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知恵としてのLCA(上) 04.25.2010 |
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LCA:Lifecycle Assessment(ライフサイクルアセスメント)はご存じのように、製品あるいはサービスの原料採取の段階から廃棄されるまでの全ライフサイクルに渡っての、環境負荷を評価する方法である。 一般の人々が、LCA的な発想を持てば、地球レベルの環境問題の解決にとって、極めて強力な味方になり得る。 しかし、かなり難しいことのようである。なぜならば、地球から資源を採取する段階から、最終的に埋め立てに至るまでのすべての工程について、ある程度のカンを持つことが必要だからである。 このLCAを大学初年度の学生に教えてみるという無謀な試みを2年間ほど行った。教材は、2000年頃に開発したポテトコロッケの調理を題材としたものであるが、それでも、なかなか難しい。 計算が必要なので、エクセルをある程度使える方が楽である。しかし、これがまたまたハードルに見える。 さらに、エネルギーという見えないものを理解することも難しい。 この無謀な試みを行ったのは、上智大学の現代GPというプログラムにおいてである。90分授業を7回というコースで、文理融合型であった。 ティーチングアシスタントのお陰で、なんとか半分以上の受講者が、LCAとは何かという感覚を掴んだのではないだろうか。 今回、この文章は、その現代GPの報告書のために書いたものである。かなり長いので、上下2回に分けて掲載する。 当然ながら、連休中に長文の作文をしないための方策でもある。 1.はじめに 一般に、ライフサイクルアセスメント(LCA)は、製品やサービスなどの環境負荷を総合的に評価する方法だと定義されている。この定義を読めば、メーカーなどの事業者が自らの製品の環境負荷を評価し、そして、その優位性を主張するためのツールであると考えてしまうのではないだろうか。 特に、LCAが国際的標準規格であるISO14000シリーズにも含まれていることから、そのような理解をしてしまうことも、極めて普通のことのように思える。事実、この方向での解説書は多数存在している[1]。 しかし、LCAは、単に企業人や研究者が身につければ良いという技法ではない。ここでは、できるだけ簡単な言葉を使って、「知恵」としてのLCAを語ってみたい。 しかし、「知恵」といっても、無目的で知恵というものがあるものではない。そもそも知恵はなぜ必要なのだろうか。 2.知恵がなぜ必要か 知恵がなぜ必要か。それを一言で言えば、それは「幸せになるため」ではないか、と思われる。しかし、自分だけが幸せになっても、子孫が不幸になってはやはり駄目なのだろう。子孫といっても、子、孫、曽孫、といくらでも続く。それなら、何年ぐらいの未来まで考えればよいのだろうか。 この問に答えを出すのは、実は大変に難しい。それは、人類とはそもそも何かを考えることが必要だからである。しかも、やっかいなことに、人類が生存しているのは、地球と呼ばれる太陽系の第三惑星である。そのサイズは、半径6000km余りと、星の一つだと見ると比較的小さい。その重さにしても、太陽の33万分の1に過ぎない。この限られた大きさ、重さの地球という星の上で、人類がどのぐらい未来までを見通して生きるべきか、と言われると、この問に答えを出すことの難しさが分かるかもしれない。 そもそも地球は小さいと言ったが、本当に小さいのだろうか。これも、そう簡単に答えられない。コロンブスが米国大陸を発見した時代であれば、そのときの人々にとって、地球はまだまだ無限に大きかったに違いない。 未来として何年ぐらいを考えれば良いか。これを知るために、人類の歴史を振り返ってみると、それこそ驚くべき事実に出会って、この問に対して答を出すことがいかに難しいかを感じることだろう。 まずもっとも驚くべきことは、人口の推移である。図1に過去1万2千年間の世界人口を示す。この図は、縦軸の最大値が70億人だが、このグラフだと、BC3000年ぐらいまで、世界人口はX軸にへばりついていて、ほぼゼロとしか言えない程度であったことが分かる。BC1000年ぐらから多少人口は増加しているが、それは、農業が進歩して、食糧の生産量が増えたからである。なぜ、生産量が増えたのか。それは、灌漑技術のような大規模農業技術が発明されたからだろう。 ところが、18世紀になって人口が急激に増え始めた。そして、20世紀のグラフは、ほとんど垂直の線になっている。なぜこんなにも急激な人口の増加が可能になったのだろうか。当然のことながら、食糧の供給量が増えたからである。 食糧は農業・漁業などによって供給されるが、それを支えているのは、実は、莫大なエネルギー消費である。 図2に二酸化炭素排出量と人口の増加を示すが、二酸化炭素排出量がこれほど増えたということは、化石燃料を燃やすことによって人類は、大量のエネルギーを得たことを意味する。すなわち、エネルギーの消費量によって人口が増大した様子が読み取れる。 ![]() 図1 世界人口の推移 ![]() 図2 人口の増加と二酸化炭素排出量 人口の増大が引き起こす争いとして、かつては食糧争奪戦争が起きていたが、その後、エネルギー争奪戦争も起きるようになったのは歴史的に当然のなりゆきであった。 しかし、初期のエネルギー戦争が起きたのは、まだ、エネルギーが枯渇するからという理由ではなく、エネルギー資源が地理的に偏在していることが原因であった。 最後の大規模戦争とも言える第二次世界大戦は、エネルギー争奪戦的な色彩の強いものであった。日本はそれに敗れたが、終戦後の経済復興はめざましく、奇跡とも言える経済成長を果たした。 しかし、やはり副作用というものがあった。それは産業公害である。1950〜60年代に、大気汚染、水質汚濁が随所で起きて、健康被害が生じた。そこで学んだ知恵は、どうやら、環境には限界があって、汚し過ぎると復元しないということであった。 水俣湾にしても、また、富士市の田子の浦にしても、浚渫をしてメチル水銀で汚染された土壌や、製紙のヘドロを除去しなければならなかった。 日本の環境問題は、その後、解決したように見える。現時点の東京の空の色は、中国北京の空の色とは全く違う。急速な経済発展を行うと、環境に影響が出るということは、未だに世界各国で実例が見られる。 しかし、20世紀の後半に至るまで、地球そのものが危機に瀕するとは、誰も思っていなかった。 地球環境問題というものの重要性が、地球上のほとんどすべての人々に知れ渡ったのが、1992年、ブラジルのリオデジャネイロで行われた国連の会議、地球環境サミットであった。 その結果として、気候変動防止条約や、生物多様性条約などができた。世界全体で、地球上での他の生物の保全が、恐らく将来の人間生存のためにも重要なのだろうという感覚を持つよう人々が増えてきた。 このように、地球上に生存する人口が増え、経済活動が急増し、地域に環境汚染が増大した。資源の消費も莫大なものとなり、化石燃料も、2300年頃までに消費し尽くされることがほぼ確実となった。 このような状況にどのように対処すれば良いのか。どのような知恵があるのか。知恵の目的は、繰り返すが「幸せになること」だとしても、その答はそう簡単ではない。なんらかの正しいと思われる答を出すには、どんな条件を満たした知恵が必要となるのだろう。 3.何を知る必要があるのか 最近の環境問題の目標は、持続可能な社会を作ることだと言われる。しかし、その中味が何かと言われると、人によって考え方が相当違う。 現時点で言えることとして、現在のような経済活動を際限なしに行うことは、近い将来、かなり大規模な破綻をもたらしかねないということだけは確実のように思える。 どのような破綻が来るのか。それを予測し、可能な限りの対策を打つことが求められる。となると、破綻とはどのようにしてもたらされるのか、そのメカニズムを理解することが必要だろう。 破綻の最悪のシナリオは、やはり、多くの人が死ぬことだろう。過去の世界大戦のような戦争は、核抑止力のために起きにくいであろう。しかし、テロのようなことは常時起きることだろう。しかし、このような人によって人が殺されることだけが最悪のシナリオではない。 ヒトは生物であるために、生存のためには、いくつかの最小限の条件を満たす必要がある。それは、食糧があって、飲料水があり、空気があって、さらに、体温維持のための家や衣料品やエネルギーがあることが条件である。これらの供給が充分に行われていれば、まず、第一の条件はクリアーである。 しかし、やっかいなことがある。それは、分配が必ずしも平等には行われないことである。現時点での食糧の生産量は、アフリカなどの一部にも平等に分配されれば、それなりの生存ができる以上のレベルである。ところが、経済的な格差があるため、餓死が起きかねないような状況になっている。 食糧の生産には、適切な気温の土地があり、水があり、そして、日射があれば、あとは土地の豊かさ、すなわち、肥料の問題になる。肥料は、多くの場合、手間は掛かるが、天然由来のものを使うことができる。 飲料水は、河川などに水があれば濾過装置を通し、ある程度の殺菌をすることで、なんとかなる。もっとも簡単な殺菌は、加熱することである。しかし、井戸を掘るとなると、それには、やはり相当の物資と技術が必要である。 日本伝統の井戸掘り技術に、上総堀りという方法がある。この様子をYouTubeで見てみよう。[2] 多くの資材は、その地域の孟宗竹や木材、縄などであるが、やはり鉄や塩ビ管なども使われている。もしも、これを最初から作るとなったら、工業生産システムが必要である。さらに、孟宗竹も木材も何もないアフリカの大地で井戸を掘るとしたら、大変な作業であることが分かるだろう。 LCAとは、全く何も無いところで、何かを作るときに、一体、何が必要か。その品目と量をリストアップする作業が基本である。それには、作る方法を知ることがまず第一である。 話をヒトの生存に戻す。エネルギーは、基本的には、暖房と調理のために必要である。もっとも普通のエネルギー源は、薪と炭である。これらは地上に存在しているからである。 調理をすることによって、LCA的な計算を行うことを、授業で経験してもらった。そのときには、エネルギーはガスや電気の形で使ったが、もしも、それを作れと言われたら大変である。 そもそも、地下に存在している化石燃料を使うとなると、大規模に掘削することが必要で、そのすべてを人力でまかなうのは大変である。 このように、ヒトが生存するという最小限の状況を満足させようとしても、かなり多くの地球の資源を使用していることが分かる。 現在、飛行機でパリまで行くといったことが可能になった。そのために、どのぐらい地球から資源を採取しているか、それを知ることによって、我々の生活というものと、地球との関係を知ることができるようになる。 飛行機を使うことによる地球の物資の利用は、飛行機そのものを作るのに必要な物資よりも、飛ばすためのジェット燃料の量が莫大だということが分かっている。なぜならば、飛行機は、一旦作ってしまえば、それこそ何万回も飛行するからである。 このようにして、人間生活に必要な物資の量が分かったとして、破綻を避ける方法は何だろう。それは、地球の供給能力の範囲内で人間活動を行うことである。もしも人間活動によって、環境に放出される有害物質の量が分かったとしたら、地球の処理能力との関係で、破綻が起きるかどうかが決まる。 ところが、もう一つ難しい問題がある。それは、1800年ぐらいから2300年ぐらいの500年間が、人類史上極めて特殊な時代だからという理由で難しい。それは、化石燃料の存在である。 もしも化石燃料がなければ、そして、現代技術がなければ、人々は、太陽が年々くれる恵みの範囲内で生活をしなければならなかった。食糧は当然として、エネルギーも多くの資材も森林の成長分しか使えない。 ところが、化石燃料というものが、人類の生活を根底から変えてしまった。過去4億年とも1億年とも言われる歴史の中で蓄えられた化石燃料を、たった500年で使ってしまう。1億年分を500年で使うということは、1年で20万年分の太陽の恵みを使うことに相当するのである。 この化石燃料の存在が、大きな貢献をしているのである。現時点での人間活動は、なんらかの新たなエネルギー資源が無い限り、しょせん継続不能なのである。 しかも、この化石燃料というものが、かつての地球上で生息していた植物や藻類が原料であると思われるので、それらが大気中から吸収した二酸化炭素を、燃やすと吐き出すのである。 もともと、この地球が循環させている炭素量は莫大なのだが、その4%程度を化石燃料の燃焼によって増やしてしまうと、もはや地球はその追加分を吸収することができない。 化石燃料は、すでに述べたように500年で使い切る。別の表現をすれば、化石燃料文明は500年しか続かない。地球温暖化というと、いつでもそんな現象が起きると思うかもしれないが、2300年以降には、その原因物質である化石燃料が無いために、温暖化を起こすことは難しい。むしろ寒冷化が問題になっているに違いない。 化石燃料を使う以前の1800年頃までと、現在、そして、使い終わる2300年以降では、二酸化炭素という地球環境に影響を与える特別な物質にも考慮をしなければならない、という意味で、特殊な時代であると言える。 いずれにしても、われわれ人類が何をやっているのか、それが地球の歴史から見て、何を意味するのか。このような考え方を持つことが、LCAを実行する場合に必要不可欠なことである。 LCAを具体的に実行することは、地球から資源を採取もしていないし、製品を作っている訳では無い学生や一般市民にとって不可能に近い。細かい部分まで情報が開示されていないからである。 となれば、何を知らなければならないか、という問に対する答は、地球の歴史や、人間活動の様子とその歴史的な変化、を知ることが重要である。これらの知恵として備えることができれば、人類の未来についても、ある種の洞察力を持つことができるだろう。 |
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