることが、普通になってしまった。問題は、Well-beingとは何か、その定義もはっきりしない。こうなると、文科系の専門家にとっては、自分達の問題だと理解するようになる。

B君:ところが、昨年の12月に行われたCOP21によって、決定的な変化が生じてしまった。「地球の安定な気候」が「枯渇性資源」になってしまったのだ。これを守るために、具体的な行動を取らなければ、問題が解決しないことが分かってしまった。「生物多様性」については、名古屋で行われた生物多様性条約のCOP10によって、いささか枯渇性資源色が強くなっていたのだけれど、気候変動の生物多様性に対する影響も大きいので、ますます枯渇性資源という理解をしなければならない状態になった。

A君:ということは、新たに、「地球の安定な気候」と「生物多様性」という二つの枯渇性資源を検討しなければならない事態になったということを意味しますね。実は、「地球の安定な気候」という枯渇性資源と、「生物多様性」という枯渇性資源は、かなり違うものですが、まあ、検討の優先順位としては、同じぐらい基盤的でありかつ重要。

B君:それで、我々の書いている持続可能性の図が意味を持ってくるのだ。


図1 持続可能性の新しい定義の図

A君:最下層、第二層に支えられた形で、地域あるいは国レベルの持続可能性が存在しているため、最下層である気候変動の持続可能性が無い状態で、地域あるいは国の上に乗っかっている家族や企業の幸福度は維持できない。

C先生:ということだ。「安定な地球の気候」は、パリ協定によって、明らかに「枯渇性資源」になってしまった。これに対してしっかりとした対策ができないようでは、社会や個人、地域や国の持続可能性を議論する意味が無くなってしまった。以前の、石油などの枯渇性の資源が最大の問題であった状態に戻ってしまったと言えるのだ。環境問題の構造を理解すれば、こんなことは簡単に分かることなのだ。やはり歴史は繰り返すと言えるだろう。