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    今後の電力 数冊の本 (4) 
   06.21.2014
             エネルギーの不都合な真実 バーツラフ・シュミル(著)



Energy Myths and Realities
Vaclav Smil

 単行本(ハードカバー): 320ページ
 出版社: エクスナレッジ (2012/4/23)
 言語: 日本語
 ISBN-13: 978-4767812984
 発売日: 2012/4/23

 外国人が何を言っているか、その検証もしてみたい。これがこの本を選択した動機。

 著者、シュミル氏は、1943年生まれチェコ人。チェコ動乱のときに、母国を離れペンシルバニア州立大学で博士号。

 専門は、エネルギーシステム、環境変化、技術進歩の歴史、環境・食糧・経済・人口の相互作用など、学際的な研究を進めてきており、30冊の著書と300本の論文がある。

 題名に「不都合な真実」という言葉が使われているが、これは、米国副大統領だったアル・ゴアの著書である"An Inconvenient Truth: The Planetary Emergency of Global Warming and What We Can Do About It" 出版社: Rodale Pr; New.版, ISBN-13: 978-1594865671,発売日: 2006/4/30 が、日本では、「不都合な真実」として発売され、かなりのヒットとなったので、二匹目の泥鰌を狙った本がかなり出たが、結局に二匹目は居なかった。この歴史を考えると、2012年発売の本に、この題名はいかがなものだろう。

 原題は、上に示したように、"Energy Myths and Realities"でありことを尊重して、「エネルギーの神話と真実」と素直に訳せばよかったのではないだろうか。

 内容を一言で表現すると、「新しいエネルギー関連技術は、そう簡単に社会に普及することはない」である。「コンピュータのようなものとは違う」(今なら「スマホのようなものとは違う」)。これはその通りである。理由は簡単で、エネルギーはインフラだからである。社会の合意があって、初めて実現できるもので、個人がこれが良いからといって、個人の購買力で買えるようなものではないからである。

 個人で導入できるものとして、FITがあるではないか、という反論が来るかもしれない。確かに、メガソーラの申請量はすごいが、実際に導入されたものは、この程度である。
http://www.meti.go.jp/press/2014/04/20140418002/20140418002-2.pdf


図1 平成26年1月発表の導入状況

 実際に導入された量は、認定容量に比べればまだまだだが、それでも新鋭の原発10基分の容量に到達。しかし、発電量で言えば、1/8〜1/10ぐらいなので、原発1〜1.2基分程度。しかし、夏の昼間に電力消費量のピークが来る傾向を多少なりとも緩和できるようになりつつあるのかも知れない。


 
「エネルギーの不都合な真実」の目次
はじめに
第1部 過去からの教訓 
 第1章 未来は電気自動車のもの
 第2章 原子力の電気は計れないほど安い
 第3章 ソフトエネルギーの幻想
第2部 ヘッドラインにみる神話の数々
 第4章 枯渇−ピークオイルとその意味
 第5章 二酸化炭素隔離
 第6章 植物由来液体燃料
 第7章 風力発電
 第8章 エネルギー移行のペース
結論 教訓と政策上の留意点

 


C先生:この本が想定している読者とは、どのような人々なのだろうか。恐らく、日本ではそれほど売れると思える企画ではないかったと思うが。

A君:書いてあることは一般的記述ですね。技術に関する細かいことは、何も書かれていない。第1部で過去を振り返り、第2部で、その時点でメディアが取り上げている夢のような技術について、特に、その実現可能性について、どのように見るかを述べ、そして、結論として、政策を作る場合の留意事項、特にどのようなことに留意して、構想を練らないと、後で間違いに気付くことになるか、といった構成になっています。

B君:ということは、この本が想定した読者は、政治家相手のコンサルタント達ではないか。米国では、個人ベースで営業をしている政治家向けのコンサルタントが多数存在しているようなので、このような本が売れる。

A君:日本だと、個人レベルで政治コンサルタントと呼ばれるような存在は少なくて、多くの場合は、○○総合研究所のような名称をもった巨大組織になっている。そのため、本は組織で1冊といった買い方なので、余り売れない。それに、日本の巨大組織の方が、持っている情報も、組織的に集めるから、より精緻なものだったりする。

B君:そうかもしれない。日本の場合には、各省庁が××審議会△△分科会□□小委員会といった名前を用いて、調査研究を主導している。その調査業務の本体を○○総合研究所のようなところに委託する。だから、省庁から審議会資料として出ている情報の方が、本書のような個別の図書よりも、より新しく、かつ、より包括的だったりする。だから、本はますます売れない。

A君:ということは、この本が提供している情報は、場合によると、というよりも本質的に個人的な判断によるものだ、ということになりますか。

B君:そうかもしれない。この本でも、翻訳者は、技術に詳しい訳ではなさそうで、いくつかこれは違うのではないか、という記述が見つかる。恐らく、原文をチェックするば、誤訳という結論になるだろうと思われることが多い。

A君:そうですね。細かく見ればそのような箇所は多いのでしょう。ざっと読み流した感じでも、p60のガソリンエンジンの効率化のところで、「現在開発中のエンジンは、4ストロークと2ストロークの切り替えが可能という画期的なものだ。要求されるパワーが少ない時間帯には、なんとシリンダーを1〜2本停止し、標準的なオットーサイクルではなく、圧縮比よりも膨張比を大きく取ることで一時的に熱効率を劇的に向上させるアトキンソンサイクルで動くのだという」。この記述はかなりの確率で間違いだと思います。恐らく、4気筒の内、2気筒の作動を止める(実際には、2気筒分のバルブを全部閉じるだけ)という切り替えであって、4ストロークと2ストロークを切り替える話ではない。単に、バルブのタイミングを可変にすること、あるいは、カムを切り替えることによって、可能になることのみ。このような気筒停止のエンジンはホンダの得意技で、ハイブリッド用のエンジンや、V6の3Lエンジンがそうだった。オットーサイクルとアトキンソンサイクル(本当は遅閉じミラーサイクルか)の切り替えは、やはりホンダがやっていた。単なるアトキンソンサイクルなら、ホンダ・フィット、トヨタ・プリウスやアクアのエンジンは、最初からこの名称ですが、本当は、「遅閉じミラーサイクル」と呼ぶべきか。

B君:本物のアトキンソンサイクルは、ホンダのEXlinkというページに出ている。コジェネ用に使われるぐらいで、自動車用にはならないだろう。

A君:本書の責任ではないですが、名称については、どうも適当に使われている感じですね。高膨張比エンジンというものがアトキンソンサイクルと名称になっているけれど、オリジナルである130年前の発明では、非常に複雑なクランクになっている。

B君:さて、全体的な評価に戻るが、色々な意味で、やはりお奨め図書にはならないという結論だろうか。最新情報は、むしろ、審議会の資料をマメにチェックすることで、情報は得られる。

A君:多分そういうことだとは思うのですが、マメにチェックするということが大変なので、個人としてコンサルをやりたいのなら、むしろ、こんな本を買った方が簡単ですね。

B君:そうかもね。しかし、米国の図書の一般的傾向として、過去の話が長々と語られる傾向があって、第一部がそれ。薀蓄を仕入れるには最適かもしれない。個人コンサルタントとして信用されるためには、薀蓄を語るのが効果的な戦略なので。しかし、最後の結論、これがp249〜p270しかないのだけれど、ここだけ読めば、今後の政策を考えるには十分。これも、米国の個人コンサルにとっては、便利な構成になっていると言える。

A君:ということは、この最後の結論だけをまとめてみますか。ただし、この本の出版日を見れば分かるように、シェール・ガスが米国のエネルギーの状況に与えたインパクトは、必ずしも反映されていないと考えるべきですね。

B君:シェール・ガスは、化石燃料だから、この本の全体的な主張が、「他の技術への移行には、結構時間が掛かる」ということであれば、シェール・ガスの記述の有無が全体的な結論に大きく影響する訳ではない。シェール・ガスによって、エネルギー革命がますます遅くなるということだと思えば良いのだから。

C先生:ざっと読んだというよりも、ざっと眺めたが、確かに、諸君らの評価で良さそうに思う。薀蓄を語りたい人のための第一部。メディアの報道がいかに怪しいかを知りたい人の第二部。そして、政策を考えるのなら、結論だけで良い。ということで、結論だけのまとめをやってくれ。そのうち、個人用に、薀蓄編を作って見たいとは思うが。

A君:了解です。結論編は「教訓と政策上の留意点」となっていますが、いくつかの項目について、コンパクトにまとまっています。項目リストです。
 電気自動車
 原子力
 ソフトエネルギー変換
 ピークオイル
 二酸化炭素隔離
 作物由来エタノール
 風力発電
 エネルギー移行
そして、最後に
 簡単なまとめ


B君:それでは、電気自動車から。
 当たり前の話だけれど、化石燃料から作った電気で電気自動車を走らせているような状況では、1次エネルギーの節約にはならない。意味は薄れる。
 シュミル氏の結論は、風力などのインフラが完成するには、数年といった時間では無理。だから、1.ガソリン自動車の燃費効率を上げる、2.極端に燃費の悪い車を引退させる、3.すでに実績も信頼性も十分なハイブリッド車をさらに普及させる。これら1、2、3によって、化石燃料への依存度を下げることぐらいが現状でできること。

A君:それはその通りですね。電気自動車は、最近のようにCO排出原単位が急増してしまった電気で走っても、オーバーオールなCO排出量は、まあ半分ぐらいと少ないですが、やはり、再生可能エネルギー、原子力などの電力で走らないと、気候変動対応として有力手段だとは言えません。

B君:ガソリンで12km/Lの車なら、電気だと6km/kWhぐらいか。ガソリンの二酸化炭素排出量が2.322 kg-CO2/L。1kmあたりにすれば、約0.19kg−CO/km。電気の原単位を0.525kg−CO/kWh(東電2012年)とすれば、約0.09kg−CO/km。確かに、半分程度にはなる。

A君:しかし、シュミル氏は、自動車については、比較的素人のような感覚ですね。電気自動車が普及するかどうかは、航続距離が短く、その割には充電時間が長いことが、非常に大きな欠点であるという指摘が無いですよ。いくら急速充電と言われても、30分もかかってはダメですよね。

B君:恐らく、自分で電気自動車を持ったことが無いのだろう。電気自動車の良さは、現状だと、チョコチョコと街中を走るだけの車。電池の自動積み替え装置が使用可能になれば、タクシー、配送車のような業務用の車には使える。しかし、ときに往復200kmも走ろうとなると、まあ、電気自動車では不安だ。どうしても、エクステンダーが必要になる。

A君:2012年では、BMWのi3のようなエクステンダー付の電気自動車は売っていなかった。

B君:シュミル氏は、ハイブリッドを凌駕するのは、ディゾット車だという。ディーゼルとオットーサイクルを切り替えることができる内燃エンジン。

A君:モーターを併用しない方式で、アクア・フィットなどハイブリッド車の燃費を超すのは、不可能だと思いますけど。もっとも、大型のハイブリッド車は、現状では、燃費向上を最大の目標として作られている訳ではないので(例外がアコード・ハイブリッド、クラウン・ハイブリッドかも)、それらを抜くことはできるかもしれない。

B君:それでは、次が原子力。原子力の不幸は、「安すぎて計れない」ほどの電気だというミスリードがあったこと。これは、ただの大げさな勢いだけのフレーズで、事実の裏付けなどなかった」。ところが、すべての人々はこれが実現しなかったので、失敗だと見てしまった。

A君:日本でもそんな言い方がありましたが、最近になって、原子力のコストは、それほど安くは無くて、温室効果ガスの排出を考えても、石炭火力、天然ガスと同程度か、ちょっと安いぐらいではないか、ということになりました。この原子力のコスト算定には、廃炉、使用済み核燃料の処理、57年に1回と想定した事故対策費、などほとんどすべてを含みますが、最終処分後は安定的に推移するという仮定で、数万年に渡るコストは計算されていません。
 シュミル氏は、原発のコストがたとえ相対的に高かったとしても、気候変動を遅らせるための最善の選択の一つである、と主張しています。

B君:その主張がどのぐらい妥当か、となると、安全性をどこまで確保できるのか、さらに、もしも、気候変動を遅らせるための最善の選択ならば、最悪である他の石炭や天然ガス発電に環境税を掛けることで、妥当な競争ができるようになると、主張すべきだと思うのだが、どうだろう。

A君:環境税は、どう考えても極めて妥当な対応策なのですが、米国政府の主張として、あるいは、日本国内での主張としても、環境税という言葉が禁句になっているのではないか、と思いますね。

B君:シュミル氏は、後述するように、CCSについても、余り積極的ではない。しかし、仮定でもよいので、CCSを強制し、もし設置できなければ、そのコストの差を環境税として徴収するということを想定することは有っても良いのではないのだろうか。まあ、2030年ぐらからということになるだろうけれど。

A君:結局のところ、原発については、「現代の経済における合理的かつ長期的なエネルギー計画から、原子力という選択肢を排除すべきではない」、と結論しています。

B君:安全性については、極めて面白いことを言っている。「原子力発電のリスクを妥当なラインに位置付けるという真剣かつ協調した努力は一切行われていない。喫煙の危険性については、数10年を掛けたキャンペーンが行われ、大衆の大半を納得させるまでになっているのだから、原発でそれができていないのは、科学と政治双方の失敗だ」、というすごい主張になっている。

A君:「たばこは大したことない」という一般社会の理解を、「いやいや大変に危険だ」、という方向でのリスク認知を求めたもので、これは、喫煙者にとって、自己の健康の維持というプラスがありますから、気が付けば自然にその方向になる。

B君:原発は、シュミル氏も記述しているように、「大衆のあいだで根強い不合理な恐怖感という難題も計算に入れておかなければならない」としているが、「不合理な恐怖感」を「適正な相場観」に転換するということは、たばこの場合と逆方向の調整をすることになって、この方向がいかに困難なことなのか、それが分かっていない。ご本人は、コミュニケーションなどをやったことが無いという感触を強く受ける記述だ。

A君:しかも、日本の場合には、福島第一の事故に関して、「原発は犯罪人だから、その更生のための第一歩として、まず、『穢れを祓うための禊』を行って、それから事を始めよ」、といった考え方に基いて、反対している人々が存在していることは理解されていないでしょう。

B君:次が、ソフトエネルギー変換。これについては、解釈が多少難しい。包括的教訓が2つ得られるとしている。
 第1は、あるエネルギーの長期的な目標の追求をイデオロギーで進めようとしてはいけないということ。第2は、そうした目標を追求するなかで、どれか一つの分野の技術や管理方法を持ち上げて、自分にとって望ましいエネルギー供給のシステムを作り出すための万能手段にしてはいけないということだ。
 これって理解できた?

A君:要するに、「理にかなった選択肢はどれも排除するな」、「一つの選択肢だけを初めから優遇すべきでない」。

B君:この分野では、しばしば特定の自然エネルギー教とでもいえるような存在があったという記述なのだと思う。風力教、太陽光教、バイオマス教などなど。

A君:多数のすべての可能性をしっかり比較してから進め。ということでしょう。

B君:特に、巨大都市での需要が現実的に不可欠な現代で、「圧倒的に出力密度が低く」、「単位当たりの容量に本質的な限界があり」、「たいていは、最適値を下回ってしまう」といった分散型の小規模変換は排除されるべきだ、と主張している。この主張は当然なのだが、さて、何がそれに相当するのだろうか。小型風力は確かにその通り。一時期話題になった振動エネルギー回収もその例ではあるが。

A君:確かにそうかもしれない。しかし、この考え方も、向こう10〜20年で変わるかもしれない。なぜなら、日本のような過疎化が進む地域のエネルギー源が重大な問題になるから。もう一つは、家庭の電力にダイナミックプライシングのようなシステムが導入されれば、特に、地方都市においては、上述のような欠点があっても、自家用の蓄電池でそれを補うといった考え方が一般的になるだろうから。昼間に出力数kWの太陽電池で発電をしておいて、電気代が極度に高くなる夜のある瞬間には、蓄電池から放電をして補うことを行えば、比較的少ない容量の電池でも、効果的。しかし、シュミル氏の主張の設置単位当たり出力というか容量に関しては、1kWぐらいが最低水準ですかね。

B君:過疎地での電力網、都会でも家庭に供給される電力は不安定でも良いと理解すべきだということは、我々の主張であって、シュミル氏の主張ではない。これは、過去の理解を根底から覆すことが必要なのだけれど、そんな時代になれば、はじめて、再生可能エネルギーが、あらゆる家庭にとって、主演俳優になるということだろう。

A君:次がピークオイル。これはあえて省略しましょう。ピークオイルは、もはやそれほど有用な概念ではなくなったと思うので。

B君:それなら次の二酸化炭素隔離。その意見は、非常に分かりにくい日本語表現になっている。「望ましからざる環境への影響を回避ないし最小化することの方が、すでに事がおこってからその影響の中和を狙う努力よりも、はるかに優れているということだ。しかし、大規模な二酸化炭素隔離を推奨する者は、この考えを退け、CO2排出のさらなる増加は避けられない、影響を少なくする現実的な選択肢は回収貯留しかないと主張する。一見合理的に見えるが、批判的な検証に耐えられるようなものではない」。

A君:うーーん。とにもかくにも、まずは、CO2排出量の削減を目指し、それでもダメだったときの最終的な対応策として二酸化炭素隔離を考えよ、という解釈で良いですかね。

B君:まあ、そんな感じ。こんな解釈をする理由だが、著者は、CCSを推進する団体に対して、ある種の再生可能エネルギーだけを推進したがっている集団と似たような感じを持っているからかもしれない。

A君:それ以外の解釈として、次のようなものもあるかもしれない、と思います。「CO2削減ということになれば、ほぼすべての人々を巻き込んだ対応策を講じる必要があるけれども、CCSだと言えば、それは、本当に限られた人々だけが対応すればよい。本来、CO2削減はそんなものではない。すべての人に重要性を理解して貰うことが必要条件だ」。

B君:確かに。最後まで文章を読むとそんな感じを持っているのではないか、ということが分かる。

A君:もしもCCSが実用になると、最終的に取り扱われる物質の量は、まさに化石燃料の重量を上回る可能性がある。

B君:そうなんだ。現在の資源・エネルギーメジャーよりも大量の物質を取り扱う巨大産業が出来上がるということを意味する。これをシュミル氏は警戒しているように読み取れる。

A君:次ですが、作物由来のエタノール。これは、政治問題ですが。

B君:この項目の記述は、相当に手厳しい。「技術革新のわずかなプラス面が過剰に強調され、多くのマイナス面が理由もなく無視されたことで、この新たなエネルギーが選択されようとしている」。「もともと作物由来のエネルギーは、高いレベルでのエネルギー自給を目指す上では、ほとんど効果はない」。

A君:本当のことなので、なにも言えません。

B君:さらに続く。「包括的教訓は以下の通り。長期的なエネルギー政策は、短期的な企業利益や怪しげな党派的な約束から完全に切り離さなければならない」。「特に、政治キャンペーンの一環として行われるものはそうで、すぐにでも再生可能エネルギーが支配的になるという非現実的な期待から、環境面・工学面・経済面の多くの現実が無視されてしまう」。

A君:他の記述はその通りなのですが、短期的な企業利益は有ったのでしょうかね。作物由来のエタノールが、米国におけるトウモロコシからのエタノールであるとしたら、これは、ブッシュ政権の集票政策の一貫であった、という理解で良いと思うのですが。

B君:ガソリンに混ぜるのだから、エネルギーメジャーも、若干プラスだったのかもしれない。

A君:あと残念なのは、ブラジルにおけるサトウキビからのエタノールの評価がされていないことですか。

B君:次が風力発電だ。「低コストで制御できる風力は相当少なくて、理論上の容量の10%足らずがせいぜいだ。しかも、風が良く吹いてもっとも利益の上がる発電好適地は、空間的にきわめて不均等に分布している」。

A君:ネガティブな面にもしっかり検討のメスを入れるべしということではあるけれど、「必要な高圧送電網さえできるなら、GWクラスの大型風力プロジェクトを推進していくことはできる」、とポジティブな記述もしている。

B君:しかし、「高圧送電網には相当な先行投資が必要なうえ、立案と承認プロセスには長い年月がかかる」。「2020年や2030年に向けた目標を達成することは難しい」。

A君:今後、「電気や電気自動車への依存度が高まるとすれば、電力のベースロードへの需要が増加するだろう。現在、その需要をもっとも高い信頼性で提供しているのは、90%を超える負荷率が当り前の原子力発電であって、風力発電はそれを置き換えることは難しい」。

B君:「ただし、適切な用地を選び、十分な設計のウィンドファームをしっかりと相互接続した送電網の一環として建設するなら、風力は来るべきエネルギー移行において、重要な地位を占めるはずだ」。「しかし、これはそれだけで十分に大変なミッションだ。この新しいエネルギー変換では応えられないような、非現実的な希望を掲げる必要などない」。

A君:ということですね。しかし、シュミル氏は、やや遠い将来には、米国におけるベース電力に風力が当然寄与するという理解なのか、それともダイナミックプライシングのようなソフト的な対応を含めれば、それも不可能ではない、といった程度の理解なのか、良く分からないですね。

B君:常識的には、後者のようなダイナミックプライシングと電気自動車のバッテリーの有効活用ということの組み合わせで上手くやろうという主張になると思う。日本のような北海道から九州まで一本の背骨のような電力網だと、対応が難しいからだ。
 しかし、米国全土を平面的に広がる高圧送電網でつないで、風力の発電容量を必要量の4倍ぐらい設置し、そして、余ったときの電力をエネルギーキャリアに転換するようなエネルギー転換事業者を育成すれば、可能なのかもしれない。具体的なレポートか何かがあるのか、記述が無いので分からない。

A君:それでは、次へ。エネルギー移行の教訓として、過去のダメな例をいくつか列挙しています。
 「カナダ・アルバータ州のオイルサンド。2008年にはカナダ国内の生産量の約40%だったが、その後、批判的な分析の波に洗われて、過大なコストが掛かること、環境や食料価格に有害な影響があることが明らかになった」。
 「燃料電池車の運命。カナダのバラード・パワー・システムズの歴史。1979年に設立され、自動車用燃料電池の輝ける未来を約束する代表的企業となった。1997年に株価が上昇しはじめ、2000年初めには、1株200カナダドルになったが、2008年末んみは、1株3カナダドルまで落下」。その後、バラード社は、水素燃料の開発から完全に撤退した」。
 「エネルギー移行の歴史が強く示唆しているのは、一次エネルギーの構成を大規模かつ急速に変化させようとしたり、新たな変換技術の商業利用と広範な普及を加速しようとしても、そうした壮大な計画が格別な成功を収めたケースはないということ」。

B君:なかなか手厳しいが、どうも、若干保守的過ぎるような気もする。

A君:日本が推進しようとしている水素エネルギーにも疑念があるのは事実です。最初に風力などの不安定なエネルギー源に移行し、その後に、エネルギーキャリアとしての水素が必要という順番が妥当であることは否めないですね。化石燃料から水素を作るのでは、何をやっているのか分からない。もっとも、製鉄業のコークス炉などからは、水素が大量に得られるので、触媒を被毒(機能を停止)してしまう一酸化炭素を除けば、ある量の水素は得られますが、なんといっても、輸送が難しい水素だけに、全国展開の道筋が見えないのです。

B君:トヨタが今年中に売り出すとされている燃料電池車が500万円で、200万円が補助されるとして、300万円。さて、誰が買うのか。供給インフラが今のままでは、さすがに買えない。しかし、それを整備するには大量の国費が必要。

A君:いくら新しもの好きのC先生でも、買えない。

C先生:現在使っているプラグイン・プリウスのリチウム電池の劣化の速度を見極めるのが先決だ。今後5年ぐらいを見極めないと、結論が出ないので、燃料電池車は買えない。

A君:さて、最後に簡単なまとめというものがあって、6項目の指摘があります。

第一項:新しい提案について。ペースやタイミング、規模などを強く、無条件に主張している者を信用してはならない。
第ニ項:古い資源の持続性と適応力を過小評価してはならない。1世紀以上に渡って確立されている原動機を見くびってはいけない。
第三項:証明されていない新しいエネルギーやプロセスを、イデオロギーに適合するからといって無批判に受け入れてはならない。
第四項:大規模な、そして多大な費用がかかるインフラがあって、はじめて新しいエネルギー供給、エネルギー使用が実現できる。
第五項:エネルギー移行は、本質的に長い期間を要する出来事。数10年を見るべし。
第六項:理屈を訴えるだけで、エネルギー神話を根こそぎできるということも神話である。なぜならば、「人間は自分の信じたいものを信じるものである」
(プビリウス・テレンティウス・アフェル、ローマ時代の劇作家)


B君:同感できる。正しい指摘だ。しかし、この6項目をそのまま受け入れて、過度に保守的になると、本来、変えなければならない時期、あるいは、今がチャンスという好機を逃す可能性が高い

A君:その「時期、好機」の判断は、個人的な価値観に依存しますね。すなわち、「人間は自分の信じたいものを信じる」。

B君:そうなんだ。それで、議論が空回りすることになる。だからと言って、「自分の信じたいもの以外のものをどこまで正しいと言えますか」という問は、技術系・工学系の人間であれば、自分の信じたいものを比較検討の前には決めない、という訓練を積んでいるので、ある程度の答えは出せるが、文系、もしくは、理系でも技術系・工学系以外の人では、なんらかの答えを出せと言われても、不可能なのではないだろうか。

C先生:このような状況を回避するには、「長期的展望を元に議論をするということが重要だ」と言う以外の解を知らない。このシュミル氏は、2020年から2030年を「将来」と考えているようなのだけど、これは、エネルギーのような変わるために要する時間が長いテーマについて合意を得るには、近すぎる将来だと思う。
 そこで、「将来」を「未来」と言い換えて、最低でも50年先の見通しを語るようにならないと、自分の所属する組織がどうなるか、が当然のことながら、心にひっかるので、「自分の信じたいもの以外のことを正しい」とは言いにくい。
 しかし、50年先の見通しとなると、見える人と見えない人がいる。この問題の解決法の一つは、もっと先の未来になると逆に何かが見えるのではないか、というバックキャスト的な発想だ。例えば、化石燃料も核燃料も枯渇したらどうなっているのか、という問だ。500年ぐらい先を意味するのかもしれない。答えは簡単で、地球上のすべての人類が自然エネルギーだけで暮らしている

A君:自然エネルギーだけで暮らすというイメージを膨らませることによって、何が困るのかが想像できて、問題点が見え始める。

B君:その問題点が解決できると思うことができるようになれば、2100年にはほぼ自然エネルギーだけの世界になっているかもしれない、とか。

C先生:まあそういうことだ。しかし、本当のことを言えば、2100年に実現するのでは、気候変動が相当なことになっている可能性が高いのだ。2040年頃から一気に進めば、なんとか我慢できる範囲に収まるかもしれないが。

A君:元に戻って、500年後の話ですが、そのころもっとも困っていることは、炭素の原料をどこから得るか、ではないでしょうか。

B君:炭素の原料ということは、液体燃料の合成やプラスチックなどの材料用に使うということか。

A君:まあ、石油代替です。ちょっと検討してみましょうか。
 Wikiの数値を使えば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%BE%AA%E7%92%B0
地球上の炭素の分布は、大気中に7500億トン、陸上の有機炭素が、土壌中に1兆5000億トン、陸上生物中に5500億トン、海洋中の溶存炭素が39兆トン、溶存有機炭素が7000億トン、堆積物1500億トン、海洋生物30億トン。そして、化石燃料が5〜10兆トン。
 この化石燃料を燃やして、2011年だと318億トンの二酸化炭素を放出しているが、炭素換算にすれば、87億トン。もし、化石燃料がなくなると、陸上生物を原料にするのが、もっとも簡単なのだけれど、化石燃料に比べると、年間必要予想量の300倍程度と、結構脆弱な量しかない。だからといって、大量にある海洋中の溶存炭素から炭素を取るのか?

B君:この海洋中の溶存炭素から炭素を取るという話は、米国海軍が考えているという。資源的にはたっぷりあるので。

A君:本Webサイトでも、
http://www.yasuienv.net/EneConvSecond.htm
また、Facebookの「環境ガイド」でも、そんな議論もしました。

B君:陸上生物、特に植物に依存することも不可能とは言えないのだけれど、万一、気候変動のインパクトが余りにも強いと、500年後の地球が、どうなっているか分からない。したがって、最後の手段は、海洋中の溶存炭素が量的には非常に多いので、これが原料化すべきターゲットなのかもしれない。

C先生:そんな議論が真面目にできるかどうかだが、やはり、現実の問題を考えている人々にとっては、「夢想のレベル」だと思われることだろう。しかし、これをなんとか乗り越えないと、エネルギー問題の合意に至るのは難しいと思っているのだ。