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  リスク・コミュニケーション再考その4
     04.28..2013
        「小さいが根源的なリスク」 の続き




 これまで、3回に渡って、リスク・コミュニケーションは何を目的として行うのか、などを検討してきた。

 しかし、考えれば考えるほど、迷路に入り込む感覚である。自分の経験値がまだまだ低いからだと思う。


 今週の記事は、前回、Facebookで後藤さんからのコメントに答えたところから再開したい。

後藤敏彦さんのコメント

 環境コミュニケーション規格14063のエキスパートを6年間勤め発行にこぎつけJIS Q 14063となっています。

 ここでのコミュニケーションの定義では、合意を達成することではなく、理解のレベルを上げるための双方向のプロセスというものです。リスクコミュニケーションでも合意されることはあるかもしれないが、そもそもがコミュニケーションは合意達成が目的のプロセスではないと考えます。

 数年前まで、環境省の化学物質と環境に関するマルチステークホルダーのラウンドテーブルにNGOメンバーとして10年ほど関わりました。その時、化学業界からの委員は2〜3年で変わる人が多いのですが、すべてがリスク・コミュニケーションで合意に達することを目的としているようでした。その結果、常に出るのはユーザー側の知識不足、勉強不足という、意見でした。

 さて、化学物質で大きなリスクは化審法で審査されているのでないという前提のようです。そうすると小さな(?)リスクのリスク・コミュニケーションが業界の課題のようですが、コミュニケーションは理解レベルをあげるための双方向プロセス、ということを理解しない限り無用の議論が続くように感じています。


 これに対して、当方の答は次のようでした

後藤さん

 なるほど。「理解のレベルを上げるための双方向のプロセス」をコミュニケーションと定義するのは、通常、ある目的をもって行われるコミュニケーションの最低限のレベルですね。ワークショップ形式を取り入れた一般的な教育と変わらない訳ですから。

 リスク・コミュニケーションの場合には、「理解のレベルを上げる」では短期的な実効性が伴わないのが普通なので、まずは、「なんとなくそれもありかと納得する=”(不完全な?)納得”」があり、その上に「異なったも意見を受け入れる=”受容”」があり、さらにその上に「(場合によれば補償などを含めて)合意する=まさに”合意”」があるという段階があると思っているのです。

 そして、リスク・コミュニケーションを実施する目的によって、目指すレベルが違うのだろう、と考えています。

 Webサイトでの「その1、2、3の一連の文章」は、”(不完全な?)納得”をまず念頭に置いて、色々と書いております。「一般的な教育」のちょっと先を目指したいということです。


 ということは、リスク・コミュニケーションの場合には、目的が多様であって、表の形で書きなおせば、次のようになるかと思います。

表 リスク・コミュニケーションの目的

1.理解のレベルを上げるための双方向のプロセス=情報提供or教育レベル

2.なんとなくではあるが、自分以外の考え方にも妥当性があるかもしれないと納得してもらうための双方向のプロセス=不完全な納得レベル

3.自分とは異なった意見も、聞いてみて分かったと受け入れて貰えるために行う双方向のプロセス=受容レベル あるいは、納得レベル

4.経済的な補償などを含めて合意するために行う双方向のプロセス=合意レベル


 さて、JIS Q14063の原文はどうなっているのだろう、というところから今回の「その4」の検討をはじめたい。

 14063では、環境コミュニケーションにも、いくつかの形式があると記述されている。http://kikakurui.com/q/Q14063-2007-01.html

a)一方向のコミュニケーションは,例えば,組織が環境報告書を発行するときなど,質問又は討論の機会がない形で情報を配布するときに発生する。

b)双方向のコミュニケーションは,組織と利害関係者との間で情報及びアイデアの交換が行われるときに発生する。

c)組織及び/又は地域社会に影響を及ぼすような効果的なフィードバックを含む参加形の意思決定においては,組織は,利害関係者と協働する。


 後藤氏は、この14063の検討委員会の委員だったので、状況をしっかり把握しておられる。b)がまさしく、後藤氏が指摘しているものである。

 上記a)は、環境報告書などや、最近だとCSR報告書が対象になるのだろう。

 b)が会合形式のコミュニケーションを意味するが、ここに双方向であるということが明示されている。

 c)は、参加型の意思決定と書かれているので、なんらかの合意形成を目的とする交渉のようなイメージであり、その際、敵対的な交渉ではなく、協働的に対応する方法論がコミュニケーションであると表現されているように思える。

 14063に明示されている訳ではないが、上記a)〜c)は、コミュニケーションに使う方法、すなわち、紙レベルなのか、会合なのか、さらにその目的が、情報交換なのか、意思決定なのか、によって、分類されているように思える。

 それに対して、上記表の記述は、会合を開催して情報交換をすることが手段であって、その目的がより細かく、4段階に分類される可能性があり、それぞれの目的によって、その手法も異なると考えれば良いのではないだろうか。



 ここから前回の続きで、記述をちょっと戻すと、

2.4 小さいが根源的なリスク

 例示は、この辺りにして、上記の根源的なリスクの原因、

★地球という天体のもつ特性
★ヒトという生命体のもつ特性
★ヒトと地球との相互作用で発生する特性
★現世代が未来世代に負の影響を与えるというヒトの特性

にどのようなものがあるか、もう少々具体的に検討したい。

(1)★地球という天体のもつ特性

と、ここまで前回記述したので、今回は、その(2)から。



(2)★ヒトという生命体のもつ特性

 ヒトという生命体のもつ特性は、明らかに、他の生命体とちょっと違う。生命体の最大のリスクは、生存環境が生命に与える悪影響であるが、ヒトだけは、生存環境を変えてしまう能力を持っている。そのため、生存環境の一部である社会というものに与える影響などもリスクとして認識しなければならない。

 そして、人類社会の受け皿である地球に対しても、もっとも脆弱な部分である環境維持能力に影響を与えてしまう。ヒトは、それほど強大な能力を持っているものの、地球環境を元に戻すという能力だけは無いに等しいのだから、奇妙なものである。

 ヒトの生命維持に対するリスクは、したがって、自らの力によって、増やすこともできるし、減らすこともできる。そもそも食糧を自らの手で生産することは、ヒトにもっとも近いチンパンジーでも不可能である。ヒト以外の哺乳類は、一部のペットなどを除けば、未だに飢えているのが通常の状態である。野生でメタボなど聞いたことが無い。

 「小さいが根源的なリスク」が本節のテーマであり、例えば、酸素を呼吸することによって活性酸素を大量に自らの体内で作ることもその一例ではあり、また、女性ホルモンが発ガン物質であることもその一例ではあるものの、もはや、そのような天然自然の「小さいが根源的なリスク」が、ヒトにとって決定的なリスクであるとは理解されていない。

 そのため、あたかも、人工的なリスク以外には、ヒトという生命体はリスクに直面することは無いと考えてしまっている。そのため、ダイオキシン騒ぎや環境ホルモン騒動のように、人工的な物質に対して敏感になりすぎる。最近ではPM2.5がそのような例であり、低線量被曝に対する過度な警戒感も、人工物であるセシウム134,137だからといって敏感になりすぎる一方で、天然物であるラドンやカリウム40に対してはあまりにも無頓着である。

 このような無理解が、実は、大きなリスクを生んでいる。それが不安である。中途半端な知性のためだろうが、不安を避けようとすればするほど、不安を増幅するという特性を身につけたのがヒトという生命だから、不安のリスクは極めて大きい。

 ヒトにとって、小さいが根源的なリスクは、今や「不安」になった、と表現することが妥当のように思える。

 不安を自己増幅する理由は、中途半端な知性にあるという仮説は、かなり正しいと信じている。そのため、リスク・コミュニケーションによって、「ちょっと考えてみたら、世の中には違った考え方もあって、それも妥当性が有るのかもしれない」、という中途半端な納得を得るプロセスも重要であろう、と思っている。


(3)★ヒトと地球との相互作用で発生する特性

 すでに述べたように、ヒトは地球の環境維持能力に悪影響を与えるほどの強大な力を獲得した。しかし、これもすでに述べたように、地球の環境維持能力を復活させるという力は、未だに不十分である。

 いや、全面的には持っていないという表現の方が良いかもしれない。公害などの環境汚染をエンドオブパイプの技術によって低減する能力は、すでに備えている。しかし、一度始まってしまったら、元に戻すことができないティッピング・エレメントと呼ばれているようなものがある。

 グリーンランドの陸氷は、地球の平均気温が3℃以上上昇すると、スイッチが入って、それから何をしてもスイッチをオフにすることはできない。

 それは、スイッチが入った段階から二酸化炭素排出量をゼロにしても、すでにダメだからである。大気中の二酸化炭素を何らかの方法で減らす=ネガティブエミッションという能力を、ヒトは未だに持っていない。

 これは、熱力学の法則で決まる「変化が進行する方向」を逆にすることに等しいので、とんでもない大量のエネルギーを必要とするからである。

 これまで、ヒトが強大な力を備えたと言ったが、よくよく考えれば、自然の中での通常の変化を起こしているだけであって、変化の方向を本質的に変えるといった力を備えた訳ではない。

 温度の高い物は、温度の低い物に熱を与えて、両方の温度が等しくなるまで、その熱の移動は続く。これが自然の中での通常の変化の方向である。これに逆らう技術がヒートポンプで、エアコンなどに応用されている。そのため、真夏でも室内の温度を下げて快適な空間を作ることができる。しかし、この技術は大量のエネルギーを使って無理矢理に熱の移動方向を変えているだけで、その目的で使用した大量のエネルギーがどこに行ったかを含めて考えると、結局は、地球の温度を高くしているだけである。

 地球はヒトに比べれば、確かに莫大であるが、ヒトが生存に必要なエネルギーが高々2000kcal/日であるにもかかわらず、文明国においては、主として、移動の自由度と快適性確保のために、その数10倍のエネルギーを使っている。大量のエネルギーを消費する人数も、どんどんと増え続けているという状況では、地球の限界を意識すべきなのだが、相変わらず、地球は莫大だと思っている。

 ヒトのもつ「小さいけど根源的なリスク」とは、どうも、「ヒトは小さい」という思い込んでいることから発生するリスクなのかもしれない。

(4)★現世代が未来世代に負の影響を与えるというヒトの特性

 (3)で述べた地球との関係が理解できない、ということは、自分の吸っている空気の範囲を超えて、より大きい空間を理解する気が無いことが、ヒトの特性だと言えるだろう。

 空間的な限界だけでなく、時間的な限界も非常に大きい。多くの人が気にするのは、やはり現時点である。

 最近でも傾向は変わっていないと思うが、入社試験を受けるとき、その時点での業績の良い会社を選択するというのは、実は、相当大きなリスクを招く可能性が高い。

 企業における価値を生む製品なり事業の寿命は、概ね15年である。それ以上の期間に渡って、健全な経営を続けることができている企業は、価値を生む源を次々と産み出しているからである。しかし、これに成功する企業は非常に少ない。

 それでも、日本は、古い企業が存在している国に属する。それは、文化と伝統のためだと思う。米国には、そのような文化も伝統もないから、ビジネスモデルをどんどんと変えなければ価値を失うばかりである。

 ヒトが未来を見る能力を持っていないと言っても、チンパンジーは、未来を見る能力を全く備えていない。未来を見るために必要な知性は、相当高度なものなので、その必要条件として、言語・文字の発達が不可欠だからである。

 チンパンジーの研究者であるジェーン・グドールは次のように言っている。

 「ヒトだけにできることは、過去を語り、未来に備えた計画を立てることである。さらに、子どもの教育を言葉だけで行う能力があることもホモ・サピエンスの特徴であろう」。

 未来に備えた計画は様々なものがあるが、子ども、孫、その先の子孫のことを十二分に配慮することがもっともホモ・サピエンス的な知性だということになる。

 すべての人が、このヒトのもつべき特性を再認識しないこと、それがヒトの最大のリスク要因なのかもしれない。