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 日本人のリスク観と文化的背景    09.13.2009
     



 8月28日には、日本化学工業協会のLRI研究会で、そして、9月5日には静岡市で食の安全に関する講演を行った。続いて9月11日、環境科学会の北海道大学での年会で、化学物質のリスク評価に関して、日本人のリスク受容性が変わらなければならない状況になったことを主張した。

 いずれも、日本人のリスク感覚が、欧州などとかなり違うということを含んだ講演や発表になっている。この話は、当然、本HPでもやっているつもりであったのだが、調べてみても明確に議論した記事が見つからない。

 そこで、日本人のリスク観についてまとめてみたい。



C先生:このところいろいろなところに原稿を書き散らしている状況が原因で、このHPに何を書いたのか、判然としない状況になっている。このところ、リスクに関する話を何回かしたもので、その内容について、再度、まとめてみたいと思う。

A君:このところHPでは、リスクを取り上げているのは、ダン・ガードナー氏の著書、「リスクにあなたは騙される」関連が2回。
B君:大分前になるけど、1月12日号で、「21世紀型リスク観」というものがある。そこでは、小島正美氏のリスク本を中心にした議論で、小島氏の庶民感覚とか、メディアの特性とか言った話を中心としたものだった。

A君:要するに、国際的な比較とか、日本人とはどのようなリスク観をもっているのか、といった話は、やっていない。

C先生:ということなら、安心して多少やってみるか。
 まず、今回、リスクの話が増えてきた理由だが、その一つに「化審法=化学物質審査規制法」の改正がある。
 これまで日本の化学物質の管理は、(1)新規な有害物を商品化させない、(2)既存化学物質という昔から使っている物質の安全性を再度チェックする、(3)企業からの排出などについては、自主的な枠組で報告してもらう、といったことを並列的に行って管理をしてきたように思える。

A君:ところが、今回の化審法の改正によって、まずは、企業から生産量や輸入量、さらには用途や、保有している有害性情報などを報告してもらって、これを用いて環境リスクというものを評価し、よりリスクが高いと思われる物質から再度チェックしていこうという考え方に変わった。
http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kasinhou/h21kaisei/kaiseikashinhougaiyou.pdf

B君:リスクを基準にすること自体は、学問的には正しいことだ。いくら有害性が高い物質でも、暴露されなければ、すなわち、なんらかの方法で体内に入れなければ、その個人に対して害はない。環境中に放出しないで、全部処理できれば、環境にとっても問題はない。すなわち、ヒトの健康リスク、環境リスクというもので、評価することが基本的に正しい方法だと思われる。

C先生:ところが、「リスク管理」ということが何を意味するのか、日本社会はまだ十分に理解していないのではないか、ということが我々の共通理解だ。

A君:リスクとは数学的には、「事象の危険性」に「事象への暴露の確率」を乗じたものだ、などと言っても、誰も理解してくれない。

B君:しかも、リスクというものは、可能な限り避けるべきものだ、すなわち、あらゆるリスクはゼロにすることが正しいという主張に同調する人々が多いのだ。

A君:まあ、それも無理もないことで、安全にできるのなら、安全にしてなぜ悪い、と思うのは自然なこと。

B君:安全にできるなら、という仮定が間違っていなければ、その通り。ところが、安全にするには、何か行動しなければならない。場合によっては、費用が掛かる。となると、リスクの大きいものから優先して取り組むことの方がトータルにはリスクは下がる。

A君:すなわち、小さなリスクを無理やり減らしても、余り利益にはならない。無理矢理やることによって、場合によっては、多大なエネルギーや資源を消費して、別のリスクが生じるかもしれない。

C先生:その通りでリスク管理は正しい。しかし、EUというところは不思議なところで、リスクというものを判断基準にして、すべての化学物質関連の規制を行っている訳ではないのだ。
 その典型が、RoHS(Restriction of Hazardous Substances=危険物質に関する使用制限)指令だ。

A君:4つの元素(イオン)、2種の臭素系化合物に対して規制をしている。鉛、水銀、カドミウム、6価クロムと2種類の臭素系難燃剤。カドミウムに関しては、100ppmが上限、他の5種では1000ppm。

B君:ただし莫大な量の適用除外があって、例えば、
・蛍光ランプ中の指定の範囲の水銀
・ブラウン管などのガラス中の鉛
・指定の含有率以下の鉛を含む合金
・高温溶接タイプの鉛はんだ
・医療器具
などはそうなのだが、特に、鉛については、長大な除外品のリストがある。

C先生:このRoHSは、リスク評価とは独立に決められた政策で、余り評判がよろしくない。しかし、EUは強硬にその正当性を主張している。それには、いくつかの理由があるものと思われるのだ。
 まず、EUといっても、実際には27ヶ国の集合体である。そのため、各国の毒性物質管理などの実態は様々。そこで、強権的な枠組を作って、それで各国の内政に踏み込む必要性がある。そうでなければ、安全性は確保できないという思いだ。
 さらには、EUには、製造業で生きるという国はほとんどない。そのため、このような規制が非EU諸国に対する非関税障壁としての役割を果たすことも、想定されているものと思われる。

A君:しかし、日本産業界は、RoHSに対して、それほどの困難もなく、対応を実現してしまいましたね。

B君:実際には、そうでもない。例えば、製品の超長期安定性などという観点からみれば、無鉛のハンダなどは怖いものがある。

C先生:本日の本題は、そのような観点ではなくて、例えば、臭素系難燃剤の使用禁止といった法制度が、別のリスクを招くにも関わらず、それが実施されてしまうことをどうやって説明するかだ。

A君:臭素系難燃剤は、当然難燃剤として有効なのですから、これを禁止すれば、電機製品などからの出火の危険性は高まるはず。そのリスクをどう考えるか。

B君:同じような例としては、ノンフロン冷蔵庫がある。100g程度とそれほど大量という訳ではないが、可燃性の冷媒が使われる。もしもそれが漏れれば着火する危険性はあるから、火事のリスクは増える。

C先生:最初に、ノンフロン冷蔵庫を作ったのが、グリーンピースだというのは有名な話だ。

A君:グリーンピースのノンフロン冷蔵庫については、色々と困った見解がインターネット上にありますね。

例えば、http://robocasa.seesaa.net/article/11625903.html
 グリーンピースはオゾン層破壊を食い止める手段として環境負荷の少ない冷蔵庫を「グリーンフリーズ」としてドイツのメーカーと共同で開発。世界の主要メーカーにグリーンフリーズを製品化するよう働きかけました。

 93年にはじめて行ったグリーンフリーズ展示会には、予想に反して松下電器、東芝、日立などの大手メーカーをはじめ、中小のメーカーの関係者が、大勢来場しました。
 特に印象深かったのは、グリーンフリーズを隅々までチェックし、メモや写真を撮って、無言で帰っていく技術者たちの姿でした。
 グリーンフリーズは、途上国でも作れる技術によって開発された決して高度な技術製品ではないにもかかわらず、松下電器をはじめ国内主要家電メーカーがノンフロン冷蔵庫を発売したのは、それから10年もたった2002年でした。
 地球温暖化防止京都会議からさえ、5年がたっていました。


B君:余り知られていないことなのかもしれないが、冷蔵庫の構造は、日本と欧州とではかなり違う。欧州のものは単純で、昔ながらの構造だ。冷凍庫にはむき出しの低温部があるもので、直冷式と呼ばれる。日本のものは、冷気を複雑に庫内で循環させながら、温度を制御している。もしも、冷媒が冷気に漏れ出したらどちらも危険ではあるのだが、日本製の冷蔵庫だと、冷媒と空気が均一に混ざるので、冷蔵庫全体が一気に爆発する可能性がある。

A君:そのために、冷媒が流れるパイプを工夫するなどの対策を講じて、やっと10年たってほぼ完全と言える安全性を確保し、そして商品化された。

B君:それに、ノンフロン化によってオゾン層の破壊が防止できるという記述は、1996年以降だと正しくない。
http://www.nies.go.jp/escience/ozone/lib/main/main_03.html

 モントリオール議定書の採択を受け、日本では1988年に「特定物質の規制などによるオゾン層の保護に関する法律(オゾン保護法)」が制定され、89年からフロンの生産規制が始まりました。91年、94年のオゾン保護法の一部改正を経て、93年末にはハロンの、95年末にはCFC、1,1,1−トリクロロエタンなどの生産が全廃されました。
 もっとも特定フロンの生産が全廃されただけという主張はあり得るが。
 2000年以降だと、温暖化係数の高い代替フロンを代替することによって、気候変動対策として有効、と記述しないと。

C先生:いずれにしても、ノンフロン化によって、地球全体のリスクは下がる。しかし、家庭内で冷蔵庫が爆発する危険性は高まる。これは、明確なトレードオフであり、ノンフロン化のような決断は、事故に対して過剰とも言える懸念をもつ日本の消費者が相手だとなかなか踏み切れないものなのだ。

A君:そこに、欧州と日本のリスク観の大きな違いがある。

C先生:その状態を示すものが、次の図だ。



図 日本と欧州が目指しているリスクの状況。

A君:欧州だと、あるところにリスクのピークがでても、それはそれで良いとする

B君:より具体的には、ある冷蔵庫が火を噴いても、あるいは、あるテレビが発火しても、それはそれで仕方がないと考える。むしろ、地球全体のリスクを低減することが重要だと考える。

A君:冷蔵庫が火を噴いたり、テレビが発火しても、それは個別に保険でカバーすれば良い。各人の健康に対するうっすらしたリスクや地球環境へのリスクは、保険ではカバーできないから、規制によってリスクを下げることが唯一の方法である。

C先生:この欧州的な考え方が合理的であるという部分もある。保険というが、それは個人が保険料を払うというよりも、電機製品にメーカーが高額の保険を掛けるという対応が正しいかもしれない。

B君:確率的に極めて低いことも事実なので、そのような対応も可能だけど、日本のような国だと、最近多少変わってきているが、メーカーにとって、火を噴く冷蔵庫を作ったということが、相当なマイナスイメージになる。

C先生:その通りで、事故が発生し、自社が目立つということは、日本では長い間タブーだった。そのぐらい製品の安全性には気を遣っていた。

A君:ところが、最近になって、様々な事故が製品の劣化などによっても起きる事態になった。今後、この点をどうするかが問題になっている。

C先生:それはそうなのだが、欧州的な対応をすることが妥当だということはある。例えば、BSEがそうだったと思っている。

A君:日本国内でも骨肉粉を禁止した後、牛肉を食べてBSE(ヒトだとvCJD)に感染する確率は余りにも低い。それに対して、ほとんど意味のない全頭検査を行って相当の税金を投入するなど、リスクに対する過剰対応。

B君:もしも日本国内で牛肉をたべてvCJDに感染したら、20億円の保険金が下ります。その保険の掛け金は国が負担します。というメッセージを出すこともあり得た。

C先生:しかし、社会はそれを受容しなかったと思う。9月12日の朝日新聞のオピニオン欄に、プリオン専門調査会の委員長だった吉川泰弘東大農学系教授の談話がでているが、あの時点で、消費者団体ですら、多少の費用負担は構わないから、安全な牛肉が食べたいと言っていた。全頭検査でリスクがゼロになると思い込んでいた。

A君:吉川泰弘教授の発言は、よくよく味わう必要があると思います。吉川教授の食品安全委員への就任に民主党などが不同意を表明。その後、日本学術会議の金澤一郎先生も、その不同意に対して「安全のための科学へ重大な誤解がある。科学的リスク評価と行政判断を混同し、リスク評価の独立性と中立性を損なう恐れがある」との談話を出した。

B君:行政的判断は、しばしば「票になるか、票を失うか」、ということが判断基準になるため、間違いを犯す。

A君:先の図に戻りますが、左側が日本のリスク対応。右側が欧州のリスク対応。ノンフロンでも、臭素系難燃剤でも、またBSEでもそうなっているのはどうしてなのでしょうか。

B君:それは、国民性というものだ。

C先生:国民性がどのようにして作られたのか、それは、長い長い歴史が形成したことだと思う。国民性も文化だが、文化というものは、そんなものなのではないか。

A君:となると、欧州人はもともと狩猟民族である。日本人は農耕民族である。ここまで戻りますか。

B君:狩猟民族の最大のリスクとは、食糧の供給が運任せのところでしょうかね。だから、チャンスと見たら絶対に見逃さない。もし危機になったら、それは、チャンスを掴めなかった自分が悪い。結果的に、個人主義になる。

A君:農耕民族の最大のリスクは、飢饉でしょうね。これは、今で言えば寒冷気候でしょうが。だから、多くの場合、運は天に任せる。しかし、もしも天候が順調だったとしても、農耕作業は共同作業ですから、村八分が最大のリスクファクターかもしれない。さらにその原因に思い至れば、村八分を誘発する「穢れ」が最大のリスクでしょうか。

C先生:新型インフルエンザに対して、水際作戦をやっていた5月の連休以前の話だが、この手の新型インフルエンザを水際で止めることは、潜伏期間がある以上無理だ。早く患者が出て、ウイルスを採取しワクチンを作る、同時にタミフルを大量に用意することの方が、リスク対策として優れている。
 個人レベルで考えれば、新型インフルエンザの最大のリスクファクターは、患者発生のピーク時に自分が発症すること。余りにも多人数が同時に発症すると病院も相手にしてくれなくなるから。次に危険なのが、人より遅れて発症し、タミフルなどが使い切られてること。だから、なるべく早めに感染する方が、個人的なリスクは低い。そう言っていた。

A君:ところが、最初の患者になると、それが「穢れ」と同じ対応をされてしまう。だから、第一号だけは、とにかく避けたい。

B君:それが日本社会の共通マインドだな。とにかく、目立ちたくない。

C先生:西欧社会は全く逆だ。食糧確保のためにバファローなどの危険な猛獣と戦うとき、鮮やかな剣捌きを見せる勇者は英雄としてあがめられる。

A君:目立つ人間が英雄になる。しかも、剣捌きに優れた人を全面に押し出せば、集団の構成員としては、自らのリスクを下げることができる。

B君:日本の場合だと、万一、犠牲者になると英霊になれる慣行があるが、いずれにしても、生きた英雄を作りたがらない社会だ。

C先生:もう一つの日本人の特徴が、リスク関連の規制への対処法。とにかく複雑な規制であっても、なんとかしてしまう。

A君:それに対して欧州では、どちらかと言えば政治的なメッセージ性が高い規制、すなわち、哲学が分かりやすくて、仕組みが完全に見えるものが選択される。

B君:それはそうだ。理屈・哲学で相手を説得できなければ、最終的な勝利はない。これが欧州のマインド。

C先生:日本は、仕組みのもつ哲学性などは余り評価されない。むしろ、細かいところまでの擦り合わせができているかどうかが最重要視される。

A君:化学物質管理にも、欧州と日本の大きな差が見えますね。



図 欧州は、哲学的に美しい仕組みを第一に目指す。日本は、既存のシステムとの細かい擦り合わせを重視する。

B君:EUのレベルでは、そんなに細かい仕組みを作ったところで、全く無視される。すべての国のレベルが揃っているという訳ではないので。

A君:欧州でも、ゼロリスクの実現が可能だと考えている人は多いようだが、それでも日本ほどではないように思いますね。

B君:色々と原因はあると思うが、日本人がゼロリスクを好むひとつに、政府や自治体など「公」に対する不信感がある。「公」が主導するリスク評価など信じられない。どうせ、誤魔化しがあるだろう。

C先生:「政府とは巨大な搾取機構」である、という考えは、アジアに共通のマインドだと思う。その原因の一つは、人口の多さ。ヨーロッパの国々は、北欧などがその典型だが、人口が少ない。そのため、議員がどんな人格の持ち主であるかを個人的にも良く知っている。
 日本の場合には、人口が多いこともあって、個人の人格で議員に選ばれることはない。議員はその地域の代表なだけでなく、利益をその地域に持ってくる人だと理解している選挙民も多い。そのため、これまでの自民党政治の中では、議員はすべからく族議員になることが必要だった。行政に働きかけて、その判断に影響を与えることができる議員が偉い議員だった。

A君:それが「公」の不信を招いたのは事実でしょうね。自らの地域への利益還元を求めていたのは、選挙民なんですが。

B君:それ以外にも、色々と考え方を変えないと、ゼロリスクを求める動きは変わらないだろう。

C先生:環境科学会の発表などでもそうだが、いくつかの課題を挙げている。

普及させるべき概念
(1) リスクの安全圏
(2) リスクのモノサシ
(3) ヒトのメカニズムに内在するリスク
(4) 食物(含む:健康食品・サプリメント)というものへの幻想
(5) 持続可能と継続可能の差異


A君:(1)リスクには安全圏があって、ゼロにならなくても、その中に入れば、まずまず大丈夫、という考え方。

B君:(2)リスクのモノサシも、リスクには大小があって、今問題にしているリスクがどの程度のものかを分かる必要がある。

A君:(3)ヒトのメカニズムに内在するリスクとは、例えば、女性ホルモンが発がん物質であるように、ヒトに限らず全ての生物は、次世代を作ることを優先して作られていて、長生きするように作られている訳ではない。

B君:ヒトの体がちゃんとできるためには、細胞の自殺であるアポトーシスがきちんと起きることが重要だが、活性酸素は、アポトーシスを起こす際に必要不可欠。リンパ球がウイルスに感染した細胞を殺すときに使うのも活性酸素。

C先生:最近、レトロトランスポジションという現象に興味がある。ヒトは、600万年前にサルと分かれたが、その後のヒトの進化は、チンパンジーなどの進化に比べてどうもかなり速かったようだ。その進化を起こした原因が、LINE−1=Long interspersed nucleotide elementではないか、という説だ。
 ヒトのゲノムには繰り返し配列がゲノム全体の44%を占めるが、このような「動き回り得る遺伝子」が進化の重要な要因になっていたものと思われる。この動き回ることを、RTP=retro-transpositionと呼ぶ。
 ところが、ヘテロサイクリックアミンのような「がん原物質」は、このLINEの動きを引き起こすことが発見された。しかも、この動きは、AhR=aryl hydrocarbon receptorを介して起きるようだ。
 変異源が体内に入ると、AhRがそれを受け取り、CYP1A1なる遺伝子が動き出し、シトクロムP450といった解毒タンパクを作り出す。しかし、同時に、LINE1を動かす。
 このような仕組みが有効なのは、LINE1をどこかに動かすことによって、細胞にランダムな変異を作って、その種の進化を加速し、そのような毒物に耐える種を作ることである。

A君:AhRは、ダイオキシンの毒性発現にも関係する受容体だ。ということは、ヒトがダイオキシンに比較的強いということも、このようなメカニズムでヒトが進化してきたからだ、と言えるのでしょうか。

B君:そうかもしれないが、このような進化メカニズムを持っているということは、非常に危険なことでもある。それは、LINE-1が重要な遺伝子の機能を壊すような位置に入れば、難病が発症するのも当然のことだ。
 どうやら血友病、筋ジストロフィー、拡張性心筋症、色素性網膜症、大腸がん、乳がんなどの発症には、関係がありそうだということだ。

C先生:しかし、このLINE1-RTPが、脳の記憶や空間学習能力を司る海馬での中枢神経の発達に関与してきたのではないか、という知見も得られている。ということは、このLINE1-RTPのお陰で、ヒトは記憶力を高め、結果的に言葉を操るような知性を手に入れたのかもしれない。
 もしも、サルの進化速度と同じだったら、ヒトはいまでもサルと同程度の知性で留まっていたのかもしれない。

A君:これが、ヒトのメカニズムに内在している最大のリスクかもしれない、と思いますね。進化と引き替えに受け取ってしまった最大のリスク。

B君:どうも、欧州では受け入れられるが、日本では受け入れがたいタイプのリスクのようにも見える。

C先生:次の(4)食物の話は今回省略。そのうちに。

A君:残りは(5)「持続可能」と「継続可能」の違いですか。

C先生:人類の長期に渡る持続可能性が重大な問題だと認識されてはいるが、ある時点で「人類」を構成しているヒトの個体は、有限の寿命しか持たないのだ。個体の有限の寿命を多少長くしたところで、持続可能性が実現できるわけではない。
 むしろヒトの個体がどのような役割を果たさなければならないか。それを十分に議論しなければならないように思う。

A君:現代世代のヒトの個体に対するリスクだけを考えてゼロリスクを追及したところで、何の意味もない、ということなのでしょう。

B君:要するに、ヒトの個体がいくら長生きしても、単に長生きなだけでは、全く意味がない。

A君:長生きしている間に、何をすべきなのか。

B君:それは、次ぎ世代のヒトの個体に対して、何を残せるのかを考え、実際にそれを作り出すことではないだろうか。

C先生:それは、言葉か他のメディア、絵画とか、工芸品とか、音楽とか、あるいは、映画とか、そのようなものを使うことになる可能性が大きい。いずれにしても、現世代の大脳から次世代の大脳へのメッセージだろう。