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  四エチル鉛は"a gift from heaven"だったのか 05.06.2006
     



  米国で講演をするために、今年の7月発効するRoHS規制のPbのことを再度調べているときに、ガソリンのアンチノック剤として大量に使用された四エチル鉛のことをついでに調べた。なぜならば、ヒトにおける鉛中毒の最大の原因であったのが、この四エチル鉛であったからである。 日本では余り有名な話ではない。

C先生:環境問題を考えていると、単純には、「どんどんと無害化社会に向かえば良い」と思ってしまうようだ。

A君:あのスウェーデンという国は、国家的目標として、それを掲げていますからね。

B君:ドイツも、今回の政権の交代で多少変わるかもしれないが、どちらかというと、完全無害化社会的指向が強かった。

C先生:EUの環境政策をリードしてきたのは、この両国だと思えば、ECができるときに合意された条約の中身も理解できる。

A君:例のEC条約の174条の話。環境を最大限守ることが書かれている。

B君:憲法というものは別にあるのだが、この条約がEU全体の方針を決めていることを考えれば、やはり、EUは、予防原則を適用して、無害化社会を目指すというもの当然のように思える。

C先生:しかし、無害化をとことん突き詰めれば、なんらかのトレードオフにぶつかる。多くの場合には、資源・エネルギー消費が増えることであり、場合によっては、代替物質による普通なら見えないリスクが増えることもある。

A君:日本でもPRTR制度ができて、化学物質の情報公開が進んできたのですが、このPRTR対象物質というものは、決して使用禁止物質でもないし、削減が要請されている物質でもないのですが、企業はどうもこのような情報公開対象物質を使わない方が、企業の社会的責任に沿っていると思いがちですね。

B君:しかし、実際にはそうではない。単に削減したのであれば、当然、問題は無いのだが、なんらかの代替物質に切り替えた場合には、その代替物質のリスクが必ずしも分かっているとは限らない。逆に、リスクを増やしている場合がある。

C先生:最近は、化学メーカーがPRTR代替物質を提供することで商売を進めているという構図もあって、代替が目的ではなく、リスク削減こそが最終目標であるという理解になかなかならない。

A君:いよいよPRTR制度も見直しが始まるとか。

B君:最初の段階の懇談会ができたようで。

C先生:そうなのだ。色々と考えるところがあるが、まあ、最小限、PRTR対象物質をなんらかの物質で代替した場合には、その代替物質の公表を行うという制度にはすべきだと思っているところだ。

A君:いずれにしても、有害化学物質の被害を最小にするためには、歴史に学ぶことが必要不可欠。

B君:それで、四エチル鉛。

C先生:インターネットでいくつもの情報を得て、それをざっくりと読んでみたが、中でもっともインパクトが強かったのは、
http://www.radford.edu/~wkovarik/ethylwar/IJOEH.pdf
の論文。International Journal for Occupational and Environmental Health
http://www.ijoeh.com/
という雑誌の2005年11月号に掲載されたもの。

A君:この筆者であるDr.William Kovarikという人は、米国バージニア州のRadfordにあるRadford大学の教授のようで、メディア学が専門。特に、環境史を得意にしているようです。博士論文で、この四エチル鉛の話を取り上げたようです。

B君:初期の環境問題は、国によらず、水俣病にしても、この四エチル鉛にしても、同じような経過をたどる。その段階では、企業による「被害との関係を否定する主張」が必ず行われて、水俣の場合では、国もその関係否定側に立っていた。さて、アメリカの四エチル鉛の場合には、国の関与はどうだったのだろうか。

C先生:四エチル鉛が、アメリカだけで使用されたのならば、それほど奇妙でもないのだが、世界中ほとんどすべての国で有鉛ガソリンが使われた。世界の石油市場をアメリカが支配していたということなのだろうが、例えば、オランダのシェルとか、英国のBPとかはどのような態度を取ったのだろうか。今回の論文には記述されていないので、良い研究課題かもしれない。

A君:導入部は、元ジャーナリストだけあって、刺激的な記述になっていますね。1964年、ニュージャージー州の病院で、Joseph Leslieが死亡した。しかし、この死は、普通のものではなかった。Josephは、スタンダード石油の工場で負傷し、その後、40年間、隔離病棟に入れられていた。この段階では、なぜ、Josephがそのような扱いを受けたのか、外部の人は誰も知らなかった。これが明らかになるには、さらに40年を必要とした。1924年当時、スタンダード石油の有鉛ガソリンのプラントで働いていた特別チームに、奇妙な病状がでていたことが、2005年になって初めて公開された。暴力的な狂気がその症状だった。この工場の事件に関しては、悪質な情報隠蔽とごまかしが行われていたのだ。

B君:その原因が、四エチル鉛による鉛中毒だった。1924年当時、公衆衛生の専門家は、この危険な物質を使うことを国レベルで禁止すべきだと猛烈に主張していた。しかし、それが外部に明らかになることは無かった。そして、1974年に、有鉛ガソリンの禁止をめぐる訴訟が起きたとき、どの弁護士も、この歴史的事実について、何も知らなかった。

C先生:こんな歴史的な空白が、四エチル鉛では起きていたのだ。

A君:面白いことには、1984年にシカゴ市が有鉛ガソリンの販売を禁止したとき、ニューヨークタイムズは、この種の決定は歴史上初めてだ、と論評した。しかし、よくよく調べてみると、1925年ごろ、ニューヨークタイムズは、有鉛ガソリンのニューヨーク市とニュージャージー州による販売禁止が行われたことについて、記事を書いていることが分かった。60年前のことだと、自社のことでも、分からない。すなわち、この四エチル鉛が、どのようにしてアメリカに導入されるに至ったか、最近になって、やっとその歴史的解明が行われるようになった。

B君:先進国においても、1980年代になって、やっと環境の重要性に気づいたと言えるだろう。現在、あのアスベストについても、中国、インドなどでは使用量が増えていると言う。これは、命の重要性よりも、経済発展を重要だと思う政治が行われていることがその原因だ。途上国の現状は、「気づいているが、無視する」。

A君:アメリカの歴史学者は、四エチル鉛の発明は、むしろ歴史的にみれば「英雄的な発明」だと解釈している人が大部分だそうで、疫学上の大失敗だったという評価はまだ無いとのこと。

C先生:それもこれも、いまだに米国流の大企業に対する信仰が強いからだとも言えるだろう。この四エチル鉛については、それを推進したのが、ジェネラルモータースGM、スタンダード石油(現エクソン)、そして、デュポンという超大型企業なのだから。

A君:実際のところ、1996年に書かれた四エチル鉛の発明者、Charles Ketteringの伝記にも、このニュージャージで起きた死亡事故については、偉業の付随するほんの些細なマイナス点だったと記述されているぐらいだそうです。

B君:そして、もっとも重要な記述が出てくる。四エチル鉛のアンチノック効果を最初に試みたのは1921年。その当時すでに、四エチル鉛以外の代替物が分かっていたが、GMの研究者は、四エチル鉛を使うことが、もっとも金になると判断した。

A君:そのあたりになると、真偽の程は若干怪しいのですが、その時代だったら、可能性は強いのでは。アル・カポネの禁酒法の時代だから。

B君:いずれにしても、1924年には、GMとスタンダード石油とデュポンが共同でエチル社を作って、有鉛ガソリンを売り出した。

A君:そして、1924年の事故になる。スタンダード石油の従業員が狂気になった。7名が死亡し、33名が病院に入れられた。デュポンの工場では、10人が死亡、40人が入院。そして、GM関連のオハイオ州の工場でも、2名が死亡、40人が入院。

B君:しかし、公衆衛生局は、ガソリンの四エチル鉛は薄められているので、公衆に対して、直接的な被害は認められない、と結論し、その後、数年間で、ほとんどすべてのガソリンが有鉛になった。

A君:有鉛ガソリンの旗色が悪くなりはじめたのが1962年。GMとスタンダード石油は、エチル社を独立した投資家に売却。そして、無鉛ガソリンで走る車の開発に取り掛かった。そして、10年後には、無鉛ガソリン車を売り出した。1986年には、有鉛ガソリンは売られなくなり、2000年にはヨーロッパでも売られなくなった。

C先生:日本も米国にならって、規制が早かった。日本の排気ガス対策が早かったのが理由だが。しかし、それにしても、あの環境にうるさいヨーロッパで何故規制が遅れたのか、これがまたまた疑問点なのだ。どうももっとも遅れたのがイタリアだということで、小さくて古い車が多いから、という説や、イタリアの車は一時期落ち目になって、設計が古いままのエンジンを使っているから、という説などあるが。

A君:いずれにしても、鉛の悪影響は、20世紀になって初めて知られたようなものではないです。有史以来、鉛中毒はずーっとあったと言った方が良いぐらい。

B君:ローマ時代に、鉛がワインを甘くするために使われたという話は有名だ。多分すっぱいワインに鉛が溶け出して、酢酸鉛になるからだと思われるが。また、中世以降でも、印刷屋も鉛中毒になった。

C先生:すでに知られていた鉛の有害性が、どのようにして無視され、そして、四エチル鉛を使うようになったか。これが問題。

A君:それは、自動車産業というものが、巨大産業だったからではないですか。四エチル鉛は、1ガロンのガソリンに2〜4グラム添加されます。アンチノック効果があって、できの多少悪いエンジンでも、速やかに加速ができる。

B君:1970年代までの車には、アクセルの踏み加減に応じて、点火のタイミングをずらす仕組みは有ったものの、現在の車が持っているような、ノックセンサーというようなものは付いていなかった。ノッキングを起こさないガソリンがあれば、顧客が文句を言ってきたときに、ガソリンのせいにすることができる。

A君:しかし、反対者は居た。公衆衛生の専門家達だった。その警告は時代の流れなのか無視されて、四エチル鉛の発明者のひとりは、1922年にアメリカ化学会から表彰を受けてしまった。

C先生:学会の表彰も、時代を反映している。誰にも何かが起きるということを正確に予測などはできないのだ。

A君:1924年に、事件が起きます。最初、四エチル鉛を合成しているプロセスが、バッチシステムで、ひどいものだった。シャベルを使って、高温の鉛をかき出すといった作業だったので、作業員は鉛の大量の蒸気を吸ってしまった。

C先生:鉛がもっとも毒性を発揮するのは、蒸気を吸い込んだときなのだ。金属は、酸にも溶けにくいから、小さな粒を飲み込んだような場合には、体外に速やかに排出されれば、重大事態には至らない。ときどき、子どもが鉛製品を飲み込んで重大事態になるが、それは、製品のサイズが大きくて、胃から出て行かないとそんなことになる。

A君:作業員の多くは、狂気に襲われた。症状は悲惨だった。しかし、GM、デュポン、スタンダード石油は、四エチル鉛の使用を止めなかった。

B君:エール大学のイランダーソン教授は、四エチル鉛が極めて有害であることを知っていた。GMから、四エチル鉛の研究をする条件で、オファーがあったが、それを拒否した。

A君:この段階で、GM、スタンダード石油、デュポンの担当者は、四エチル鉛が猛烈に有害な物質であることを十分に認識していた。しかし、公式の場では、GMの担当者は、四エチル鉛の液体を手にとって見せるなどして、安全性を主張した。

C先生:日本でのBSE発生時に牛肉を食べた農水大臣などなどの行為は、この頃からあるのだ。かえって逆効果だと思うのだ。

A君:米国政府の鉱山局も、GMのために実験を行って、「排気ガスからの鉛の蓄積は、問題からは程遠いレベルである」、と結論した。

B君:やはり、政府も、企業寄りだったのだ。

C先生:一旦、ここで、ニュージャージー州の労働委員会は工場を閉鎖し、裁判によって、有鉛ガソリンのニューヨーク、フィラデルフィア、ニュージャージー州での販売が禁止された。しかし、その後、学界を巻き込んだ大論争に発展する。そして、最終的には、四エチル鉛を製造する段階でのリスクは認めつつも、ガソリンの性能が向上することによって公衆の得るメリットは、公衆が受けるであろう、リスクに比べて大きい、との結論になっていく。

A君:となると、四エチル鉛に変わる代替物があるかどうか、という議論になる。GM、デュポン、スタンダード石油は、代替品は無いと主張

C先生:日本のアスベスト論議のときにも、代替品があるかどうか、という議論になった。いつでも同じ議論が行われるということだ。しかし、四エチル鉛が現在使われていないということは、結果的には、様々な代替品や代替法があったということだ。

A君:その時点で、スタンダード石油のスポークスマンは、「現代文明は自動車と石油に依存している」、と主張。そして、続いて有名な言葉を発する。ガソリンの特性を改善する四エチル鉛は、"a gift from heaven" である。

B君:当時すでに、エチルアルコールは代替品になりうることが知られていた。しかし、意図的にそれを無いことにして、四エチル鉛が唯一無二であると印象付けた。

A君:ただし、エチルアルコールを加える場合だと、10%ぐらいの添加量になるので、それだけの量が確保できたかどうか、それは問題。

B君:ベンゼンを加えることも有り得た。実際、サン石油は、ベンゼンを加えたガソリンを作り、BenOilと命名した。もっとも、それが良かったかどうかは、別問題。最近では、ガソリン中のベンゼンは減らす方向だから。

A君:さらに本格的には、直鎖の分子であるガソリン成分を側鎖が多い分子に変えてしまうというやり方も、四エチル鉛実用化の数年後には発明されている。これは良さそう。しかし、米国では別のアプローチも採用された。MTBEなるガソリン添加剤が開発されて使われたが、これが地下水の大々的な汚染を招いたのが、2000年頃。

B君:女性科学者のアリス・ハミルトン。発明者のケッタリングに噛み付いて、「殺人者だ。他にもっと安全で十分の性能を持つ添加物があるのに」。それに対してケッタリングは、「この物質より良いものを見つけたら、あなたの給料は倍になる」(Y岡氏のご指摘により訳を直しました)、と答えたという。

C先生:このあたりの議論も現在でもしばしば行われる。しかし、その時代と現在とでは、大きく違うことがいくつかある。後ほど、議論をしてみたい。

A君:鉛の人体への影響の研究の話になります。これは、すでに本HPでも何回も述べていることですが、再度まとめれば、
(1)子どもの発育、特に、知能発達に対して悪影響がある。
(2)血中濃度がそれを決める。
(3)時間と共に、血中濃度は下がるが、鉛は骨や歯に蓄積される。
(4)鉛は天然物でもあるので、人体は低濃度の鉛には対応することが可能。

B君:そこで、どれほどが低濃度と言えるのか、それが問題になった。当初、ケホーらの研究では、大人で80μg/dL、子どもで60μg/dLとされ、この値は、1980年まで続いた。

A君:しかし、この値は、今から見れば、異常なほど高い。OECDは、10μg/dL以下にすべきだとしている。この値でも、場合によっては、ぎりぎりかもしれない。

B君:米国の血中濃度の規制は、次のような推移だ。
あ)80μg/dL 〜1980まで
い)60μg/dL 1980〜
う)40μg/dL 1982〜
え)25μg/dL 1985〜
お)15μg/dL 1990〜
か)10μg/dL 1995〜

A君:1974年ごろから、ニードゥルマン博士による研究で、子どもの乳歯を分析して、過去の鉛への暴露と知能の低下を解明することなどが行われたために、このように急激に厳しくなった。

C先生:この10μg/dL以下といった血中濃度を維持するには、四エチル鉛を使用禁止にすることが必須だった。1970年ごろから始まった大気汚染に対する関心が高まり、1973年からEPAは、ガソリン中の四エチル鉛量を減らすように指導した。それまで、2.2g/ガロンだったものを1975年からは、1.7に、そして、1979年からは0.5にした。

A君:これに対して、エチル社は、訴訟を起こして、EPAの数値は根拠が無いと主張。一時期裁判所は、この数値を棄却したが、その後、再度EPAの値を認めた。この時期には、まだ裁判所も揺れていた。

B君:自動車メーカーは、このころから、排気ガス浄化のためには触媒が必要だが、触媒は鉛で劣化することを見つけ出した。これが四エチル鉛への最後通告になった。1986年には、四エチル鉛の添加量も最大0.1g/ガロンまで規制された。

C先生:これで、米国人の鉛の血中濃度は、急速に下がり始めた。当時、6歳児の平均血中濃度は、16.5μg/dLであったが、1996年には3.6μg/dLになった。そして、さらに低下しつつある。



図 米国人の鉛の血中濃度の低下。ガソリンへの四エチル鉛の使用量の低減と非常によい相関がある。数値そのものは、上記記述と必ずしも一致しない。

A君:EUの対応は遅れた。2000年に有鉛ガソリンを禁止。

B君:途上国はまたもや遅れた。2001年の「ダカール宣言」で、サブサハラのアフリカ諸国の大気汚染を改善することが盛り込まれたが、その中でもっとも重要なものが有鉛ガソリンの禁止である。

C先生:かなり長くなったが、こんなところが、有鉛ガソリンの歴史だ。
 重要なのは、これから、何を学ぶかだ。もっとも単純な学習は、「鉛のような有害物を使うのは止めるべきだ」。果たしてそうなのか。

A君:現時点での多くの人々の考え方が、そうなっている。有毒なものは、一切使うのを止めよう。先にも述べたスウェーデン政府でもこんな方針を掲げているのだから、これが正しいと単純に思う人が多くても仕方が無い。

B君:キーワードが二つ。一つは、トレードオフ、もう一つは、バックグラウンド。強いて言えば、もう一つのキーワードがライフサイクルか。

C先生:リスクについてはいつでもそうなのだが、ある特定のリスクが高いときには、黙ってそれを退治すればよい。したがって、単純な発想法でも対応可能。誰でも分かる。しかし、リスクが低くなってくると、話は単純ではない。もぐらたたき状態になって、あるリスクを下げようとすると、別のところで他のリスクが頭を持ち上げる。これがトレードオフ
 さらに、天然物の場合、鉛は元素だから天然物に決まっているが、ヒトの体には、ある程度の量が含まれている。また、含まれても大丈夫なようにヒトの体は作られている。したがって、もともと存在する量、すなわち、バックグラウンドのレベルを大幅に超さなければ良い
 最後が、ライフサイクル。1924年当時、四エチル鉛の可否を議論したときには、製造時と使用時のリスクだけが議論された。排気ガスから出てくる鉛などは、考えても見なかった。1970年代にも同様だったが、ちょっと考えれば、米国だけで年間20万トンもの鉛が排気ガスに含まれて放出されていたのだから、何か起きても不思議ではないことに気づくはず。これがライフサイクル的発想。使ったものがどのように地球に戻るか。そのものの全ライフサイクルに考えを及ばせる必要がある。

A君:現時点で残る大きなリスクは何か、といった俯瞰的な視点を持つことも重要。

B君:となると、もはや天然物が無視できない。例えば、マグロ中のメチル水銀。野菜中の毒物。などなど。ソラマメの季節だ。日本にいると、ソラマメ中毒という言葉を知る必要は無いが、地中海地域では、ソラマメで急性溶血性貧血を起こす人が居る。遺伝的要因があるので、日本では希だが。茹でることで、食の危険性を減らすことが可能なのだが、料理法を調べていたら、茹でない簡単料理法などが出ている。ジャガイモのソラニンは、これまた有名な毒物。

C先生:過去から何を学ぶか。それには、まず正しい現状認識が重要だ。俯瞰的な視点の有無が問われる。次回、RoHS規制の話に続く