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   リスク・コミュニケーション再考その2
   04.14.2013
      複数ありうるリスクコミュニケーションの方向性



 前回からリスコミについて、考え方をまとめ始めています。4月にはいってヒマになったと思って始めたのですが、このところ、全くヒマではない状態が続いています。ということで、熟慮した結果とは言えません。まだまだ未熟ということで、お読み下さい。

 今回は、リスコミの目的は、受け手の不安を解消することだけではないように思える、ということです。



リスコミにおける複数の方向性


リスク・コミュニケーションの方向性には恐らく2種類ある。

ひとつは、
1.受け手の不安をいかに解消するか
というものである。
となれば、もう一つは、
2.受け手に、不安はどうしても解消できないことを理解して貰う
というものだろう。


1.不安解消型のリスク・コミュニケーション

1−1.不安を解消すること

 現時点でリスク・コミュニケーションといえば、まず、不安をいかに解消するか、が目的とされている。しかし、それだけでは不十分で、この異なる方向性の両方を同時に目指すのが本来の姿なのかもしれない。

 まず、なぜ不安を解消しなければならないのか。一つは、現在考えているリスクが引き起こすであろう不利益の大きさに比べて、不安をもつことによって起きるであろう不利益の方が大きい場合である。このとき、不安を解消すべきであることが明白である。

 福島県の強制避難地域にはなっていない地域から、自主的に避難をし、移住に伴う精神的ストレスによって起きてしまう不利益が、放射線への被曝による直接的不利益を超すといったケースである。

 これとは、全く違うケースとして、風評被害を解消しなければならないような場合がある。福島県のコメを買うことを中西準子先生が著書「リスクと向きあう」の中で奨めているが、なかなかその真意が伝わらない。その理屈を理解すること自体が難しいようだ。

 その理由は、p52〜54に説明されているが、一言で表現すれば、以下のようになる。

 福島のコメを買うと、平均的に14892円/年のコメ代を払うことになる。そして、そこに含まれる放射性物質によって、多ければ、0.01〜0.1ミリシーベルトの被曝を受ける。勿論、もっとも少ないかもしれない。

 もし福島以外で生産されたコメを買えば、14892円/年のコメ代を払い、放射線は実際にはゼロではないけれど、意識としての被曝量はゼロになる。しかし、福島のコメが売れなければ、その保証金として、14892円分が農家に支払われるので、恐らく、電気代か税金がその分上昇する。その電気代の負担がいくらになるか、今のところよく分からない。

 年間0.01〜0.1ミリシーベルトの被曝量なら「このリスクはとてつもなく小さい」ものであると言える。

 この程度の被曝によるこの「とてつもなく小さい」リスクを避けるためのコストとして、いくらが妥当なのだろうか。これが中西準子先生の示す、リスク・トレードオフである。

 「このとてつも小さい」リスクであることが理解できないと、これがリスク・トレードオフだとは理解できない。すなわち、健康と金銭のトレードオフである場合には、理解が難しい。

 遺伝子組み換え食品を食べたとしてもなんら健康面への悪影響はでないことはことは明々白々な事実だが、これに不安を感じている人も多いかもしれない。

 それは、出し手の嘘を見抜けないためなので、嘘であることをどうやって見抜くかというスキルを伝授すべきかのかもしれない。

 リスクがほぼゼロである商品を危険だと煽って、リスクがあると特定の成分を含まない有機食品などを押し売りをするのも、形態の異なる風評被害かもしれないし、あるいは、不正義だと言えるのかもしれない。

 このような嘘を見抜くスキルは、やはり、その危険と主張することが歴史的にどうなっているかを知る必要がある。

 例えば、遺伝子組換えの大豆は、もはや世界の主流である。ブラジルなどで栽培されている大豆は、100%近くがこれである。そのまま調理用に使われる以外には、まず、大豆油用として、そして、その搾りかすは、ブロイラーの餌に使われている。しかし、それ以外にも、最近、イギリスなどで流行りだした豆乳用にも使われている。

 トウモロコシも、主な用途は確かに飼料用であるが、それ以外にも、直接トウモロコシを食べる用途もある。ポップコーン用は、米国内では相当の使用量だと思う。

 このように大量に使われているものに有害性があれば、なんらかの異常が検出できるものである。

 遺伝子組換え食品の本当の問題点は、一旦、これを使いはじめると、種子は一回限りなので、常に新しく買わなければならない、ということである。米国企業に、自国の農業の根本部分を掴まれて良いのか、ということである。

 日本で遺伝子組換え食品に反対しているのは、有機食品などの事業者が多い。これらの事業者にとって、消費者が危ない思う食品が多いことは、自ら販売する食品の安全性を宣伝する良いチャンスになるので、危ないと喧伝するが、本当にそのような食品が無くなってしまっても、事業者にとって不利な状況になる。

 このような事業者は不正義だと言えるのだろうか。そもそも何が正義か不正義という議論はなかなか困難なものであるので、リスク・コミュニケーションの範疇ではあると思うものの、かなり議論の隅に位置すべき問題のように思う。なぜならば、遺伝子組換え食品を売るのも利益を追及するからであり、その代替品を売ろうとする側も、実は、利益を追求しているからである。

 低線量被曝のリスクが極めて高いと主張している人々は、非常に特殊な政治的主張をもっている人々である。もしも、「福島にリスクを過大に評価しすぎたことによって、過度の不安状況に陥る人が多数発生することは、自己の政治主張のためにはプラスである」と、考えているとすれば、明らかに「不正義」に分類すべきであろう。


Summary:不安解消型リスコミの種類の整理

*不安をもつことの健康面の不利益がリスクが引き起こす健康面の不利益より大きいことを伝達 健康リスクと健康リスクのトレードオフ

*不安を動機とするリスク回避の不買行動が、まわり回って、結果的に、経済的不利益を引き受けることになる 健康リスクと経済的リスクのトレードオフだが、現状の福島のコメのようなケースであれば、そのリスクはとてつもなく小さい

*不安を持つべき実体はないが、不安を煽って経済的効果を狙う事業者がいる。これは不正義とまでは言えないかもしれない。

*福島における低線量被曝に過度なリスクを感じる人が多くなれば、それは、ある特定の政治的な主張をもつ自分にとってプラスである、と考えているとすれば、それは明らかに、不正義である。


1−2.有効と思われる不安解消手法

 何か未知のことが起きている。近い将来に未知のことが起きるように思える。これらの感覚は不安の原因になる。

 未知とは何か。それは、その対象に対する知識量によって表現できるかもしれない。知識量の十分・不十分にも2種類あって、そもそも人類が現時点でもっている知識が不十分であるというケースがあり、この場合にはどうしようもない。不安を感じている個人のもっている情報のうち、不安の解消に有効と思われる知識が、人類全体のもっている知識量よりも少ないといった場合には、知識量を増やすことは有効かもしれない。

 ということは、知識量と不安との間には、なんらかの相関関係があるということを意味する。

 どのような相関関係があるのだろうか。
 これまでの経験上、直感的にではあるが、不安に傾向にはいくつか特徴的なことがあるように思う。そこで、次のようなカーブを提案してみたい。その様子を次図に示す。



 この図の意味するところは、
a.強い不安をもつ不安体質というものがある
b.不安体質であると、不安が残留しやすい。知識量が非常に多くても、不安が残留する場合には、その知識量が偏っていることに理由を求めることができるのではないか、と思われる。
c.不安は突然解消する場合が多いが、その最大の理由は忘却であることが多い
d.より少ない知識量で不安を解消する人もいるが、それは、様々な経験をすでに積んでいる場合ではないか。


 d.が存在する理由は、当該リスクについて、十二分の知識を持っていて、忘却という方法ではなく、不安を持たないという人が存在できるからである。多くの場合、このような人は、知的レベルが高いと評価されている。リスクはあるにしても、それが発現する確率がゼロに近いことが、ある程度見えるからではないだろうか。

 確率がほぼゼロに近くでも、それをほぼゼロだと実感できるには、自分の感性をある程度制御できることが条件かもしれないので、それなりの知的レベルが必要だと感じている。


1−3.具体的な知識伝達手法

 山岸俊男著の「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」 (中公新書)をなどを読み、また、色々と考えた結果、リスク・コミュニケータとしては、以下の3種類の方法を試みる価値があるのではないか、との仮説に到達した。

 この新書の紹介は、本HPでも行なっている。
http://www.yasuienv.net/HowtoAnshin.htm

1)日蝕型方法論
2)お化け屋敷型方法論
3)悟り獲得型方法論


 これらのうち、1)日蝕型、2)お化け屋敷型は、不安解消型に分類される。

 3)悟り獲得型は、不安は決して解消できない。悟るしかない、というものなので、2.節で検討する。

 まず、1)日蝕型だが、地球上にまだ多少は残っている原始的な生活をしている人々は、日蝕そのものが何かの祟りで、もし日蝕が終わらなかったどうしようと恐れるという。それに対して、現代人は、日蝕が終わらないといって恐れる人はいない。その理由は、多分、次の2つである。

 歴史的経験:過去、日蝕から戻らなかった例はないことを知っている。

 予測可能性:始まる時間が秒単位で分かっているのだから、多分、終わることも確実に分かっているだろう。

 歴史的経験は、信頼できるが、必ずしもすべての人がすべての体験をしている訳ではないので、仮想的に経験をすることが必要となる。それには、受け手の知識を最新のレベルにバージョンアップすることが必要となる。

 予測可能性を理解してもらうことは、かなり高度であるかもしれない。そもそも日蝕がいつ始まるか、どうやって計算しているのだろう。天体の軌道は、ニュートン力学の範疇であるため、極めて「確定論的」な計算が可能であるということをどう分かって貰うかという問題である。ここには、コミュニケータの工夫が必要かもしれない。

 この予測可能性は、2)お化け屋敷型の方法論でもある。もしも、お化け屋敷に入ったとしても、いつ、どこで、何が、どのように起きるかを正確に知っていれば、不安はかなり減るだろう。

 不安に思っているなんらかのリスクがどのような時系列で発生して、どのような結末に至るのか、その詳細が分かっていれば、不安を減らすには有効であろうと思われる。


1−4.リスクコミュニケータ以外が使う手法

 リスクコミュニケータは使うことができない手法であるが、国や自治体などの公共的な組織体であれば、使うことができる不安解消法がある。それらを次の表に示す。

表 国や自治体など公共的な組織が、不安を解消するために使う手法

4)死の掟型
5)担保型
      

 死の掟型とは、マフィアの親分がなぜ安心していられるのか、という問に答えるもので、子分が親分を裏切ると、自動的に死の掟が発動するような制裁を社会システムに仕込むことによって、不正などが行われないようにする方法である。

 死の掟とは言えないが、国などが安全性などに対する責任を最大限強化するという方法は、これに属する。

 もう一つが担保型である。いくら親しい友人であっても、「ちょっと100万円都合をしてくれ」と言われても、返却されるかどうか、かなり不安がある。そこで、一般社会では、なんらかの担保を貰っておく。

 広島・長崎で被爆者でありながら、放射線への被曝量が少なかった人々は、非被爆者よりも寿命が長いということが報告されている。これは、医療費などが無料であることが大きかったと思われる。これが担保である。

 福島で被曝を受けている人々の健康診断を無料ということを担保にすれば、同じように寿命は長くなるだろう。


 次回、「非不安解消型のリスコミ(=悟り型)があるか」を検討したい。
 そして、その次ぐらいに、具体的にどのような方法論があり得るのか、その検討をしてみたい。
 しかし、そうならないかもしれない。