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  安心は最高の贅沢
   08.19.2012



 毎週、広告をしているようなものですが、今、本を書いています。書名も未定ですが、持続可能性というものの現状と将来予測の重要性を記述してみたい。主としてビジネスマンに読んでいただきたい、という本です。

 そのため、時間が非常にタイトなので、今回も、流用です。

 以下の文章は、ある雑誌からの依頼に基いて記述したものです。もっとも、これでは長すぎるので、実際には、短縮版が掲載されることになる予定です。



「安心は最高の贅沢」 
  − 政府をあてにするな、自分で掴め −


 今年の夏は、北米全体が干魃状態にある。そのため、トウモロコシなどの価格が高騰している。しかし、世界の状況を鳥瞰的に見れば、食糧が余る供給構造になっている。

 余り始めた最大の理由は、穀物の単収の向上である。窒素肥料の投入量とほぼ比例して、単収が向上することが、これまでのデータ解析によって明らかである。この状況はしばらく続く。

 それにも関わらず価格が高騰する最大の理由は、世界で140兆ドル(1.1京円!)あると言われている投機的資金にある。まず、先物に投資をし、そして待つ。不作になりそうな状況があればそれを報道して、安心を求める庶民の飢餓の不安を煽り、買い付けに走る商社などを誘い込み、穀物価格が上がれば、ピーク価格で売り抜けるからである。

 日本国内では、食糧自給率が40%を切ったことが多少話題にはなっている。しかし、一時期ほどの危機感の浸透力はないようだ。それは、農水省そのものが、食料自給率を大きく取り上げなくなったからのように思える。

 食糧自給率の重要性を言えば言うほど、戸別所得補償制度が強化される可能性が高くなり、すでに8000億円に上る所要額がますます増大すれば、農水省独自の政策経費がまたまた削減されるということになる、ということがその理由かもしれない。

 さらに、遺伝子組換作物の普及も大きい。ブラジルの大豆の生産は、以前であれば70名もの農夫が必要だった規模でも、現時点であれば、農夫1名で足りるようになった。大豆は、雑草によって窒素分を奪われれば、収穫量が減少する傾向が強い作物だが、その雑草の除去に手間が掛からなくなった。

 世界全体が平年作であれば食糧が余る傾向にある、ということを知れば、通貨が過剰にまで強い国である日本が飢餓状況になることは無いことになる。本来あるべき対応は、不安に駆られることなく、「もし何かあったとしても、日常的な食事の傾向を多少変えれば良いや。そのうち、元に戻るから」と考えることなのであるが、どうしても牛肉・マグロ・ウナギを食べたいという人にとっては、好みのものを食べられなくなるという不安は重大なのかもしれない。

 有史以来、飢餓は人類の宿命のようなものであって、それから逃れることができるようになったのは、先進国でも1950年以降のことであることを考えれば、自らの嗜好に対しても万全の安心を求めると、その結果として、高く付くことになりそうである。

 平成24年4月から、食品中の放射性物質の基準値が「年間線量1ミリシーベルト」に基づく厳しい基準値が適用されている。政府広報オンライン
http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201204/3.html
には、次のような説明がある。

 「この暫定規制値に適合している食品は、健康への影響はないと一般的に評価され、安全性は確保されていると考えられますが、より一層、食品の安全と安心を確保するため、平成24年4月1日から、年間の線量の上限を「5ミリシーベルト」から放射性ストロンチウムなどを含めて「1ミリシーベルト」に引き下げた、新たな基準値が適用されています。食品の国際規格を作成しているコーデックス委員会の指標も、「1ミリシーベルト」を超えないように設定されていることから、新たな基準値は、国際規格にも準拠したものになります。」

 さて、福島原発事故以後、食品の実情はどうだったのだろうか。これまでの食品は危険だったのだろうか。

 コープふくしまの佐藤理氏は、日本放射線安全管理学会で発表した講演資料を公開している。
http://www.jrsm.jp/shinsai/1-4satoh.pdf

 2011年11月14日から2012年の3月23日の間、コープの組合員の家庭で、一人分の食事を余分に作ってもらい、飲料おやつなどを含めて日本生活協同組合連合会の商品検査センターに送ってもらった。いわゆる陰膳方式という試料の収集方式である。

 それをゲルマニウム半導体検出器によって、1検体あたり14時間という極めて長時間の測定をすることによって、1ベクレル/kgという検出限界を確保した。

 その結果が図1である。あらゆる検体から放射線が測定されていることが分かる。しかし、その実体は、カリウム40(緑色)による自然放射線であり、大体、平均30〜40ベクレル/kgであった。


図1 コープふくしまの陰膳試料に含まれていた放射性物質

 この図をじっくりとみて初めて分かることであるが、9件の検体についてのみ、セシウム134(暗赤色)、137(黄色)による放射線が測定されている。しかし、その値は、10ベクレルを超すことは無く、全く目立たない。放射線が検出された食事を1年間継続したとしても、年間の内部被曝量は最大0.14ミリシーベルトであり、コーデックスの基準値である1ミリシーベルトに対して、十分以上のマージンがあるという状況であった。

 ところで、年間1ミリシーベルトという基準値を、コーデックスはどうやって決めたのだろうか。中西準子先生に教えてもらうまで、実は、その中味を知らなかった。

 職業的な被曝限界が以前は年間50ミリシーベルトであったが、今は、5年間で100ミリシーベルトとなっている。以前の50ミリシーベルトでも、職業的な被曝によって悪影響がでないような管理が可能であったことから、一般人には、50倍のマージンをとって、1ミリシーベルトにしたのか、と思っていた。

 しかし、中西先生に送ってもらった資料をよくよく読めば、1ミリシーベルトは、誰でもが受け入れるであろう年間被曝量であって、それは、次のような議論で決まったことが分かった。

 世界各地での自然放射線量は、花崗岩地帯であるか、あるいは、モザナイトといったジルコニウムを多く含む岩石からなる地形かどうか、などの条件によって様々である。一般に、山岳地域では自然放射線量は多く、関東平野のように火山灰が蓄積した地域では少ない。極端に放射線量が多い場所を除けば、多いところと少ないところとの差は、年間1ミリシーベルト程度である。自然放射線が多いところに現在居住する住民に、この程度の差を気にして、他の地域に移住する人は居ない。だから、年間1ミリシーベルトという被曝量は、だれにでも素直に受容されるだろう。

 各国はこの年間1ミリシーベルトという値を用いて、食品中の放射線量に対する規制値を作っている。その際、対象となる核種、例えばセシウム134、137を含む食品がどのぐらいの割合であるか、が重要な判断基準になる。 同じ1ミリシーベルという基準値を採用していても、各国の規制値が違う理由がここにある。

 4月からの新たな食品の規制値は、50%の食品が放射線で汚染されていると仮定して決めたと説明されている。しかし、平成22年度の日本の食料自給率は、すでに述べたように、40%を切り39%でしかない。61%の食品が輸入されているとしたら、50%がセシウムで汚染されているという仮定は、完全に非現実的ではないだろうか。

 万々が一にでも1ミリシーベルトを超さないように基準を守るべきだと考えた場合でも、福島産の食品を日常的に摂取していると思われる福島県の住民以外には、あり得ないぐらい非現実的な数値である。

 しかも、すでに述べたように、1ミリシーベルトという値そのものが安全を基準に定められたものではない。このぐらいならどの国の国民でも、何も考えずに受容しているという基準に過ぎない。

 政府広報を読むと、この新しい放射線基準値を決めたことが、どうやら日本国民に対するサービスだと言っているようだ。それなら、「より一層、食品の安全と安心を確保するため」と記述されているが、安全は国の義務なので削除し「より一層の安心のために」と書くべきではなかったかと思われる。

 筆者は、1995年ぐらいから、世界の環境リスクを包括的に眺めるという作業を行なってきた。その過程で、様々な感想を持ったが、その中で、もっとも違和感があったことが、「安心」を政策目標として掲げることである。

 そもそも安心は、個人の心の問題であって、それを普遍的な価値として掲げ、国民にすべからく提供しようとすれば、そのための政策経費は無駄のレベルを遥かに超したものになる。これがどうも真実であるように思える。無駄の削減を行うことが必要な日本政府がやるべきこととは、国民の安全を確実に確保することであって、安心の提供ではないはずである。

 しかし、そうも行かない事情もあった。誤解をさせて国民の一部に不安を持たせることを目的に、様々な情報が流されてきた。

 例えば、武田邦彦氏のブログで示されているベクレルとミリシーベルトの変換式 
 ミリシーベルト=ベクレル÷100 
は、先ほどの佐藤氏の資料でも指摘されているように、3桁ものの過大評価になるにも関わらず、それを信じてしまった人がいる。そのブログが紹介されているが、調べたみたところ、さすがに、今では更新されていないようである。

 さて、安全を基準とした場合に、どのぐらいの基準値が、妥当なのだろうか。

 コーデックスの基準は、政府広報オンラインでも引用されているように、一般食品も、乳幼児用食品も同一値で、1000ベクレル/kgである。この数値を決定したときに、ある仮定が存在しているのだが、政府広報オンラインでは説明されていない。それは、摂取する食品のうち、10%が汚染されているという仮定である。

 現在の日本の基準は、すでに述べたように、食料自給率が39%しかないこの国なのに、50%の食品が汚染されていると仮定されている。コープふくしまのデータを真実と考え、それに大きすぎる安全係数を考えた場合でも、今ならば、20%が汚染されているという程度と仮定することが現実的ではないだろうか。現状は最低でも2.5倍程度厳しすぎるということである。

 厳しすぎる基準を用いると、高く付くのが普通である。この高く付くことが、日常的な費用が多少増大することだけであれば、余り、気にすることではないかもしれない。もっと重大なことがある。それは、福島の農業の復興が遅れることである。これは、福島県で農業を営む人にとって重要なだけではない。東北というこれからの日本の農業の中心地の一部である福島を失うことは、世界の農産物が高騰したというニュースに一喜一憂をする原因にもなって、多くの日本人にとって、精神的に高く付く可能性がある。

 安心を単純に得ることを求めると高く付くが、不安になりそうな「嫌な状況」を避ける対策を練ることは、将来にとって良い投資である。そのために、できるだけ早く、食品の放射線安全基準値は下げるべきである。

 最後に、ワシントン・ポストの8月15日の記事と読者のコメントをご紹介しよう。福島での内部被曝が、チェルノブイリの場合よりも相当に低かったという東京大学の坪倉正治氏の論文が、Journal of American Medical Associationに掲載されたと言う記事である。

 この記事に対する読者のコメントが掲載されている。それが面白い。

  Now the truth is out and people will call it "government propaganda."これを訳せば、「真実が分かった。しかし、人々は、政府のプロパガンダだと言うだろう」。

 何が真実か分からなくなった人々は、大変に気の毒な存在ではあるが、その人々の安心への要求を無条件に受け入れてしまうと、一般の国民にとって、単に、金銭的にではなく、精神的な安定度などについても、「高く付く」ことになるだろう。