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   リスクコミュニケーション 
   03.29.2014
           西澤真理子さんの著書




まずは、本のデータから。
書名:リスクコミュニケーション
著者:西澤真理子
新書版 264ページ
発行所:株式会社エネルギーフォーラム
価格:¥900+税
2013年11月10日 第一刷


目次
第1章 リスコミから見た原発事故
第2章 食品と水をめぐる混乱
第3章 クライシスコミュニケーションとは何か
第4章 リスクコミュニケーション(平時の対応)
第5章 リスコミでよく見られる誤解
第6章 メディアとリスク増幅
第7章 だから発がん報道は繰り返される
第8章 科学者はリスクコミュニケーションにどうかかわるべきか
第9章 企業のリスクコミュニケーションの問題
第10章 どうすれば良いのでしょうか:リスコミの実践へ



C先生:アマゾンで少々調べてみたら、ここ2〜3年でコミュニケーションを題材とした本が増えている。当然のことである。福島原発事故があったからである。しかし、3年が経過た現時点では、リスコミという言葉にも相当な手垢が付いたようにも見える。しかも、こと福島に関しては、リスコミが何を目的として行われるのか、ということが合意できないままであるのように思う。

A君:福島でリスコミというと、最近では、その言葉だけで固まってしまう人がいるとすら言われているようです。

B君:福島の場合、補償問題などの利害が絡んでいて、通常のリスコミの範疇を超えてしまったからとも言える。

A君:帰還するかどうか、帰還できるかどうかには、個人としての様々な事情が絡んでいて、一方、自治体や国は、「帰還を望んでいる」を前提としている。最初から結論が異なっている場合には、コミュニケーションそれ自体が難しい。

B君:その通りだ。そのような場合にはリスコミも無力なのだろう。リスコミは相互に意思疎通をはかる合意形成のプロセスだということになっていたけれど、やはり一方的になってしまうものでもある。

A君:リスクを良く知る側から余り知らない側への一方的に知識が流れることによって、リスクを余り知らない側の人々が、リスクを良く知る側のリスク対応に近い対応をするようになる、というのが一方的な場合の典型であって、このような成果だけが追求されたのだろう。そのため、リスコミと聞くと、また知識を押し付けられるという反応をしてしまうようになったのだろう。

B君:双方向性の定義はどうなっているのだ。

A君:JIS Q 14063という環境コミュニケーションの規格があります。ISO14000環境マネジメント規格の延長の一つで、単独で使っても良いし、14000と合わせて使っても良いというものです。

B君:規格だから、そこに用語とその定義があるに決まっているな。なるほど。環境コミュニケーションの定義は、このようになっている。

環境コミュニケーション(environmental communication)
 環境に関する課題,側面及びパフォーマンスについて理解の共有を促進するために,情報を提供及び入手し,並びに内部及び外部の利害関係者との対話にかかわる,組織が実行するプロセス。

A君:昨年リスコミを再考していたとき、まだ不完全ながら、双方向性の重要性は理解していたつもりでした。14063では、それが「理解の共有の促進」というあまり明確ではない言葉で書かれている。

C先生:環境コミュニケーションとリスクコミュニケーションはいささか違う面が無いわけではない。さらに、クライシスコミュニケーションという別の言葉もある。しかし、緩い言葉で書けば「理解の共有の促進」が、もっと情報を出す側の責任を強化した表現なら「双方向の理解」が、重要なことに変わりはないだろう。その実現のためには、何が必要なのか。こんな観点から、リスクコミュニケーションのあり方を見ることが必要だ。

A君:了解しました。「双方向性」、「理解の共有」をキーワードとして検討します。今回、検討の対象にする西澤真理子さんの「リスクコミュニケーション」が何を描いているのかをチェックしてみたいと思います。

B君:では、まず第1章と第2章から。ここは、福島事故の記録になっている。第1章は、「緊急避難」が一つのキーワードで、諸外国の大使館がどのような行動をしたかが記述されている。

A君:西澤さんは、英国の大学院を修了しているし、現在、シュトゥットガルト大学の環境技術社会学科のフェローなので、海外からかなりの情報が入っていました。その結果を見ると、国によってかなり対応が違っていた。

C先生:海外の対応の相違については、この西澤さんの本でよく知ることができる。その意味で貴重な記録になっている。

A君:日本国内での情報が極めて貧困だったためもあって、海外からの情報は、どうやら日本国内の情報よりも質量ともに多かったようです。個人的には、英国の対応がもっとも適切だったように見えましたが。

B君:西澤さんによれば、当初、イギリスとアメリカは比較的冷静なニュースが多かった。しかし、ドイツは一貫して「危険」という報道であった。

A君:しかし、その後、事態が悪化するにしたがって、米国は80km圏外への避難を決め、320km圏内に居住している軍人・家族の自主避難を認めた。ちなみに福島は80圏内で、東京は250km圏。

B君:オーストリア・カナダも同様で、80km圏内の避難か室内待機を推奨。イギリスは、念の為に80km外に退避を勧めると同時に、日本政府の指示に従うこと、さらに、20〜30km圏内に居る場合には、室内待機を勧告した。

A君:ドイツ・フランスは、一刻も速い関東圏からの脱出を奨めた。17日付の在日ドイツ大使館からの在日のドイツ人に送られたメールには、「東京、横浜、そして静岡、山梨、長野、新潟、それから北海道にいたるまでの東日本に居住するドイツ人は、一時的に西日本に避難することを勧告する」とあった。

B君:外国政府がこんな対応をする中で、日本政府は、「直ちに健康に影響はありません」という言葉を繰り返していた。

A君:それまでレベル5だと言っていた事故が、実はレベル7であるということを日本政府が公表したのは、1ヶ月後の4月12日だった。

B君:水素爆発直後から、米国などでは、自国のスリーマイル島の事故よりも深刻だということをコメントしていた。

A君:日本政府による情報隠しだったのだろうか。当時の菅首相は、後日、「私が把握していた事故情報については、その公表を憚ったとか、隠したことはない」と語ったそうです。

B君:しかし、SPEEDIのデータは隠されていた。

C先生:水素爆発があってから、文部科学省は、恐らく自動車に放射線の計測装置を積んでだろうと思うが、福島第一の周辺の放射線の測定をしていたが、そのデータは、かなり早くから見ることができた。

A君:そのデータの一部が、本Webサイトの
http://www.yasuienv.net/TeraBq.htm
に掲載されている。浪江町の32番ポストのデータで、3月17日の値が、なんと160μS/hもあった。その後の減衰状態から判断すると、そのかなりの部分がヨウ素131のものだったと思われます。

B君:このようなデータは、菅さんは把握していたのだろうか。多分、正確な情報が菅さんのところまで上がっていなかったのではないだろうか。理由は、多分、菅さんから妙な指示を出されると困るので。結果的に、あらゆるコミュニケーションを最悪なものにしたように思う。

A君:そもそも、このような事態でのコミュニケーションは、リスコミというよりもクライシスコミュニケーションと呼ぶべきもの。

B君:クライシスコミュニケーションは緊急時のコミュニケーションなので、単一の窓口がすべての情報を出すことが第一の条件。第二の条件が、どのような行動を取るべきか分かりやすく伝達すること。

C先生:この単一の窓口が情報を出すということが、大変に重要なのは、まず、単一の情報源であれば、情報が一種類しかないので、その意味での混乱は生じない。加えて、その組織と例えばメディアの間で双方向のやりとりが行われて、出される情報がより分かりやすく正確に伝わるようなものに改善されるからかもしれない。

A君:しかし、この当時、情報は、東京電力、原子力安全保安院、政府などによる記者会見によって提供されていた。これでは駄目だということ。

B君:日本政府はクライシスコミュニケーションという考え方を持っていなかった。

A君:第3章が、そのクライシスコミュニケーションという章になっています。クライシスコミュニケーションとは何かが詳細に記述されていますので、参考になりますが、お読みいただくことにして、次が平時のリスクコミュニケーションを取り扱う第4章になります。

B君:非常に簡単に述べれば、リスクコミュニケーションの目的は、「相互信頼」を得ること。そのために伝達されるべきことは、リスク評価とリスク管理の2点。すなわち、どのぐらい危ないか、それをどうやって管理しているか。

A君:リスク評価をどれほど分かって貰うかが問題なのですが、先生ができの悪い生徒に教えるような態度では、まあ駄目ということです。情報の出し手が、受け手に分かってもらうための工夫などを積極的に行うのは当然なのです。しかし、リスクコミュニケーションの受け手側にも、社会の構成員としての責務を理解するといったことが必要になる場合もあるとされています。

B君:その例として、津波の被災地の放射性廃棄物を含まないがれきを各所で焼却したときに、大々的な反対運動が起きた場合を上げている。実際には、反対運動を行ったのが政治的な活動家なので、責務の共有を理解している一般市民が多数いたとしても、何かできたか、と言われれば、それは無理だったかもしれない。

A君:リスクコミュニケーションを阻むものとして、認知バイアスを指摘している。これは正しいのだけれど、自分は認知バイアスを持っていると認めて、それを修正することは、極めて難しい。

B君:第5章は、リスコミの誤解の章で、リスク=危険ではないとして、様々な例を記述している。

A君:その後、第6、7章は、リスク報道とメディアの話。

B君:第8章は、科学者はリスコミにどうかかわるべきか、という章で、科学者には厳しい現実を突きつけている。その最大のものが、「論理は理解されない」。これが事実だとして、どう対応するのか。大阪大学の菊池誠氏との対話が紹介されているけれど、個人的には、具体策は残念ながら見つからないと思っている。全く別の部分で信頼性を確保してからでないと、リスコミは、いつでもほぼ不成立に終わる。すなわち、相互理解は結局できないのではないか。

A君:そして、第9章が企業のリスコミの問題、で省略。

B君:最後の第10章が「どうすれば良いのか:リスコミの実践」。

A君:まず第一の条件が、ゼロリスクからリスクの「許容」へ。双方向のコミュニケーションを行う場合には、なにか、両者の中間にゴールを決めないと、まずは無理。これは納得できるし、実際、ゼロリスクはないということをいかに伝達するかが、大きな課題だと思っています。

B君:そして、2つ目のゴールが、責務の共有。これは他のリスコミの本には書かれていないことかもしれない。企業とその周辺住民といった場合だと、責務として一体何を共有できるのか、ということを十二分に議論してからリスコミを開始する必要がある。

A君:責務がお互いにあることを共有できれば、それは、双方向理解が進むと思いますが、現在の福島の状況を見ると、被害者が国側とか東電側の責務を主張することは当然なのですが、一方で、自らが受け取る補償は、税金、もしくは、東電地域からの電気代であるということを意図的に無視する人が多いような感触ですね。

B君:それもまた当然とも言えるので、共有できる理念なり責務が見つからない。

C先生:そろそろ結論が出はじめているようだ。何かを共有できれている主体同士であれば、双方向のコミュニケーションなり、相互理解が可能。しかし、それができていない場合には、まずは、信頼感を醸成するといったこと、いわば、外堀から埋めることをじっくりと始めないと、結果として、コミュニケーションが難しいのではないだろうか。
 責務の共有ということが、具体的にどのように実現できるのか、これをさらに考えるべきであることは確実のように思える。
 結論だ。西澤さんのこの著書は、まず、福島事故のリスクコミュニケーションの観点からの記録としても貴重品。このような記録として、やや歴史になりかかっている問題、すなわち、ダイオキシンの場合、BSEの場合、環境ホルモンの場合などに関しても、このような本が必要なのではないだろうか。まだ、記録は残っていると思うので、今からでも遅くはないかもしれない。