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    日本から消えた「安心」について  01.19.2020
       山岸俊男教授の著書の紹介

               



 色々な意味で、日本という国において文化的な劣化が進行しているような気がしてなりません。その劣化を説明しようとすれば、色々な表現が有り得るのですが、個人的には、「常に自分の周辺だけを見ていて、その狭い範囲だけを考えている人が増えた」から、だと思っています。「自分のなりを見て正す」ことは、一つの重要な日本的規範ではありますが、現時点のように、気候変動の危機が明白である時期には、「その国だけでなく、長期間に渡る地球全体をみて、何をすべきかを考える」こと、すなわちGlobal思考が重要であり、それを追い詰めれば、結果的に、個人的な考え方と世界の考え方との協調性を増すことで、これができるようになれば、個人的な、あるいは、その国の経済的発展というメリットも享受できるかもしれない、と思うのです。
 こんな感覚を持っているものの、この感覚を超して理論に昇華させることができません。このような心のメカニズムを解析する社会心理学なる学問もあるのですが、実のところ、その学問が一体何を主張しているのか、全く知らないという状況です。ということで、「社会心理学なるものは何か」を探るための読書をやってみることにします。
 前回の本サイトにおける記事は、「エネルギー戦略が混乱している日本」でした、そこで、「未来について正しい判断ができる」、「日本という国と時代の流れを客観的・批判的に見ることができる」という能力を持つことが、今後の個人としての責任であり、同時に有利なポジションを獲得できるのではないか、と思って書きました。
 要するに、かなり大げさな話をしてしまったのですが、上の思いが本当に正しいのでしょうか。何か裏付けが欲しくなって、いくつかの書籍を読むことにしました。というのが実態です。
 まず、最初に選択した本がこれです。必読書とも言える優れた著書だと思いますが、残念なことに、山岸教授は、2018年5月に逝去されました。
 ”日本の「安心」はなぜ消えたのか”、山岸俊男著、集英社インターナショナル。2008年2月29日初版。多少古い本ではあります。



C先生:著者の思いのすべては「まえがき」にある。どんな本でも、これは真実だ。
 本書を読み始めれば分かるように、単なる一冊の単行本なのに、中身が極めて多様な記述の集合体になっている感じの本だ。本文を読んでいる過程で、何がもっとも本質的な記述なのか、それを見つけるのは結構大変だという感触を持った。
 という訳で、まずは、5ページある「まえがき」をできるだけ単純化しつつ、解釈することから始めよう。ポイントを上げてくれ。

A君:「利他的」に行動すると、回り回って自分に利益が戻るしくみが人間社会には組み込まれている

B君:「情けは人のためならず」

C先生:もっと短くすれば、「商人道」。これが重要。

A君:最短3文字か。次に、日本社会がなぜダメなのか、を表現することにします。
 「日本社会では、武士道の価値をいまだに強調する人が多いが、武士道は人間性に基づかない理性による倫理行動を追求する体系であり、これに基づくモラルを強制する社会を維持するには、心理的・経済的なコストがかかる」。

B君:「自己犠牲の心を称揚する倫理観」だから。

C先生:「過度な倫理行動」、あるいは、「規範」とも言える。

A君:とうとう二文字か。実際、日本社会の問題点となると、「実質的な評価ではなく、規範的な評価が優先される」とは言えますね。

B君:その割には、国会議員が規範的でない行動をよくするね。この本は、「各人がもっと利他的に行動するような社会を目指さないと、日本経済の戦闘力も失われるし、そもそも、日本だけが、閉鎖空間になってしまう」、という主張をしていると思うね。

A君:敢えて表現すれば、やはり、欧米社会に組み込まれている仕組みの方が、幸福度が高くなる可能性が高い。これは、以前(09.22.2019)の記事で国連の幸福度の話をしましたけれど、その結論は、「日本人はこの国に対して幸福感を感じていない。いや、感じようとしない」。その理由としては、妙に抑圧的な社会規範があるからかもしれない。

B君:しばしば日本社会と西欧社会とを比較するとき、農村社会=日本=安心社会と狩猟社会=海外=個人社会の違いという説明になるのが普通。その先の説明は?

A君:日本社会では、協力的な態度を取ったからといって、必ずしも常に感謝される訳ではない。それが社会ノルマだったからやったという理解がされるに過ぎない。言い換えれば、単に、集団主義社会だから。この枠組みで到達する社会の実態は、相手を信頼している訳ではない社会。この社会では、個人的な特性として「正直者である」、「約束を守る」は要求は弱かった。それらは、社会全体から強制されるものだったからだ。

B君:西遊記の悟空には、頭に頭の輪は『緊箍児(きんこじ)』がはめられていて、お釈迦様からの罰を受けると、この頭の輪が小さくなる。すると、相当に痛いらしい。このような罰を食らうのがいやから従順になるのが日本人だけれど、安心社会を離れて、釈迦様が居なくなると、あるいは、知人の視線が無くなると、「旅の恥は掻き捨て」行動を取る人も多くなるのも日本の特徴

A君:一方、海外の場合であれば、協力的な態度を取ることは、必ずしもノルマという訳ではないので、本気で感謝される。

B君:別の事例だけれど、日本では、命の危険性がほぼゼロような食品事故が起きたとしても、その企業が徹底的にたたかれるは、それはなぜなのか。

A君:それは、日本の基本思想が、元々「七転び八起き」ではなく「日本流一転びアウト」だからでしょう。些細な事故を起こすと、そんな企業だから、次回はもっと重大な事故を起こすに決まっていると考えるのが日本人。すなわち、相手を基本的に信頼していない人が多いからでしょう。小さなミスをする人は、必ず大きなミスをすると判断される。

C先生:何をやるとき、決してドジはしないぞ、という覚悟で行動しても、なんらかのドジが出るのが普通。むしろ、色々とやってみて、どのようなドジが起きるのかを解明して、そのドジがどのような場合に起きたかを解析するといった方法論を取ることによって、進化が速い企業になると思う。要するに、ミスをしたことの無い人、あるいは、失敗をしたことの無い会社の方が、実は、進化のチャンスが少ないので、次が危ないのでは。

A君:まあ、そのような発想が無いのが日本人の特徴。このところ、様々な事件が起きているので、日本企業もかなり危ないと思った方が良いのかもしれないですが。

B君:まあ、日本人は潔癖症なのだと考えることが、対応としては良いのかもしれない。しかし、もっと大らかな社会を作った方が、様々な意味で、皆がハッピーになるのが事実ではあるけれど。

A君:まあそうなんですが、「穢れ」という概念が染みついているのが、この日本国の特徴だとして、そのまま飲み込むのが普通の日本人

B君:かなり多くの事象を「穢れ(けがれ)」で説明できる国は、日本以外にあるのだろうか。何か、無さそうな気がする。いずれにしても、一度何かをしでかすと、そこから名誉回復をするのがなかなか大変な国だ。

C先生:山岸先生が指摘している言葉をそのまま紹介してほしい。

A君:了解。「なぜメーカーや国が情報隠しをするのか。その大きな理由の一つはおそらく、正直に情報公開したとしても、世間から『正直な組織だ』という積極的な評価をしてもらえるとは期待できないから」。

B君:要するに、なにか失敗すると、その組織は穢れてしまう。あれ、元に戻ってしまった。我々にも、穢れという概念が染みついている。

C先生:それなら「どうしたら信じられるようになるのか」これが次の課題。実際、米国のように、最初からある程度の「信頼社会」が成立しているように見えるのはなぜだろう、という「秘密」に迫るのが、次の章からということになる。

A君:その第6章が、「信じる者はトクをする?」というタイトルです。

B君:しかし、本当に、米国の方が他人を信じる社会なのだろうか。

A君:山岸先生は、どうもそう考えているようですよ。

B君:こんな文章から始まる。『私たちは一般的に他者を容易に信じる人のことを「お人好し」と考えがち。確かに、「簡単に人を信じるよりは、まずは疑ってかかる方が賢明である」のは理にかなっているかもしれない。

A君:しかし、日本人とアメリカ人を比較すると、日本人は「人を見たら泥棒と思え」なにに対して、アメリカ人は「渡る世間に鬼はなし」であることは、どうしても事実であると山岸先生は言う。

C先生:そこが不思議なところではある。信頼社会とは、「自分自身で誰かを信頼し、誰と協力行動をするかを決めなければならない社会」だと定義している。これは、自分自身が責任をもって判断をしなければならない。すなわち、「自己責任」の社会だ。ここからが山岸流で、「きっとアメリカでは他人を信頼する方が得をするのではないか」、という仮説を立てている。

A君:アメリカの信頼社会の成り立ちが、相互信頼から成り立っている。トランプ大統領の時代になってから、なんとなく怪しいという感触もありますね。

B君:実は、この本が出版されたのは、最初に紹介したように2008年2月末なのだ。当時の大統領は、共和党のジョージ・ブッシュ氏(子ブッシュ)。2008年の11月の大統領選で、オバマ大統領が当選するが、その半年以上前。

A君:なるほど。今、山岸先生が生存して居られたら、今のトランプ・アメリカをどのように評価するか、大変に興味がありますね。

B君:現時点のアメリカは、やはり変だ。それも、トランプ大統領が変なだけでなく、支持者も変だからと思う。支持者の教養が不足しているというと怒られそうだけど、それが事実。

C先生:話を戻すが、アメリカが本当に信頼社会だとすれば、それをどのように説明するか。

A君:山岸先生流の考え方だと、「信用してもいい相手を見分ける能力がある」。そこで、しばしば出てくるのが心理学実験で有名な「囚人のジレンマ」の話になります。

B君:その結果として、結論に近いことが示される。「他人を高く信頼していると思われる高信頼者の方が、他人の行動を正確に予測できる能力を持っている。すなわち、高信頼者の方が実は、相手が本当に信頼できるかどうかに対してよりセンシティブで、その人に何か問題がありそうだと思うと、すぐに評価を変える柔軟性を持っている。すなわち、高信頼者は単なる『お人好し』ではなく、シビアな観察者である」。

A君:高信頼者といっても、すぐに信頼してしまう人ではなくて、「人間にはいい人もあれば、悪い人もいる」と考えるリアリスト。そして、高い感性で、それを見分けようとする。

B君:しかも、高信頼者であるから、多くの場合、他人との協力を選択する。その理由は、他人と協力しあうことで得られる成果は、裏切られる悔しさよりもずっと大きいことを知っている。

A君:さらに言えば、「人生、ギブアンドテイク」であると考えている人が高信頼者であって、協力行動を取らない限り、何事も始まらないと考えている。

B君:それに対して、他人の行動がうまく予測できなかった人達の心理的特性は、彼らは生きていく上で、他人と協力することはそれほど重要なことではないと考えていることも分かった。

A君:そして、最終的な結論は、こんなことになっています。実は、次の第7章の冒頭の部分が、その結論が書かれています。
 「社会自体が安心を保障してくれる『安心社会』(例えば、昔の日本の農村のような人の出入りが限定された社会)であれば、そもそも安心を保証してくれる社会なので、相手が信頼できるかどうかといった『査定』は不必要」

B君:要するに、ある種の閉鎖社会だから、高信頼者の持つ信頼性の検知能力は、無用の長物。この能力が役に立つのは、誰が信頼できるかが保証されていない流動的な世界だけ。

C先生:そろそろ終わりにしても良いのだけれど、次の第7章が「なぜ若者たちは空気をよむか」という内容なので、これを取り上げない訳にはいかないかな。短く行こう。

A君:了解。自分が所属している社会に、できるだけ波風を起こさないように、と考えて、常に他人の顔色を窺っている人を山岸先生は、「社会的びくびく人間」と呼んでいるらしいけど、最近、しばしば話題になる「空気を読む若者」の行動パターンは、「社会的びくびく人間」そのものだ、としている。

B君:それはそうだ。もはや、日本は「安心社会」には戻れない。これから先は、「信頼社会」に転換していく以外の方法はない。これが山岸先生の基本的な理解。なぜならば、「安心社会」は、以前の日本の農村に代表される集団主義社会で、村長なるボスがその集団を支配する社会。そこでは、関係性を敏感に感知することができる人間は、社会そのものを不安定化してしまう可能性が高く、むしろ生存が難しかった。

C先生:そろそろ、まとめにするか。山岸先生は、「社会的知性」の重要性を述べておられるのだが、勿論、人間の知性は一種類といった単純なものではない。生きていく上で、様々な問題を解決するために、それに対応した知性、あるいは知能を作り出す必要がある。しかし、最近の心理学では、「一般知能説」なる単一の知能で説明が可能という主張は、消えつつある。そもそも、人間の知性は一種類だけではなく、いくつかの質の異なる知性によって構成されているという考え方が優勢なのだそうだ。具体的にどのような知性があるのか、と言えば、ホワード・ガードナーという学者によれば、脳神経に関する知見や進化に関する知見を総合すると、人間は七つの独立した知能を持っているとのこと。
 その七つの知能とは、言語的知能、論理/数学的知能、音楽的知能、空間的知能、身体運動的知能、そして、自分の心を理解する能力として自省的知能、他人の心を理解する能力としての対人的知能
 勿論、これで決定という訳ではなくて、学者によっては、知能は100種類あるという人もいるらしい。
 そして、このあたりで終わりにしたいけれど、リーダ・コスミデスという進化心理学者とジョントゥービーという進化人類学者は、人間の心も特定の用途のために開発された「心のツール」(スイス・アーミーナイフ同様に、特定された用途のためにそれぞれツールがある)の集合体だとしているとのこと。
 山岸先生は、さらにこの考え方を発展させて、「心の道具箱」という仮説を出している。しょっちゅう使われる道具は道具箱の上部に来る、めったに使わなければ、底にある。このモデルの方がアーミーナイフより実態に近い。
 そして、最近の若者がなぜ「空気を読む」ようになったのか、と言えば、「心の道具箱」の中での道具の再配置が適切に行われていないからだ。昔の閉鎖的な農村社会と違って開放的になった社会で活躍するには、相手の信頼性を検知する能力が最重要。しかし、多くの日本人は、道具箱のもっとも取り出しやすいところに関係性検知という道具が入っているので、ついついそれを使って問題を解決しようとしている。いや、別の解釈も可能で、「関係性検知」以外のツールを持っていないため、世の中に逆行してでも、以前と同じ安心社会的な行動パターンを維持しようとしているのかもしれない。