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         『日本人の誤解』   05.17.2020
        
  東南アジアの日本観 その3



 川島先生の最新の著書の紹介記事その3です。最後までカバーできないのですが、いくらなんでも、今回で終わりです。
 今回も「第2章 日本人が知っておくべき本当の東南アジア近現代史」で、第5節 ミャンマー、第6節 マレーシアとシンガポール、第7節 インドネシアとフィリピン
 そして、「第3章 世界が注目する東南アジアの経済発展」となり、最終章が「第4章 華僑を知らなければ東南アジアは語れない」です。
 ページ数としては、まだ、130ページほども残っていますので、相当な省略をしなければなりませんので、今回でカバーする範囲より先にも、実際に東南アジアを相手にビジネスをされる可能性があれば、大変に貴重と思われる情報が数多く残っていますので、是非とも、出版物として手元に置いて置かれることをお勧めします。


C先生:この川島先生の著者だが、中身が濃いとも言えるが、別の表現をすれば、実は、「我々が知っている知識が余りにも少ない」。日本は、第二次世界大戦以後、非常に急速に経済発展を果たしたとは思うけれど、その間、西欧諸国にのみ目を向けてきた。東南アジアは、終戦直後には、経済的な価値が余りない地域だった。

A君:それは、GDPの変化あたりを見ると、分かるのでしょうね。実は、この本の巻頭のカラーページに一人当たりのGDP(GDP per Capita)のデータの図はあります。肝心の日本のGDPがないので、次の表形式で示します。

図 各国の一人当たりGDP 

B君:日本は、シンガポールに大きく抜かれている。しかし、この2ヶ国と韓国・ブルネイ以外は、世界平均と比べると、まだまだのレベルで、ブルネイは石油産出国なので例外とすれば、タイが日本の2割ぐらい。もっとも低いミヤンマーは日本の30分の1しかない。

C先生:確かに、まだ発展の余地は大きい。しかし、この話は、第3章の「世界が注目する東アジアの経済発展」のところで、若干取り扱うとしよう。

A君:それでは、今回は、「第2章 日本人が知っておくべき本当の東南アジア近現代史」の「第5節 ミャンマー」

B君:ミャンマーのような大陸の国には、少数民族が多い。少数民族をどう処遇するのか、それはどの国も頭を痛めている。ミャンマーには、もともと、ビルマ、カレン、カチン、モン、シャン、チン、ラカイン、カヤーの8つの民族がいる。それに加えて最近問題になっているのが、西部国境付近に住むロヒンギャというイスラム系の少数民族。元はと言えば、バングラデシュからの難民らしい。宗教の違いからか、ミヤンマーの仏教徒から迫害を受けている。

A君:このような国だと、軍事力が常に問題で、ということは、政府としては軍の意向を無視できない。もし、軍が政府への協力体制を停止すれば、すぐ内戦になってしまう。

B君:4年前までは実際軍政だったが、2015年に総選挙が行われて、アウンサン・スーチーが代表を務めるNLD(国民民主連盟)が政権の座についた。

A君:しかし、アウンサン・スーチーは大統領にはなれない。実は、それを阻止するために、憲法にわざわざ、「夫や妻、子供が外国籍の者は大統領になることができない」という規定が作られた。実際、スーチーの夫(故人)と二人の息子はイギリス国籍。

B君:アウンサンという家柄の説明も必要で、父親のアウンサン将軍は日本と深いつながりがあって、戦時中、日本軍がビルマに進軍すると、独立義勇隊を作って、日本軍に協力した。当時、連合軍が蒋介石を支援するための援助物資は、インドのアッサム地方を通じて、重慶まで運ばれていた。

C先生:アッサム地方は、現時点でも色々と複雑な情勢下にあるようで、国連大学の時代にインド系の職員にアッサムのグワハティという都市に連れて行って貰ったが、かなり危険だからということで、この町から離れることはできなかった。ゲリラによるテロ活動が行われいたらしい

A君:連合軍の援助物資の通路は、アッサム地方で、そのあたりは、実は、インドと中国の国境線がいまだに明確ではない。その山岳地帯を通って、重慶まで物資が運ばれた。地図を見ても、大河を使った船での輸送は不可能のような地理的関係ですので、大変だったでしょうね。

B君:この輸送ラインを破壊するために、アッサム地方のインパールなる街を占領する作戦を日本軍は行った。例によって、状況を十分に判断しないで根性だけで戦いを挑んだ日本軍は食糧が無くなって、補給線が伸びに伸びたときに、英軍にやられた。結果的に多くの犠牲者が出た。

A君:インパールからの撤退は、白骨街道と呼ばれたぐらい悲惨でだった。しかも、インパールに進軍するときに、ビルマの農民に対して高圧的な態度で接し、水牛などを奪った。そのため、敗戦になり撤退するときには、ビルマの農民に反撃を受けるだろうと考えたが、実際には違った。ボロボロになって撤退してくる日本兵にビルマの農民は進んでお粥を差し出した

B君:どうも、ビルマ人は日本人に親近感を持っているようで、それは現時点でも続いていると考えられる。

A君:しかも、ビルマの仏教は、上座部仏教なので、日本の仏教を本物だと思っている日本人は、心が洗われる思いをするのが普通でしょうね。

C先生:さて、そんなミャンマーだが、日本としてどのような対応をすべきだと川島先生は言っているのだろうか。

A君:川島先生の一口評価によれば、「東南アジアの中で、ミャンマーはもっとも統一感に欠ける国」。その根本的な理由は、地理的な要因と思われるというのが、川島先生の結論。もし、西欧が人権を理由に援助を停止したとしても、もし、中国との関係が維持できれば、それでなんとでもなる。

B君:しかし、ミャンマーのアキレス腱は、複数の宗教の存在かも。しかも、日本の仏教とは違って、宗教に対して余りにも熱心な上位座仏教と、ロヒンギャのようなイスラム教徒との関係はうまく行く訳がない

A君:川島先生の評価では、スーチーは、現状では、ロヒンギャに対して同情的な発言はできない。そのため、ノーベル賞を剥奪すべきだなどという意見も出るぐらい。ある意味で、スーチーの名声は地に落ちてしまった。

B君:これで、第6節になる。その対象は『マレーシアとシンガポール』

A君:まずは、両国の現状を若干調査しました。シンガポールの一人当りのGDPは日本を上回っている。2018年のデータだけれど、シンガポールが$64、582、日本が$39、303と完敗。しかも最大の問題は、日本の場合、1995年の一人当たりGDPが$43,441もあったのに、それ以後20年以上も経過しているのに、伸びがないこと。

B君:もっとも、生活水準を比較するときには、一人当たりの購買力を評価すべきだということなっていて、購買力平価GDPというものも公開されている。
https://ecodb.net/ranking/imf_ppppc.html#JP
 円の為替レートを考慮したデータで、それによれば、2018年データだけれど、大変残念なことには落ち目の日本は31位で、アジアのトップはマカオで、総合順位でもなんと2位、4位がシンガポール、6位が産油国のブルネイ、11位が香港、18位に台湾、そして、やっと31位に日本が出てくる。アジア内でも6位に過ぎない。

A君:32位は韓国であって、東南アジアの国としては、48位にマレーシアが来る。70位にタイ中国は76位、インドネシアが99位、インドが124位、ラオスが126位、ベトナムが127位、そして、ミヤンマーが133位、パキスタンが137位

B君:まだその下に141位東ティモール、142位バングラデシュ、144位カンボジア、161位ネパール。ここから最後の190位までは、ほぼアフリカの国々で例外的にオセアニアと中東の島国・小国が少々。

C先生:このところ、日本という国の経済力は確実に落ちている。いやいや、もっと正確に表現すると、落ちているという訳ではないけれど、ほとんど伸びない。そのため、伸びつつある世界の各国に追い抜かれている
 なぜ日本経済が伸びないのか。勿論、安倍さんの政策がそうだから、という説明も正しいのだけれど、それ以上に、日本人はすでにある程度満足していて、危険を冒してチャレンジをすることを避ける傾向が強いからなのではないだろうか。すなわち、経営者のマインドがそうなっているから、伸びないというのが正しいのでは。
 もっとも、今回のコロナの負の影響は相当なものなので、このままだと潰れてしまう日本企業が続出する可能性が高い。昨日の朝刊には、レナウンが破綻したというニュースがあった。先行き不安ではあるが、これをチャンスと読み直せる経営者がどのぐらいいるか。世界的見地からは、日本の患者数・死者数などから見るコロナによるダメージは相対的にそれほど大きい訳ではないので。

A君:政治が悪いというのは多分事実。というよりも、政治家のレベルが小選挙区制のためにかなり劣化したというのが事実小選挙区という顔が見える範囲内での政治しか考えなくなった。世界を見渡して、日本という国の大きな将来ビジョンを作るということを考えるといったマインドのある政治家がいなくなった。選挙制度を変えよう!!

B君:政治家の現状を考えると、公務員になるという志を持つ人が不思議に見えてくる。本来、国会質問とかその答えなどは、議員の秘書か、所属党の事務局が作るべきで、公務員がそんなつまらんことに相当以上の時間を掛けて対応しているようではいけない。加えて、「政治家になるには、最低限、2年以上の海外経験が要求され、英語をそこそこ以上にしゃべることができる」、という条件を付けるのが今後の在り方だろうね。

A君:ところが、現状だと選挙制度も政治家が自分で作るから、選挙制度の改正は難しい。すなわち、現状のシステムが根本的に悪いのでは。選挙制度は、政治家の利害に余りにも関係しているので、本来は、選ばれた政治家側ではなく、政治家以外の一般人が、公平性・合理性・発展性などを考慮して、作るべきもの。この当たり前のロジックが実現しない限り、日本に未来は無さそうですね。

C先生:いくらなんでも、そろそろ、「第6節 マレーシアとシンガポールの近現代史」をやらないと。

A君:マレー半島の政治史からです。その政治体制は、9つの州にそれぞれの王様がいる連合王国です。マレーシア全体の王様は任期5年で各州の王様が回り持ちで務める仕組み。

B君:当然のことながら、このようなシステムであれば、王様は儀礼的・象徴的な存在になる。

A君:その結果として、これがマレーシアだというような独自の文化や文明は発達しなかった。

B君:そのためということではないが、多数の華僑が居住していた。シンガポールは、1965年にマレーシアから独立したが、華僑の数は、マレー人よりも多い

A君:1969年5月に、マレー系住民と華僑が衝突した事件が起きています。死者196人。それ以後、比較的安定した状況です。

B君:日本人ビジネスマンが注意すべきこととして、あの戦争中に起きた日本軍が行った華僑虐殺事件というものがある。その理由だが、日本軍は、華僑は蒋介石政府のために、重慶への物資支援に協力していると考えたからであるが、実は、多くが濡れ衣だった。

A君:華僑は商売人であるために、現時点では、このことを正面から指摘する人はいない。しかし、日本人としては、十二分にこの事実を理解しておくべきだとのこと。ビジネスをやっているときに、何かの拍子で、この話になる可能性があるので、真実を知っていることは大変に重要

B君:マレーシアはシンガポールより状況が複雑。マレーシアは戦時中には日本の統治下にあったから。華僑との関係で言えば、マレーシアでは、マレー人、インド人、華僑が大多数だけれど、やはり華僑がマレー人を雇用しているという関係が普通。そこに日本軍が現れて、軍政を敷く。マレー人は、日本軍に協力するスタンスを取り、華僑を迫害した。

A君:後々の話になるけれど、マハティール首相の時代(第4代:1981〜2003、第7代:2018〜2020)になると、「ルック・イースト」政策が行われた。これは、日本をお手本にする政策であった。

B君:マレーシアはイギリスの植民地であったので、イギリスの方を向いていて、エリートはイギリスに留学した。しかし、経済や社会発展のモデルとして、マハティール首相はモデルを日本に求めた。

A君:そろそろ結論です。現在、40歳以上の華僑は、あの戦争中に華僑がひどい目にあったことを祖父母から聞いている。マレーシア自体は親日国ではあるが、このような歴史があったことは、日本人として記憶し、歴史が話題になったときの対応を身に着けておくべきだ。

C先生:さてさて、これで第7節に行く。今回でも終わらない可能性が高いね。まだ半分ぐらい残っている。

A君:第7節「インドネシアとフィリピンの近現代史」がタイトルです。まずは、インドネシアの話から。植民地としての歴史としては、オランダ人が香辛料を輸入するために、やってきて、イギリス人を追い出してオランダの植民地とした。

B君:オランダの植民地経営は過酷だった。イギリスと違って、オランダにとってほぼ唯一の植民地だったから。当然、独立運動に対しても、過酷な態度を取った。そのために、インドネシア人は現時点でもオランダ嫌いで、エリート候補生がオランダに留学することは極めて少ないとのこと。

C先生:そういえば、NITEの理事長時代にインドネシアに行った。ジャカルタから数10kmのところに、バイオ資源の保存センターを作る日本とインドネシアとの共同プロジェクトがあったから。NITEは、日本でも有数のバイオリソースのセンターを持っている。ジャカルタでの仕事を終えて、ジョグジャカルタに飛んだ。目的は、バイオ系の学科があるインドネシアでの大学ランキング第1位のガジャ・マダ大学を訪問するため。何名からの教授が迎えてくれた。驚いたころには、なんと日本語での会話になったのだ。日本が非常に有力な留学先だったということだ。勿論、英国あたりに行くのが更なるエリートなのだろうけれど、何と言っても授業料が高すぎるので、日本に来たのだろう。

A君:さて、本題です。インドネシアの独立に貢献したのは、日本軍でした。

B君:勿論、日本軍の目的は石油を入手するため。初戦でパレンバンにオランダが作った精製施設に奇襲攻撃を掛けて成功した。

C先生:国連大学の学長だったオランダ人のハンス・ファン・ヒンケル教授からときどき言われた。インドネシア人は日本びいきだと。

A君:その理由の一つは、あの戦争の後、オランダ軍が戻ってきて、インドネシア軍と戦ったとき、数千人とも言われる日本兵が日本に帰国せずにインドネシアの人々と共にオランダ軍と戦ったため。

B君:日本軍が使っていた武器も、そのかなりがインドネシア軍に渡ったらしい。

C先生:それでは最後の国の記述に行こう。それはフィリピン。あの戦争が悲劇だった国。フィリピンにとって悲劇だったが、そして、日本軍にとっても最大の悲劇だった。

A君:フィリピンが戦場になったとき、日本軍はすでに組織として緻密な戦略などを立てることができる状態には無かった。もう、自殺をするがごとき行動を指示するだけしかできなかった。その典型が「バターン死の行進」

B君:その現場となったバターン半島は、マニラの目の前のマニラ湾の向こう側にある小さな半島。その半島の先には、コレヒドール島がある。

A君:米極東軍司令官のマッカサーは、この島に司令部を置いた。そして、日本軍に抵抗した。しかし、シンガポールの英軍のような簡単な相手ではなかった。

B君:その理由は簡単で、大本営が近代兵器を大量に装備している米軍の戦力を甘く見たから。

A君:しかも大本営の弱点が確実に発揮された。それは、何かうまくいかない状況になると、本部の責任者は、自らの責任を感じることなく、現場の指揮官を責める。これが日本の伝統でもある。

B君:司令官であった本間雅晴中将は、大本営からの催促に答えざるを得ない状態になって、優秀な武器で装備している米軍に対して肉弾戦でもって戦った。一応コレヒドール島を占領することができたが、日本軍の戦死者は5000人を超した

A君:さらなる悲劇が起きた。バターン半島をなんとか勝ち取ったとき、米軍の捕虜が7万人にもなった。日本軍はその捕虜を歩かせてマニラまで移動させた。距離120km。炎天下を歩かせたが、なんと十分な食糧の準備が無かった。そのため、1万人以上の捕虜が死んだとされる。

B君:そのため、戦後、本間中将は逮捕され、フィリピンに送られて裁判を受け、捕虜虐待の罪状で銃殺刑になった。

A君:これが本当に本間中将の責任なのか。恐らく、違う。あの戦争の末期、日本軍の大本営は、まともなことが何一つできていないためだ。

B君:しかも、バターン死の行進で死亡した兵士の多くが、実は、アメリカ人ではなく、フィリピン人だった。そのため、日本軍はフィリピン人から恨みを買うこととなった。

A君:その後の日本軍は、ほとんど無制御状態になって、ルソン島では、多くの日本兵が山岳地帯に逃げ込んだ。そして、住民から食糧を奪った。そして、食糧を出さないと、フィリピン人を虐殺した。

B君:まあ、あの戦争の末期の日本軍は、何をやっていたのか、全く意味不明としか言いようがない。そんな行動の影響が今日まで残っていて、フィリピンで日本人のイメージは相当悪い。

C先生:フィリピンなる国には、実は、行ったことが無いのだ。そのため、フィリピン人としては日本で合った2〜3名しか記憶がないけれど、すべての人が同じような感じ、なんとなく、最初から防衛線を張られたような感触を受けた人が多かった。当然のことだと思う。タイやインドネシアで、いや、それだけではない。アジアのほとんどの国で歓待を受けた印象と、日本で出会ったフィリピン人の印象とは、かなり違うように思うのだ。歴史というものは、やり直せない。しかも、人々の心の中から歴史は、そう簡単には消えない。

A君:そろそろ今回は終わりですが、まだ、第3章が全部残っています。

B君:農業が専門の川島先生ゆえに、最後の第3章から、農業生産の話が始まり、そして、工業生産の話になり、そして、各国と日本の関係のまとめになる。

C先生:これまでの内容は、歴史の話。第3章は、未来のビジネスの対象として、どのような発展形が考えられるのか、これが、実は、この本の本題なのだと思う。そのため、第1節は、東南アジアの農業の話、第2節は東南アジアのエネルギー、そして、第3節がスマホが変える東南アジアの交通事情。最終の第4章が、再びというか、やはり重要な記述として、「第4章 華僑を知らなければ東南アジアは語れない」がある。これもビジネスを考える人にとっては、必須の知識。そして、「おわりに」が来る。
 いずれにしても、第3章と第4章に、東南アジアを今後の日本の経済のパートナーとしてどのように付き合っていくかを考える上で、重要な情報が書かれていると思っていただきたい
 ということで、この中身の濃い本を是非とも買っていただくために、この川島先生の著書をご紹介したこの記事は、これにて終了としたい。まだ4割ぐらいが残っているので、是非、本物をお読みください。。