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   国連の環境正義の歴史 その2
     正義の根拠:2000年以降 10.01.2017

               



 前回に提示した国連関係の環境会議のリストです。

◎1972年6月 「国際連合人間環境会議」(United Nations Conference on the Human Environment)  ストックホルム 「かけがえのない地球=Only One Earth」、以下「1972人間環境会議」と略す。

◎1984〜1987年 国際連合「環境と開発に関する世界委員会」(World Commission on Environment and Development [WCED])、通称、ブルントラント委員会。報告書が「地球の未来を守るために(Our Common Future)」、以下、「1987Our Common Future」と略す。

◎1992年6月「環境と開発に関する国際連合会議」(United Nations Conference on Environment and Development、UNCED)、リオデジャネイロ 通称「地球サミット」あるいは「リオ・サミット」など多数あるが、以下、「1992リオ・サミット」と略す。

以上が前回に検討済み

今回は、以下の5つの会議・イベントについて考察をします。

2000年9月 「国際連合ミレニアムサミット」
 ニューヨーク 国連ミレニアム宣言とMDGs(Millennium Deveopment Goals)が開始。以下、「2000MDGs」と略す

2002年9月 「持続可能な開発に関する世界首脳会議」、ヨハネスブルグ・サミット、持続可能な開発に関する世界サミット。「2002ヨハネスブルグ・サミット」と略す。

2012年6月 「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」 リオデジャネイロ。以下、「2012リオ+20」と略す。

2015年9月  ニューヨーク本部で、SDGsが採択。 以下「2015SDGs」と略す。

2015年12月 COP21パリでパリ協定が合意された。 以下、「2015パリ協定」と略す。


C先生:前回の続きだ。前回、最後に取り上げたのが、史上最重要の環境イベントであったと思われるリオ・サミット。これで、世界の環境の動向はほぼ決まったようなものだ。前回も記述したように、このリオ・サミットで、気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change、UNFCCC)生物多様性条約(Convention on Biological Diversity、CBD)の2大条約ができて、地球の気候と生態系を守る基本的な枠組みができた。

A君:少々、情報を追加します。気候変動枠組条約は、ご存知のように今でも継続していて、COP(=Confernce of the Parties、締約国会議)も、今年はCOP23になりますが、開催地はボン議長国は、ドイツではなくて、フィジーなのだけれど、フィジーでは、これほど大きな国際会議は開催不能ということなのでしょう。

B君:フィジーが議長国だということは、島嶼諸国の意見が強く主張されることになる。前回のモロッコのマラケシュでのCOP22で、パリ協定のルールは2018年までに詳細を策定するということが合意されているので、どうなるやら。

A君:トランプ氏が米国の離脱を宣言したものの、どうも、米国のグローバル企業などは、「米国の離脱は、ビジネス上の障害であるし、国の恥だ」、という反応なので、「米国に復帰宣言をさせる」ということが、国際社会全体の方向性になっていて、どの会議でそれを言わせるかの競争にもなっています。次のCOP23ではまだトランプ氏が動くことはないとは思うののの、面白いのでは。

B君:生物多様性条約は、名古屋でCOP10が行われた割には、知名度はかなり低いままだけれど、未だに、問題が残っているのも事実。

A君:途上国の一部は、「遺伝資源」の利益配分を主張した。どういうことかと言えば、例えば、薬草などから、有効成分が抽出され、それと同じ成分の合成物が医薬として販売された場合には、その薬草の原産国に利益配分をすべきだ、という主張で、米国はバイオテクノロジー産業が悪影響を受けるという理由で、全面的に反対していいて、いまだに、米国議会による批准が行われていないのです。

B君:知的所有権強化の流れに沿ったものだった。結果的に、自国の遺伝資源に対する主権的権利というものが存在することが認められた。しかし、最近の医薬の開発のプロセスを見てみると、微生物や薬草などの有効成分を真似るという発想は、終わったような気がする。その理由は、効率的な開発方法ではないから。

A君:日本でも大村先生がノーベル賞を受賞されましたが、微生物からの新規な抗菌成分などの発見は、ある意味、すでに古典的な方法になっていると言えるのでは、と思います。

B君:生物のメカニズムが、主として、DNAが簡単に解析されるようになったことと関係するのだけれど、かなり分かって来たことも大きい。

A君:がんのことを悪性新生物と言いますが、がん細胞のDNA解析をやって、その弱点を突く新薬が開発されるとった方向になっていますから、まあ、当然と言えば当然。今後、「遺伝資源」の価値は下がるでしょう。

B君:そうなることで、生物多様性条約は本当の自然保護的な条約になると言える。

C先生:そろそろ、今回の話題に行こう。最初は、ミレニアムサミット「2000MDGs」から。

A君:詳しい説明が外務省のサイトにあります。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs/about.html
 実際には、ミレニアム開発目標(Mllenium Development Goals)の説明なのですが。
 2000年9月、ニューヨークの国連本部で、147の国家元首を含む189の加盟国代表の出席のもと、国連ミレニアム・サミットが行われ、21世紀の国際社会の目標として、国連ミレニアム宣言が採択されました。この宣言に1990年代に開催された国際会議やサミットなどで採択された国際的な開発目標を統合したものだとされています。

B君:しかし、良く良く読んでみれば、全面的な開発目標というものでもない。次の8つが掲げられている。
1.極度の貧困と飢餓の撲滅
2.初等教育の完全普及の達成
3.ジェンダー平等と女性の地位向上
4.乳幼児死亡率の削減
5.妊産婦の健康の改善
6.HIV/エイズ、マラリアの蔓延の防止
7.環境の持続可能性確保(安全な飲料水と衛生施設を利用できない人口の割合を半減)
8.開発のためのグローバルなパートナーシップ


A君:8番目のものは、国連関係では、このようなものが追加されるので、1〜7を見れば良いのですが、すべて、貧困撲滅と関係していると言えます。すなわち、MDGsは、貧困撲滅を主たる目的として合意された目標、より正確には、ゴールだと言えます。

B君:このMDGsが設定された当時、この目標は達成されない、という意見が非常に多かった。しかし、目標年の2015年までに、かなり改善が見られたのだ。それは、主として、中国とインドの経済活力が向上したことが要因だった。アフリカにおいても、経済活力が上がった。勿論、先進国でも、金融系が主力である国では、GDPが大幅に向上したので、格差は継続されているものの、底辺が向上したということで、MDGsが到達目標に近づいたと言える。

C先生:MDGsの正義は、貧困の克服が主たる課題だったと考えても、余り間違っていない。さて、その2年後に「2002ヨハネスブルグ・サミット」が有った。

A君:ヨハネスブルグサミットは、1992年のリオのサミットの10年後ということで開催。正式名称は、持続可能な開発に関する世界首脳会議。英語だと、World Summit on Sustainable Development、WSSD)。余り明確な狙いがあったとは言えないのですが、リオにおいて決定された「アジェンダ21」の実施状況をチェックするということが大きな目的でした。しかし、「アジェンダ21」は、余りにも項目数が多いので、余りはっきりした成果が出たということでも無かったと思います。

B君:ヨハネスブルグサミットで日本の貢献としては、当時の小泉首相が提案した「持続可能な開発のための教育=ESD(Education for Sustainable Development)」が日本政府によって提唱されたこと。これは、翌年以降ユネスコなどによって、計画案が提示され、2005年から、開始されたことだろうか。

A君:しかし、日本におけるESDは、散々なものだったと思いますね。理由は、「持続可能な開発」という言葉が理解できなくて、「持続可能」に変化し、その意味が、「長期継続」と解釈されてしまった。その原因のかなりの部分は、ユネスコスクールが取組の中心になったからだと考えられる。

B君:この文書が、その実情を示している。
http://www.unesco-school.mext.go.jp/TEMP/?action=common_download_main&upload_id=12221

A君:最初の定義は、まさに正しいのです。
今、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題があります。ESDとは、これらの現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act loccaly)ことにより、それらの課題の解決につながるあらたな価値観や行動を生み出すこと、そして、それによって、持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動です」。
 つまり、持続可能な社会づくりの担い手を育む教育です。

B君:ここまでは正しい。ところが、その次に若干のキーワード、例えば、人格の発達、人間性を育む、といった、教育だから当たり前という句があって、なぜか、「関わり」、「つながり」を尊重できる個人を育むこと、そのため、環境、平和や人権等のESDの対象となる様々な課題への取組をベースにしつつ環境、経済、社会、文化の各側面から学際的かつ総合的に取り組むことが重要です、という、拡大解釈が可能な活動方針にした。まあ、巧みなキーワード、「ベースにしつつ」の戦略だった。

A君:勿論、「文化」という言葉を入れたところが、ユネスコスクールらしいところで、この「穴」を最大限利用したプロジェクトがメジャーな勢力になった。まあ、ユネスコスクールは、「作戦勝ちだった」と思っているのでは。

B君:どうしても、なんでも良いから、何かやる必要があった「なんでもあり」だったのだから、やっとなんとか活動ができた、ということが本音だと思う。日本のような国でやるべきだった教育は、むしろ、世界全体でMDGsがどのような問題を取り扱っていて、それがどのように進展しているか、ということを教育することだった。

A君:日本人の島国根性では、そのような問題は取り扱えないのですね。現在の小中学校のカリキュラムにも、そのような授業は無いでしょうし。

C先生:このあたりについては、その当時、国連大学の副学長だったもので、個人的に随分と主張したのだけれど、誰も理解してくれなかった。「長期継続」がさらに変化して、「伝統・伝承」まで行って、例えば、「三味線という楽器の伝統的な奏者の維持」のようなことが、ESDの一つとして行われてしまった。まさに、「日本的持続可能とは何か」、を証明するような状況であった。「正義とは何か」といった議論がもともと難しい国であることとつながる話だ。

A君:誰が書いたのか分かりませんが、日本語版Wikipediaによれば、ESDとは『NGO、非営利団体、教育機関、企業など様々なステークホルダーが連携し、地域密着型の教育を行うことで、市民全体が主体的に問題意識向上・改善策の発想を行い、その実践を地域主体で行うことに繋げることが理想とされる。持続可能な開発のための教育は、教育の場や学習者の年齢を限定せず、場所・時間に縛られずに誰もが参加することのできる生涯学習でもある。その成功例の多くは各々の地域に深く根付いている、と礼賛していますからね。地球的な視点が全く無いのはなぜなのでしょう

B君:それは、そのWikiでも指摘している。「持続可能な開発のための教育(ESD)は、持続可能な社会づくりの担い手を育む教育である。環境、貧困、人権、平和、開発といった"持続可能ではない将来を招く"課題を自らの問題として捉え、、、、」となっていて、極めて正しい。ところが、現実の活動となると、『環境、貧困、人権、平和、開発といった"持続可能ではない将来』という言葉が忘れられてしまう

A君:それはなぜなのか。実は、答はこんなことです。まず、何でも良いから活動をすることが重要。なぜなら、小泉首相が提案したことだから、予算も付くので、是非とも何かやりたい。しかし『環境、貧困、人権、平和、開発といった”持続可能ではない将来”』という問題をどうやって教育に結びつけるか。そのアイディアが国内では全く出ない。だから、なんでも良いことにする。この最後の『なんでも良いことにする』これが日本人特有の解なのでしょう。

B君:政府側も予算は付けたが、何をやったら良いか分からない。これが文部科学省のその当時の実態でもあったし、環境省ですらこれが当時の環境教育の実態だった。何かやろうとして委員会を開催すると、何もできない訳にはいかないので、予算を消化する側の都合に引っ張られて、筋を通せなかったと思われる。

C先生:似た状況になると、また、こんなことが起きそうだ。そろそろ次に行こう。

A君:了解。次が、2012年に行われた「2012リオ+20」ですね。リオサミットの20年後の記念行事的な色彩が強いサミットでした。

B君:2012年の6月に開催。この開催が決まったのが、2009年で、「アジェンダ21」の20年間のフォローアップを行うことが、恐らく、最大の狙いだった。

A君:日本からは、民主党の玄葉外務大臣が出席。東日本大震災からの復興の展示や映像の上映などが行われた。

B君:何か、新しいことが起きたというよりも、フォローアップ的な色彩が強い。MDGsの達成が重要とか、持続可能な開発において人間が中心であることの認識など、リオ原則と過去のいくつかの宣言などを再確認という感じだった。

C先生:リオ+20は、まあ、それまでの枠組みを再確認したという感じだ。新しい正義が提案されたという感じからは、程遠いものだった。
 このような状況で2015年になって、「パリ協定」、「SDGs」が出来た。パリ協定の意義は、これまで何回も強調してきた通り。しかし、日本人の正義(=『世間が正義を決める』)とパリ協定の「気候正義」との乖離ははなはだ大きい
 一方、SDGsは、MDGsに比べると、遥かにあらゆる理念というか、理想的なゴールを盛り込んだもので、ある意味で「これがそのまま実現する訳はないけれど、世界全体が、これを目指すことが正義である」という意味で、「良い表現」になっている。やっと、人類全体の目標が明確化されたといった文書ではないか、と思う。
 「パリ協定」と「SDGs」のお陰で、地球と人類の持続可能性ということが明確になった。そのため、欧米の企業の環境対応が格段に進化しつつある。日本でもグローバル企業は、欧米の企業を追いかけているので、徐々に、日本企業のレベルも上がりつつあると言える。
 ビジネスを真剣に考えれば、必須と言えるのが、「カーボンプライシング」で、CO2の排出には費用を払うという考え方。そのため、欧米の企業は、そのような日が早く来ると予測しているのだろう、「インターナル(内部)炭素税」すなわち、自社内で$30〜40/tonの仮想炭素税を決めて、これを用いて、今後のビジネス戦略を決めている。そこまでやらないと、地球レベルでの競争に勝てない時代になったという認識なのだろう。これが、日本企業にも頑張って貰わないとならない第一点。
 そして、イノベーションへの姿勢では、日本企業の遅れていること、これが第二点目。オープン・イノベーションということが良く言われるようになった。すなわち、「自社のニーズを解決するイノベーション」だけではなく、「社会的・世界的なニーズ、例えば、SDGsの実現といった地球レベルのニーズと自社内のニーズを上手く組み合わせる」ことで、新しいビジネスを考えるといった考え方が欧米のグローバル企業では当然のことになった。日本企業が次に目指して欲しいことは、このオープン・イノベーションかもしれない。