-------

   すべての議論が荒い社会と忖度政治
     
「根拠で納得」:丁寧な議論が必須 07.09.2017
               



 まず、1週間前の東京都議会選挙の結果ですが、個人的にもある程度予想していたとは言え、これほどの結果になるとは。森友学園、加計の獣医学部などのように、妙なことが起きている。その真の原因は何かわからないけれど、「今の政治は、やはり何か変だ」、と思う選挙民が多かったということでしょう。

 ある政策の決定に関して、きっちりした議論が行われているのか、という根本的な、かつ、大きな疑問符が付いたということが、現状ではないか、と思われます。

 「根拠を示して納得を得る」という中身のある議論が行われ、かつ、公表されるべきなのに、何か、結論が最初から決まっていて、「荒い議論」しか行わずに、「忖度」が優先されて政治が動いている。こんな感覚なのではないでしょうか。

 トランプ大統領も、元凶の一人なのです。テレビニュースで放映されているトランプ大統領がCNNを倒すビデオはひどいですね。トランプ氏を国の頂点に据えることを支持した選挙民でも、かなりの割合で、いくらなんでも、今や呆れているのでは。ただ、メディアもエリートの一部なので、反エリート感覚を持ち続けている選挙民は、相変わらず拍手喝采を続けている可能性が残っているのですが。トランプは、少なくとも、大金持ちですが、エリートとは言えないので。一応、ペンシルバニア大学経営学部を卒業しているようですが。いずれにしても、トランプ大統領の、自分の身内だけで固めた陣容が、行政府として最適な訳は無いと思うのです。

 似たような動向は、世界の政治の世界では、ごく普通になってしまったようです。英国のメイ首相の判断もやはり独善的でした。例外になるかどうか要注目なのが、フランスのマクロン大統領。今後の変化に注目は、ドイツでしょうか。

 そして、日本の政治では「官邸の差配」に視線が集まっているとのことが、こんな記事になっています。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017062701168&g=pol 
 官邸の権力が増大し、行政府が「忖度」するという超日本的な状況が起きることが、行政の説明が荒くなる原因の一つだと思います。

 今回はまず、「忖度」政治がなぜ起きたのか、について、個人的な見解を示したいと思います。

 そして、最後に短い付録を付けました。この「議論が荒い」傾向は、実は政治の世界だけではなく、ビジネスなどの世界にも広がっているように思えるのです。すなわち、現時点、様々な対立構造が原因で、「すべての議論が荒くなっている」と思うのです。

 個人的にもっともそれを実感するのが、地球環境を巡る公開の審議会の場(何か具体的な政策を決定する場ではなく、全体的な方向性を議論する場だと理解)です。これも、ある種の「忖度」の対象になりうる所属組織を背負って出席している委員が多いのでしょう。しかも、一人当たりの発言の時間が極めて限られているために、それこそ、キーワードをいくつか強調して終わりという意見になりがちです。何を根拠として、そう主張するのかが分かる意見表明であること。せめて、これはルールにしたいものです。
 
   

C先生:今でも、政府の審議会に出る。といっても他の省庁の審議会からはすべて引退して、現在、環境省の審議会に出席する(環境省の地球環境部会の場合は部会長)だけになったが、どうも考えても、議論が荒いのだ。主張にその根拠が示されない。

A君:はっきり言ってしまえば、現在の公開型の審議会は、「自分の発言をどうやって議事録に残すか」、という会議に成り下がっています。まあ、委員の人数が余りにも多いので仕方ない面はあるのですが。

B君:このような社会が良いとは思えない。それならどのような議論をすべきなのか。順不同で、その前提になりそうなことを、以下のようにまとめてみたけれどどうだろう。
(1)何が科学的に真実なのか? 例えば、「温暖化がでっち上げ」ならその「主張の根拠(主観?)」は何かを説明することが必須。その理解の状況を知った上で、トランプ大統領の「温暖化はでっち上げ」という発言を許すのか、許さないのかの議論ができる。
(2)行政トップ(大統領や総理大臣)に対するYesマン(日本だと忖度のプロ?)ばかりを各省のトップにすべきなのか?
(3)将来の地球の破滅が起きることを前提とする企業経営というものは許容し得るのか? 「許容する」と答える場合に付帯すべき条件は何かないのか? 環境政策が企業経営に影響するのは当たり前なのか?


C先生:まあ、これで進めるか。いや、今回の議論の種は、かなり無理矢理集めたという感じが拭えないので、我々の本業である(3)は、今回に限り、付録にしよう。

A君:ちょっとだけ、印象を述べれば、全体的なトーンは、前回トランプ大統領がパリ協定からの離脱を表明したときの議論と似ている部分が多く、多少、似ていない部分があるという印象。

B君:そんな感じだ。本題だけれど、議論が荒くなっている原因と思われる事項を簡単に項目化すれば、まずは、2つの大項目に分かれる。

(T)政治パワー集中が原因の議論の荒さ
 (a)政治パワーの集中:米国版=大統領が変われば、行政のトップは全員交代というシステムの怖さ。
 (b)政治パワーの集中:日本版=日本流忖度のプロが行政のトップになる怖さ。
(U)科学的真実無視・軽視による議論の荒さ
 (a)科学的な真実を無視する=トランプ大統領の「温暖化はでっち上げ」
 (b)科学的な真実は認めるものの、その配慮は不必要とする=地球の破滅を招く企業経営はどこまで許容されるのか。(これは、今回「付録」になることが決定)

A君:このWebサイトでは、(1)政治パワー集中系の議論は専門外。非常に重要だと思うけれど、まあ、歴史を振り返るぐらいで終わりでしょうか。やはり、(2)科学的真実無視・軽視系の可否についてが、専門に近いと言えるでしょうね。

B君:まあ、そういうことだろう。実際、トランプ大統領は、上記(1)と(2)の両方が原因になってはいるのだが。

A君:しかしですね、実は、トランプ大統領の「『温暖化はでっち上げ』がウソであることの証明は簡単」という記述を今年の6月3日の記事としてアップしたのですが。
http://www.yasuienv.net/TrumpPariA.htm
その後、高校レベルの教育の実態をちょっとチェックしてみて、実は、高校では、気候変動はマイナーな科目の「地学基礎」の範囲の知識で、加えて、基本的な知識として、物理の黒体放射(輻射)ということも知らないと理解できないことでもあって、やはり、理系の大学入試経験者以外は難しいという最終結論になっていて、これを最初からやり直す必要があります。しかし、さらなる問題は、理系を本格的に目指す受験生は、地学を選択していないことですか。

B君:そうだな。いずれにしても高校の教科書などでチェックしないと。現時点では、地学・物理の高校での授業の内容の正確な把握がまだできていないので、別途やろう。

A君:ということは、まずは、(T)の政治パワーによる、議論の荒さを取り上げる。

B君:そして、(U)の科学的真実関連は、(b)は付録で取り上げるので、(a)は、日本の教育の現状をチェックした上で、次回以降に送ることに。

C先生:それで良いだろう。では開始。まず、政治パワーの集中による議論の荒さ、がなぜ起きたかについての過去の事実から振り返るか。キーワードの一つが、内閣人事局

A君:そうですね。政治パワーが集中したために、議論が荒くなった最大の理由は、『内閣人事局』の存在かもしれません。説明が、若干必要でしょうね。これは比較的新しい組織で、2014年5月30日に設置された内閣官房の内部部局の一つです。

B君:一応、確認のために、内閣の歴史。2006〜2007年が第一次安倍内閣。福田内閣、麻生内閣、そして、民主党政権が挟まる形で、第二次安倍内閣が2012年12月26日にスタート。2014年5月30日に設置ということは、今の安倍内閣になってから、比較的早期に設置された部局ということだ。

A君:元々、国家公務員の人事は、憲法の定めるところによって、最終的には内閣の権限と責任の元で行われるのですが、それが全面的に可能か、と言われれば、まあ無理。そこで、各省大臣の責任で、各省の末端に至るまでの人事を決めるのです。これは、国家公務員法で決められているのです。そして、事務方の自律性と無党派性(非政治性)を重視して、政治の介入を避けることが行われてきたのです。現時点では、副大臣や大臣政務官などについては、政治家が登用されるのですが、この仕組みも、通称「国会審議活性化法」(1999年7月30日成立:小渕内閣)に基づくもので、比較的新しいのです。それ以前の政治任用ポストは、「政務次官」と呼ばれていて、役割も不明確だったので(当然、権限も不明確)、改善策としてそうなったのです。
 政務次官よりは、省庁のトップ「事務次官」の権限の方が強かったのかもしれませんね。それも当然で、やはり、行政マンと政治家とは必要な知識の中身が違うのですから。

B君:各省庁の無党派性が重視されるということは、かなり重要なのだけれど、どうも全面的に正解というやり方は無いように思う。米国だと、大統領が変わると、日本でいう『霞ヶ関の主要メンバー』は総入れ替えになる。したがって、過去の行政の継続可能性はかなり下がる。今回のトランプ大統領による人事刷新で、環境行政はその影響をモロに受けている。いずれにしても、善悪半ばするところで、変化の大きな米国の方式と前例と継続性が重視される日本の方式のどちらがよいか、ということだ。トランプ大統領のような政権が誕生することを想定すると、日本型も悪くはないとも言えるのだ。もっとも米国でも、大統領令に対しては、司法が中立性を担保する役割を果たす仕組みが存在しているのだが。

A君:話を戻せば、各省トップが、首相官邸の言うことを必ずしも聞かないという例がいくつも出るということも問題だけれど、言うことを聴かない事務次官などが全くいなくなることも問題で、行政府の機構が本来立法を担当する政治家からなるという仕組み、すなわち、議員内閣制と呼ばれる方法が三権分立の原理原則を充分に発揮する方式なのか、という議論はあり得ます。要するに、大統領制に比べてどうなのかということですが、米国・韓国・ロシア・フランスなどの状況をしっかりと評価することが不可欠です。

B君:一通り説明すれば、議員内閣制とは、政府(内閣)が議会に対して責任を負い、その存立が議会の信任によって成立するという制度だ。議会の最大勢力のトップが内閣総理大臣をやることになるので、完全な三権分立の制度ではないとも言える。だから、歴史的に、すでに記述したように、「事務方の自律性と無党派性(非政治性)を重視して、政治の介入を避ける」ことを重視する仕組みが長く続いたのだと思う。

A君:しかし、事務方である省庁の自立性と無党派性を重視しすぎると、総理大臣の思いと違う考え方の役人が、省庁のトップになるということが起きても、それは当然のこと。これは、総理大臣は本来行政のトップなので、その責任を果たすことができない状況だとも言えるのです。そこで、「総理大臣が各省のトップの人事に口を出す仕組みを作った」のが、内閣人事局の新設だった。

B君:「口を出す」ぐらいなら良いのだけれど、現時点だと、各省庁のトップ人事は、「実質上、内閣人事局が行っている」とも言われている。

A君:ということになれば、各省のトップは、常に内閣府の方向に視線を向けて、その顔色を伺いながら行政を行うことが、自分の身を守るために、より合理的な行動ということになってしまう。

B君:そこで出てくるのが、最近の流行語「忖度」という言葉。そのために、「内部文書」が作られて、出回る。「内部文書」が漏洩すること自体、確かに大問題ではあるのだが、それが最大の問題なのではなくて、そのような「内部文書」が作られてしまうこと、それ自体がむしろ重大な問題なのだ

A君:ここで「議論が荒くなる」という具体的な意味が明確になりますね。要するに、「忖度」を最大化することが正しいとしたら、他の要素、例えば、そもそも加計学園がなぜとか、獣医の数がどうかとか、設置場所がどうして今治なのか、とか、様々な個別の最適化に関する議論が行われるはずですが、それが省略されて、結果は初めからありきで、それが「忖度付き」というラベルを付けて、独り歩きすることになる。

B君:ということは、極論すれば、内閣人事局を廃止しないと、「忖度行政」は止まらないということになる。

A君:ぼんやりと今の政治は何か変だ、ということが、今回の東京都議会選挙で結果に反映されたと思うのです。しかし、この「何か変だ」の内容については、すなわち、省庁のトップ人事の決め方などの仕組みが詳しく分かっている選挙民はほとんどいないのでは

B君:ということは、具体的には、内閣人事局を廃止、あるいは、活動をかなり低くするまで、現在の議院内閣制への信頼性は回復しないということを意味するのだろうか。以前から、官庁を信頼している選挙民はかなり少なかった。それを最大限活用したのが、民主党だった。「公務員いじめをすると票が集まる」という発想で、実際のところ、政治勢力を結構高めて政権まで取ったのだが、結局、最終的には自滅して、都議選の結果を見ると、間もなく消滅という危機的状況。

A君:野党がまともでないことが、実は、国民無視の忖度政治がはびこる重要要素の一つですね。

C先生:そろそろ終わろう。政治も自分達の力を高めることだけに集中していると、そのうち、落とし穴にハマるということなのだろう。特に、立法府を構成する政治家からなる内閣は確かに行政機関なのだけれど、内閣が政治を決めるのだから、行政面への政治的影響力を強めよう、という発想は当然のことなので、影響力はゼロはあり得ない。しかし、「行政をすべて立法府の言うなりにしようとする」こともあり得ない。このところの選挙民だが、これが行われると、三権分立というもっとも基本的な理念に反するという感覚を持つ選挙民が増えているということを意味するのだろう。

B君:いや、そうではないようにも思う。あえて言えば、友人関係などで政治が行われているという感覚が強いのであって、何が三権分立とかいった高度な議論ではないような気がする。

C先生:それも確かに現状なのだが、そのような市民の感覚だけを正当化した議論そのものも、実は「非常に荒い議論」だと思う。そもそも三権分立というものが、なぜ歴史的に正当化されてきたのか、その本当の機能とは何で、どうやって担保すべきなのか、といった議論を一般社会として常に行うべきようにも思える。メディアのリードも全く余りないように思えるのが現状だ。
 最後に一言、この世の中に、完璧な制度というものは存在しないので、いかなる制度についても、常に「チェックandレビュー」が不可欠だ考えるべきだ。


 
「付録」:審議会の議論も荒い

A君:それでは、付録に行きます。パリ協定の目標の達成に関して、いくつかの方法論があるのですが、炭素税や排出量取引をまとめて、カーボンプライシングという表現をすることが普通です。これが有効であるから、導入をすべきだという見解を誰かが述べると、産業界の委員から、「カーボンプライシングの導入には反対です。」と、意見ではなく、反対という意志だけが表明されるのです。議事録に自分の発言が載れば、それで、自分の役割は果たしたという考え方なのでしょう。

B君:この手の発言をなんとか議論に結びつけることが不可欠なんだと思うが、良い方法論はあるのだろうか

A君:「COの大気中寿命は非常に長いので、一旦放出したCOは大気中に蓄積され、その結果、気温は上昇する一方と理解できる。この科学的事実を踏まえて、COの蓄積に寄与した大量排出企業の責任をどう判断すべきか」のみについて、意見を求める。

B君:会議開催前に、このような意見を求めます、ということを予告しておくという条件で、そんなところかなと思う。しかし、実現しないと断言しておく。

A君:!!!???!!!