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  多摩リサイクルプラ中間処理施設その2 07.29.2007
     



 昨日、14時から、多摩市やまばとホールで、「環境シンポジウム」なるものが行われた。しかし、その実態は、多摩市が作ろうとしている廃プラの圧縮設備に関する反対派との意見交換の場となっている。もちろん、一般市民も参加している。

 最初に、基調講演を行ったが、問題はその後。パネルディスカッションということで、コーディネータを勤めたが、パネリストが、反対派推薦の影本浩東大新領域教授、柳沢幸雄東大新領域教授、そして、多摩市推薦の細見正明農工大教授、服部美佐子さん(ジャーナリスト)、の2名ずつ。

 観客は、当日、気温が34℃ぐらいだったため、一般市民の参加者はかなり少なく、会場はさびしい感じだった。


C先生:基調講演で述べたことは、一にも二にも、「ゼロリスクというものはありえない。リスクには安全圏というものがある」。ということに限った。しかし、それだけでは不十分だったことが、パネルディスカッションを開始してみて分かったのだ。もっとプリミティブな説明が必要だった。
 まず、各パネリストが行った講演の要点をまとめてみたい。


影本 浩教授の発表

 自分は、化学物質の素人であるが、杉並病というものが気になって、プラスチックの摩擦実験と圧縮実験に取り組んだ。そして、確かに何種類もの化学物質がでることが分かった。しかも、プラスチックは、放置しているだけでも、化学物質を放出している。
 廃プラ圧縮施設は、杉並病を引き起こすとは言えないが、起こさないとも言えない。
 今後重要な課題として持続可能な発展という言葉があるが、プラスチックをいつまでもリサイクルしようというのか。不明のリスクを解消してからそのような方針を決めるべきではないか。
 人口は2050年には100億人にもなる。予防原則こそが最大の問題である。プラスチックのリサイクルには、未知のリスクが多い。未知のリスクが多いものは、予防原則に則って実施すべきではない。

A君:突っ込みを入れるべき箇所満載ですね。

B君:素人という自己評価をしておいて、そして、未知のリスクがある、未知のリスクが解消されない限り予防原則があるから、実施すべきでない。この発言は、実際、自らの科学者であるという立場を否定するもの。

C先生:余りにも稚拙な論旨だったもので、想定外。基調講演の中でこのような論旨に対するメッセージを埋め込むのを怠った。

A君:しかし、よくあるパターン。

C先生:まあ、後でまとめて議論してもよいのだが、これが「未知のリスクを明らかにする研究費が欲しい」ということであれば、それなりに自己の立場からの説明は可能だが、それ以外には、意図的・非意図的は不明だが、ある団体にある種の影響を与えているという自覚が必要。すなわち、「住民としてのリスクの低い生活を行いたいという素直な欲求」以外のなんらかの目的を持っている活動家に、別の目的の達成のために使われるだけで、極めて不用意な態度だと言える。

A君:なんらかの目的とは、経済的・政治的意図を意味するのでしょうね。

B君:「杉並病の原因と廃プラ圧縮施設からの放出物質が同一だという論拠は無いが、予防原則を考慮すると、廃プラ圧縮施設を建設すべきでない」、という主張は、言い換えると、「科学はもともと不完全で、それを補うために予防原則はあるのだから、廃プラ圧縮施設の建設はすべきでない」、という論旨かな。

A君:「科学の不完全性を否定し未知のリスクを作ってはならない」。この主張は、ある種の市民運動を行う場合にもっとも受けるメッセージ。

B君:こんなことは分かりきっているので、最初から市民運動を外部から支えるという意図があると言えるのでは。

C先生:それが露骨に見えると、その主張をした当の本人は、科学コミュニティーからは排除される可能性が高いが、そのリスクを犯そうというほどの覚悟があるようには見えなかったのだ。B君が述べたロジックの方がより良心的に見えるという、極めてナイーブな感覚からの発言のように思えた。

A君:本当に、科学者として良心的な態度とは、これと違うのですが。これは後で議論ですね。

C先生:次は、服部美佐子さん。

服部美佐子さんの発表

 まず、主として、ごみの専門家としての立場からの発言であって、リスクの専門家ではない。
 プラスチックごみをどうするのか、これは、大きな問題で、今後23区のプラごみがどうなるのか、大きな問題である。
 これまで自治体は何をしてきたのか。リスクを低下させる必要性からフンダンに税金を掛けて重装備の焼却炉を作った。
 不燃ごみを埋め立てていたが、多摩地域ではかなり前から止めた。最終処分地の不足が深刻だからだ。
 容器包装リサイクル法は、不完全な法制であって、今後とも改善が必要だが、その最終的な答えは、拡大生産者責任。
 今後、廃プラを集める方向性ではあるが、これまで汚れたプラを集めすぎた。今後は、リサイクルに値する汚れの少ないを集めることに方向を転換する必要がある。
 自治体がリサイクルを実施することには限界がある。これからは、民がリサイクルを行う方向性。
 今回のようなリスク・コミュニケーションのケースについては、まず、基本は、謙虚に相手の話に耳を傾けるべきだ。行政も市民の命を粗末にしようと考えている訳ではない。


C先生:まあ、きわめて妥当と言える発表で、容器包装リサイクル法の将来像には多少のイメージの違いがあるものの、十分に納得できるものだった。

A君:港区のように、事業系のごみが多いということで、一般市民からの廃プラは、どんな悪い状態でも集めて、自治体が分別をするというやり方に対しては、批判的。

B君:廃プラの資源的価値は、かなり限定的というところが基本的な認識としてなければいけないが、服部さんの今回の発表の内容から、それが読み取れる。

C先生:廃プラの回収・リサイクルは、自らの消費生活の内容を見直すチャンスであると考えている。ごみ問題は難しい問題ではあるが、まあ解決の方向性も見えてきた。今後、自らの安全や自らの快適性を僅かに犠牲にしても、将来世代のリスクの減少のために、ある行動をとることが求められてくるが、そのためには、廃プラのリサイクルを適切に行うというメンタリティーが必要なのではないか、と思うのだ。
 ということで、次は細見先生

細見正明教授の発表

 化学物質はどうやって分解されるのか。もっと有害な物質であるPCBを例にとって、語りたい。
 PCBの場合には、焼却法という方法をとることも可能ではあったが、実際には、化学分解法がよいと主張し、実際、そのような方向性になった。
 なぜ焼却法より化学法を良いと考えたか、それは、ダイオキシンという有害成分が外部に出る可能性が両方の方法ともあるのだが、焼却炉では、設備が大規模になり、となると、日本全体で作ることができる施設の数が限られ、集中型になる。それを避けたかった。大量に処理するとなんらかの副作用が出る可能性が高いからだ。
 今回の廃プラ圧縮施設は、通常の焼却炉に比較すると、極めて小型で、かつ反応条件も緩やか。焼却炉だと、数100トン/日といった量になるが、10トン程度である。
 いろいろと考察したが、廃プラ圧縮処理施設から出るもっともリスクの高い物質は、恐らくベンゼンである。
 北河内の実験値を採用すると、その量は、まあ車1台分である。
 これまで家庭で使用されているプラスチックに由来する様々なリスクが検討されてきているが、ブラウン管型のテレビから出るダストには、かなり大量の臭素化ダイオキシンが含まれている。こんなことを考慮し、また、家庭内で大量の有機物質が、例えば、シャンプー、ボンベ、スプレー、殺虫剤、殺カビ剤などで使われていることを考えると、廃プラ圧縮処理施設のもたらすリスクの増大は、極めて微量であると考えられる。
 さらに、発生する物質がベンゼンであれば、活性炭吸着などで対応が可能である。それによって排出する濃度を1/10にすることが可能である。


C先生:前回、本HPでやった現象の検証、
http://www.yasuienv.net/PlaCompactFac1.htm
とほぼ同じような解析。リスクというものを解析し、その大きさを俯瞰的に捉えて、現在のベストの知識を適用すると、大丈夫のように思える。しかも、多少の安全係数を掛けたとしても、十分にマージンがある、という発表で、当然のことながら、科学的だった。

A君:コメントなし。

C先生:次が柳沢教授


柳沢幸雄教授の発表

 トルエンの室内濃度指針値を決めたときのことを考えてみると、トルエンの様々な毒性、例えば、遺伝子障害性、発がん性、などなどの毒性の文献を集め、直接的に20報、間接的にはその10倍ぐらいの論文を参照しながら、室内濃度指針値を決めた。
 このように、正しくリスクを理解するためには、多くの情報が必要である。
 それに対して、プラスチックの分解過程からでる物質がもたらすリスクについては、全く情報が無い。情報が無いものについて、リスクの評価はできない。
 そこで、様々なプラスチックを200℃まで加熱して、どのような物質が出るかを調べてみた。その結果、多様な物質が発生することが分かったが、余りにも多様なもので、どのような物質であるかをすべて分析することは不可能だった。
 まだまだ未知の領域であることが分かった。
 それでは、多くの物質について、毒性をどうやって評価するようになったのか。多くの場合、犠牲者が出たからだ。自然生態系、事故による暴露、作業環境での暴露、などなどからである。
 廃プラスチック圧縮の場合、労働衛生上問題があるともいえないが、未知ゆえに推定有罪を考えるべきである。
 もしも、推定有罪を考えるのであれば、未知の物質を、既知の物質に変えるという方法がありうる。それは、焼却である。焼却炉については、すでに様々な知見がある。だから、廃プラスチックは、すべて焼却することが安全な方法であって、リサイクルをすべきではない。



C先生:柳沢さんは、化学物質の未知リスクの専門家とも言えるので、論旨はある程度分かるのだが、いくつかの点で、根本的な理解が違うために、結論が違う。
 まず、大前提として、柳沢さんがやった実験は、今回の廃プラ圧縮を再現しているものではない。温度が高すぎる。むしろ、廃プラからパレットを作っている工場のためのシミュレーションである。
 さらに、廃プラスチック圧縮という作業によって、もしも極めて有害な物質が出るのであれば、それは、プラスチック成型過程でも有害物質が発生されているはずであって、多くの労働環境問題が発生しているはずである。
 また、廃プラスチック圧縮過程の前に、選別を手作業で行うのだろうから、その際に、やはり労働環境の問題が発生する可能性が高い。
 また、東京都の場合、杉並病は発生したが、それ以外の4箇所(?)の不燃ごみ中継所では、問題は発生していない。杉並だけが特殊な状況にあったと推定される。しかも、不燃ごみ中継所による作業と、今回のような廃プラ圧縮作業とは、集めるプラスチックを清浄なものに限れば、状況は全く違う。生ごみも混じらないし、また、日常生活で使っている家庭用の危険な液体物が混じることもない。
 すべてを焼却すれば安全と言うが、それは必ずしもそうではない。場合によっては、すでに低い焼却のリスクよりも、廃プラスチック圧縮過程のリスクの方がさらにさらに低い可能性もある。となれば、分散して両方を共存させることがベストの戦略ということになる。
 推定有罪という立場をとることは、リスク評価の放棄であり、許されることではない

A君:こう話を聞いていると、根本的な問題は、どうも、推定有罪とか、予防原則といったことに対する理解が違うということにあることにはなりませんか。

B君:その理解が市民団体とリスクの専門家との違いかもしれないし、意図的か非意図的か分からないが、市民団体に利用される専門家との違いかもしれない。

C先生:基調講演をするときに、そのことを余り深く想定しなかったために、そのあたりの説明をしなかった。これで、4名の発表が済んだので、これで議論に入ることになったのだが、推定有罪、予防原則といったことを、十分な基礎知識なしに議論することが時間的に許されないような状態だったために、今回、それを議論しなかった。
 これが、このHPで追加的に議論すべき残された内容のひとつ。

A君:それでどんな戦略をもとに議論に入ったのですか。

C先生:それは、廃プラスチック圧縮施設の運転に伴うリスクというものがどうやったらもっと定量的に推測できるかということ。

B君:しかし、相手は逃げますよね。分からないといって。分からないから推定有罪、予防原則だ。

C先生:実際、その通りなのだが、分からないといって逃げて貰うことが目的だった。もともとリスク評価をする気が無いということを分かって貰いたかった。
 そこで、影本教授、柳沢教授に、いくつかの質問をした。
 「廃プラスチックを処理したときに出る物質の中で、もっともリスクが高そうな物質は、細見先生はベンゼンだと推定されているが、どのように思いますか」。

A君:予想は、答えを避けた。

C先生:その通り。複雑な多くの物質が出ているので、分からない。影本教授の場合には、化学物質のリスクは専門ではないので、分からないとも答えた。
 そして、次に、影本教授の場合には、杉並病の原因を廃プラスチックの圧縮処理だと思っておられるようだが、その根拠は?
 答えは、こうだった。プラスチックの圧縮に水、金属などが混じると、多くの物質を出す可能性もあるが、発生する物質が少なくなる可能性もある。実験していないので分からない。

A君:要するに分からない。リスクのレベルまで自らの実験を高度化するのは、自分の専門外である。したがってやらない。

B君:このような態度が意図的に市民団体の運動を助けるのが目的ならば、ご立派だというしかないが、そうでなく、このような正直な対応が科学者として正しい対応だと思っているとしたら、それは余りにもナイーブ。

C先生:柳沢さんは、まあ確信犯だから。今回は、どうも、廃プラのリサイクルを止めさせて、全量焼却へ持っていくことが正しい、という主張をするために、様々なことを持ち出してきているように思えた。
 会場から様々な野次が入って、時間が無駄になったのだけど、最後に、各人にまとめを聞いてみた。実は、余り変わらなかったが、影本教授は、対応について、やはり全量焼却が良いということだった。

A君:ということは、今回の多摩市の市民運動の応援としては、すべての廃プラを焼却すれば、焼却工場にのみリスクが行くから、地元に設備は不要で、そのリスクはゼロになるというのが、どうやら答えだったということ。

B君:どうもそれは無責任な答えのように思える。リスクには、経済的なリスクが含まれるのかなあ。

C先生:そろそろ、まとめたいが、今回の多摩市の状況には、実は、複雑な状況が含まれているのだ。それは、市の境界だ。反対派のかなりの人々が、川崎市の住民。なのだ。
 次の図を見て欲しい。要するに、川崎市はるひ野に居住する住民にとっては、自らに全く関係の無い施設なのだ。



 この場所は、なかなか複雑な地形で、結構丘陵地帯だ。黒川よこみね緑地というものがあって、そこは、小高い丘になっている。廃プラ処理設備を設置する予定地であるエコプラザ多摩から直線距離で230mの位置に住宅地があるが、森林と池などによって隔たれている。しかし、そこを抜けて化学物質が飛んでくると思うかもしれないが、まず、量的に問題にならない。十分な距離がある。しかも、途中に小高い丘があって、分子量の大きいベンゼンなどは、そこを越える確率も低い。

A君:煙突がある訳ではないので、かえって安全なのでは。

B君:230mもあれば常識的には過剰反応。

C先生:写真も見てもらおうか。こんな状況で、恵まれた環境で、心配をすることは無いと思うのだが、恵まれすぎた環境が壊されるのが怖いのかもしれない。








右隅に住宅地が僅かに見える。この写真の左方向に山を越えるとエコプラザ多摩がある。

A君:最後のまとめは何を。

C先生:結局、目黒区でやっていることを話した。目黒区も、この10月から、モデル事業でその他プラを集める。しかし、中間処理施設の問題があるので、そこに集まるプラスチックは、できるだけきれいなものだけにしようという提案し、「水でさっと洗ってきれいになるもの」だけを集める。お湯を使ったら、その燃料の消費の方が、プラの消費を超すから。
 その理由は、なんらかの未知のリスクがある可能性は否定しないが、現時点でのベストの知識を適用すれば、廃プラスチックの圧縮に伴うリスクはかなり低く、完全に安全圏である
 未知ではないか、という指摘はあるが、一般市民に被害が出る前に、例えば、プラの成型をやっている事業者、廃プラから何かを作っている事業者などの労働環境から、問題があれば、そちらが先に見つかるだろう。
 安全のために、監視をすることは重要なことである
 加えて、地球環境の深刻さを考えると、将来世代が安全にこの地球上に存在するためには、現代世代が何か次のシステムに向けて取り組みを開始すべきである。そのメンタリティーはどんなものかを考えると、とても廃プラは全量焼却すればよい、といったものではないと判断した。
 自らのライフスタイルを見直す、そのために、廃プラのリサイクルは重要な課題だと思う。
 もしも、全量焼却を万一するとしたら、目黒区には、焼却工場もあるのだから、その地域への輸送などに関わるリスクを押し付けることになる。それは、公平ではない。
 やはり、各人が、できるだけ平等に若干のリスクを共有しながら、生活をしなければならない。そもそも、現代というものは、乳児死亡率からも、寿命からも分かるように、極めて安全な社会になったのだから。

A君:予防原則には反論をしなかった。

C先生:残念ながら、時間が無かった。

A君:予防原則ですが、ある種の市民に受ける予防原則は、「ある行為に付随して未知のリスクがわずかでも推定されるときには、それを行わない」というもの。これをタイプ1としましょうか。しかし、これだと、人間生活など、全く実行不能に陥る。なぜならば、この世の中、リスクだらけで、その中で、大きなリスクから取り除くことが行われてきて、ここまで寿命も延びてきた。小さなリスクなど、未知でないもの、未知なものを含めて、多数ある。

B君:未知が重要なキーワードなのだ。未知ゆえに大きい可能性もあるということ。
 ただ、未知なのに未知だと判断していないもの、例えば、コーヒーの中に含まれる未知の各種物質などには無関心。

A君:こう答えるしかないでしょう。大きなリスクが予想を超えたところで出ることは、それは、全知ではない人類にとって仕方ないこと。それを避ける方法も当然分からないのだから。しかし、過去の知識と経験から、人類というものは、大きな未知のリスクがあっても、できるだけ被害を出さないように努力をしてきた。
 例えば、今回の中越沖地震による原子力発電所の場合が典型で、以前の知識からは、あんなところで地震が起きるとは思われていなった。しかし、どうやら、断層がかなり近いところにあったらしい。しかし、そんな確率の低いことに対しても、原子炉本体の圧力容器などは無事であるように設定してきたので、実際、そこは大丈夫だった。

C先生:原発も作らない、火力発電所も作らない、焼却場も作らない。プラスチックの成型工場も作らない。しかし、車だけには乗りたい。こんな態度で、タイプ1の予防原則を述べることは、どんな意味があるのか、そんな議論をするとそれこそ、時間不足だった。

A君:予防原則にしても、いくつかのタイプがあって、例えば、「ある行為に付随してリスクが発生する可能性が科学的に予想される場合、リスクと行為との因果関係に不確定性があることを理由として、対応をしないことを許容すべきでない」、これをタイプ3としますか。タイプ2はその中間形として。

B君:ちょっと読むと、タイプ1と同じように読めるけど、ここで重要なことは、予防原則も、被害が実際に発生したという経験に基づいて作られたのだという認識が重要。水俣病の初期のように、チッソという企業の活動が、水俣病の原因であるということを、企業とその取り巻き学者が不確実だとして認めなかった。しかし、100%確実でないとしても、50%程度以上確実性があると科学的に判断できるのならば、チッソは、操業を止めるべきだったということ、これが予防原則なのだ。

C先生:EUというと、なんでも予防原則だと思うかもしれないが、実際の適用は、そのタイプ3の対応をしているのが実情。タイプ1だけが予防原則だと思うと、大間違いなのだ。何回も「科学的」という言葉が出てくるのだ。

A君:今回の廃プラ圧縮施設の場合、被害がでることが科学的に推定されているのか、柳沢教授の実験は、廃プラ圧縮を再現しているものでは全く無いですし、少なくとも、影本教授の発表を見る限り、「分からない」としか言えない。

C先生:ご本人も「分からない」としか言わない

B君:だから、タイプ3のEU型の予防原則が適用できる、最初の条件を満たしていない。市民運動に都合の良い、タイプ1型の予防原則のみ適用可能。タイプ1型が実社会で有効な主張ではないことは、すでに既知。

A君:タイプ1は非常に特殊な予防原則で、少なくとも、リスクを多少とも取り扱う科学者は、これを言ってはいけない

C先生:ということで、今回の環境シンポジウムのパネルディスカッションで分かったことだが、廃プラ圧縮施設を作らない理由は、少なくとも、壇上の5名の議論の中では、見つからなかった。これが結論。聴衆がどう思われたか、それは不明。もともと、会場を混乱させるために来ているという人が何人も居たので。