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 図で見る環境白書2010と2009    06.27.2010
     



 環境白書は、通常6月に国会に提出される。その普及版である「図で見る環境・循環型社会・生物多様性白書(以下、図で見る環境白書)」は、白書の内容を図表を使ってわかりやすく要約した資料で、教育委員会を通じて、全国の中学・高校に1冊程度配布されているという。

 中学・高校の先生が、この「図で見る環境白書」を眺めて、そこから世界の環境の流れを汲みとって貰えれば、こんなに嬉しいことはない。これまで、中学・高校の先生方は、環境問題=猛毒ダイオキシンといった、極端な警鐘だけを伝達する傾向があったように思える。まあ、いわばメディア的な傾向だった。

 環境問題の複雑か包括的な真実の像を伝達することは、やはり限られた授業時間内では無理なのだろう。

 今回、2010年版の「図で見る環境白書」をペラペラとめくってみて、最初に驚いたのは、世界全体の人口の推移の図から始まっていることだった。

 昨年の11月3日に、中東からの研修生に対して、2時間程度の講義をしたことがある。そのとき、パワーポイントの最初のスライドに使ったが、当然、自作の図なのだが、全く同じものだった。

 「図で見る環境白書2010版」は、このところの世界の環境の情勢の変化を、環境問題が中心ではあるが、かなり反映したものにしようとした意欲を感じる。

 まだ、ウェブ上に紹介はされていないようだが、そのうち掲載されるものと思われるので、その際にはダウンロードをしていただきたい。
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu.html
 ちなみに、昨年のバージョンはすでに閲覧可能になっている。



C先生:今回のHPの主たる目的は、「図で見る環境白書」を使って、過去の環境の情勢の変化を追いかけてみることだ。

A君:手元に冊子があるのが、2010版。2009版以前のものは、上記のウェブサイトにHTML版として上がっているので、次々とページを見るというようなことで、対応することになります。もっとも2009年版のみは、PDF版もアップされています。

B君:昭和47年版からアップされている。これは、過去の歴史を振り返るには、この資料は非常に有用なのではないか。

C先生:環境問題では、歴史的な変遷が非常に重要だと思う。昭和47年版からある。

A君:昭和47年というと1972年。環境庁ができたのが1971年7月1日。初代の環境大臣(正式には初代とは呼ばないらしい。なぜならば就任が7月4日)は大石武一氏。

B君:1972年というと、環境問題をめぐる南北対立が始まった会議である国連人間環境会議がストックホルムで行われた年でもある。

A君:先進国は、開発よりも保全を優先すべしと言い、途上国は、貧困などの問題が環境問題を起こすのだから、まずは開発。

B君:人間環境宣言(Declaration of the United Nations Conference on the Human Environment)は26の原則からなる文書。
http://www.unep.org/Documents.Multilingual/Default.asp?DocumentID=97&ArticleID=1503&l=en

C先生:確かに環境に関する南北問題が明確になった会議だと言えるだろう。また、環境問題に関するあらゆる議論がなされたことも事実。しかし、もっとも重要な観点は、やはり、第一原則からでてくる「公害防止」。言葉としては、「生存のための環境の質の維持」。より具体的には、第六原則で表現されている、「有害物質の環境への放出は、環境容量の範囲内でなければならない」ということが最大のポイントだったのではないかと思う。

A君:日本で環境庁ができたのも、余りに激しい公害に対して、対策を行う必要があったからだと考えれば、当然でしょう。

B君:国連の人間環境会議は、ストックホルムで行われ、環境庁長官の大石武一氏が出席しているが、ある意味で、日本が悪い見本として取り上げられたとも言えるのではないか。

C先生:しかし、世界は、1973年の第一次石油ショック(10月6日に勃発した第四次中東戦争が契機)によって、経済的な危機に突入する。

A君:経済的な危機が起きると、実は、経済的な減速が起きて、環境問題が解決を見るという傾向がある。

B君:2008年の日本からの二酸化炭素の排出量がかなり減ったのがその証拠。

C先生:第二次石油ショックが1979年2月に起きる。これが引き金になって、世界的な大不況になる。統計を見ると、日本は、第一次石油ショックの影響は大きいのだが、第二次石油ショックの影響はそれほどでもない。ひとつは、第一次石油ショックによって、石油への依存度を下げる対策に加え省エネが進んだこと。もう一つは、1976年頃にはまだ1ドル=300円だったものが、1979年には、160円台まで下がっていたこと。もっとも、第二次石油ショックで、一時的にではあるが、250円まで戻ってしまうのだが。

A君:これまで議論してきたようなことが、図で見る環境白書にはどのように書かれているか。

B君:2009年版の図でみる環境白書は、リーマンショックの影響を受けている年についての記述がある。このときには、第二次石油ショックのときと違って、円相場は独歩高になった。ウォンやオーストラリアドルが対円レートで40%近く下落した。

C先生:リーマンショック以前から、日本の金利はほぼゼロだった。そのため、「円キャリー取引」と称するもの、すなわち、ゼロ金利に近い円を金利の高い国の通貨に変えて投資して、両者の金利差で儲ける取引が盛んに行われていた。リーマンショックで、資金回収のためにファンドなどが、一斉に円に資金を戻したために起きた。

A君:それでは、大体作業の方向性が決まったと思います。2009年版、2010年版の記述の違いを最後に検討することが今回のHPの最大の目的ですが。。。。。

B君:そのために、過去の歴史を振り返って、図でみる環境白書の記述がどのように変遷してきたかを見る。

A君:まず、もっとも古いところである1972年版(昭和47年版)あたりでは、第一次石油ショック、第二次石油ショックなどをキーワードにして、図で見る環境白書の論点をチェックしてみましょうか。

B君:それから、1992年前後のリオのサミットあたりをチェックすると面白いかもしれない。

A君:1992年のリオのサミットでできた地球環境問題重視の流れが、1997年の京都議定書として結実し、その後、2000年のニューヨークでのミレニアムサミットで一時期止まる。このあたりも、ひとつのエポック。

B君:その後は、京都議定書の発効だろうか。

C先生:まあ、どこまで追うことができるか分からないが、何冊もの白書をそもそもどうやって検討をする気だ。

A君:ざっと見てみると、環境白書では、どうも、最初の章にそのときのもっともインパクトのあるトピックスを持ってくるという伝統があるようなのです。

B君:どんな項目が、どんな順番で取り上げられているか、これを指標とする。

A君:それでやってみます。

1972年(昭和47年版)
 最初のトピックス=爆発する環境問題
 その後の記述も、ほぼ公害関係ばかり

1973年(昭和48年版)
 最初のトピックス=最近の環境の状況
 根深い環境汚染などという言葉も見えます。新幹線の騒音も問題になっている。

1974年(昭和49年版)
 最初のトピックス=環境汚染
 加えて、石油の利用、省エネルギーという言葉が出てくる。

1979年(昭和54年版)
 過去4年間、白書が中断しています。
 最初のトピックス=環境問題とは何か。
 なんとなく、公害問題が一息ついたという感じのタイトルになっています。しかし、本来であれば、アスベストの記述があるべきように思える。

1980年(昭和55年版)
 前の年とあまり変わらない。第二次石油ショックの記述が無い。

1981年(昭和56年版)
 やはり公害史を繰り返している。省資源やゴミという言葉が散見される。

1982年(昭和57年版)
 公害に加えて、自然環境と保全の記述が増える。また、経済社会活動と環境問題といった記述もでてくる。さらに、地球規模の環境問題の記述も始まる。

 これで約10年ですね。

B君:80年代になると、なんとなく公害だけではない、という記述が見え始める。環境問題の広がりにやっと対処できるようになったと言えるのではないか。

A君:続けます。
 その後あまり記述が変わらないですが。

1985年(昭和61年版)
 高度技術社会、あるいは、科学技術の進歩という言葉が見える。
 日本絶好調という時期だからでしょうか。

1988年(昭和63年版)
 地球環境の保全に向けての我が国の貢献、という事項が、最初のトピックスになる。そろそろ92年のリオに準備段階に入った。

1989年(平成元年版)
 都市というキーワードが最初のトピックスになっている。

1990年(平成2年版)
 地球環境問題、エネルギーと環境、森林資源という順番になっている。

1991年(平成3年版)
 地球とともに生きる人類社会、とやはりリオのサミット向け

1992年(平成4年版)
 ところが、この年には、「長持ち」という言葉で、ゴミ問題。「増えるゴミと進まないリサイクル」。

1993年(平成5年版)
 どうも消費とか社会とゴミの問題が意識されていた。

1994年(平成6年版)
 人口・経済社会活動の趨勢を物質・エネルギー循環などの見地から見ると同時に、ライフサイクルの問題が指摘されている。

1995年(平成7年版)
 文明の発展と地球環境問題、アジア・太平洋地域の持続可能な発展、といった言葉がトピックス。

1996年(平成8年版)
 環境の恵みを受けて成り立つ豊かな人間生活が最初のトピックス。

1997年(平成9年版)
 地球温暖化問題にどう取り組むかが最初。これは、京都でCOP3が開催されることが動機でしょう。加えて、モノと環境。やはりゴミ問題。これは、この年から容器包装リサイクル法が施行されたので。

1998年(平成10年版)
 京都会議から見据えた21世紀、ということで、京都議定書が大きな話題

1999年(平成11年版)
 20世紀の環境問題から得た教訓は何か、といった長期的な見方

2000年(平成12年版)
 地球環境にとって2000年の意味。まあ、新しい世紀を迎えるにあたって、当然の考え方。

2001年(平成13年版)
 地球と共生する環の国日本。21世紀環境政策全体を議論。

2002年(平成14年版)
 動き始めた持続可能な社会づくり総説。社会経済システムに問題意識。

2003年(平成15年版)
 地域社会から始まる持続可能な社会への変革。このころから、地域の重要性が叫ばれるようになった。それは、少子高齢化の認識と同期している。

2004年(平成16年版)
 環境革命の時代へ。国会での京都議定書の批准承認が2002年5月31日。昨年の白書では、地域の重要性が主張されている。それは、ロシアが受け入れの判断を見送っていたため。2004年に、ロシアが態度を明らかにしたことが効いているのか。

2005年(平成17年版)
 脱温暖化。京都議定書の発効を全面的に説明している。京都議定書の発効日は、2005年2月16日。

2006年(平成18年版)
 人口減少と環境がトピックス。人口減少と持続可能な社会が主要な検討課題。

2007年(平成19年版)
 進行する地球温暖化と対策技術。このころは、確かに、そのような報告が主流だった。それが、IPCCの第四次報告書まで続く。

2008年(平成20年版)
 低炭素社会の構築に向けた転換期を迎えた世界と我が国の取り組み。かなり具体的な記述になっている。例えば、バリ行動計画の意義など。明らかに、流れとして、低炭素社会が、環境問題の基調になっていた。

A君:ということで、

2009年(平成21年版)になる。
 そのトピックスとしては、地球温暖化に加えて、生物多様性が取り上げられている。理由は、おそらく簡単で、平成21年版から、正式名称が、「図で見る環境・循環型社会・生物多様性白書」に変わったから。

B君:100年先を見据える国際交渉と日本の役割といった、高い視野からの記述が行われている。それも、G8サミットが洞爺湖で行われ、その成果を発信したかった。

A君:加えて、日本の環境対策が、世界経済をリードできるのではないか、と考えるようになった。

2010年(平成22年版)
 「地球の行方」が最初のトピックスで、その後、チャレンジ25を中心とする温暖化対策。これも、鳩山内閣ができたことによる影響が非常に大きい。

B君:過去の白書の歴史を検討してみると、首相の個人的な影響が強いという要素はほとんどみえてこなかった。強いて言えば、洞爺湖サミットでの福田首相の話が出てくるぐらいなもの。

A君:それは、平成22年度版では、明らかに、鳩山首相の25%削減が中心的な課題になっている。

B君:鳩山首相が菅首相に変わったことによって、民主党のマニュフェストから25%の文字が消えてしまった。
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2010/index.html

A君:一方、自民党のマニュフェストには、
http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/22_sensan/pdf/j_file2010.pdf
中期目標として、05年基準で15%削減(国内)が残っている。これは麻生政権のときの委員会での結論です。

C先生:それで2010年版の白書は、世界人口の推移を最初のトピックスとしている。これはなぜか。なんとなく謎が解けるような気がする。

A君:この白書の原稿は、恐らく3ヶ月前ぐらいには書いているのでしょうか。

C先生:環境基本法というものが1992年に制定されているが、その12条によって、「第十二条  政府は、毎年、国会に、環境の状況及び政府が環境の保全に関して講じた施策に関する報告を提出しなければならない」、となっているので、これを白書として報告義務がある。

B君:本物の白書は、見れば分かるように、これだけ大量の文書だから、そう簡単にはできない。恐らく、通年で作業しているのではないか。

A君:いずれにしても、鳩山政権のチャレンジ25が強力に推し進められるような状況であれば、これが白書の最初のトピックスになったはず。

B君:どこかの段階、例えば、COP15でコペンハーゲン合意以外の成果が出なかった段階。あるいは、普天間が最大の政治課題になったときなどに、この白書の序章、すなわち、かなり長期的な推移の記述がトップに入ることが決定されたのではないだろうか。

A君:一方で、温暖化防止基本法が衆議院の委員会で強行採決され、その後本会議で可決されてはいたのですが、結局、参議院で審議もされずに廃案になった。

B君:こんな流れを読む中で、2010年の図で見る環境白書の構成が決まった可能性は高い。

C先生:現在、カナダでG8が行われているが、ハイリゲンダム、洞爺湖、ラクイラでは、温暖化防止の議論がなされた。今回、どのようなことになるかまだ分からないが、このままだと、経済対策、成長戦略だけが課題として議論される可能性もある。

A君:やはり世界は変わった。2008年のリーマンショックは、実際には、100年に1度というほどのものではなかったと言うべきだと思うのですが、世界の流れを一時的にではあれ、堰き止めたことは事実。

B君:こうなると、グリーンイノベーションも、一旦落ち着いて議論をしなおすことが重要ではないか。

A君:25%削減も国内真水ではないことがほぼ確定したので、そうなると、国外で具体的に何をやって減らすのか。その作戦を根本から練り直さないと。

C先生:経済の減速で、温室効果ガスの排出も、多少減速した。中国などからは減速していないが、削減義務を背負っている先進国からの排出量は、一旦、減速。考えようによっては、多少、腰を落ち着けて、作戦を練り直す時間的余裕ができたとも言える。といっても、1年ぐらいなものだろうが。この1年をどのように使うのか、その検討が非常に重要なのではないだろうか。