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  社会受容性から共有へ 2.12.2006
     



 2月1日に国連大学のウタント国際会議場で開催された国際シンポジウム"Exploring the Small World:Role of Public Research Institutes"は、主としてナノ材料のリスクを評価し、同時に社会に受容されるための方向性を探るものであった。すなわち、「ナノテクロノジーと社会」に関するものであった。

 今回は、社会受容性に焦点を当てて、若干の議論をしてみたい。より一般化した議論を試みたい。特に、今後は、「共有」とそれにむけての「協働作業」が重要なキーワードになるのではないか。

 なお、このシンポジウムは、経済産業省系の産業技術総合研究所、環境省系の国立環境研究所、文部科学省系の材料・物質開発機構の独立行政法人、そして、これはまだ独立法人化していないが、厚生労働省国立医薬品食品衛生研究所の共同主催で行われた。


C先生:最近では、科学側の態度もかなり変わってきていて、科学の光の部分だけではなく、陰の部分も最初から明らかにしておこうというスタンスを取ることができるようになってきた。

A君:しかし、勿論、科学者の全員がそうか、ということになると、日本でも様々な不祥事がでますから、怪しい部分はまだまだありますが。

B君:どのぐらいの割合で怪しいか、ということを考えないと。社会でも、姉歯事件などが起きるから何とも言えないが、自分の生存のために自分の研究分野を贔屓目に表現するということは研究者の場合に確実に強いだろう。もっとも、世の中、自分のことを不利に表現する人は居ないが。

C先生:ナノ材料というものは、人類にとって初めて出会うものなので、ヒトという生物がどのように反応するか良く分からない。もっとも天然のナノ材料は昔からある。アスベストは天然ナノ材料で、その性能はといえば、未だに人工物で凌駕することが難しい。抜群の化学的耐久性がある。しかし、余りにも優れすぎていたために、被害を出してしまった。

A君:ナノ材料も、非常に優れた性能を出す可能性があるとされています。例えば、将来のテレビなどに使用されるディスプレイも、ナノ材料の活躍の場だと考えられています。

B君:それ以外にも、エネルギー用途、環境用途など、いくらでも新しい応用がありそうにも見える。

C先生:それだけに、何も考えないで普及が進むと、非常に怖いことが発生しないとも限らない。

A君:現状では、ナノ材料の代表格であるボール状の炭素であるフラーレン、チューブ状の炭素であるナノチューブなどは研究レベルで作られていますが、完全に密閉状態で製造されています。かなり注意を払っていると言えるでしょう。

B君:折角の新しい分野だから、妙なことで腰を折られると大変だ、という思いが強いのも事実。

C先生:そろそろ本題に入るが、このような新しい技術が良いのか悪いのか、それは様々な要素があるからなんとも言えないのだが、実用化されようとして思うようには普及しないということがある。それは、社会がその新しい技術を受け入れないからだ。

A君:古くは原子力がそうですね。今や、日本の発電量の30%を占めます。原発が不祥事で止まった2003年のデータでは26%ぐらいのようですが。今や原子力発電無しには暮らせない状況になっているにも関わらず、反対派、推進派と分かれています。

B君:現在、原子力は社会に受容されてしまったと言えると思うのだが、心の底のどこかで不信感があって、ほんの少々のトラブルがあると、それが一気に噴出す。

A君:心の底にある不信感は、過去の事故の記憶が消えないからでしょう。チェルノブイリしかし、スリーマイル島しかり。

B君:リスクという面で比較をすれば、少なくとも、日本国内で原子力発電関係での死者は、例の東海村JCOの臨界事故での死者だけ。3名が重度の被爆をして2名が死亡。

A君:チェルノブイリの死者については、これまた何人なのか、議論がありますが。本HPでも取り上げています。
http://www.yasuienv.net/ProjectionRisk.htm

B君:現時点で分かっていることは、被曝が直接の死因と確認できたのは、汚染除去作業員ら47人。他に子ども9人が甲状腺がんで死亡。WHOとIAEAは、広島のデータなどを参考にすると、今後4000人が死亡すると推定した。

A君:その数値に対して、グリーンピースは「(少なすぎる)まやかしだ」と批判。ウクライナの議会関係者も「政府の間違ったデータに基づいている」と反論。環境団体も「原子力への不信感を和らげ、原子力利用促進を狙うもの」と批判した。

C先生:過去の事件についても、なかなか合意はできない。基本的なスタンスが違うと、決して合意はできないのだ。これを今回は、「宗教的な相違」と述べておきたい。

A君:「宗教的」と言えば、デンマークの新聞がムハンマドの風刺漫画を掲載したということで暴動騒ぎ。イスラム教は、ムハンマドの偶像あるいは絵画も許さない。そこに風刺画で、ムハンマドが爆弾テロリストだと言った印象を与えた。これは、やはりやってはいけないことではある。

B君:もっとも、イスラム側も、暴力的な対応をしているのがまずい。やはり平和裏に解決策を探るべきだ。

A君:やはり、どこか心の底からお互いへの不信感があることが問題。その理由はなかなか難しいところですが、先端技術に置いていかれたという感触がイスラム国家にはあるのでは、とマハティール元首相が書いていた。

B君:原子力にもやはり「宗教的な相違」がどこかにある。

C先生:先ほど述べたシンポジウムで、吉川弘之先生が、基調講演をされた。その内容から若干引用させて貰おうと思う。
 まず、市民社会が新技術を拒絶した歴史としては、自動織機を打ち壊した「ラッダイト運動」から始まったと述べられた。

A君:ラッダイト運動とは、なんとなく懐かしい響きがありますが、「1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯に起こった機械破壊運動である。産業革命にともなう機械使用の普及により、失業のおそれを感じた手工業者・労働者が起こした」、とWikipediaに書かれています。

C先生:問題は、本当に失業問題に直面したのか、ということ。実際には、自動織機によって、苦しい労働から解放され、結果的に労働者は楽に賃金を稼げるようになった。結果的に、産業革命を止める運動にはならなかった。

A君:同じようなことがしばしば起きますね。昨今はいささか動向が違いますが、日本の製造業の空洞化によって、日本の労働者が失業したということがありました。勿論、米国でも同じ話があって、日本の製造業によって米国の産業が空洞化したということで、日本車の打ちこわしなどが行われました。しかし、もはや日本車を打ち壊すという行動に出る米国人は居ない。なぜならば、日本企業の米国への投資によって100万人近い雇用を米国内に生み出している。
http://www.accj.or.jp/document_library/Journal/02perspectivesjun04.pdf

B君:トヨタ、ホンダ、日産、いずれのメーカーでも米国内で販売している多くの車は、米国産だ。一時期日本でもかなり売れたホンダアコードワゴンは、米国製だった。

A君:短期的な変化だけで、暴力的な行動に出ることは、当事者にとっても結果的に余り利益にはならない。

C先生:吉川先生の話に戻すと、最近では、遺伝子組換え食品、臓器移植、再生可能エネルギーなども受容されていないとして、その理由を、
 遺伝子組換え食品:未知の副次的影響
 臓器移植:社会文化的違和感
 再生可能エネルギー:既存システムとの適合性

が問題だと解釈された。

A君:個人的には、臓器移植は、子どもの治療としての移植を別にして大人、特に、老人が寿命延長のために臓器移植をやるのは根本的な過ちだと思う。

B君:遺伝子組換え食品は、確かに、副次的な影響が未知であることだろう。

C先生:吉川先生は述べられなかったのだが、ここで、最終処分地・リサイクル施設といったNIMBY関係も、ここに入れておきたい。その理由は、簡単に一言で表現するのは難しい。強いて言えば、ノスィズムかもしれない。

A君:ノスィズムについて書いたのは、大分前ですね。
http://www.yasuienv.net/MacNosism.htm

B君:ノスィズムとは、ラテン語の”nos”=「我々」という意味の言葉にイズムが付いている。ちなみに、エゴイズムという日本語は、ラテン語の「我」を意味する”ego”にイズムが付いている。

C先生:公共的な利益はあるが、それが個人にとって不利益になる、あるいは、不利益と思える、といった状況はいくらでもある。そんなときに、どうやって公共的利益と個人的不利益との解決策を見出すか。これは難しい。

A君:マンションの建て替えといった問題でも、住民全員が合意するのが以前の条件だった。しかし、それでは事が進まない。そこで、現時点では、議決権を有する住民の3/4の合意で進めることができるようになった。

B君:4/5の賛成で進めていた「新千里桜ケ丘住宅」(大阪府豊中市)の工事が2005年11月に終了。1996年の決議からほぼ10年ぶりに「新千里桜ケ丘メゾンシティ」として生まれかわった。この建て替えの本質は、容積率の増加によって、これまでの272戸が524戸に増えたことのようだが。

C先生:最終処分地といえば、2月6日に水俣市長選が終わったが、その争点が、水俣の産廃処分場建設に関することだった。結局、元市長だった江口氏が敗北。反対派の宮本氏が当選した。
 選挙結果を尊重することになるだろうから、産廃処分場を作ることはもはや無いだろう。住民の判断はやはり最終的なものだと言わざるを得ないのだ。
 しかし、反対投票をした住民が何を知っていて、何を知らなかったか、ということが問題として今後も残るのだ。

A君:今回、東京からもかなり反対派が現地に入って支援活動をしていたようですね。

B君:住民が反対したのは、それは仕方がないこと。しかし、外部の人間がその判断に影響を与えることは望ましいことではない。

C先生:水俣の住民は、すでにかなり老齢化してしまった。水俣市をエコタウン化しようという主張を元市長はしていたようだ。北九州市がエコタウンとして活発に活動できているのは、響灘に大きな最終処分地があるからだ。非常に遺憾な話ではあるのだが、残念ながら、最終処分場なしにリサイクルは進まないのだ。それが循環型という技術の現時点での限界だ。水俣のような老齢化した地域が若年層にとって魅力的な地域になるためには、産業の活性化が重要な課題のはずだ。そして、エコタウンにとっては、最終処分地が重要な武器になるのだ。しかし、今回はそんなことは考えずに、まずは反対ということに住民の意思が動いたということだろう。

A君:前回の総選挙では、「小泉自民党に投票するということが、小さな政府を目指すということだそうだ。公務員は減らしたほうが良い」、といって多くの市民が投票をした。しかし、小さな政府がどのようなものか、本当は分かっていなかった、ということと似ていたのでしょうか。

B君:環境都市を目指すといっても、観光などの自然資源が十分にあるところでも、環境だけで生きるのは難しい。その難しさを分かっていなかったのではないだろうか。

C先生:反対派と推進派がどのような争いを行ったのか知らないが、やはり、真の解決のためには、両者の間で価値観の共有を行う必要がある。
 ある事業を推進する側が提供すべき情報としては、
  価値 リスクベネフィット
  知識 完全開示
  意味 社会貢献、明確性
  動機 なぜ今かの明確な説明
  責任 大きな視点からの倫理観

が最低限必要で、反対側は、ノスィズムに陥ることなく、これを冷静に受け止めて議論を進める必要がある。

A君:とはいっても、どんなスタンスで議論をするのか、その合意も無いですからね。

C先生:その通り。価値観を共有するためにには、次のような協働作業が必要だ。
(1)過去の事例を十分に検討・評価する
(2)リスクとベネフィットの科学的な解明をお互いに納得できるまで行う
(3)大きな時の流れの中で、現在の状況を把握する
(4)未来を見通した議論を行う
(5)未来社会からどのように評価されるか、という視点で、現在を見る

 そして、もっと重要なことが、お互いの了解事項を共有することで、それは、
「宗教戦争はやらないこと。特に、一神教的宗教戦争は回避」。

A君:これらの条件は、Webなどを見ると、満たされなかったようですね。例えば、TBSのWebにあるビデオを見れば、こんな発言があったようです。まあ、宗教と言うしかないですね。
 「(水俣病では)海が病み、魚が死に、人まで死んだのです。(産廃処分場で)今度は水が死に人が死ぬのです。水俣病と一緒です」(水俣病患者 杉本栄子さん【67】)

B君:協働作業をこの水俣のケースに適用してみよう。
(1)過去には、相当ひどい状態の産廃処分場もあった。しかし、それによる水質汚濁で死んだ人が居るだろうか。
(2)現時点における、かなり丁寧に作った優良な処分場のリスクを科学的に伝えることが行われたのか。そのベネフィットを伝達できたのか。
(3)歴史的に見れば、水俣の犠牲があったお陰で日本の環境対策は格段に進歩した。すなわち、1970年以降、日本と言う国は、公害型の汚染削減に関しては「環境と経済が好循環」に入って、状況は一変した。
(4)水俣の未来を考えると、環境都市としての活力のためにも、なんらかの資源が必要なのではないか。
(5)ここで、反対してしまったことが、50年後にどのように評価されるか。すでに50年間に渡って時間が止まった町である水俣の時間を、今後も止め続けることが町のために本当に良いことなのか。

C先生:水俣への思い入れの深いA氏のご推奨である太平興産でも構わない。優良な最終処分業に現在の場所に何か作らないと、変な業者に土地が渡って、質の悪い最終処分場が作られる可能性が皆無ではない。これが最悪のシナリオのように思える。

A君:いささか過激ながら、社会受容性と言う言葉も、そろそろ死語にすべきかもしれません。なんとなく、お上からの押し付けを市民に受容させようという響があるので。

B君:その昔は、説得だった。それが社会受容性になった。トップダウンによる説得も、また社会受容性も非常に重要なのだが、基本は、「共有」だろう。

C先生:何につけても「価値観の共有」が最終目標だ。それには、「情報の共有」が条件になる。公正・公平・科学的な情報とはどのようなものか、それを冷静に見極める態度が必要。自らの思い入れの強さを振りかざす態度は「宗教的」であり、このような協働作業にとって有害無益でしかない。いかに、自らの発想をいかにして「非宗教的」にすることができるか、それがこのような作業に関与する者の義務だろう。