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   長期ビジョン&予測能力 04.15.2018
       シナリオ・プランニングのファシリテータに必須

               




 ときどき「2050年に求められる人材とは?」のようなことを書いて来ました。さる出版社から次のような要請があるためです。それは、『2050年を見越したときに、どのような人材になることを目指すべきなのか、それには、どのような戦略をもって自分自身を磨き・鍛えることで、どのような実力を付けるべきなのか。最近のパリ協定の中の今世紀の後半までを含む超長期的な記述を踏まえた上で、現在、10代後半から、30歳代までぐらいの人を対象に、何か本を書いて欲しい』、というものです。
 ところが、これまで、全く考えがまとまらないのです。そこで、部分的にでも良いから、なんとか、そのような方向性を持ちつつ、現時点から数年後までの期間内で有用な人材とはどのような人なのかを、まずは考えてみよう。その後のことは不明ではあるものの、多分、社会的なニーズの変遷を考えると、意外と長持ちする人材なのかもしれない。そうならば、必要に応じて、別途考えればよいだろう、と決意するに至りました。というのも、現時点における社会的ニーズとしては、どうも30年先ぐらいのやや長期的な展望が見える能力を持った人が必要のように思えるのです。そこで、それはどのような能力を持った人なのかを、様々な側面から考えることにしました。
 特に、定まった方針が無かったので、思いついた順番に、何冊かの本を読みながら、検討をするということにしました。要するに、「無方針の方針」で臨むことにしました。
 今回は、その第1回目でして、パリ協定対応の具体策を考えるために、未来を見ようとする企業が、まず、手始めに取り組むであろう作業としては、「シナリオ・プランニング。これによって、その企業の未来像を明確にする」、これが第一段階なのではないか。この方法論を実行するには、リーダー兼ファシリテータをできる人が不可欠になります。現時点で、このような人を社内に抱えていることはまず無いので、企業内で育てるか、あるいは、外部の有能なファシリテータに頼むでしょう。来年ぐらいから少なくとも10数年間、そして、恐らくは、温暖化対策がどんどんと厳しくなる2050年頃まで、場合によっては、それを超してNet Zero Emissionを実現しなければならないとしたら、その後の時代でも、未来を読み、社内の総意をまとめる人が、「ひっぱりだこ状態」になるはずです。このように、明確な形で人間と地球との関係を変えなければならない、という要請が明らかになったことは、実に、人類史上初めてのことだと思います。地球サミットも、京都議定書も甘かった。
 このようなファシリテータには、どのような能力が必要なのか、それを備えるにはどうしたら良いか、を考えてみることにしました。
 未来を考える人間とはどういう人間なのか、その考え方をまとめる過程で、多少未来を読もうとする自分があることは、自分の人生の後半に起きた数々の偶然と幸運のお陰であることを、図らずして再確認しました。

C先生:まずこのようなアプローチをすることに決めた理由だけれど、最後の常勤の役職であった(独)製品評価技術基盤機構(=NITE)の理事長の最終年(2014年度)に、「2030年に向けた、この組織のビジョンを作ろう」と提案し、2014年4月から、自分自身がファシリテータをやって、可能な限り多くの職員に参加して貰って(80%ぐらい参加?)、自分たちの未来像を考えて貰おうと思ったのだ。その動機は、自分達の未来は自分達で決め、そしてその実現のために努力をする組織と、自分達の未来を誰かに決めてもらって、そして、その誰かの意向に従って粛々と行動する組織では、恐らく、一般社会から理解され、どう評価されるか、に大きな差がでるだろう。「民主党内閣の仕分け」を受けた経験から、所詮、公務員の仕事は、一般社会から評価されて初めて成立するものであって、内閣府を含めた行政の内部だけで評価されることを目指しても、余り意味はない、と考えざるを得なかったからなのだ。

A君:最近の「忖度事件」とは逆の方向性ですね。「忖度事件」の含意とは、内閣府によって評価される人間になりたい高級官僚がいかに多かったか。それはなぜだったのか

B君:少なくとも、NITEで最初から行政をやっている人とは、相当違う考え方だったのでは。

C先生:そうとも思えるね。むしろ、経産省に対して、忖度を行っている状態だったかもしれない。しかし、面白いことに、将来ビジョンを作るような作業を行ったことは、親元である経産省のお偉方から、なんの文句も言われなかった。それどころか、『NITEは使える』と評価して貰ったように思える。それは、組織の未来を考えるための理事長直轄の組織、通称「技術戦略室」を作って、こんな検討を始めたからだったかもしれない。

A君:内閣人事局ができたのが、丁度その年度の5月30日。その7月の人事から激震という年でしたね。

C先生:そんな訳で、2014年度に、NITEの長期ビジョンを作って、それは、今でもNITEのHPにあるけれど、2015年3月31日に退職した。そして、この年の2015年の12月にパリ協定が合意された。

A君:そのちょっと前の9月に、SDGsが国連で採択された。

B君:日本では、GPIFが国連の責任投資原則にサインをしたのがやはり9月。

C先生:まさにそのころに、「このままでは、EUの未来が危ない。その実態を知りたい。それには、EUのすべての国を見て、彼らが何を考えているのかを知りたい」、と思った。そして、その思いが強くなったので、まだ、NITEに所属しているときに、秋の連休を活用して、8泊9日のチェコ、ポーランド、スロバキアのドライブの旅を実行してしまった。本Webサイトの2015年9月27日と、10月4日の記事を参照していただきたい。結果的に、19箇所の世界遺産を回った。

A君:世界遺産というものは、その国民の文化のもっとも基盤を示しているので、どのような国民性かを判断するには、見物をすると良いと思いますね。

C先生:そして、3月に退職。少なくとも3ヶ月間は自由業。そこで、2015年の5月18日から29日まで、10泊11日の旅にでて、ルーマニアとブルガリアで3200kmを走っている。そこで、「最後の審判」の絵画に3回出会っている。最初はヴォロネッツ修道院ホレズ女子修道院(以上二箇所はルーマニア)、そして、リラの僧院(ブルガリア)。最初のヴォロネッツでの感想は、「この絵は、一体、何なのだ。なぜ、このようにおどろおどろしいのだ」、「なぜ、見物客はこれほど真剣にこの絵を見ているのだ」、「そして人々は何を考えているのだ」。他の2箇所では、「熱心に見ている人は全く居ないようなのだが、ヴォロネッツの絵とここの絵との違いは何なのだろう」

B君:そして、今や、環境省からパリ協定の「気候正義」の伝道師と揶揄されて呼ばれるようになった。「気候正義」とは何か。日本人にとっては、難しいこの問題を解説するようになったからですかね。

C先生:日本にだって、阿部謹也先生みたいに、正義とは何かを語る人が居た。しかし、気候正義という四文字熟語を、キリスト教と日本人の八百万の神々考え方の違いを根拠にして、きちんと説明する人が、たまたま居なかったからだろう。この考え方に至った最大の動機は、このヴォロネッツの「最後の審判」の絵には描かれているが、他の「最後の審判」には描かれてないことは何かだった。その要素が実は2種あって、ヴォロネッツの絵には、まず、「死体が運ばれてくるところ」が描かれている。これには極めて重大な意味がある。もう一つは、「生きている人も、死体も、一人ずつ自動判別器の上に横たわる」ことが明確に描かれている。こちらも意味深長だと思うのだ。

A君:リラの僧院の最後の審判だと、地獄はしっかり書かれていて、天国に行くことが決まった人も分かるのだけれど、死体の描写がない。どれが自動判別器であるかも良くわからない。

B君:この最後の審判が行われるときとは、地球が存在しなくなるときだ。したがって、その代わりとして、永遠の命を授かることになるのだけれど、その描写が無い。ヴォロネッツのフレスコ画だと、天国で永遠の命を過ごす人々が、神と同一レベルに存在しているので、その意味がよく分かる。自動判別器も運ばれてきた死体が乗っているので明確に分かる。

A君:もっとも有名なミラノのミケランジェロの最後の審判の絵からは、ストーリーが全く読めないですね。天国に登った人と地獄に堕ちた人の区別も分からない。永遠の命を授かったというイメージも不明。

B君:ホレズ修道院の絵も、地獄は極めてリアルで、裸の人々が魔物に攻撃されている様子があるのですが、天国の絵が完全に別なもので、どうも、関連性が読みにくいし、判別機、死体の描写も曖昧。

A君:判別機に死体が乗るということは、天国に行くか、地獄に落ちるかの判定は、死亡時点ではなくて、死後、最後の審判の時点までの何年(何千年?)間での、その人の功績が加味されて評価されることを意味するのです。例えば、生前は余り売れなかったけれど、死後にブレークした作家・哲学者・画家・作曲家とかの評価が、もっとも顕著な例でしょうが。

C先生:予定より寄り道が長くなったのだけれど、なぜ、こんな話をしてきたか、というと、結局のところ、何か本を読んで勉強することだけでは、人々に対する説得力というものを獲得出来る訳ではない他の人々が経験したことが無いことを経験し、そして、その経験に基いて新しく湧いて出た疑問を解決する努力(研究かもしれない)をし、そして、「自分にとって新しいなんらかの概念を確立する」という努力のプロセスをいくつか経験しない限り、社会的に「特異な存在」になるのは、難しいということなのではないか。そもそも「特異な存在=変人」なのだから。

A君:これは、C先生の持論ですね。変人になると、社会から無視される可能性があるけれど、それを乗り越えて特異な存在になるべきなのか、と言えば、それは、競争の無い社会に存在できることは、大変に楽だから。たしかに、そうでしょうね。

B君:やはり、「特異な存在=いわゆるオンリーワン」を目指すのが、一つの人生戦略だと思えるね。ただ、失敗すると痛そう。

C先生:確かにそうかもしれない。今、教養という言葉で関係のありそうな人の経歴を検討してみると、池上彰氏の経歴にしたって、やはり、かなり「特異な存在で、やはりオンリーワン」だと言える。慶応経済学部卒業で、NHKに記者として入局。しかし、カメラマンやラジオ番組の原稿執筆などを行った。要するに、専門以外のことを相当こなしている。社会部に異動した後は、警視庁・文部省・宮内庁などを担当したが、警視庁の殺人・強盗・放火・誘拐担当。その後、1989年からキャスターに転身。そして、1994年から2005年までが週刊こどもニュースのお父さん役。NHKを退職後、フリーランスのジャーナリストに転身。その理由が、解説委員になることも考えていた池上氏に対して、解説委員長から、「解説委員は専門分野をもっていなきゃいけない。お前には専門分野が無いだろう」、と言われたことが契機になったとのこと。

A君:解説委員長の見解が、いかに古臭いか。NHKの古さということですが。

B君:そして、結局、「なんでも解説屋」になった。その後、大量の本を執筆など、そして、大成功。日本を代表する教養人になったと思うね。教養人の定義の個人的見解は、「無駄なことを知っている人であり、ある時が来ると、その無駄な知識の活用が出来る人」、だけど。

A君:最近、暴露本を書いていたりして、教養人としてはやや落ち目のような気がしますが、元外務省官僚の佐藤優氏も、一時期大いにもてはやされてきた。その最大の理由が何かを推測すると、それは、彼の受けた教育にあるのではないか、と思うのです。まず、大学は同志社大学神学部・大学院で、神学修士。これは、かなり変わっている。しかし、現時点において、世界情勢を理解するためには、宗教を無視する訳にはいかない。

B君:池上氏に戻るけれど、先日ちょっと買ってしまった著書「おとなの教養」の目次が、こうなっている。
0.私達は、どこから来て、どこへ行くのか? 1.宗教、2.宇宙、3.人類の旅路、4.人間と病気、5.経済学、6.歴史、7.日本と日本人。

A君:分類すれば、広義の歴史、宗教、ヒトという生命、宇宙、そしてなぜか経済学。

B君:この最後の経済学は、まあ、池上氏の本来の専門分野だからかもしれない。

A君:この本の発想は、リベラルアーツ7学から来ているようで、ギリシャ・ローマ時代にヨーロッパの大学で学問の基本とされた7科目。1.文法、2.修辞学、3.論理学、4.算術、5.幾何学、6.天文学、7.音楽。これらに加えて、経済学が入る理由は、やはり池上氏の個人的な状況になるという解釈は正しいと思います。

B君:リベラルアーツ7学をマスターした人間は、文字を操る能力があり、数学的な素養に裏付けされた論理性と天文学に代表される自然科学の最新知識、そして、音楽という感性、これらすべてを身に着けている。しかし、もっと重要なことだが、リベラルアーツ7学には、宗教学が無いのだ。これは、この段階で西欧の宗教と言えば、ギリシャの多神教、ローマ時代だとキリスト教、と変わったからか。

A君:答えがあるわけではないけれど、リベラルアーツを「学問の基礎」と訳すか、「教養」と訳すか。教養をどう定義するか。などなどによって、答えが変わるように思えます。日本だと、「教養=社会生活を営む上で必要な学術、文化、歴史、芸術などに関する広い知識」と定義している人がいるけれど、本来の定義は、「リベラルアーツ=学問の基礎なので、社会生活を営む上では、直接有用ではないけれど、人生を豊にする学術、文化、歴史、芸術などを理解するための基礎となる広い知識」なのでは。要するに、功利的に見たときには、不要とも思える知的集合がリベラルアーツ。

C先生:教養とリベラル・アーツの違いは、「教養=社会生活に必須」とする日本、「リベラル・アーツ=社会生活に必須ではないけれど備えるべきもの」とする西欧。この違いは大きいね。本来、日本でも「教養=西欧流リベラル・アーツの定義」であるべきだと思う。
 それはそれとして、現代では、国際的な対立のかなりの直接的要因が宗教になっていると言える。トランプ大統領は、このあたりが無神経なのか、あるいは、不真面目な福音派という人に共通の考え方なのか、良くわからないが、これまでテルアビブにあった米国大使館を5月にはエルサレムに移す、とした。

A君:宗教が重要ということは、パリ協定で思い知らされましたが、西欧社会では、「宗教=社会生活に必須」なのではないですか。我々が環境教養戦略本を作るとしたら、こんな目次ですか。ただし、「環境教養=地球と人間世界の状況をより深く理解するために備えるべきこと」が定義になりますが。
「環境教養戦略本」の目次
0.イントロ
1.宇宙限界、地球限界とその理解、
2.すでに超した地球限界と気候変動、
3.パリ協定の理解がなぜ日本人には難しいか、
4.2100年をどう予測し生存戦略化するか、
5.ヒト。生存の「メカニズムとリスク」、
6.宗教の影響は大きい−日本の文化と西欧の文化、
7.地球視野の教養人になるための行動戦略
8.ヴィジョン=風評被害の無い世界を

B君:まあ、池上彰氏の著書「おとなの教養」は、環境のような自然科学分野だと、全く実用にはならない種のものなのはないけど、今後、「未来を読む方法をマスターした人間」が、「教養人の定義」になるのではないだろうか。

A君:やっと、今回の記事の題目の意味が見えてきましたね。自分が所属する組織のシナリオ・プランニング。これは、企業であれ、そうではない組織であれ、現時点のような世界情勢の中では、必須の知的作業だと考えられますね。

B君:シナリオ・プランニングを実施しようとすると、一通りの基礎知識が必要不可欠で、それ抜きには、未来は語れない。となると、未来を読むことができるだけの物理学、宇宙観、地球限界、気候変動、パリ協定、生存戦略、欧米の状況との違いといったことが必要不可欠。

A君:企業においてシナリオ・プランニングという行為をリードするファシリテータをできるような人間が、潜在的なニーズは非常に大きいのに、現時点でほとんど居ないですね。パリ協定のお陰で、2050年は当然として、2080年程度のNet Zero Emissionの達成時点まで、考えないと、未来を語ったことにはならない。世界は、このような非常識な未来を実現しなければならない、ということが、まだ常識化していない。しかし、これから2年以内で常識化するでしょう。しかし、その後の問題の進展は、2080年ぐらいまで、どんどんと極限化すると同時に深刻化していく。この変化を読み取って、ファシリテーションに使わなければならない。これは相当な実力を必要とするでしょうね。

B君:パリ協定は、個々の企業に対して、このような要求事項を突きつけた。この問題の解決方法として、もっとも一般的に考えられる方法が、1997年の京都議定書関係で使われるようになったシナリオ・プランニング。この方法が蘇ることになり、しかも、継続的に2050年以降まで使われることになる。となると、そのファシリテーションができるということが、非常に大きな強みになると考えるべきだろう。専門家が、それほど大量に必要という訳ではないけれど、その道のプロは、別のところでも、活躍できそう。

A君:国際的な情勢を十分に理解するためには、やはり、海外経験があった方が良いでしょうね。しかも、遊びとしての海外旅行経験が多くの国であった方が有利。

B君:佐藤優さんは、どうも、高校1年生の夏休みに、スイス、西ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ソ連を一人旅したとのこと。ソ連といってもモスクワだけではなく、ウクライナ、ウズベキスタンにも行った。

A君:この経験が無かったら、彼の今は無いかも知れないと、本当に思いますね。同志社でキリスト教を専攻することもなかっただろうし、そもそも外務省に入らなかったのでは。

B君:このような経験が、並を超した教養人を目指すのであれば、必須なのだろう。だから、日本の大学への合格だけを目指す高校に入って、受験勉強だけをやっている日本の普通の高校生になってしまったら、未来の発展性に関しては、この段階で、自己に大きな限界をわざわざ付加しているようなものだ。ただ、このような人の人生の目的が、「ある地域の未来に貢献する」ということであれば、この道を極めるのも有用かもしれない。

C先生:パリ協定の真意を理解するのしないの、といった議論ばかりやってきたようにも思えるのだが、実は、このパリ協定というものは、未来に向かう道を、しかも、絶対に必須の要素の1本を、明確に示しているとも言える。この道の存在を、道標のように使いながら、他の道の未来(行方)を見るということが可能であり、かつそれが必須の行為になったとも言える。しかし、その道は、たった50年で、過去300年分の歴史の前提であった化石燃料を否定する道でもあるので、そう簡単に実現できるものではなく、当然、未来を読むスキルを獲得したものだけが、有利になる。そのスキルの獲得を目標として、未来の自分を設計することが、当然有っても良い。
 しかも、パリ協定だけではない。このところ、情報技術が進化して、仕事というものの概念が変わることも、確実になってきた。単純作業は、事務ロボットが代替してしまう時期も近いだろう。
 となると、情報技術やその他の先進的技術について未来予測を持っているか持っていないか、これが、自分の未来戦術の成功と失敗の分岐点になる可能性も高い
 もしも、現時点で企業人であれば、シナリオ・プランニングの会合をファシリテートできるかどうか、それには、経済的な知識だけではなくて、技術の未来像ぐらいは書けなければならない。これが、その人間の能力の評価対象だろう。
 今、30歳代の人にとって、その未来はかなり厳しいものだ。恐らく、寿命は100歳近くになっている。となると、75歳までは最低でも働かなければならないので、なんらかの特技を身に着けておく必要がある。それの一つの表現が、シナリオ・プランニングのファシリテータができるぐらい広範かつ深い教養を身に着けているかどうか、ではないか。これができる人は、恐らく、極めて多様な社会ニーズに適応できる人だろうから。これを今回の結論ということにしよう。