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    理系・文系の知識構造 
   02.10.2014
            最後の一冊の本の書評




 今年になって検討をはじめた「理系」「文系」の相違点に関する話題ですが、この議論のために買い込んだ本で、残っているのが次の1冊だけになりました。
 
理系にあって、文系にない「シンプル思考法」 
 和田昭允 著  三笠書房  2011年5月25日初版発行

 台湾に遊びに出かけたこともあって、ちょっと時間的な余裕がなかったので、あるポイントだけに集中した書評を書くことにしました。



「理系」「文系」の知識構造は違うのか

 「理系」、「文系」という二分法の時代ではもうない、という言葉から始まるこの本は、Amazonの読者評では、文系読者からと思われ る大反発コメントが3件ほどあって、恐らく、余り売れていないのではないか、と推測されます。

 理由を推測すると、「はじめに」の最初に出てくる次の文章が、根っからの文系人間にとって、ある種の呪縛というか、特別な思いを起こさせるからではないか、と思うのです。

 「今後、文系出身者でも『どれだけ、理系的な頭を持っているか』が問われる」。

 これは、純粋文系を自認している人々にとっては、乗り越えがたい巨大な岩壁を提示された気分になるのではないか、と想像するのです。

 理系人間に対しても、厳しい要求がありますが、それは、次の文章です。

 理系出身者でも「どれだけ意識して、合理的な考え方ができるか」が、これから飛躍できるか・できないかを決定づけます。

 しかし、この合理的な考え方の評価軸には、若干の幅があるように思えるので、文系が感じるかもしれない上述の巨大な岩壁と違って、 理系にとって、 取っつきどころがないという印象は薄いように思います。

 さて、この本を読んでみて、何を感じたのか。それは、こんなことでした。

 この本は文系向きの本ではない理系出身者が読むことによって、一段の飛躍が可能になる本かもしれない文系の知識体系は、この本に詰め込まれた多くの「知恵」に適合した形になっていないのかもしれない

 すなわち、和田先生が「はじめに」で述べておられる「知識と知識を知恵で結び付けて、新しい発想をする」ことは、本書の第一章のp20で述べられている次の文章の状態が起きないと、実は、なかなか有効には機能しないのではないか、と思うのです。

 「ハッキリ知識が頭の中で増えてくると、互いに関連するもの同士がつながって、一つのカタマリを作ろうとしはじめる。そこに新しく入ってきた知識がカスガイになり、うまくはまり合って、考えがまとまる」。

 本Webの筆者は、和田先生の指摘と同じではないか、と思われる状況を、こんな言葉で表現しています。

 環境問題に関係する極めて多様な知識をバラバラと記憶した状態は、言わば、ジグソーパズルを始めたばかりの状態でしかなくて、最初は、一つのピースともう一つのピースの関係などは見えないのが普通だと思います。しかし、ある程度のピースとピースがまとまってくると、知識量が増えてきたかな、と実感できるようになり、たまたま、ひとつだけ抜けている空間に所定のピースがピタッとハマると、これは「決まった」という感覚になります。

 すなわち、和田先生の記述のような感覚が得られることは、事実だと思っているのです。

 しかし、和田先生が述べておられる次のような感想は、さらに知識量が非常に広範になり、それが体系化されて初めて実感できることなのではないか、と思うのです。

 「一見ほとんど関係のない二つの知識が頭の中で衝突して、突然スパークして結びつく」。

 まるでウェーゲナーの大陸移動説みたいなこの記述は、ジグソーパズルでかなり大きな島になった知識群が、もう一つの大きな知識群と合体する場合に得られる感触ではないか、と思うですが、この状態になるのは、知識獲得の相当の努力をした後でないと経験できないことではないか、と推測しています。

 具体的な大きさなのか、それはよくわからないのですが、和田先生は、最初は化学、次に物理、そして、生物と分野をどんどんと広げていった学者ですから、実は、そのサイズは、かなり大きく、場合によっては、大陸級、最低でもインド亜大陸級なのかもしれない、と思うのです。

 場合によっては、同じ現象を物理的な説明だとこうなるけど、化学の言葉で説明するとこうなるし、それは生物ではこのような理解になっている、という見方ができないと、和田先生の発言を本当に理解することは不可能なのではないか、という想像もできるのですが、このあたりは、和田先生ご自身に聞く以外に方法はなさそうに思います。

 理系・文系に関する本当の問題はここからです。このように「スパークして結びつく」ことは、果たして文系の知識体系にもあるのだろうか」。化学、物理学、生物学という理系の知識を広くまとめて一人の頭脳に入れることができた人だけが得られるような経験なのであって、実は、文系の知識はそのような構造にはなっていないのではないか、と疑っているのです。

 例えば、法学者が経済学を勉強し、さらに政治学や行政学を勉強すると、同じような「スパーク」の経験ができるのかどうか。

 このような分類では知識の島のサイズが本格的大陸級で、大きすぎるかもしれません。

 それなら、心理学や教育学を勉強し、次に、哲学や論理学をマスターし、そして、言語学を学ぶと、次に多様な知識を何かを獲得しているときに、突然「何かと何かがスパークして結びつく」ことが起きるのだろうか

 個人的には、いささか懐疑的です。その理由ですが、理系の知識の構造は、恐らくどのような学問分野でも明快なくっきりした形状をしている、と思うのです。そのために、他の知識、あるいは知識群と強い結合を作ることができる。強い結合を作れば、エネルギーを放出して、スパークする可能性もある。

 しかし、文系の知識は、もともとヒトという生命体のもつ不確実性を包含したかたちで作られていて、隣の知識群との境界も明確ではなく、したがって,群と群の間の結合力も弱いか、ほぼゼロなので、「スパークして結びつく」ことはないのではないか。

 こんな感覚的仮説を持っているのです。この仮説は、全領域型の環境学の研究プロジェクトを推進していた20年近く前。そして、いくつかの領域横断型の研究プロジェクトの採択に関与してきたここ10年ぐらい。これらを通じた期間内での経験に基づく印象でして、端的に言えば、文系チームから新しいアプローチの提案がでることがほとんどないが、その根本的理由がこれなのではないかと思うのです。

 というわけで、和田先生の仮説、「何かと何か(知識群と知識群)がスパークして結びつく」ことが、文系の頭脳の中でも起きるものかどうか、これをどなたかに確認したいと強く思うのです。ご意見をいただけるとありがたいと思います。

 と色々に文章を書いてきましたが、これでやっと23ページまでカバーできたところです。


具体的なスキルのような記述

 本書の特徴は、さまざまな知恵というかスキルというか、それらが羅列されていて、どこを読んでも、そのような記述が見つかるということです。

 ということは、すべてを通して読む必然性はほとんどないことになります。そこで、個人的に拾い上げた、いくつかのポイントを記述してみたいと思います。

二分法はなぜだめか
 それは、基本単位が決まっているという思い込みだから
一般市民を対象にして講演するときの心構えは
 マックス・デルブリュックによれば、
 @聴衆は完全に無知である(専門知識はない)と思え
 A聴衆は高度な知性(優れた理解力)をもつと考えよ
 東大物理学教室の堀田凱樹名誉教授は、
 @聴衆は完全に無知である(専門知識はない)と思え
 A聴衆の知性は千差万別であると思え
 B聴衆がおのおの自身より一段上のレベルまで理解できるようにせよ
「回転が速い人」の頭の中は
 常に「新しい価値を作る」ことを考えている。
「価値を創造するマシン」には、考え方だけでなく、四つの材料が必要
 それは、「人」、「情報」、「物質」、「エネルギー」で、これらが、教育、研究、発明、発見、建設、製造などの過程をへて「価値」生み出す。
企業経営のシナリオを際立たせるのに重要なことは
 @企業理念、A企業文化、B経営理念、C創業者の精神
ムダな知識もためらわずに集める
 ボンヤリした知識でも、第六感で「こうではあるまいか」と感じたとき、そのボンヤリした感覚が、すでにある「自分の知識」と意識下で繋がる


人間側の条件のような記述

 有用な人間になるには、どのような心構えを持たなければならないか、など、人間論に関わるような記述も、かなり含まれていますが、それも体系的に記述されているというよりも、どこかのページを見て何かが見つかるという読み方の方が、効率的な読み方かもしれません。

成功者はだいたい楽観主義的である
 「一つのドアが閉まると、別のドアが開く。しかし、私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので、私たちのために新しいドアがすでに開いていることに気づかない」 グラハム・ベル

先駆者が必ず存在している
 すべての人にとって、「全くのゼロからの出発」しなければならないという状況になることは、絶対にない。
 何か新しいことをやろうとしたら、先人の智がにじみ出た文章、、寸言を引用しよう。使えると思ったら、とりあえず”いただいて”おくこと。
 「自分で名言をはく以外の最善の方法は、引用することである」 R.W.エマーソン
「発見」には二つの型がある
 それは、「警視庁型」と「アマゾン型」。 「犯人が分かっているのだから、それを捕まえればよい」のだと考える警視庁型。
 「犯人がいるかどうかも分からない。人跡未踏の地にチャレンジ」するタイプのアマゾン型。
「勝ち残る人」の共通点
 ミクロな先進性だけでなく、マクロな先進性をもっている。
 サントス・デュモンによる欧州での初飛行は220mで20秒だったが、新聞王のノースクリフ卿は、本当のニュースにすべきこと、それは「もはやイギリスは島ではない。敵が空から降りてくる」と発言した。
マクロな先進性とは、他人より抜きんでようとするだけでなく、相手より「大きな見方」をすること
 そのために、仕事時間の20%は、本来の業務とは別のことを考えること(それを組織として認めること)。


結論

 この本は、むしろ理系の教育、できれば修士以上の教育を受けた人が読めば、多くのヒントを確実に得ることができると思われます。

 もっとも基本となるスタンスが、「小さな世界の専門家」の否定にあるように思えるのです。これは文系に対するというより、むしろ、理系に向けた強烈なメッセージではないかと思います。

 また、小さな世界では確実に通用するレベルに到達した、理系出身の経営者などが読むと、さらなる高みを目指すために、得るものが非常に多いのではないかと判断しました。

 最初に戻れば、本書の題名は、「理系にあって文系にないシンプル思考法」です。特別に文系のために書かれたと読めなくもない題名なので、これを見て、何か新しい能力が簡単に得られ、結果的に良いことがあると思ってこの本を買うと、それは誤りで、実は相当のトレーニングと高度な熟達が必須で、無限に遠い目的地へ行くために、とにかく毎日努力せよ、と言われたと感じてしまうのではないか、と思われます。

 アマゾンに悪いコメントを書いている人々は、残念ながらこのような経験をしてしまった人なのでしょう。即効性の「How To」本を求める人には、全く向かない本で、これまである程度以上の努力を継続してきたけれど、それを活用して、一皮むけた人になりたい、と思っている読者、特に、理系の読者には、多くの新しい勇気を与える本だと思いました。

 とは言え、読み解くには、それなりに、整理をしつつ読むという努力をする必要があるかもしれませんので、お買いになるのなら、そのおつもりで。