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    安全工学シンポジウムでの講演 
       安全研究の未来を考える 07.07.2019

               



 シンポジウム自体は、7月3日から5日までの3日間開催されましたが、講演を行ったのは7月4日の12:30から1時間。このシンポジウムは、30を超す学会が順次幹事を担当して開催されているもので、今回の幹事学会は日本化学会であった。そして、その後13:40から行われた2時間のパネルディスカッションにも参加した。このパネルの責任者であった、辻佳子東京大学教授は、弟子の一人なので、まあ仕方がないけれど、結構人使いの荒いことで。。。。
 今回のシンポジウムの全体のタイトルは、「多様化する社会の安全・安心」というもので、まあ、今後2050年過ぎまでの40年ぐらいは、多様化するどころか、これまでの人類の文明をすべて書き換えることが不可欠の時代ではあるので、安全・安心などという言葉が重要視されるかどうかすら怪しい。安心という言葉は、恐らく日本では残るだろうけれど、もともと安心という言葉が無い他の国では、違うことが起きるのではないだろうか。もともと、安心という言葉にぴったり対応する英語の単語はないのだから。恐らく、不安に対して、それを否定しないで、真正面から対応するのが、諸外国ではなかろうか。それに対して、例の2000万円の議論のように、日本では経済的不満から、様々な問題が発生するように思う。特に幸せ度の高いと言われている北欧諸国と日本との絶対的な差は、消費税の負担。10%への増税反対という日本の野党。一方、北欧諸国は消費税率24%〜25%。そのかわり、社会保障は完璧に近い。どちらが良いのか。しかし、今回は、このような話は講演からオミットしました。しかし、若干の鬱憤を今回、本記事で若干記述してみたいと思います。
 講演の最終結論は、日本でリスクが受容されている唯一の例が、航空機ではないか。事故が起きれば、ほぼ死亡事故が必須なのに、なぜなのだろう。日本のような国でも、このケースだけは、なぜ受容されているのか、それを解析し、他のリスク受容のためのケーススタディーの題材にすることをお薦めしたい、と締めました。


C先生:1時間講演したことは、パネルに参加される諸先生方の専門とは全くかけ離れた話でした。すなわち、そもそも、毎日毎日ヒトが生きているということは、相当に大変なリスクと戦って生きているのだ、ということ。詳しくは、今回も、7月7日から一週間だけ、使用したパワポのファイルを表紙にアップするので、そちらから確かめていただきたい。
 何が言いたかったのか、というと、「安心する」ということは、自分自身の生存リスクの大きさを考えると、本当はできないことなのだ。ヒトの生存メカニズムをよくチェックすれば、自分自身の責任で、自分の寿命を縮めているようなものなので。しかも、その自己責任というか、自己の生存メカニズムによる内因的な寿命の短縮の方が、外乱による寿命の短縮よりも、平均値としては重大なのだ。これが生体というものの宿命。
 今回、この話はしなかったのだけれど、先日、国会で引退後2000万円必要という話で、かなり社会全体が盛り上がったけれど、長生きしすぎると、そのリスクは、やはり相当に大きいのも事実。適当なところで命が消滅することが、実は、個人のリスク削減にとって、もっとも大変かつ重要なことだと思う。
 しかし、国による考え方の違いの差も非常に大きい。そこで、今回のプレゼンのトップは、アイルランドと日本の経済成長比較のグラフ。そして、モハーの断崖の写真とごく普通の道路の速度制限の写真。発想が全く違うという写真でスタートした。

A君:しかし、今回のパネル・ディスカッションになって、「無駄」が少なすぎると主張したらしいですね。

C先生:何も準備しないでパネルに参加して、他の先生方の発表を聞いていて、失礼な感想だけれど、なんとなく「やれと言われてことを一生懸命やっています」、あるいは、「予算申請したら認めて貰ったから、これをやっています」という感じを受けてしまった。最近の文科省からは完全に失われた感覚だろうが、「本当にイノベイティブな成果を求めるのならば、多少の無駄を覚悟して、大学人をもっと自由にさせる必要がある」と、心から信じているので、余りにも文科省ペースだなと強く感じて、例によってもやもや感が出てしまったもので、『もっと「無駄」ができる仕組みにしないと、画期的な成果は出ないのではないか』、と思って、ちょっと感想を述べてしまったのが実態。

B君:日本人のノーベル賞は、山中先生より若い受賞者はもう出ないのではないか、という意見が多いのだけれど、やはりそんな気がしますね。

A君:創造性は遊び心から生まれる。これは絶対的な事実ですね。

C先生:最近のノーベル賞受賞者で言えば、山中先生は例外。予算がそれなり以上にあったということがその例外の中身。さらに、カミオカンデ関係のノーベル賞も例外。こちらは、日本に財力があった時代の成果。それ以外のノーベル賞学者の大部分は、国立大学校費だけでも十分に予算がカバーできて、何年も自分だけの研究を長期間、それこそ自分のペースで進められたからだと思う。研究費の申請書を毎年書くことほど、重大な時間の無駄はないと思う。常時、一つのことを追い詰めていて、何か思いついたら、それがすぐ実現できるだけの予算があれば、もっと成果はでる

B君:しかし、国立大学に無限に近い研究費が必要になってしまう。

A君:その通り。昔だと、助手というパーマネントなポジションに2名ぐらい研究者がいたし、当時は助教授、今の名称は准教授だけれど、この助教授は完全に教授の後継者だったから、家族みたいなものだった

B君:非常に優れたシステムだったと思うけれど、文科省はそれをなぜかヤメた。貧乏になった理由の説明が不可欠だ。それは、実は、貧乏だ。

A君:日本人が精神的に貧乏になったから。海外、特に、北欧諸国の経済成長力に習えば、消費税を20%ぐらいまで上げるしかないのに、今の政治家にはそれができない。自分の当選ばかり考えていると、現時点での投票数だけが目前でチラチラする。要するに、自己の当選だけでなく、社会全体の発展を考える政治家が、小選挙区制のために当選できなくなってしまった。中選挙区制に戻さないと、日本は復活できないですね。

B君:もう一つは、国立大学を国立大学法人という形にしたことも大きい。これによって、各大学に文科省から理事を送り込むことができるようになって、文科省は、恐らく、かなり満足しているのではないか。しかし、結果的に、大学の自由な活力は完全に低下した。文科省の方向ばかり見ている管理的な意識の強い学長ばかりになったためではないか、と推測している。証拠は無いけれど。

A君:もう一つ言えば、内閣人事局の存在も、各省庁の独自性に関して、ネガティブに作用していると思いますね。安倍内閣がはじめた内閣を強化する仕組みの一つですが、これが概ねネガティブな効果を産んだ。

C先生:雑談というか、本質的議論ではあるが、一般的な議論をそろそろヤメて、本題に入らないと。本日の題材は2つに限ろう。いずれも、今後の研究課題であるとして提案したいものだ。
 その1:飛行機事故を題材とするリスク一般の受容性拡大方法
 その2:リスクを一般市民に理解してもらう方法としての、リスク・ガバナンスという方法論の有効性。
 この2つを組み合わせて、できるだけ効率的に議論したい。

A君:それでは一般的説明を始めます。最初は、飛行機事故のリスクとその受容性。この図が示すものは、2018年までの航空機事故の死亡者数です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Aviation_accidents_and_incidents


B君:民間航空機の運行数、あるいは、運行距離の推移などのデータはあるだろうか。

A君:Wikipediaの英文バージョンにいくつか見つかりました。ご説明します。まず、このサイトから図を引用しています。



図:AircraftFatalitiesPerTrillionRPK.JPG == https://en.wikipedia.org/wiki/Aviation_safety

 まずは、この図ですが、RPKというのは、World Revenue Passenger kilometresの略。単位が「旅客数x一回の飛行距離」あたりの死者数です。ただし、距離kmの方の単位はtrillionですから、million(百万)のmillion倍のさらにmillion倍km。

B君:えーーと。この数値が100だということは、1兆km飛ぶと、死亡する人数が100人。ロンドンまで飛ぶと、ざっと1万キロ。このフライトで死亡する人数は、確率だけれど、1億分の1ということ。確かに、非常に低い確率だ。

A君:となると、飛行機で死亡する確率は、ほとんどゼロで、無視できるということを乗客はすべて知っているということですか。

B君:それは疑問だ。なぜか、というと、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロのときに、死者総数は2996人だったが、そのうち、ハイジャックされた飛行機に搭乗していて死亡した人数は、次の通り。
 アメリカン航空11便
   乗客81名、乗員11名
 ユナイテッド航空175便
   乗客56名、乗員9名
 アメリカン航空77便
   乗客58名、乗員6名
 ユナイテッド航空93便
   乗客37名(テロリスト4名を含む)、乗員7名

A君:確かに、死者総数が余りにも多いので、乗客・乗員の人数は少ないとも言えますね。このぐらいだと、統計的に効かないようで、先程の図でも、2001年の死者数は他の年と余り変わっていません。

B君:しかし、アメリカでは、面白いことが起きたとされている。航空機が再びハイジャックされると思ったのか、自分で車を運転して遠距離のドライブに行く人が増えた。恐らくは、仕事上そうせざるを得なかった。しかし、様々な交通機関による、死亡率は、次のようなものだ。


表1:DeathPerBillion.JPG == https://en.wikipedia.org/wiki/Aviation_safety

A君:移動回数、移動時間、移動距離あたりの死亡率ですね。移動回数あたりにすると、確かに、飛行機は多いのだけれど、kmあたりにすると、飛行機よりも車の事故による死亡率が600倍ぐらい高いのですね。

B君:時間あたりにしても、実は、車の方が4倍以上死亡確率が高い。しかし、使用回数で見れば、飛行機のリスクは、車の3倍ぐらい高いけど、さあどうする。

A君:答えは、車は短距離用ということですね。長距離を運転するのはヤメなさい。飛行機を使いなさいということのようで。

B君:だから、飛行機の代わりに車を使うのは賢くないということなのだ。実際、自動車事故による死亡数が、ハイジャックのお陰で増えたとされている。

A君:確かに、そんな記憶があるのですが、実は、多分のこの本に書かれていたと思って調べてみたのですが。その本は、ピーター・バーンスタイン著書「リスク」だろうと思って居たのですが、この本が書かれたのが、なんと、同時多発テロ以前でした。

B君:えっ。なぜか、同じことを考えていた。

C先生:となると、出典不明か。私も誤解していた。

A君:しかし、自動車で長距離の旅をするよりは、飛行機の方が安全なのは、先程の表1から明らかですね。

B君:そうだけど60kmの自動車の旅が飛行機と同じになる距離。しかし、60kmを飛行機で飛ぶケースはないのでは。

A君:しかし、一つの目安にはなる。意外なのは、徒歩が意外と高い

B君:さらに言えば、この鉄道の0.6kmというデータですが、日本の新幹線だとほぼ無限大ということですか。もっとも車内で殺人が起きれば駄目ですが。

C先生:しかし、このデータを使って、一般の人々との「どの移動手段で旅行をしますか」というワークショップを開くことはあり得るような気がする。
 しかし、そのとき、通常のリスク・コミュニケーションではなくて、リスク・ガバナンス的な手法で、最初に予習をしてきてもらって、それから議論をするという方法が必須だと思うけど。

A君:ただ、この表を見れば、どのような移動方法もリスクゼロはない、ということを示しています。これを理解して貰うだけでも、リスク・ガバナンス的な知識だと思いますけど。

B君:まあ、その通りだ。この航空機のリスクを最初に取り上げるのは良いとして、それでは、他の選択肢になったとして、データがあるのかどうかが問題になる。

A君:そろそろリスク・ガバナンスの説明をちょっとはやらないと。この方法は、スイス工科大学のローザンヌ校が提案している方法で、我々の理解では、リスク・コミュニケーションとは違って、自分で、対象とする事象のリスクを予め勉強してくることがノルマ、という方法。その勉強を信頼できる第三者と一緒にやってくるというのも、当然「あり」ですが。

B君:これまでのリスク・コミュニケーションでは、そこで示されるデータなどを信頼できるものだと思ってくれれば良いけれど、必ずしもそのような状況ばかりではない。

C先生:リスク・ガバナンスを実施する主体が、日本には余りないように思う。現在の状況から言って、自分がリスク・ガバナンスを実施するのは無理のように思う。勿論、何に付いてかによって多少は違うものの、例えば、温暖化のリスクとしても、中立ではないのではないか、と最初から思われているようなので。ストレートに言えば、温暖化懐疑論者から見ればだけれど。

A君:そうですね。やはり、もっと普通の大学におけるリスク・コミュニケーションの研究としてリスク・ガバナンスを実施してくれる研究者が増えることを期待したいですね。

C先生:その通り。学術会議の講演とその後のパネルで感じたのは、「多様化する社会の安全・安心」というのが、全体的な題名だったのだが、どうも、リスク・コミュニケーションということ、特に、一般社会とのリスク・コミュニケーションを主に検討しようとしている研究者は、ほとんど居ないような感触だった。「だった」という過去形は、この原稿を書く前に、いただいた要旨集をペラペラとめくって、どのような研究が主流であるかを探ってみた結果からの判断だ。
 たしかに、完全に安全が実現できるのならば、リスク・コミュニケーションは不必要。しかし、今後、気温上昇による異常気象などがひどくなることが確実に起きるとしたとき、どのようなスタンスで、それに対して準備すべきか、といったことも、必要な判断すべき事項になる。すなわち、気候変動を要因とするあらゆるリスクを取り扱うことが重要だと思うのだけれど、それは、主催団体である「工学システムに関する安全・安心・リスク検討分科会」にとって、まだ、重要だという認識には遠いのだろうか、と思った次第。「安心」という言葉はあくまでも付け足しで、取り敢えず、安全に注力するべき、という判断がメジャーなのだろう。しかし、早晩、安心獲得のためのリスク・コミュニケーションが必須になるのではないだろうか。