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  タジキスタンでパミール高原プロジェクト会議 06.18.2005



6月11日: アエロフロートでモスクワへ

 最終目的地は、タジキスタンのドゥシャンベなる都市。タジキスタンは、中央アジアに位置し、旧ソ連邦の一部だったところ。

 行き方がもっとも難しい都市の一つ。今回、モスクワ経由を選択したが、なんと、その日の内には到着しない。それは、後述することとする。

 とりあえず、成田からモスクワ行きのアエロフロートに乗る。当然、イリューシンなるロシア製の飛行機に乗るのだと思っていたら、全く違った。普段は、777が飛んでいるらしいが、6月1日から10月までは、767になっている。

 となると特別のことは無い。機内サービスがどうか、ということぐらい。

 まず、椅子。160度ぐらいまでフラットになるタイプで、比較的新しいもののようだ。まずまずか。電源も100Vのものが付いている。プラグは、AでもCでも良さそうだった。
 しかし、テレビが装備されていない。最近、どの飛行機でも見ることができるGPSでどこを飛んでいるか分かるというものが無い。後何時間なのか、モスクワと東京の時差が何時間なのか、などの情報が全く分からない。冬なら、時差は6時間のはず。しかし、サマータイムがあるかどうか。
 それだけでない。機内の映画・音楽のサービスなどが全く無い。これは驚き。いつも見ないから別に構わないのだが、いつもテレビを見ている人にとっては、意外なことなのではないか。(実は帰りの飛行機では、昔型のスクリーンで1本だけ映画をやった。行きは故障中だったのだろう)

 こちらは、いつものように、ゼンハイザー製のノイズキャンセル型のヘッドフォンで、デジタルオーディオを聞いていた。久しぶりに「エリン・ブロンコビッチ」を聞いたが、何回聞いても面白い。

 料理。予想よりは遥かに良かった。ただ、分量がかなり多い。他の航空会社よりも多いように思える。ただ、サービスはどうも完璧ではない。座ったところが中央の2席だったのだが、とうとう、メインディッシュを何にするか、聞かれなかった。自動的に鮭が来たが、どうも、隣の女性に聞いていたから、それと同じものを持ってくれば良いと勝手に判断したようだ。

 それにしても、この飛行機はすごく揺れた。こんなに揺れるのは珍しいぐらいだ。台風のためか、それとも何か別の要因か。

 時差が6時間分(夏は5時間)のところに行くのは、途中で寝るべきか寝ざるべきか、これが問題。とりあえず2時間ほど寝ることにしたが、勿論、熟睡できた訳ではない。ちょっとお昼寝という感じだが、余り寝ていない。

 そこで、起きて来週行われるワシントンでの第2回グリーン・サステイナブルケミストリーでの発表用のパワーポイントを作る。

 予定よりも40分以上も早くモスクワ・チェレメシェボ空港に到着。入国審査もまあまあ効率的に終わったし、もともと荷物はすべて持ち込んでいるので、かなり早く出口に到達。

 そこで、迎えの人を探したが、やはり早すぎるのか、まだ来ていない。立っていると、「タクシー?」「タクシー?」と誘いが来る。モスクワは知らないが、多くの場合、このような誘いに乗ると危ない。一度、ニューヨークで懲りたことがある。

 30分ほど待ってやっと迎えと出合う。今回、国連大学のオフィサーのリボールと一緒で、彼はロシア語をまあまあ話すので心強い。

 モスクワのホテルは、今、非常に高額になっているらしい。中心街のアメリカ系のホテルなどは、5万円だという。我々のホテルは、元ゴルバチェフ財団が持っていた会議場かなにか用のホテルに入った。人がほとんど居ないし、メンテナンスなども全くといってよいほど行われていないのだが、作りそのものは悪くは無い。

 今回のこの出張には、学長も来ることになっているが、オランダから直行で、先に到着していた。

 そこで、晩飯を食べに行くことにする。地下鉄のアエロポートなる駅(空港は無いと思うが)の近くなので、ショッピングセンターなども結構新しいものがある。

 ウクライナ料理店に入って、晩飯を食べた。どうやら有名店らしい。なんという店なのか、良く分からなかったので、後日調査。料理そのものも、まあこんなものだろう、という感じ。

 この店に入る前に、ショッピングセンターでビールを一杯飲んだが、そこでも同様なのだが、やたらとガードマンが居る。黒い背広をきて、名札を付けて、周囲を見張っている。ロシア経済は、一部の金持ちを作ったものの、所得格差は非常に大きいようで、大学教授の月給はどうも3万円ぐらいらしい。モスクワのホテルの1泊分以下である。

 所得格差が社会の不安定要因であることは確実のようである。

 学長が財布が見つからないという。先ほど、ユーロをルーブルに変えたばかりなので、そこから、今のレストランの間に、落としたか、掏られたか。もう一度来た道をたどってみたが、無し。諦めて後処理をすることに。


6月12日: モスクワ見物、そしてタジキスタンへ

 タジキスタン行きの飛行機は、15:50発。1日に1便しかないのだ。タジキスタンへの空港は、成田便などが飛ぶ空港とは全く違う空港で、ホテルから車で1時間以上かかる。迎えは12:30に来る予定。

 となると暇なので、たまたまモスクワでロシア語の語学研修をしている元国連大学の研究職だった人(日本人)をリボールが呼び出して、案内をしてもらうことになっていた。そんなこととは全く知らなかったのだが、朝食を終わってホテルの廊下を歩いていたら、向こうからご当人が歩いてきたので、驚いた。

 朝飯は、可も無く不可もなし。

 今日は、ロシアの独立記念日。学長が言うには、どこから独立したのだ? それはそれとして、そのために赤の広場が完全に封鎖されていて、午後からコンサートとダンス、さらに、花火が行われる予定らしい。

 ということで、予定が若干狂ったが、赤の広場のさらに外側を一周した。

 この時期、モスクワでは、白い綿毛が空中を飛んでいる。アメリカの中西部では、タンポポの綿毛が飛んでいるので、それかと思った。タンポポもあるにはあるが、量的にはこんな大量に飛ぶほどのものではない。聞いてみたら、ポプラの綿毛だそうだ。川面にも白い綿毛が浮かんでいる状況だ。


 写真1:ポプラの木。なんとなく、白く煙っている。



 写真2:川面に浮かぶポプラの綿毛。

 ホテルに戻って迎えを待つ。出発する空港の名前は、ドモデドボ空港で、モスクワの南東部にある。モスクワの外周道路よりもさらにかなり外側である。2時間前に到着して、チェックイン。といっても、荷物は全部キャビンへ持ち込みである。何が起きるか分からないので、このところできるだけ持ち込む。最後に日本に戻るときは、どうなっても良いので預けることが多いが。

 軽い昼飯を取り、充分な余裕をもってゲートに向かう。結構厳しいと聞いていたからである。ロシアも、チェチェン問題などがあるから、セキュリティーには随分と気を使っているようである。

 まずは、出国手続き。今回、日本と国連の2種類のパスポートを使っているため、多少時間が掛かったが、無事終了。次が、航空券のチェック。すでにチェックインを済ませているので、搭乗券のみで充分のはずだが、手元に残っている航空券の最終ページの提示を求められた。これは不要なので、捨ててしまうのが普通なのだが。もしも、この空港から出国をする方が居られたら、決して、捨てないようにご注意いただきたい。

 そして、セキュリティー。靴を脱ぎ、ベルトを取って、金属探知機へ。ここまでは、米国でも韓国でも同じだから違和感も無い。しかし、金属探知機で何の問題が無くても、なんと全員ボディーチェックをする。当然、無事通過したが、ここまでやるかという感じ。

 これでゲートへ。搭乗券は、日本のような改札機に通す形ではなくて、レーザーリーダがチェックしていた。その後、バスで飛行機なのだが、バスに乗る前に、再度搭乗券の半券のチェックがあったのには驚きだ。

 過去経験した最高のセキュリティーチェックを抜けて飛行機に搭乗。機体は、ツボレフ154。国際線持込可能ギリギリのサイズのバッグを持ち込んだのだが、それが頭上のスペースに入らない。なんとか押し込んだが、今度は蓋が閉まらない。アテンダントは落ち着いたもので、そのままで構わないとのこと。落ちることは無いが。。。テロへのセキュリティーは硬いが、安全性確保のためのセキュリティーはどうも緩い。

 3時間30分ほどの飛行で、タジキスタンの首都ドゥシャンベに到着。途中で、ロシアからカザフスタンへ、そして、ウズベキスタンに入ってタジキスタンという経路であるが、ロシアの間は、畑の灌漑が良くなされている。しかし、カザフスタンに入ると、灌漑の状況が良くないことがすぐ分かる。水が足らないのだろう。水面レベルが急速に下がってしまったアラル海の真上を飛んだが、その前後で、地面が白く塩を吹いているところも、見ることができた。過剰灌漑は持続可能ではない。水資源をどのように管理するのか、これは環境問題にとって、というよりも地域の持続的な開発にとって、極めて重要な問題である。

 写真3:飛行機からみるアラル海。というよりも、元アラル海と言うべき。


 写真4:同上

 出発が大分遅れたので、予定よりも30分ほど遅れてドゥシャンベに到着。タラップで降りてバスで入国審査へ。

 このあたりが、先進国との大きな違いなのだが、入国審査を効率的に行おうなどという意図は全く見られない。バスから降りた乗客が、入り口に殺到すると、そこに制服姿の人間が来て、会場に入ることをブロック。別の飛行機で到着したスイスのベルン大学の教授の話だと、ちょっと油断していたら、乗客の塊の最後尾になって、ビザを得るために2時間も待ったとのこと。

 我々は、というと、学長が一緒だからだろうが、役人が呼びに来て、制服姿のブロックを通り抜け、中へ。そこで、ビザの書類を書かされて、ビザができたらホテルに届けるから、ということで、無事に入国した。このような特権が存在しているところも、途上国らしいところ。それにしても、役人が我々をどうやって見つけたのだろうか。

 今回の入国審査の騒ぎを見ていると色々と考えてしまう。途上国と先進国との間に存在する、多数の大きな違いの一つは、どうも、混乱を武力以外で制御する技術の有無なのではないだろうか。公平さ、公正さ、効率的、時間の節約、といった概念が弱いのだろうか。それとも単に人の流れの制御技術が無いだけなのだろうか。キャパシティー・ビルディングの良いテーマのようにも思える。

 この空港の場合であれば、入国手続きを行うスペースはそこそこある。そこに行列を作るような柵を整備すること。外国人とタジキスタン人とを別に扱うこと。さらに、入国書類を書かせるのであれば、それは、飛行機の中で準備させるといったことで、状況はかなり改善されるはずである。人的な訓練をどこかでやればよい。それができないのなら、それこそ国際的協力体制でそんなことをやるべきだろう。


6月13日: パミール高原エリアの土地管理に関するプロジェクト開発の会議

 今回の目的は、タジキスタンのパミール高原、キルギスタンのパミールアライ山岳地帯の土地管理をどのように行うべきか、という目的をもったプロジェクトを作ることが目的。現在、その準備のためのプロジェクトが走っている。

タジキスタンとは、
 国土面積  143,100km2
 耕作可能面積 10,000km2(7%)
 灌漑面積    6、500km2(65%)
 牧草地面積  36,000km2(25%)
 森林面積    5,000km2(4%)
 標高    300〜7495m
 人口   650万人(2000年)
 人口増加率 2.2%
 平均寿命 男47.0歳 女53.2歳
 インフレ率 20〜40%
 失業率  30%
 GDP(一人あたり) $1170
  農業寄与率  19.4%
  工業寄与率  25.7%
  サービス寄与率 54.9%
 CO2排出量(一人あたり) 0.64トン

キルギスタンとは、
 国土面積  199,900km2
 耕作可能面積 14,000km2(7%)
 灌漑面積    9、000km2(64%)
 牧草地面積  88,000km2(44%)
 森林面積    8,000km2(4%)
 標高    350〜7439m
 人口    500万人(2001年)
 人口増加率 1.6%
 平均寿命  男47.7歳、女55.4 (2001年)
 インフレ率 7.6%
 失業率   7.2%
 GDP(一人あたり) $2750
  農業寄与率  39.4%
  工業寄与率  26.4%
  サービス寄与率 34.2%
 CO2排出量(一人あたり) 0.94トン

 会議が始まった。タジキスタンからは環境大臣が出席して、開会式を行った。それからは型どおりの開会式。

 その後、実質的な報告と議論のセッションに移行。やっていることは、両国に4〜7ヶ所のテストサイトを決め、その領域からあらゆる情報を集める。例えば、利用可能な農地、水の利用可能量、もしも農業が可能ならば、どのような作物か、起こりうる自然災害、特に、洪水と地滑りなどにどのような警戒を行うべきか、などなどである。なぜならば、このプロジェクトは、「土地の劣化、そのための防止法」が主題だからである。

 キルギスタン、タジキスタンの両国での活動報告を行うのだが、どうもこの両国は極めて仲が悪いように見える。

 例えば、土地の劣化問題が話題になると、国境を超えた影響があるかどうかという議論がはじめた。キルギスタン側が過剰放牧の影響があると言うと、タジキスタン側は、ある地域はキルギスタンからの放牧に使われているから、使用料を払うべきだ、など、このプロジェクトに無関係な議論が行われる。

 議事は進行し、今回の内容面の責任をもっているベルン大学のハンス・フルニ教授が、これまでの知識をまとめた。本来、その内容は、土地の劣化を防止するためには、暖房・炊事のために使われている薪の消費量を減らさない限り、問題は解決されない。ソ連の時代には、あらゆる家庭に、石炭がほとんど無料で供給されていた。ソ連邦の崩壊によって、そのような石炭の供給が止まった。そのため、土地の劣化が進行したと考えられる。これが結論。

 となると、エネルギーをどうやって供給するか、これが非常に重要な問題である。

 しかし、UNEPから来ているアンナ・テネンバーグが、エネルギーの問題に特化すると、このプログラムがGEFの「土地の劣化」の問題であり、その条件から外れる。全く別のプロジェクトを新たに作ることになると主張。

 環境と持続可能な発展の問題は、それが「土地劣化」の問題であるとか、「再生可能なエネルギー」の問題であるとか、いった区別は、最初から無意味なのだ。それこそ、その地域の環境資源を最大限に利用かつ保全しつつ、持続的に発展するシナリオを作るのが本筋。

 さて、こんなことで、初日の議論は終わったが、今後、どのような方向性を見出すことになるのだろうか。

 それにしても、ここに集まっている連中は、どうも平均的庶民を遥かに超えた所得の特権階級であろうと思われる。その一つの証拠が、携帯電話。自分で払っているのではないだろうが、会議中にも電話が掛かってくると平気で受ける。同時通訳が室内に設置された防音の無いブースでしゃべっているので、英語とロシア語が常に混じっている状況。余り気にならないのも事実。

 それにしても、電話回線を使ってもインターネットへの接続が不可能(東京まで電話を掛ければ勿論可能で、実質的な料金では不可能なだけ。ホテルにビジネスセンターはあって、設置されているパソコンは、インターネットに繋がっている。しかし、日本語がインストールされていないので、まず、使えない)。こんな国でも携帯電話がこれほど普及しているのは驚きである。今回持ってきたGSM電話機(ボーダフォンが以前やっていたグローバルローミング専用のモトローラの電話機用SIMを、ソニーエリクソン製のGSM電話機に入れたもの)で電波をサーチすると、なんと4つもの電波があることが分かった。東京に掛けてみたが、全く問題もなく、通話の品質は、モスクワよりも格段に良かった。

 夜は、タジキスタンの環境大臣のレセプション。通訳の隣だったので、色々と話を聞くことができた。アトラクションとしてペルシャ風の踊りと歌と演奏。通訳によれば、文化的・人種的に、アフガン、ペルシャの影響が大きいようだ。


6月14日: 今日も会議

 昨晩、ウォッカを飲まされたせいか、多少お腹の具合が変だが、まあ大した問題ではない。

 食べ物や水の話を少々。
 朝食は、カッテージチーズにヨーグルトを掛けたもの、目玉焼きが2つ分(これが超半熟、いささかサルモネラ菌が怖い)、薄切りソーセージ、バター、オレンジジュース、コーヒーかお茶、アンズとサクランボといった感じで、毎日同じ。パンは何種類もあるが、クレープのようなもの、黒パン、それに、どうやらインドのナンと同じ作り方をするらしいが、厚みがかなりあるパン。このパンはおいしい。
 不思議なこととしては、コーヒー用のミルク・クリームが無いこと。

 昼食は、昨日の経験から見ると、どうもフルコース的メニューになっているようだ。サラダ+前菜+メインだ。余りにも重たい。少々食べすぎの傾向なので、本日はなんとか食べない方向でがんばる。それにしても、ラーメンか何かが食べたい感じ。
 
 水であるが、やはり水道水は飲まない方が良いかもしれない。まず、相当着色している。鉄サビのように思えるが、そうでないかもしれない。会議中に机の上にあるミネラルウォータだが、Mg+Ca=0.64mg/Lとの表示なので、硬度に換算はできない。しかし、もしもこれが本当なら、硬度は2ぐらいか。こんなミネラルウォータは見たことが無い。軟水ということは、ミネラルを含んでいないので、もともとミネラルウォータとは言えないが、日本製の代表的軟水の南アルプス天然水は、Mg+Ca=12mgぐらいである。

 そこで、じっとミネラルウォータのラベルを調べたら、その理由が分かった。地下水ではないのだ。雪解け水かなにかを、どこかの沢から採水したもののようだ。この地域、少なくとも山間部であれば、水の質は余り問題ではない。産業公害も交通公害もないだろうから。ただ、アフガンからの砂は降ると言っていたが。ただ、平地域に来ると、農業用排水、生活雑排水が混じるので、水の品質は劣化しているようだ。また、量的にはやはり恵まれているとは言えない。果樹栽培にも、灌漑が必要な地域のようだ。

 午前の部の最後、日本大学の水島先生と北海道大学の渡辺悌二先生がこれまでの自分の経験を述べられた。水島先生は、パキスタン、アフガニスタンとタジキスタンの間のWakhiという地域の研究をやっておられたようだ。興味ある写真を数多く見せて貰った。

 午後からは、これらの情報を如何にして、プロジェクト化するか、という議論。なかなか難しい。GEFという組織がその地域に資金を出すとしても、それは半額まで。他にコスポンサーが必要で、それはどのような機関でも良いのだが、GEFが6億円出すとしたら、コスポンサーも6億円必要だからだ。

 それにGEFが出す予算を実施する機関が必要で、キルギスタン、タジキスタン、それに、タジキスタンの一部の自治区と3種の実施機関をしっかりと確保する必要がある。キルギスタンはなんとかなるにしても、タジキスタンと自治区では、かなり難しいのではないだろうか。

 夜は、レセプションである。そろそろ胃が疲れている。会場は、ホテルから真北の方向に37kmほど行ったところだという。

ボルガに乗せられて、40分ほどかかって会場へ。ドゥシャンベの標高は850m程度であるが、両側がかなり切り立った谷底を走って、1200mまだ標高が上がった。道路の脇には、かなり激しい川の流れがあって、色からみると、大雨が降ったか、急速に氷河が溶けているような感じ。その川と道路の間に、レストランが出来ている。

 

 写真5:レストランの隣を流れる川。かなりの水量。発電にでも、と思わず思ってしまうが。写っているのはハンス・フルニ教授と、キルギスからの女性、それに、このレストランの従業員。

 料理は、実のところ、どこでもいつでも同じ。果物は豊富で、サクランボ(アメリカンチェリー風)、アンズ、桃など。野菜は、トマトとキュウリ、それに、羊と牛、トリとハトなどの焼いたもの。味は余り付いていない。

 こちらの国は、乾杯を順番にやるのがしきたりのようだ。しかし、中国と違って、無理やり飲まされることは無いのが良いところ。

 一般に人々はフレンドリーである。


6月15日: 会議最終日

 午前中で会議は終わり、午後からは、ステアリングコミッティーの会議。3日間、缶詰状態。

 まあなんとか終了して、プロジェクト用の本提案書の作成にはなんとかなりそう。日本だったら、担当者が提案書を書くことになるのが普通であるが、そこは西欧流で、コンサルタントが書く。3名のコンサルタントが連絡を取りながら、様々な観点から充分と思われる提案書を作り上げるのである。

 午後のステアリングコミッティーでは、使わないでとってあった予算を何に振り向けるかが重大な議題。4+4+3の地域をパイロットサイトとして選択しているので、その地域で若干の実施をやってみて、問題点を発見することも重要。多数のサイトでやると解析が大変なので、2箇所程度にしたいところだが、果たして調整が付くか。というところまでで終わり。

 夜は、タジキスタンのナショナル・コーディネータの家に招待された。どんな生活をしているか、まあ良く分かった。結構豊かのようだ。16歳の娘が出てきたが、まさにペルシャ風の美人。なんと、これからアラスカに行くのだと。夏の間、知人のところにホームステイというらしい。英語、スペイン語、ロシア語、を話すようだ。語学力だと、日本人は完全に負けている。しかし、親父は、ロシア語とタジク語だけ。

 人の話を余りしていないが、本当に人種の坩堝である。ペルシャ系、モンゴル系、ロシア系、中国といってもどこだか分からないが、中国系。およびその混血。

 モスクワで見たロシア人もシャラポア風の女性が多かったが、ここも、結構美人の産地なのではないだろうか。まあ、50年前の日本の田舎のお婆さん的なモンゴル系も居るが。


6月16日: 帰国

 朝7:30発の便なので、朝5:50にホテルを出発することとなった。

 迎えが来て空港に向かう。まだ6時だというのに、多くの人々がバス停でバスを待っている。どうも、朝は非常に早いようだ。7時始業のところも多いようだ。理由は、午後は気温が上がるからだ、という説が有力。

 例によって特別扱い通路を経て、ほとんど手続きらしき手続きも無し、また、セキュリティーチェックも一応やるといった程度のものだった。したがって、ドゥシャンベ空港での一般的なセキュリティーチェックの状況は不明。

 VIPルームでお茶を飲んでいるうちに、出発の時間になった。機内は例によってかなり無秩序ではある。大体、席が決まっておらず中に入ると、アテンダントが適当にここに座れと言う。まあ、極めていい加減なシステム。それも良しとしておこう。我々の会議にも出席していた、環境大臣が来た。モスクワで会議があるとのこと。

 おかしなことに、搭乗券は無いことが分かった。航空券の最後のページに何か書き込むことでやっているようだ。そのために、搭乗券よりも、航空券の最後のページが重要なのだろう。それで行きに最後のページを見せろと言ったのだろう。旧ソ連に行かれる方、最後のページは決して捨てないように。

 到着したドモデドボ空港で、迎えを探す。いくら探しても居ないので、まあしばらく待つことにする。しかし、1時間待っても来ないもので、いよいよタクシーに乗って、国際空港まで行こうということになったら、その迎えが来た。

 遅れた理由は、交通混雑が予想以上だったからだとのこと。しかし、ということは、学長が乗る飛行機に間に合わない可能性がある。

 この迎えの男、タジキスタンがアレンジしてくれたのだが、その実体は、狩猟旅行のアレンジャー。どうやら、ロシアや中央アジアにはそんな商売がまだ健在。ヨーロッパでは倫理的に問題にされて不可能になりつつあるように思うが。アメリカはどうなのだろう。

 実際、モスクワ外周道路はどうしようもないぐらい混んでいたので、普通の道路を中心街に向けて走る。道を良く知っているようだが、それでも、部分的に非常に混んでいる。ただ、東京に比べると、信号の数は非常に少ないので、走り出すと結構走る。
 クレムリンで記念撮影をして、一路、シェレメチェボ空港へ。途中で、先日泊まったホテルの前を通ったが、そのあたりからまたまた車が混みだした。要するに、モスクワ外周道路の近くでは車が混むようだ。それでも、14:15には、空港に到着。空港間の移動になんと、2時間30分掛かったことになる。

 我々の飛行機は、19:25発なので、まだまだ時間がある。そこで、Cafeなるところで昼飯を食べる。セルフサービスだったのだが、勘定を見て驚く。パスタ1皿、ボルシチ1皿、アイスティー、たったこれで¥4000以上。メニューが無いし、値段が書いてないのだ。ある種の詐欺ではないか、これは。どうも、モスクワは油断なら無い場所になってしまったようだ。空港では立っているとタクシーの誘いが多いが、恐らくそれに付いていけば、普通の倍は取られるだろう。ドモデドボ空港からシェレメチェボ空港へのタクシーは、公定料金が2000ルーブル。まあ9000円といったところか。これだけ距離が離れているのだから、まあ当然とも言えるだろう。もしも、誘いに乗れば、2万円は覚悟だろう。

 さて、シェレメチェボ空港のセキュリティー。まず、ロビーに入るだけでも、セキュリティーチェックがある。見送りだろうが、誰だろうが、チェックが必要。次に、ゲートでチェックが入る。搭乗ゲートが決まらないとどこでチェックを受けるべきか分からない。

 ということで、Cafeで時間をつぶすこと2時間45分、やっとゲートに向かうことにする。現地時間17時である。
 入国ゲートの前に長い列があるのだが、進んでいない。チェックインカウンターは6番だということが分かっているので、その前まで行ってみるが、実に、チェックインが不可能。カウンターに人が居ない。本当に2時間前になるまで、カウンターに人が来ないのだ。それまで、長蛇の列を作って入り口で待たせる。これが現在のモスクワのやり方。もう時代は変わったと思うが、空港などの体質は、旧態依然なのだろう。

 それでもチェックインを無事終え、出国手続きも済ませ、そして、ラウンジへ。インターネットラウンジのコンピュータをチェックするが、残念ながら、予想通り日本語対応でない。WindowsXPなのだから、多国語対応にすることなど朝飯前のはず。香港のキャセイ航空のラウンジのように、LANのジャックが用意されていれば問題は無いが、ここは無い。全く駄目。ロシア語と英語以外は言語だと思っていないのだろう。まあ、サービスのやり方は、まだまだ全面的に不十分。細かい気配りというレベルに到達するには、相当時間が掛かるだろう。永遠に無理かもしれない。

 無線LANがあるかどうかチェックしたところ、電波はある。Beelineとtascomというものがある。ここに入るためのアカウントを得ることができれば、良いのだが。期待無しに受付嬢に聞いてみたが、予想通り怪しげな返事が返ってきた。さらに確認しようとしたら、向こうに行ってしまった。多分「知らない」とは言えないのだろう。ラウンジの職員の感じが悪いのは、モーリシャスでも経験した。

 ここモスクワ空港での経験から、タジキスタンの空港事務を改善しようとしても、お手本がこれでは駄目だなという感じがした。もっともJALや成田空港が見本になるのか、と問われると、少々唸るしかないのだが、サービスのやり方を伝授することが必要なのかもしれない。

 本日の最高の収穫、それは、タジキスタンからの帰りの飛行機の窓越しに見たタジキスタンの山の景色。実にすばらしい。お腹の具合が悪かったので、通路側に座っていて、写真が取れなかったの残念。いずれにしても、この山の景色は売り物になる。スイスアルプス、カナディアンロッキー以上であること確実。しかし、観光立国で生きることは、やはり難しいことなのだろう。先生役としては、スイスが良いか。

6月17日: 成田到着

 機内で宿題をやらなければならない状況ではあったのだが、体力の維持を考え、やはり休むことにした。18日丸一日に本にいて、19日には、11:10のANA便でワシントンに行かなければならないからだ。

 その体調だが、聞いてみたら、学長も、リボールもおなかの具合が悪かったらしい。リボールによれば、色々と違った油分を食べたからだ、という解釈だった。彼はもともとスロバキア人であるが、日本に相当長い間住んでいる。しかもアジア圏には余り行かないから、恐らく体内細菌の分布なども、日本型の超清潔型になっているに違いない。日本在住者はすべからく腸内細菌を鍛える必要がある。学長は、様々な国に行っているはずなのだが、やはり多少おかしくなったようだ。中央アジアは、何かが違うのだろう。

 さてさて、日本という国に戻ると、はじめて思うが、この国はすべてに、特に、製品などの仕上げなどに気配りが利いていることが特徴である。それで世界に通用する製品が出来て、食糧、エネルギーが無いにもかかわらず、なんとか生きていられる。今後の日本の将来は、若い世代の背に掛かるが、やはり周囲への気配りがどのぐらいできるか、それによって日本の未来が決まるように思える。気配りの対象である「周囲」としては、同僚、他人、協力者、といった人々、そして日本社会(制度、法律、仕組、習慣などを含む)、そして、世界全体ということになるのだろう。携帯メールを読みながらの歩行者や、車道の右側を走る自転車などからを見ると、どうも怪しいような気がする。