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  自己至上主義をリセットする
   01.06.2013



 都立戸山高校の同期会から、記念誌なるものを発行するから、全員何かを書け、とのこと。高校生が読むことも考えて、文章を作ってみた。制限は2000字とのことだが、いつもの調子で、どうも長く書きすぎた。それをそのまま新年のメッセージとして、ここに掲載することにしました。
 そして、記念誌向けの原稿は、昨年末に書いた「職を創る」的な原稿になりました。



二種類のグループに分化

 この世の中、知らないことだらけである。これは、世界最高の賢人にとっても、それが誰だか知らないけれど、同様だと思う。

 今にして思えば、東日本大震災という想定を超えた津波をテレビで見て、やはりヒトという存在にも限界があって、すべてを理解して予測し、あらゆる対策をすることはできない、と思った。

 ここまではすべての人にとって共通体験であったはずだが、その後、人々は二種類のグループに別れたように思う。ひとつは、もう一度、ヒトという生命体ができることを見なおそうという方向に考え方を変えたグループであり、もう一つは、どうせすべては分からないのだから、自分の直感を信じ、感覚的に正しいと思うことは正しいと信じよう、という方向に切り替えたグループである。厳密に言えば、この二種類のグループ以外にも、様々な思惑をもって動くことを決めたグループもあったようだ。

 個人的には、もう一度、ヒトとは何か、そして、何ができるのか、それをできるだけ客観的に見なおそうと思った。とは言っても、そのような結論になるには、半年程度の時間が必要だった。それまでは、福島第一原発が冷温停止状態になるかどうか、毎日ハラハラしていて、それどころではなかったのが正直なところであった。


自己至上主義の難点

 自分の直感が正しいと信じると、誰もが、ヒトという生命のもつ共通の誤謬の罠に嵌る。すなわち、自らの考え方に修正が効かなくなって、結果的に自己至上主義に陥る。

 この自己至上主義が、実は、福島原発の事故を引き起こした最大の原因であった。すなわち、全電源喪失という最悪の事態は起きない、という考え方を修正することができず、結果的に、あのような惨状を招いた。

 一旦、自己至上主義に陥ると、自らの意見と異なる意見や自らの見解に対して否定的な情報を受け付けなくなる。自らの見解を補強する情報だけを探しまわって、それが見つかると満足する、という最悪のスパイラルに陥る。このような対応が一般的になれば、福島原発事故のような事態を再発してしまうことになりかねない。

 自己至上主義から離脱するには、自分を含め、誰の考え方であっても、完璧であることはあり得ない、と謙虚に捉え、何が真実なのか、何が真理なのか、それを探求し続ける以外に対処法はなさそうである。


リスクの本当の意味と文明的相違

 そのとき、日本人が陥りがちな傾向がどのようなものであるかを理解していることが、有用であるかもしれない。その一つのキーワードがリスクである。

 リスクとはもともと危険性という意味ではない。あるチャレンジを行うと、それに付随して起きる想定外のこと、といった意味である。想定外とは、必ずしもネガティブなことだけを意味しない。想定外は一つのチャンスでもある。これは、ISO31000「リスク・マネジメント」の基本思想の一つである。

 日常的にリスクとチャレンジに直面して生活をしてきた狩猟民族と、日本のような水田農耕民族との違いは大きい。マンモスを仕留めて食料にしようとすれは、それは大変である。20人掛かりでやるとしても、誰かが攻撃のキッカケとなる危険な行為をしなければならない。これに成功すれば、その人は英雄として尊敬され、多くの分前にあずかることになる。果敢にチャレンジして、始めて、多くの見返りを得る。そのために、危険な行為をする。これがリスクをとるという行為で、狩猟民族の体に染み込んだ本能である。

 一方、水田耕作を行なってきた民族は、常に近隣の人々との協調関係を保つことに腐心する。持ちつ持たれつの関係が水田耕作には必要だったからだろう。何かにチャレンジし、そして結果的に目立つ存在になることは重大なリスクの一つで、回避すべき対象であった。常に、周囲の状況に自分を合わせようとしてきた。

 そもそも、「空気を読めない」ことが排除すべきことなのだろうか。ある極めて同質な心地良いグループができれば、確かにそうかもしれない。しかし、このような排他性をもっている国民性は、かなり限られている。どうみても、東アジアにしかないような気がする。なかでも、極東に位置している日本という国は、海外からの武力侵略を受けた経験が無いからかもしれないが、同質性という意味では、世界最高の品質を保っている。

 武力的侵略によって、自国の文化・文明を壊されることは、世界各地でいくらでも起きている。特に、宗教戦争は歴史的に過酷な結果を招いた。そうなれば、日常的な生活を変えることがあたり前だった。

 すなわち、日本という国は、基本的に不変性という心地良い価値を保ち続けた珍しい国なのだろう。これが、日本人をゼロ・リスク指向にさせた大きな原因であったと思われる。

 日本人以外にゼロ・リスク的な発想を持つ人種はいないのか。最近、どのような国でも、乳児(一歳未満)死亡率が1000件の出生で2件台になった先進国では、似たような考え方のように思える。特に、超清潔主義・超安全主義は、先進国での主流になったように思える。

 しかし、基本的な考え方がちょっと違う。


安全規制にみる日・米・欧のリスク対応

 EUの家電製品に対する安全規制は、基本的に自己適合宣言型である。その製品にどのようなリスクがあるか、それを自ら解析し、例えば、この部品が壊れたらこのような故障になるが、その際、このような対策をしてあるから、火災につながることはない、などと科学的な根拠に基いて自らリスク評価を行い、それを文書化する。もちろん、第三者にそのプロセスが適正に行われたことをチェックして貰うことも可能であるが必須ではない。自らが適合性をチェックすれば、それでCEマークを付けることができる。

 これは、欧州各国では、科学的リテラシーが高く、同時に、自己責任という考え方が強いから成立している制度だとも言える。

 それに対して、日本のやり方は、この製品では満足すべき基準がこれとこれとこれ、といった形で極めて細かく規定をするやり方であった。その基準は国が定めた。国が信頼できる対象だったから出来た方法である。

 しかし、このやり方では、全く新しい製品を出すときに、基準が無いということになる。その基準を作るのには時間が掛かるので、もしも世界の他の国との競争があれば、時間的に負けてしまう。

 一方、米国では、別の考え方をしてきた。米国の安全マークでは、ULマークというものが有名であるが、ULはもともとUnderwriters Laboratories Inc.という民間機関であるが、その日本語名称は「アメリカ保険業者安全試験所」である。

 保険業者という言葉が入っているのはなぜか。ある製品によって事故が起きることを想定して、製造業者は保険に入ろうとするが、保険業者がその製品が起こす事故の可能性、すなわち、その頻度や重大性を評価できないと、保険料をいくらにしたら良いか分からない。この困難さを克服するためには、その製品に重大な事故が起きないように基準を設定し、基準に合っていれば、保険料が安くなるという仕組みを作れば良い、という発想法に基いている。

 そもそもUnderwriteとは、”〔保険証書に〕署名して損失の責任を負う、〔契約金額に対して〕保険で保証責任を負う”という意味である。安全なモノを作れば、保険料が安くなるから、製造者にもメリットがあるという思想に基づいているとも言える。


 欧州は自己責任、米国は合理的な保険料決定法、日本は国が作る基準、安全の基準は、このように最初から考え方が違う。


ウソつきに対する相違も

 1月4日の朝日新聞、「ネットの大げさ広告ご注意」という記事があった。「体にシートを貼るだけで、30日で20キロ以上やせる」という商品を買って、効果がないので、消費生活センターに連絡した女性がいるとのこと。

 そんな訳がない、と思うのが普通だろうが、やはり事業者には最初からウソで儲けようという魂胆がミエミエなのは大問題である。

 ウソをつくことに対する罪悪感は、どうみても、キリスト教と多神教系の宗教では差があるように思える。これが、日本でマイナスイオンが一般化し、プラズマクラスターイオンが今でも売れる理由である。

 キリスト教徒は、神との契約で「生かされている」ので、神によっていつでも命は召し上げられてしまう。ウソが原因で、神を怒らせると怖い。しかも、神は万能でなんでもお見通しだから、隠し事はできないと思っている。ただ、懺悔をすればすべて許されるという便利な仕組みもカソリックにはある。

 多神教系だと、ウソをつけば閻魔大王などによって舌を抜かれる。これは舌が一枚しかない普通の人には大変困ることだが、ウソつきはもともと二枚舌なので、一枚抜いてもらえば、単に正常に戻るだけ。嘘つきに甘いのは、こんな感じではないか。


若者はやはり国際化してほしい 語学をどう身に付けるか

 このようなことを書いているのも、日本人が自己至上主義になると、いよいよ世界から乖離した民族になってしまって、国として安楽死を目指す結果になりそうな気がしてならない。

 そこで、期待するのは「若者」であるが、その若者の状況はどうなのだろうか。

 現時点での若者も、2つのグループに別れたように思える。リスクをとる少数の国際挑戦派とリスクを避ける多数の国内定住派である。国際挑戦派というと、肉食系の男子という印象を持たれるかもしれないが、実際には、草食系というよりも野菜食系の女子が結構多い。途上国に平然と出かけ、そこで、活躍している。

 語学が一つの障害になっているのかもしれない。どうも、女性の方が、語学が苦手だと思っている人が少ないような気もする。それにしても、語学は苦手、という日本人では多いようだ。それは、日本人のマインドだけでなく、日本語という特殊な言語を国語としている宿命なのだろうか。

 しかし、考えて欲しい。世界中の言語で、日本語ほど複雑で難しい言語はない。これがマスターできているのなら、英語などは簡単である。日本語には、3種類の文字がある。ひらがなとカタカナという2種類の表音文字が100文字もあり、その他に漢字という表意文字が3000字ぐらいある。中国から輸入した漢字であるが、その読み方にはオリジナル準拠版と大和版と2種類あるので、正確な読み方は、変種もあるため経験的に覚えるしかない。外国人にとって、これをマスターするのは、不可能に近い。

 英語は、大文字小文字で50文字強しかない。発音と文字の関係に大体のルールはあるものの、細かいところは覚えなければならないという若干の課題はあるが、ドイツ語などと違って、名詞に性があって、それを覚えるという手間はいらない。ということで、今や、世界の標準言語は、インターナショナル英語である。いや、場合によってはブロークン英語と言った方が良いかもしれない。

 今の若者には、まず、インターナショナル英語をマスターして欲しい。誰でも3歳になれば、その国の言語を話すようになる。それに要する時間は、大体、5000時間ぐらいではないか。成人なら、英語会話をプロ級にするのに、単語レベルで内容が分かっている英語を2000時間聞くことで充分である。

 長続きさせるには、面白くなければならない。そこで、映画の音声を聞くことをお勧めしたい。ただし、ギャング映画で勉強すると、ギャング英語になるので、できるだけ主人公の知的レベルの高そうな映画を選択されたい。DVDならキャプションがあるし、そうでなくても、有名映画であれば、インターネットを"transcript"で検索すると、シナリオが入手できることが多い。

 そして、是非、海外に出るというチャレンジをして欲しい。海外の人々が何を考えていて、何を求めているか、それを体験的に知ってほしい。


結論

 東日本大震災から22ヶ月を経過しようとしている現在、自分の感覚だけを信じる自己至上主義から、なんらかの発展指向型に向けて、そろそろ離脱をしなければならない時期である。

 どうやったら、より客観的にものを見ることができるのか。これを自分自身に再度問うてみたいと思う。これを、今年の本Webサイトの一つのテーマにしたいと思っている。