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   大学に危機せまる??    03.13.2016
              まだ第一段階に過ぎない??     




 2月29日:御茶ノ水で、戦略的環境リーダー育成という文部科学省のプロジェクトの最終シンポジウムで、基調講演をおこないました。2008年から動いていたプロジェクトでした。昨年に終了したもので、同じようなプログラムが繰り返されることは無いでしょう。
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 3月4日:広島大学大学院リーディングプログラム機構による「たおやか」プログラム、正式名称「たおやかで平和な共生社会創生プログラム」の外部評価委員会に出席し、現在の活動を教官ならびに学生から聞く機会を得ました。戦略的環境リーダー育成プログラムの枠組みに引き続いて始まったプログラムである博士課程教育リーディングプログラムの3年目(平成25年10月)に採択されたものです。今年からいよいよ博士課程に進学する学生がでるのでしょうか。

 3月9日:某国立大学の教授が来室し、最近の大学の情勢について議論しました。振り返ると、社会貢献をしたいという意図があっても、最近の大学は、生存のために全力を投入する組織になってしまい、社会貢献ができない状況になってしまった、と嘆いていました。

 3月10日:日経朝刊:国立大学交付金42校増額、43校減額、 改革評価で傾斜配分という記事。世界で卓越した教育研究を目指す16校、強み・特色ある教育研究を目指す15校、地域貢献を目的とする54校それぞれについて配分が決定されました。

 ということで、この2月から3月は、大学の将来が危機的な状況にあることを示すような兆しというか、臭いというか、そんな状況に複数回出会ってしまいました。しかし、本当の危機の形は、若干違うような気もするのです。

 私個人は、国立大学時代の最後に、東大生産技術研究所の教授を定年の4年前に辞めたので、実は、国立大学法人になってからの大学を全く経験していないのです。しかし、今の国立大学法人の実態を見聞きすると、急に24歳まで若返ったとして、現時点で博士課程に進学するか、と問われたとき、多分、海外の大学院博士課程を選ぶと答えるしかない、そんな状況が起きているように思えるのです。使命を追求する自由な多様性を失った大学には、魅力がないというのがその主な理由です。これが今後、どうなるのでしょうか。



C先生:国立大学法人になって、何が変わったのか。一言で言えば、どの大学も、激烈な予算獲得競争社会になり、研究業績評価だけの単一価値が支配する世界になった、と言えるような気がする。筆者がいた東大生産研というところは、価値評価が多様な組織だったと思っていて、少なくとも、3本の評価軸が有ったように思える。
 1本目:研究業績。といっても、後ほど話題にするインパクトファクターではなく、ある研究領域で、目立つ業績を上げること。
 2本目:教育業績。といっても名講義ではなくて、やはり、弟子を何名育てたか。ただし、卒業後の弟子の品質管理については、問われない。
 3本目:社会貢献。様々な形態がある。産学連携もその一つだし、政府の審議会の委員などもそうだった。しかし、もっとも重要な社会的貢献は、様々に揺れ動く社会の中に、不動点あるいは不動座標軸を提供すること。

A君:最後の3本目ですが、日本社会は、ややもすると、単一価値観の社会に成りがち。そのために、社会が息苦しくなることがある。このところとしては、社会全体が短期利益を優先しすぎていて、長期的な大問題、例えば、21世紀に起こさなければならない人類の大変革を無視するといった傾向が非常に強い。

B君:まあ、現時点で、多少とも儲かっているのだから、やれるところまで、現状のままで突っ走ろう、という気持ちも分からない訳ではない。

A君:我々も、表現がキツすぎるのかもしれない。大変革に対応できるようなイノベーションが必要不可欠というと、そのイノベーションには、破壊的という形容詞が付いていたりする。これは、破壊のためのイノベーションが必要という訳ではなくて、結果的に過去が破壊されること。例えば、携帯電話が普通になって、公衆電話が消滅した。その携帯電話もスマホによって消滅しそうな気配になっていること、という意味なんですけどね。

B君:イノベーションによる大変化が起きるとき、それにどう対応するか、となると、多分、2種類しかない。最初の方法は、とにかく、先頭を走り、そこの利益をしっかりと享受する。もう一つが、最下位をとろとろと走ること。

A君:公衆電話が携帯電話になるとき、これをリードしたのが、ノキア(フィンランド)。携帯電話がスマホになるときに、それをリードしたのが、アップルとグーグル。

B君:もう一つのとろとろバシリだが、現世利益だけを追求し、最下位にはならない程度の変革を行う。現時点で、スマホでなく、ガラケーをAndroid上で開発するようなやり方。

C先生:この話を続けても、本日の本題からどんどんと遠くなる。2本目の社会の不動点、不動座標軸の話をちょっとだけやって、本日の本題は1本目の研究業績評価の話なので、そこに集中しよう。

B君:2本目の社会の不動点というのは、本来は、社会人文科学系の先生の仕事。日本という社会の進むべき道を、極めて俯瞰的な視点から、明確に指摘するということ。産業関係であれば、その未来像は、工学系などの先生にも求められる。不動点とは、例えば、価値とは何か。現時点における本当の価値とは何か。そして、負の価値の例としては、環境の破壊はどこまで許容すべきか、といったこと。

A君:大学というある意味で社会から若干の距離をとっている組織故に、より詳細な分析が可能であって、そのために、社会の不動点が良く見える。

B君:そんな大学という組織は、社会的に見れば、現世離れができるというある種の特権階級なんですが、その特権階級であるためには、当然、ある種のノルマを果たさなければならない。それが、不動点というようなものを常に考え続けることだったのでは、というのが、ここでの主張。

C先生:まあ、そんなところで止めよう。さて、1本目の評価軸が研究業績で、現時点では、それだけの単一評価になったということを説明してもらおう。

A君:それは、インパクトファクターという言葉で表現できるものが、ほぼすべての大学で、唯一の評価基準になったということです。インパクトファクターというものは、学術雑誌に対して付けられる点数で、その雑誌が文字通りどのぐらいインパクトがあったかを示すもの。インパクトの測り方は、引用数。その雑誌に掲載された論文が平均的に何回引用されたか。

B君:もっと精緻な情報を知りたければ、例えば、次の記事が良いかもしれない。
 インパクトファクターとは何か
http://the.nacos.com/pdf/impactfactor.pdf

A君:そして、ある人のブログで開示されてしまった、2014年版のインパクトファクターがこれ。
http://fm7.hatenablog.com/entry/2014/07/30/175304

B君:いくつかのジャンルがあるけれど、総合誌トップのNatureとは、こんな雑誌。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

A君:全くここに数値を出さないと、説明がしにくいので、化学誌については、再引用をさせて貰いますか。2014年版なので。

化学誌のトップ10 雑誌名称(インパクトファクター)
Nature Materials (36.4)
Surface Science Reports (24.5)
Nature Chemistry (23.3)
Advanced Materials (15.4)
Journal of the American Chemical Society (11.4)
Angewandte Chemie International Edition (11.3)
Chemical Science (8.6)
Chemical Communications (6.7)
Chemical Engineering Journal (5.7)
Journal of Biological Chemistry (4.6)


B君:Nature Materialsに論文が掲載されると、平均的に36.4回、他の論文によって引用されるということを意味している。

A君:他の論文とは、世界中のすべての雑誌という訳ではなくて、主として英文で書かれた学術雑誌。日本語でいくら優れた論文を書いても、言語的なハンデがある。これは、研究というものがグローバルなものなので、ハンデだと騒ぐこともできない。

B君:さらに言えば、研究者の数が非常に大きなファクターになる。例えば、バイオ技術が進化すると同時に、この領域に研究者も集中した。そのため、そのような領域で論文を書くと、それを引用する研究者の数も多いので、当然、引用数が増える

A君:非常に重要な領域なのだけれど、研究者の数が少なければ、ほとんど引用されることもない。最近でも産業技術として非常に重要だけれど、例えば、溶接といった技術だけを取り扱っている雑誌は、研究者がどんどんと減っているために、いくら重要な研究成果を出したとしても、インパクトファクターは1程度にしかならない、といった事態が起きる。

B君:米国にある溶接学会、American Welding Soc.が出しているWelding Journalのインパクトファクターは、2014年には0.925だった。

A君:インパクトファクターを意図的に増やす方法もある。例えば、共著者を増やす。例えば、1つの論文を10名で書く。そして、共著者が、次に書く論文で、必ずその論文を引用することにする。そうすることで、1人で書いた場合の10倍の引用数が実現できる。要するに、操作が可能。

C先生:細かいことはどうでも良いが、このように決して絶対的とは言えないインパクトファクターなのだけれど、なぜかこれがデファクトスタンダードになってしまった。そして、結果的にNature Publishing Group の一人勝ちとも言える状況を作った。この組織は学会ではなくて、商業的出版社なのだ。

B君:以前ならば、業績リストというものは、論文をまさにリスト化したものだった。その数などで評価されたものだ。さらには、裏評価という重要な評価がなされていて、学会の懇親会でのうわさ話が、結構重要な評価基準になったのだ、と聞いている。

A君:それが現時点だと、論文の題名の後ろに、その雑誌のインパクトファクターを書き、インパクトファクターの合計が、その人の研究業績だといったことにされる。

B君:そして問題は、Natureという雑誌は、商業誌であって、その編集者が重要視することは、メディア的な視点からみて、「おもしろいこと」。決して、何かに役に立つ研究だという視点はない。

A君:最近、ノーベル賞の評価では、その研究が役に立ったという側面が重要視されています。例えば、赤崎先生達のLEDが省エネ照明用として、今後とも重要になるということが評価の中に含まれているんですけど。

B君:ノーベル賞は、このところ、かなりバランスが取れた業績評価が行われているように思える。

A君:そして、そろそろ問題の核心に近づきたいと思います。それは、インパクトファクターのような偏った研究業績が、なぜ大学という多様な社会での研究業績になってしまうのか。さらに、C先生のときの東大生産研のような、バランス型の評価がなぜ消えてしまったのか。

B君:真実は分からないが、まずは「学長のため」なのではないか、と仮定して、若干議論をしてみよう。学長の出身学部別の統計データは、なかなか見つからない。そこで、国立大学財務センターがかなり前にまとめた報告書を参照したい。
http://www.zam.go.jp/n00/pdf/nf006006.pdf

A君:その報告書によれば、多い順に工学部(13 名)、医学部(11 名)、理学部(10 名)、農学部(5 名)、文学部(4 名)、教育学部(3 名)、法学部(2 名)、経済学部(1 名)、芸術学部(1名)。合計50名

B君:要するに、理系の学者が学長になるケースが多いということは事実のようで、農学部までで39名。実に、8割程度。この39名の中で、実用化を重視するのは、工学部のみといっても良い。実用化は重要かもしれないけれど、実用化の業績は正しく評価するのがなかなか難しい。しかも工学部は、分野が細分化されているので、インパクトファクターの大きな論文を書くのが比較的難しい。ということで、医学部、理学部、農学部で大体過半数を占める学長にとって都合の良い単一指標として、インパクトファクターを導入した。

A君:国立大学法人化以後、国立大学には、文科省からの出向者が理事などになっているケースが普通。役人的なスタンスからすれば、できるだけ単純な教官評価のシステムがあることが望ましい。その条件を、インパクトファクターは満たしている。

B君:もともと法人化というものの本来の狙いが、当然、日本政府の財務状態を反映したものなのだ。色々と理屈を付けて運営費交付金を減らし、少子化もあるので、最終的には、国立大学の数を減らしたい。そのためには、極めて客観的な大学評価法が使えることが望ましい。

C先生:それは事実だと思える。加えて、今年度に決まった国立大学の3つのジャンルへの分類は、次の一歩が踏み出されたと言えそうだ。地域貢献を目的とする大学同士であれば、近接県に存在する複数校を一つにしても、様々な地域貢献が可能になるという理屈が成立する。

A君:国立大学を3つのジャンルに分けたということは、悪くはないようにも思うのです。ちなみに、どの大学がどのジャンルになったかは、このサイトがわかりやすいです。
http://newswitch.jp/p/2058
 実は、これまでのような国立大学の全部が横並びだと、一部の大学では、かなり無理な教育をすることが強いられてきましたから。その代表例が、英語での講義。国際化国際化といって、留学生の数を無理やり増やし、留学生が1人でも居れば、英語で講義をしなければならないくなる。

B君:ある調査によれば、医者3512人に聞いたところ、日本の大学での講義を英語にする必要性はない、という回答が2174人だった。この調査の報告書は2014年2月13日付で、調査期間は2014年1月20日から26日。
https://medpeer.co.jp/press/_cms_dir/wp-content/uploads/2014/05/Posting_140213.pdf

A君:医者という職業は、比較的国内対応だとも言えるので、英語のできる医者を増やす必要性は少ないという回答も納得はできるのですが、今後、日本への旅行者などがますます増えれば、考え方が変わる可能性もないとは言えない。

B君:ただ、本当は、英語ではなくて、中国語の方が重要だったりして。

C先生:そろそろ、自分の経験を若干語って、最後の結論まで一気に行きたい。

 まず、英語の授業の件。準備に要する時間は、実は、半端ではない。資料作りだけでなくて、どうしても、1回は、予行演習をやりたい。英単語が口から出ないという状況が起きないとも限らない。ということなので、時間に余裕のない先生達にとっては、恐らく、大変だ。ただ、先端的研究をやっている教授であれば、海外経験も長いので、それほどの負荷にはならないかもしれない。

 今後だが、地域貢献を中心に据える大学は、日本に就職したい留学生を育てるために、日本語教育を強化するという方向性を追求することもあり得るのではないか。

 大学の本務は、本来、学生を対象としたサービス業だと思うのだ。ということになれば、その大学の設置目的に即して、様々なサービスの形態があっても良くて、一流の学者になりたいという学生を厳しく研究面で鍛えると同時に、世界のトップとはどのような人々なのかを見せるチャンスを与え、なんらかの優れた能力を引き出す教育もあり得る。 他方、地域に貢献したいという学生には、それに対応する知識、例えば、地域の特性をどのように活かすか、それによって、なんらかの産業を地域にもたらすか、などの発想をもてるような教育をする。

 このように、大学が、設置目的に多様性を持つことは、実は、大学正常化への第一歩になるのかもしれないと思っている。上手く操縦する学長が出れば、再び、多様な価値観が国立大学に蘇るような気がしないでもないのです。

 しかし、一つだけ心配なことがある。それは、学長の選挙方法が変わってしまったことだ。これまでは、有権者の選挙の結果だけに基いて次の学長が決まった。ところが、現在は、候補者を選考するのが選挙の目的で、現学長が、候補者の中から次の学長を再評価し、そして選ぶという方式になったようなのだ。これは、大学の性格をどのようにするか、といった学内のコミュニケーションが取れない状況でも、現学長を誰かが説得することで、3種の大学に沿った形で、その大学の性格を決めたり、他の大学との合併を決めることができるような仕組みを作ったと解釈ができるのだ。

 もともと、大学というところは、学長がいくらてっぺんから叫んでも、その声は、個人事業者である教官個人には届かないという構造を持っている。そのため、全学一体となって一つの方向性を自発的に決めることはほとんど不可能なのは事実なのだけれど、今後は、それをやらなければならないのだ。それをやれる学長が出ないことを前提とした、学長選考の仕組みを作ってしまうと、大学全体の意志の統一は、ますますできなくなって、そして被害を受けるのは、直接的には学生だということになってしまうのだ。これが本当の大学の危機ではないか。かなり心配だ。