-------


   そもそも”リスク”とは 
 04.13.2014
           リスクの定義の多様性の再考




 いまさらリスクとは何か、ということを書くことにしました。それは、リスクの定義が様々だからです。

 ISO31000はリスクマネジメントの国際規格ですが、リスクが良い結末を生み出すこともありうるとして、「目的に対する不確かさの影響」と定義されています。ISO Guide 73:2009も同様です。

 しかし、一般社会では、リスクとは「危険」であると考えている人が普通だと思われます。

 ISO31000は、ある組織におけるリスク管理を考えるための規格だと思うので、その目的のためには、もっとも適切な定義ですが、環境リスク、放射線のリスクなどを考える場合には、適切だとは言いにくいのです。

 今回、Webを再度チェックして、様々なプレゼン用の資料などから、リスクの定義を色々と探って見ることにしました。

 その探索の結果、というか、副産物として見つかったいくつかの定義などを記述してみたいと思います。



C先生:リスクという語の起源は、どうもラテン語のrisicoらしい。その動詞はrisicareで、絶壁の間をぬって航行する意味だとのことだ。この記述を見つけたのは、財)国際高等研究所、木下冨雄氏のパワポで、
http://www.iae.or.jp/nuclearsafety/pdf/01_20111008/kinoshita20111008_r.pdf
それによれば、「大航海やルネッサンス時代の冒険を厭わない時代精神、ロンドン大火の経験からリスク回避の手法を思いついた商人たち(保険会社の設立)、それに確率論的な根拠を与えたパスカルなどの数学者が15〜17Cに結びついた」。そして、そこにあるのは、「積極的、能動的、選択という文化」だ、

A君:木下氏は、「日本にはリスクに見合う言葉自体がない」、「国語辞典にはリスク=危険と誤訳している」、「地政学的に安全で冒険する時代精神がなかった」、「安全と水はタダ」、「存在するリスクは自然災害が中心」、などなどの記述もしています。

B君:さらに、これが日本人のリスク観であって、リスクとは「他所からやってきて迷惑をかけるだけの厄介者」というイメージが普通。このような心性をライシャワー大使は、「タイフーンメンタリティ」と名付けたが、これは、リスクへの対処法としては、一種の諦観だ、と表現している。

A君:「他所からやってくる厄介者」という表現ですが、他の国であれば、「他所からやってくる」のは「暴力的新支配者」が普通。しかし、日本では「天災」。まさに木下氏の言うように、地政的に価値の低い日本の地理的な条件を反映しています。

B君:その通り。そのため、日本という国では、外部からの暴力的侵略者が支配者になった実例はほぼ無くて、影響面からみても、台風以下だったという意味なのだろう。

A君:ところで、このパワポが使われたのは、(財)エネルギー総合研究所主催の「原子力の安全を問う−巨大技術は制御できるか」第一回シンポジウム、開催2011年10月8日。やはり、東日本大震災と福島原発事故以後、日本のリスコミにとって、すべてが変わり、やっと本当の意味でのリスコミが形成されつつあるような気がします。

B君:この問題に対する木下氏の提言は、「リスク嫌いの日本人も、安全/危険という二分法的発想によるのではなく、リスクという確率的発想に慣れるべきではないか」、「巨大技術には、人文・社会系の参加が必要」、「閉じた世界だけで安全を考えるのではなく、開いた世界で衆知を集めた体制を構築すべき」などなど、リスク学的には、極めて妥当なものだ。

A君:さて、リスクをどのように定義しているかですが、木下氏のリスクの定義は、どうやら「確率的」という定義ですね。

リスク=ハザード × 確率 

という定義が普通だと考えていたのかもしれない。

B君:この手の定義式は、しばしば工学的な定義式と呼ばれて、災害や事故の発生のリスクを簡単に定義する式として便利だとされている。

A君:この式の場合には、リスクプロファイルとしては、突発型である場合が多いと思います。似た式として、

リスク=ハザード × 曝露

という式もしばしば使われますが、曝露という語感は、リスクを受け取る側が、ヒトを含めた生物という感じですね。あるいは、試験片=テストピースというものも環境からなんらかの曝露を受けたときに起きる物性の劣化が測定されるかもしれないですが。

B君:この場合には、ハザードの原因を、長期に渡って継続して受ける場合もあれば、瞬間的に一瞬で受ける場合もある。いずれの場合にしても、曝露を受けることによって、機能が低下し生命が脅かされる、試験片であれば、カタログに表記されている機能が低下し、仕様を満たすことができなくなる、という感じだろうか。

A君:この曝露という言葉を使うもっとも一般的な領域が、疫学。ある有害物質なり環境なりが、ヒトに対してどのような悪影響を及ぼす可能性があるか、統計的に明らかにする学問。

B君:いつでも、「ハザード × 曝露」や「ハザード × 確率」のように、線形の掛け算なのか

A君:数値で表現するときには、まずは線形の掛け算でしょうね。しかし、数値で表現できないような場合を含むもっと一般的な表現としては、「組合せ」、ということで良いのでは、と思います。

B君:ちなみに、木下氏は、京都大学文学部心理学科教授だった。

A君:心理学者でリスクを取り扱うのは、例えば、中谷内一也同志社大学教授。そのプレゼン資料が
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai6/siryou1.pdf
ですが、やはり、原発事故関係のイベント用。低線量被ばくのリスク管理に関するWGでの発表資料です。

B君:中谷内先生は、「リスクのモノサシ」の著者で、リスクを比較するのに、10万人あたりの年間死亡者概数を用いることを提案している。


図:中谷内先生のリスクの比較表記

B君:vCJDあるいはBSEと表現した方が分かる人が多いが、ゼロより大、”>0”という表現よりも、ゼロではない、”≠0”、場合によっては、ほぼゼロ、”≒0”が適当のようにも思える。

A君:それはそれとして、定義式は何であっても、年間死亡者概数というもので、そのリスクを表現してしまおうという、いわば結果主義。期待値主義と呼ぶことも不可能ではないけれど、死亡数を呼ぶ言葉としては、期待値は似つかわしくない。

B君:年間死亡者概数とか、損失余命とか言った期待値系の数値を見ると、死亡確率が0.1%上昇するといった表現よりも、直感的に理解しやすい。

A君:確率ということを正確に表現するのが難しいことが一つ。確率では、やはり、自分の身にどのような変化が来るか、という感覚と結びつけるのが難しい。

C先生:低線量被ばくの場合のリスクを損失余命で表現すると同時に、がんによる損失余命全体の数値も示すというやり方が、比較的直感的かつ客観的にリスクを理解できるのかもしれない。

A君:この件は、しばらく宿題として考えることになるでしょう。

B君:そして、次の資料が、文部科学省の科学技術・学術審議会、基本計画推進委員会H24.1.24で行われた、早稲田大学のジャーナリズムコースの田中幹人准教授のプレゼン資料。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu18/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/03/06/1315821_02.pdf
 その10ページに、

 リスク=ハザード × 感情(社会科学・心理学)

という定義式が出てくる。そして、この「感情」を取り扱うのが本来の「リスクコミュニケーション」であると定義している。

A君:これは、通常のリスクコミュニケーションの定義とは相当異なるタイプの定義だけど、どうなのだろう。

B君:この定義のページで、「研究者の大半は気づかぬうちに啓蒙的発想に陥り、自分たちの周辺でしか通用しないリスク概念を押し付けてしまう」、「では、正しいリスコミを行えば市民は受容するか?」と書かれている。これは事実。

A君:専門家のリスク比較表現に対して市民がどのように反応したかを解析している。市民の反応の指標として使ったものは、Tweetの解析結果で、昨今はやっているBig Data解析。
 そして、その内容を
+2:感情表現を含む肯定評価(共感・賞賛)
+1:科学・論理的な肯定評価(同意・信頼)
0:事実の確認、ストレートニュース
−1:科学・論理的な否定評価(批判・不信)
−2:感情表現を含む否定評価(非難・罵倒)

の5ランクで分類している。

B君:専門家の発言の分析は、Covello(1989)指標に沿ってリスク比較表現を分類している。

A君:Covello指標ですが、「リスク比較表現の受容性」を示すもので、
第一ランク(もっとも受けいれられる比較)・時期が異なる同一のリスクの比較
・基準との比較
・同一のリスクに対する異なる評価の比較
第二ランク(望ましさの劣る比較)
・何かを行うリスクと、それを行わないことの比較
・同一問題に対する異なる解決策間の比較
・他の場所で起こった同一リスクとの比較
第三ランク(さらに劣る比較)
・平均的リスクと特定の時期や場所における最大のリスクとの間の比較
第四ランク(わずかにしか受け入れられない比較)
・コストとの比較、あるいはコスト/リスク比での比較
・職業リスクと環境リスクの比較
・同一源泉に起因する他のリスクとの比較
・同一の病気や怪我をもたらす他の特定要因との比較
・リスクと便益との比較
第五ランク(ほとんど受けいられらない比較)
・関係の無いリスクとの比較(喫煙、車の運転、落雷など)


B君:このCovello指標は、かなり正しいように思うが、実際に第一ランクに分類されるような良いデータが無いことも普通にあるのが現実。

A君:それに、現在直面しているリスクの相場観を知ることは、リスクへの対応を考えるときに必須ではあるので、関係が全くないリスクを例示用に使うということも止むを得ない場合もあります。

B君:Covello指標は、受容性を獲得したい場合に使われるものなのではないかと思う。

A君:Covelloという人を調べてみました。Dr.Vincent Cocelloは、ニューヨークのCenter for Risk CommunicationのDirectorです。
 Covello指標は、Springer の図書”Principles and Guidelines for Improving Risk Communication”Print ISBN 978-0-306-48497-1のなかにあるPrinciples and guidelines for improving risk communicationという論文のようです。
http://link.springer.com/chapter/10.1007%2F978-1-4613-1569-8_1
結構高い本なので、スキップしますが、取り扱っているトピックスは、健康リスク・環境リスクのようです。

B君:健康・環境リスクか。1989年に書かれた本だとすると、それ以前の環境問題の事件、例えば、1979年のラブ・キャナル事件あたりが思い浮かぶ。エリン・ブロンコビッチで有名な六価クロムの事件は、1993年なので、対象外。

A君:ラブ・キャナル事件とは、環境gooから記述を部分的に拝借すれば、こんな事件です。
http://eco.goo.ne.jp/word/ecoword/E00236.html
 「1979年に米国のニューヨーク州ナイアガラ・フォールズ市で起きた、廃棄物による環境汚染事件。「ラブ・キャナル」とは、建設が中止されて使用禁止になっていた同市の運河のこと。この運河を購入した地元の化学品メーカーが、1940年代から50年代にかけて酸や農薬などさまざまな化学物質を2万t以上投棄。運河は埋め立てられた後、同市にわずか1ドルで売却され、跡地には住宅や小学校が建設された。
 その後、ラブ・キャナルの周辺で降雨のたびに汚水の流出や悪臭の発生がみられるようになり、流産したりにかかったりする住民が続出した。調査の結果、80種類を超える有害な化学物質が検出さガンれ、同州が政府の緊急財政支援を受けて土地の買い上げを行った。1980年にはカーター大統領(当時)が非常事態宣言を発令。同地から約900世帯の住民が移転し、汚染地の浄化対策が行われた。
 ラブ・キャナル事件の原因となった有害な化学物質を含む廃棄物は、投棄された当時は適法な許可に基づき埋め立てられたものであり、企業の責任を問うことは難しかった。しかし、同じように過去に投棄された有害物質による土壌・地下水汚染が相次いで発覚したため、米国では1980年、直接関与したかどうかにかかわらず、過去の汚染についても企業の浄化責任を問うことができる「スーパーファンド法(包括的環境対処補償責任法)」が制定された。」

B君:ラブ・キャナルの住民とのリスコミをやる際、その場所の有害物のリスクをどのようなものと比較するか、といった場合には、確かにCovello指標の第一ランクから第五ランクは極めて正確に成立するだろう。

A君:確かに。しかし、田中准教授のリスクの定義ですが、
  リスク=ハザード × 感情
という表現は、いささか特異的すぎますね。
  非受容性= ハザード × 感情
   あるいは
  不安= ハザード × 感情
といった式なら理解できますが。

C先生:日本流にこだわるのであれば、安心とか不安を定式化することが一つの方法論だと考えていて、色々と試みている途中だ。しかし、実際にやってみると、リスクの対象によって考えるべき要素が違うことが分かる。特に、伝達する情報の透明性がどのように受け取られるか、このあたりに、受け取る側の認知バイアスが露骨に影響するということをどう入れるべきか、なかなか悩ましいのだ。

A君:本日の検討課題であるリスクの定義ですが、安心・不安とか受容性・非受容性とか言った別の感情的要因は入れない方が良い。となると、リスク=ハザード × 確率、リスク=ハザード × 曝露 の定義でまあ十分行けるという結論ですか。

C先生:歴史的に見ても、そう言えるだろう。感情をリスクの定義に入れることは、まだまだ余りにもチャレンジングな試みのように思える。現時点でリスクに取り入れるとしたら、ストレスによる心筋梗塞発生のリスクを加味するぐらいだろうか。
 リスクを評価する際に、定義をスキップして、損失余命とか年間死亡数のような期待値系の数値で示すというやり方もあると思う。その上手な使い方を考えることも今後重要な課題になるだろう。