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    VWのスキャンダル その2   10.11.2015
             −VWのNOx排出で人は死ぬのか−       




 9月17日に、いくつかの報道機関が、「世界全体で、大気汚染によって300万人以上が死亡している」、というニュースを発表した。その根拠となったのは、Natureに掲載された環境疫学の論文であった。

 The contribution of outdoor air pollution soureces to premature mortality on global scale.
J.Lelieveld, I.S.Evans, M.Fnais, D.Giannadaki & A. Pozzer, Nature, Volume 323, 367, 17 Sept.2015


 なぜ、このような論文をVWのスキャンダルとして取り上げるのか、と言えば、自動車評論家国沢光宏氏が自らのブログの中で、次のように発言しているということを発見したからである。

NOxは毒ガス扱い(23日)
国沢:「電気自動車の火力発電所だってNOx出すし。というか(普通の人々は)NOxについて知らないんだと思う」。

VWディーゼル不正の概要判明
国沢:「幸いなことは、死者が出ていないし今後も出ることはないということである」。

 なるほど、自動車評論家というのは、そのような理解をしているのだ。このNatureの論文と、全く違う結論なのではないか。しかし、この論文の解釈もそれほど簡単ではない。そもそも"Premature Motality"とは何か。これを分かっている自動車評論家は居ないということなのだろうと思う。

 ということで、このNatureの論文は、自動車からのNOxでどのぐらいの死者がでていると主張しているのか、それをどのように解釈すべきなのか、ご紹介してみたい。



C先生:まず、この論文が何を問題にしているか、そこから明らかにしよう。どのような大気汚染物質を考えていて、それがどのような呼吸器疾患によって、死亡者がでると考えているか。さらに、それらの大気汚染物質を排出している原因は何か、などなどだ。

A君:了解。まずは、考えている呼吸器疾患から。
 以下、記述は、略称=英語名 日本語名 原因物質 対象年齢です。
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COPD=chronic obstructive pulmonary disease 慢性閉塞性肺疾患 PM2.5とオゾンの両方が原因 30歳以上
ALRI=Acute lower respiratory illuness 急性下気道疾患 PM2.5が原因 5歳以下が対象
CEV=cerebrovascular disease 脳血管疾患 PM2.5が原因 30歳以上 
IHD=ischaemic heart disease 虚血再還流障害 PM2.5が原因 30歳以上
LC=lung cancer 肺がん PM2.5が原因 30歳以上 

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B君:5種類の疾患を考えているということ。若年層の疾患がALRIで、他は30歳以上と書いてあるものの、現実にはかなり高齢者に死者が多いと思われるもの。

A君:それぞれの疾患に関しては、どのぐらい説明しますか。

C先生:適切なWebサイトがあれば、その紹介といったところでどうだろう。

A君:了解。まずは、COPD=慢性閉塞性肺疾患から。
http://www.gold-jac.jp/copd_facts_in_japan/
のサイトによれば、日本におけるCOPDによる死亡者数は2014年で、16402名。20年以上の喫煙歴を経て発症する。高齢者になるほど高くなる傾向がある。

B君:となると、大気汚染、PM2.5とオゾンの両方が影響するという解析になっているようだけれど、世界全体で何人の死者をどうやって計算したのか。その数値は?

A君:具体的な方法論は、論文が短いので、書いてないのですが、COPDに関しては、世界全体で、PM2.5による推定死者数が、37万4千人オゾンによる推定死者数が14万2千人。合計51万6千人。これが2010年における大気汚染による死亡者の推定数です。

B君:日本の人口動態で調べると、平成24年ですが、COPDによる死者数が16402名

A君:この論文による日本での2010年の大気汚染全体による死者の推計数が25516名となっていますね。個別の疾病による国別の死者推定数はこの論文には出てこないのです。

B君:それなら、日本の死亡者数を調べよう。日本の人口動態2014で調べると、5歳以下が対象のALRI急性下気道疾患は、死亡数が少ないのだろう、書かれていない。

A君:次のCEV=脳血管疾患は、年間死亡数が平成24年で121、602名。脳血管疾患は、その言葉通りです。説明不要。

B君:その次のIHD=虚血再還流障害は、例えば、脳梗塞などを意味する。日本の死因だと、脳血管疾患に含まれているのかもしれない。

A君:その通りですね。脳血管疾患の死亡者数は先に記述した121、602名、脳梗塞は、その内数で71、962名

B君:LC=肺がんで、これも説明不要。死亡者数は、71、518名

A君:これで大体行けるのではないですか。この論文が日本における大気汚染による死亡者として上げている数値が25、516名。一方、日本の人口動態で調べた関連ある疾病の死亡数が、年度としては平成24年ですが、16、402名+121、602名+71、518名。これで正確なカバー率は分かりませんが、まずまずのところに来ているのでは。合計209、522名

B君:なるほど。これらの疾患による死亡者のうち、約12%が大気汚染が原因だということを主張していることになる。

C先生:正当性を主張するには、かなり難しい推定値と思う。この12%という数値が、本当かどうかということになる訳だ。これまでの疫学的手法では、どのようなことで、死亡の実例を大気汚染が直接的な原因だと判断したか、ということが問題になる。もっとも、このような話は、これまでも何回か説明はしたように思うので、復習になるが、再度説明をして欲しい。

A君:大気汚染とそれを原因とする死亡との判断をどのようにするのか、と言いますと、伝統的にこんな方法のようです。まずは、大気汚染の濃度を、各種原因物質について、連続して測定することが必要。そして、ある病気での死亡率は、当然のことながら、毎日毎日データが存在する。さらに、救急車の出動回数となぜ出動したか、その理由なども解析する。これらを解析すると、大気汚染がひどかった日に遅れること2から3日後に、死亡率や救急出動回数が増えることが分かる。そのため、大気汚染と症状の悪化がどのぐらい深刻な関係があるという判定を下す。

B君:これ以上の結果を得ようとすると、なかなか大変なことになる。死者全数を解剖をしても、多分分からない。特に、喫煙者などの場合に、全く分からないのではないだろうか。

A君:さらに言えば、この方法で分かることは、慢性的な疾患を引き起こすのが大気汚染だと思われるのだけれど、大気汚染は、同時に、最後の最後に死に至るショックを与えるという役割も果たしていることになる。

B君:要するに、非常に健康な人が、大気汚染でバタバタ死ぬようなことはない。もしもそれが起きるとしたら、北京に住民は居なくなってしまうはずなのだ。しかしながら、やはり、慢性的に健康被害を与えるものなので、その方が心配なのだ。そして、最後の一押しで、死亡させる影響もある。

A君:今回の論文の題名であるPremature Mortalityが、そういった意味を持っています。すなわち、Prematureは、「早まった」という意味です。この言葉で、最初から、そういう計算だということを主張している訳です。

C先生:さて、こんなところが結論になるのだが、大気汚染のために、死亡者が出ることは、絶対的にこれだけの人数とは言えないものの、ある仮定を用いて計算すると、そんな値になるということは、これまでも同様の主張がされてきた。
 このような結論を出すことは、むしろ、途上国において大気汚染の影響が甚大なことは事実なので、重要なことではある。慢性的な疾病の原因となる大気汚染がどれであるかを特定し、それを防止することは、その国の平均寿命を伸ばすと同時に、より幸福な生活を保証することでもあるからだ。
 国沢氏がこのあたりの状況を知っていても、あのような発言をしているのか、あるいは、大気汚染は急性死の原因にはなりにくい、ということだけを誰かから言われて、自分で拡大解釈をして、「誰も死なない」といった発言をしているのか、そこは不明だ。

A君:逆に、原発では人は死んでいないが、火力発電は大気汚染の原因物質を放出しているので、死者が多いといった主張も結構あるのですが、この比較も、本気でやろうと思うと、論理の立て方が極めて難しいですね。今回のNatureの死亡者数をそのまま使うのは、恐らく不適切。

B君:そもそも、誘発される死者の数で、発電システムを比較するということが妥当かどうか、その根本が難しい。ある死に対して誰か責任を取るべき人がいるのか、それとも大部分は本人の問題なのか、あるいは、神のみぞ知るという種の話なのか、などなどがより本質的な問題なのかもしれない。

A君:必ず最後には死ぬということが人間の宿命ですが、「死に方」ということが、先進国ではかなり重要になっていますね。一定程度の健康状態を保ったまま、気付いたら天国にいたという旅立ちをしたいと思う人、ガンのような余命宣告を受け、消え入るように死ぬ方が良いと思う人、などなど、人によって色々な理想がありますが、やはり、本来防止できるはずの大気汚染のお陰で、なぜか自分は早死をしたという死に方をしたいと思う人は居ないと思うのですよ。

B君:大気汚染の話に戻すけれど、途上国から経済成長の課程にある国がもっとも大気汚染の影響が重大。中国の場合には、まだまだ平均寿命が短い。世界68位で、75歳のようだ。インドも66歳だ。命に関する考え方も、日本のように成熟してはいないだろう。

C先生:今回の論文は、様々な発展段階にある国に対して、どのような原因による大気汚染が、どのぐらいの寿命短縮につながっているか、を計算している。その例を幾つか示そう。

A君:中国の例から。大気汚染によって、寿命が短くなった人(Premature Motarity)が、2010年で135.7万人。その原因として、もっとも大きいと考えられるものが、住宅内でのエネルギー使用で43.5万人。具体的には、炊事に薪や石炭などを使うことによる煙が原因。

B君:だから、台所に煙突を整備するがかなり良くなる。究極の解は、電気による炊飯。勿論、発電所の排気をキレイにしないと却って逆効果だけれど。

A君:それに次いで、農業による影響が39.5万人とこれも大きい。

B君:農業の影響でもっとも大きな原因が、なんと化学肥料だとのこと。例えば、硫酸アンモニウムとか硝酸アンモニウム。これらが微粒子状で空気中に漂うことによって、呼吸器に問題を起こすということのようだ。

A君:当然ながら、火力発電は大きいですね。23.7万人。これは、主に、SOxの放出と、石炭燃焼によるすす(煤)。PM2.5としては、炭素成分の微粒子の毒性が、他の成分のものよりも圧倒的に毒性が高いとされています。

B君:日本では、火力発電所の大気汚染防止がかなりきちんとやられているけれども、4400人が火力発電所起源の大気汚染で寿命を失っているという結果を出している。もっとも、日本で最大の原因が、やはり農業なのだ。

A君:先進国でも、農業が最大の大気汚染の原因という国は多いですね。

B君:例えば、VWの生産国であるドイツも、大気汚染による死者がもっとも多い原因が農業。フランスもイタリアも同様だし、ルーマニアのような農業国も当然そう。

A君:それでは、元に戻って、死者の多い国の解析に戻ります。まずは、インドの実数です。2010年で大気汚染が原因と思える死者数が、64.5万人。最大の原因がやはり、住宅内でのエネルギー使用で、これは中国と同じ。

B君:そして、次の要因が火力発電所だとのことだ。インドの場合だと、自然発生的な粉塵もかなりの割合になっている。土ホコリや砂ホコリも、実は、肺に吸い込まれると、良いことはない成分を含んでいる。例えば、鉱山労働者などには、塵肺といった病気が実際にあった。成分としては、土ホコリと余り変わらない。アスベストは形状が特殊だから毒性が強かったことも、理解しておく必要がある。

A君:イラクやエジプトのような乾燥地帯だと、圧倒的に、砂塵と思われる粒子状物質による大気汚染での死者が多い。一方、似たような経済状態にある国でも、バングラデシュのように乾燥地帯ではない地域だと、砂塵起源による死者は0になっています。

B君:あともう一つ重要なものが、バイオマス燃焼による煙。これがもっとも多数を占める国の例が、タイとミヤンマー、コンゴ民主共和国など。具体例の一つは、焼き畑農業。それに、山火事

C先生:VWのスキャンダルに関しては、アメリカなどのデータがどうなっているか、これが関心事だ。

A君:そうですね。米国ですが、大気汚染が原因と思える死者数が5.5万人。最大の原因が、火力発電が1万7千人ですが、農業もそれよりわずかに少ないぐらいです。

C先生:それぞれの国の特性は、大体分かった。それでは、最後にもう一つ重要なことを記述する必要があると思う。それは、これまでのPremature Deathの直接的な原因、および、それを発生するセクター別の比較などをやってきたけれど、そもそもNOxが直接、Premature Deathにはかかわるという説明は無い

A君:その通りなんですね。だから、国沢氏のように、「NOxで死者はでない」、といった発言をしてしまうのです。しかし、実際には大気の中で、NOxがいくつかの原料となる化合物と反応をして、Premature Deathの最大の原因であるPM2.5を作ってしまうのです。

B君:PM2.5の中では、炭素の微粒子がもっとも毒性が高いとされている。それも、NOxがあれば、作られてしまう。

A君:そうなんですね。原料は、有機物質で大気中で気体になっているようなもの、自然起源と人為起源の物質の両方があります。人為起源としては、トルエンなどの溶剤に使われる物質、自然起源としては、植物が排出するピネンなどの油成分。これらを原料として、大気中の光化学反応によって、二次生成粒子(SOA)と呼ばれる粒子を作ります。これが浮遊しているPM2.5の主要成分なのです。

B君:SOAの組成は非常に多種多様だと考えられるので、その毒性は未だに完全には解明されていない。しかし、共通して言えることは、その生成にNOxが必須らしいということだ。

A君:化学式的に書けば、
 天然有機物(樹木からの微小油滴)+NOx  → PM2.5(炭素)

C先生:ということで、NOxという物質の特性は、もしもNOxそのものだけを考えれば、現在の規制値でそれほど重大な悪影響は無いと考えられている。しかし、NOxは、PM2.5を作り出す反応の必須成分なのではないか、ということで、間接的な原因物質である。PM2.5の毒性も、それを吸えばすぐ死亡の直接原因になるというものではないと思われるものの、やはり、その存在によって、ある程度のPremature Deathが起きることは間違いはない。要するに、NOxは、直接的に人を殺すということではないのだけれど、PM2.5という仲介者を使って、かなり多くの人々の寿命を多少なりとも縮めることは間違いはないようだ。
 ここまで記述してきたような知識を自動車評論家すべてが持っているとは、とても思えない。いずれにしても、国沢氏のように、中途半端な知識で、「NOxで死者はでない」といった確定的な発言はすべきではない。
 最後に、VWの罪をさらに追加してみたい。そもそもEUという国は、このような人為的な排出による人命の多少の損失に対しても、予防原則という方針で対応すべきだと主張してきた。「科学的な検討によって、可能性があることが分かっているのなら、それに対して適切な対応を取るべきである」。その予防原則で、化学物質の規制を拡大し、RoHS規制のようなものを作ってきた。RoHSの議論が始まった当初、日本は、化学物質のリスクと無関係な、そんな規制がなぜ必要かが分からないという主張をしたが、EUは独自で規制を始めた。その裏には、ある種の貿易障壁としての役割があったのだと思う。
 今回のVWのスキャンダルによって、EUが独自に主張し、ある意味でEU域内の産業を守る役割を果たしてきた予防原則という哲学を、EUの中心的企業の一つであるVWが完全に裏切ったのである。すなわち、VWは、EU全体がこれまで重要だとしてきた、環境尊重・生命尊重という哲学に対して、その破壊行為を行ってしまったのだ。
 再度、繰り返したい。国沢氏ぐらいの自動車評論家であるならば、自動車を自分の好き嫌いだけで判断するのではなく、より高度な見識をもって、もっと深いコメントを書くべきだと考えるのだ。「NOxが死人はでない」とか、「多少NOxを出したところで実害なし」、「これが、VWに対して、本気で腹立たない理由だったりします」、と言うことは、自らの見識の無さを証明することにしかならないからだ。