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   水の未来ーグローバルリスクと日本   04.02.2016
             沖 大幹先生の水・地球環境論    
               



 沖先生は、東京大学生産技術研究所の若手有力教授。若手とはいっても、50歳は越したはず。元々は土木分野における水が専門なので、治水などが本来の分野であったものと思われるのですが、バーチャルウォーターという概念を日本の環境分野に持ち込んだ研究者として有名になりました。

 一般書としての水に関する著書としては、新潮選書の「水危機 ほんとうの話」があるのですが、今般、「水の未来ーグローバルリスクと日本」という岩波新書を出版されました。早速、ご寄贈いただきましたので、ざっと読みました。

 一言で言えば、今回の著書はかなり高度であり、かつ、岩波新書的な堅さを感じる本ですが、水という問題の地球レベルでの先端的な理解、解析手法、対策・対応、気候変動がどう影響するかを含めた未来、などなどを知るためには、極めて有効だと思いました。しかし、一部の話は初めて読むといったレベルの読者向けではないことは、覚悟してお買いください。しかし、それでは、折角、ご寄贈いただいた意味が薄れますので、以下のような対応をさせていただきました。

 本書を買うことを無条件にお奨めする対象は、どうやら、環境経営の未来像に関心のある層、多分、先進的企業の環境部門の方、それに加えて、LCA的な発想と手法を研究の基盤として持っている、あるいは、今後それを強化しようと考えている研究者と実務者といったところかと思います。特に、ウォーターフットプリントの話が大変参考になるのではないか、と思います。

 この部分は、はじめての読者には難しいように思います。しかし、絶対的に難しいのか、と言われれば、若干の予備知識を得た後であれば、やや高度な本でも興味をもって読めるのでは、と考え、この本を手にするのに必要な予備知識や、こんな背景があるのか、などといった状況を多少ご紹介してみることで、最終的には読んでよかったという感覚をもっていただくことを目的として、色々とA,B,Cが雑談をしてみることにします。



C先生:沖先生は、なかなか元気な研究者であると同時に、個性派でもある。その証明が、「東大教授」という著書があることかもしれない。最近は、IPCCを中心とする国際的な場で活躍する環境研究者の一人となった。

A君:例によって、著書のご紹介から。
水の未来――グローバルリスクと日本 (岩波新書)
新書初版 2016/3/19
沖 大幹 (著)
新書: 240ページ
ISBN-13: 978-4004315971
\780+税

B君:それでは、目次を。
はじめに
第1章 地球の水の何が問題か
第2章 グローバル水リスクに備える
  −−ウォーターフットプリントとは何か
第3章 仮想水貿易から見た食糧安全保障
第4章 気候変動と水
終 章 未来可能性の構築に向けて


A君:まあ、比較的すっきりした目次になっていますね。それでは、第一章から。この章は、「水の何が問題」かということでして、言い換えれば、「水危機がグローバルリスクなのか」という問いに答えることが主題になっています。そこで、まず引用されているのが、ダボス会議すなわち、世界経済フォーラムWEFでのグローバルリスクでして、2015年1月のものが取り上げられています。

B君:たしかに2015年では、水リスク、英語だとWater Crisesが、影響の大きさ(=インパクト)では最高のランクになっている。問題は、この水リスクがどこからどこまでをカバーするか、ということなのだ。

A君:それですが、このWEF報告書での定義は、本書の記述によれば、「人間健康や経済活動への有害な影響をもたらす、水の量的あるいは質的な利用可能性の重大な減少」となっています。そして、例が書かれているのですが、(1)人口増大による水利用量の増大、(2)世界の9人に1人が改善された水道・トイレを利用できていない。この2つは良いのですが、(3)が旱魃、洪水、高潮によって、30万人の人々が亡くなり、50兆円相当の被害が出た、の3つです。

B君:なるほど、(3)については、洪水、高潮という水の多すぎる場合の災害が含まれていて、最初の定義の「水の量的あるいは質的な利用可能性の重大な減少」が拡大解釈されている、ということがA君の言いたいことのようだ。

A君:そうです。渇水が含まれるのは当然なのですが、洪水、高潮が、水の量的あるいは質的利用可能性の重大な減少と言えるか。沖先生の解釈では、「2014年までのWEFのグローバルリスクでは、気候変動自体がグローバルリスクとされていたが、2015年の報告書では、気候変動や異常気象は所与とされ、それがさらに進展した結果、より身近に感じられる深刻なグローバルリスクの象徴として、水危機が注目された」、としています。

B君:2014年版も、リスクのImpactとLikelihoodのプロット(Global Risk Landscape)を見れば、Water Crises(水危機)がかなり上位に描かれている。気候変動の方が、あるいは、異常気象の可能性の評価は大きいのだけれど。

A君:さらに言えば、2016年版のGlobal Risk Landscapeでは、水リスクは、気候変動削減対策と気候変動への適応対策の失敗の中に含まれてしまった。要するに、WEFのリスクは、統一性を欠いている、と思うのです。

B君:WEFのリスクのランキングの作り方だけれど、2016年版の報告書によれば、"the Report is based on the annual Global Risks Perception Survey, completed by almost 750 members of the World Economic Forum’s global multistakeholder community." だから、要するに、「世界の様々なステークホルダーのリスクの認識に基づいて作られている」。

A君:ということで、我々も良く引用はしますが、WEFのリスクは定量的発想には基づいていないで、かなり感覚的だと思うのです。何か、洪水や高潮などがあれば、Water Crisesという言葉を見て、やはり「そうだ、そうだ」という反応をする人々の感覚、しかも、カバーしている将来は、まあ10年程度と言われているので、なんと評価すべきか。

B君:沖先生も、多分、そんな印象をもっているのではと、結論して、次に行こう。”2.「水が足りない」とは”の節から、世界の人々が抱えている水問題とは、具体的には何なのか、の記述を始めている。そして、◆飲料水が足らなくなるのは一番最後、◆水汲み労働による機会損失、◆健康リスク、ときて、◆ミレニアム開発目標、と進行している。

A君:色々と有効な情報が記述されてきて、最後にミレニアム開発目標は余りお馴染みとは言えない項目ですね。MDGsと呼ばれるもので、2000年のミレニアムサミットで決まったものです。先週の記事で取り上げたSDGsは、その後継の枠組み。MDGsでの記述は、「2015年までに、安全な飲料水、及び、改善された衛生施設を継続的に利用できない人々の割合を半減する」だった。

B君:沖先生自身の、「これは不可能」という予想に反して、2010年段階で、目標が達成された。そして、沖先生によれば、中国において水道を利用しやすい都市へと農村から人口が移動したのも、達成の原因として、大きいとのこと。

A君:次に重要な記述として、最低限必要な水は、一人一日あたり2〜3リットル。それに対して、日本では100倍ぐらい使っているとのこと。すなわち、水は文化のバロメータだと述べています。

B君:風呂桶が200リットルとして、それ以上に多いのか。

A君:国交省のページによれば、
http://www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/c_actual/actual03.html
生活用水として、トイレ(約28%)、風呂(約24%)、炊事(約23%)、洗濯(約16%)といった洗浄を目的とするものが大部分、という記述があります。となると、文化のバロメータとしてもっとも近いものが水洗トイレ、次に風呂、そして、洗濯、炊事といった順番でしょうか。


図1 家庭用水の内訳

B君:用途の3番目までが確かに洗浄目的だ。要するに、水の重要な機能が、その洗浄能力にあるという訳だ。それは、水という液体の最大の機能の一つだ。色々なモノを溶かしこむ能力が高い。油類を溶かすことは無いのだけれど、洗浄剤というものによって、油を微細な粒子にして、水と混ざるようにするものが使われている。

A君:洗浄剤ですが、その能力だけが問題にされていました。ところが、そのために、多摩川などが典型例ですが、1970年代までは河川の表面のほとんどに、泡が浮いた状態になりました。



図2 1970年代の多摩川 
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/kankyo/t_gakusyu/gakusyu01-01-03.htm

B君:しかし、現時点だとまあまあ良好な状況になっている。これは、洗剤の分解性が改善されたためだと言える。このような改善によって、沖先生が「はじめに」で書かれている環境至上主義、これは、環境原理主義とも言っても良いのだけれど、これがかなり後退して、より本質的な地球レベルの環境問題の重要性が理解されるようになった。

A君:しかし、水でもそうなのですが、日本企業の取り組みは、やや遅れているのです。

C先生:そろそろ第2章に入ってもよい状況になった。要するに、第1章は、水に関する問題について、知っておくべきことが、コンパクトにまとめられているので、しっかりと読むことが、すべての人に奨められる。

A君:それでは第2章です。グローバル水リスクに備えるという章ですが、この章からやや高度になります。副題が、ウォーターフットプリントとは何か、になっています。

B君:水のフットプリントとは何か。そもそも、フットプリントとは、もともとは「足跡」を意味する言葉だけれど、環境用語としては、足跡を「どのぐらい面積を占拠しているか」という意味に翻訳して、「一人の人間が地球の資源などをどのぐらい専有しているか」、といった意味や指標に使われている。

A君:もともとは「人間一人」が主語だったのですが、それが、「製品一台」になったり、「ある食品1kg」になったりします。

B君:今回のウォーターフットプリントなので、例えば、ある食品1kgを製造し、運搬し、そして、消費し、さらには、廃棄物がでればそれを処理する際に、どのぐらいの水を同時に消費しているか、という意味になる。

A君:これが分かれば、日常的な生活で我々がどのぐらいの水の量を使っているか、を推定する根拠ができることになるので、重要な指標と言えます。

B君:環境の場合には、もともとエコロジカル・フットプリントという使い方がされていて、マティーズ・ワケナゲルが提案したものとされている。世界平均として、一人の人間が使っている地球の資源などを面積に換算して、例えば、世界平均では、一人当たり1.8ha、日本人の生活だと4.3ha/人。世界のすべての人々が日本人と同じ生活をはじめたら、地球が2.4個必要になる、といった表現だった。

A君:ということで、企業としては、この製品はこのぐらいの水を使っています。だから、世界中のすべての人が使っても、水が資源的に不足することはありません、といった主張をすることが求められる、ということが、ウォーター・フットプリントの役割で、このところ、グローバル優良企業と言われる企業経営者達は、積極的にこの指標を取り入れようという態度をとるようになりましたね。

B君:ただ、沖先生の本にあるように、二酸化炭素排出を空気の問題だとしたら、「空気の次は水だ」という態度になることも、あるいは、「空気の次は水なのかよ」という疑問を持つことも、実は極々自然な反応。このような状況の中で、ウォーターフットプリントは、ISO14046として、2014年7月に発行されたのだ。

A君:基本的にはLCA=ライフサイクルアセスメントの考え方に則って作成されたので、我々LCAを知るものにとっては、妥当な規格になっている。例えば、水の場合には、量だけが重要なのでなく、汚れなどによって何に使えるかという用途が変わってくる。これは、例えば、プラスチックのリサイクルを考えるとき、この廃棄物はリサイクルをする価値があるか、ということを考えなければならない。水の場合は、その汚れを除去して、飲用可能な水まで戻せば、元の水になったと判断して良いものと思われる。しかし、プラスチックのリサイクルの場合には、元の原料であるペレットの状態まで戻すのは、実用的なプロセスでは不可能。一旦、気体状態まで変化させてぐらいのことをやらないと。これはなかなか難しい課題。それに比べれば、水は考えやすい対象だとも言えます。

B君:そういう意味では、水のウォーターフットプリントは、他の分野でLCA的な発想をもつべきだと思う人々にとっても、有用な事例になっているものと思われる。

A君:しかし、沖先生の本でも記述されているのですが、LCAの対象項目として極めて普通に使われるCO排出量にしてもエネルギー使用量にしても、これは、世界のどの場所で排出しても使用しても、地球への負荷はほぼ同じだと考えて良いのですが、水は、海の水が対象の場合のみは、どこで使っても同じなのですが、淡水については、場所への依存性が非常に高いので、非常に難しいという状況がありますね。

B君:このあたりの問題意識も、何が正しいかではなくて、何が実用的な指標なのか、ということなので、ある判断の基準が国際的に合意されれば、それはそれで使えると思う。まだまだ検討の余地が残されているのではないか。

C先生:実は、ここまででほぼ一回分の記述すべき量が終わっているのに、p84までしかカバーできていない。まあ、言い訳になるが、これから先の話題、すなわち、仮想水と食糧安全保障の話とか、気候変動の話は、多分、多くの人々にとって、類書も多いので、馴染みやすい。そのため、理解しやすいと思えるのだ。それに対して、ウォーターフットプリントのISO規格の話だが、恐らく、これが新書になったのは初めてなのではないか。ということで、この章が、ある意味で、この本のもっとも売りになるところだと思う。まずは、LCA研究者、関係者にとって、必読。それ以外の読者であれば、ここで若干書いたような予備的知識をもって、チャレンジしていただきたい。この第2章以外は、すべての方にお読みいただけると思う