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    今更「日本人とユダヤ人」を読む   02.23.2019
       この本はたしかに面白い

               



 このところ、「日本を変える」ことの必要性を深刻に感じているが、それは、色々なところで社会的劣化が明確に見えるからである。最大の問題は、毎回主張しているように、「政治家の劣化」である。どう表現すべきなのか、いささか迷うが、今回は、「ポピュリストだけになった」という表現にしておきたい。日本社会のあるべき姿をあらゆる観点から議論して、ある合意できる解を探し出し、それを実現するのが、本来の政治家の役割である。ところが、小選挙区制以来、選挙民の人気取りだけが上手な候補者だけが国会議員になる。「国民の幸福を第一に考えた政治」をするという意識を持っているように思えない。目立つ行動をして、次回の当選だけを考えている。それが典型的に表れたのが、どこかの国から賄賂を受け取った国会議員だろう。しかし、日本をどのように変えるべきなのか、といった最も根本的な問題の議論を真正面からできる国会議員は居るのだろうか。諸外国では、基本的な原理原則としての「平等」といったコンセプトが国の政策を決める根幹を形成していると思うのだけれど、日本は、現世利益だけで政策が決まっているように思えてくる。それも、議員個人やある団体の現世利益だけを考えているのだろう。
 やっと本題。このところ、ちょっと古典的な書籍に戻って、書かれた当時には読まなかった山本七平氏などの本を集中的に読んで見たが、余り面白くない。小松真一氏著の「虜人日記」は、鋭い指摘をしていて、なかなかなものであったが、その後、山本七平氏の「日本はなぜ敗れるのか」を買い込んだが、ちょっと読んで見たら、小松真一氏の著書の丸写しのような記述ばかりだった。
 同時に数冊買い込んだ山本氏の著書では、「空気の研究」は、題名は魅力的であったが、余り本質を突いていない感触であった。しかし、「日本人とユダヤ人」は、なんと300万部売れたということなのだが、買った多くの人々がどのような感想を持ったかはさだかでないものの、何かと面白い記述が多いので、一読の価値はある文庫本であった。
 ユダヤ人と日本人を比較することの妥当性が先験的にあるとも思えないが、山本氏はかなり真摯なクリスチャンであるらしく、その意味でも、キリストの生まれたユダヤに対する造詣は深いようであり、結果的には、日本人の特異性に関する考察には深みがあると思えた。
 勿論、この本の記述に対して多数の批判がある。「にせユダヤ人と日本人」なる本も1986年に出版されている。著者は浅見定雄氏である。
 さらに、現時点、web中公新書なるサイトが存在しているが、http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/cat-2/ 
その第3回、第4回、第5回は、『「作者不明」の顛末@AB』であり、そこで、山本七平氏がなぜイザヤ・ベンダサンという名前でこの本を書いたのか、に関する議論がなされている。実は、著者が山本氏であったことは、かなり前に完全に明らかになっている。
 そんなことはどうでもよくて、この本は、異なる価値観をもった二つの民族に関する事実だけを書いたというよりも、「日本人とユダヤ人」の基本的なマインドの違い『山本七平氏が面白く書いて見せた』というところに価値があり、ユダヤ人が本当にそうであるかどうか、といった細かいことを実証するよりも、この本の記述によって、「日本人の特性を、恐らく対照的な性格を持つと思われるユダヤ人との対比をすることで明らかにした」ことに価値があると思えばそれで充分なのだと思う。初版が出たのが、1971年であるが、依然として読む価値のある内容を含む本であることも、まあ事実であって、それなりに貴重な書籍と表現する以外になさそうである。やはり、その国のカルチャーというものは、特に、島国である日本についてそう言えるかもしれないが、そう簡単に変わるようなものではないようだ。


C先生:確かに、面白い記述が多いのだけれど、意図的に下品な表現をして、注意を引き続けるという思惑が過度に出てくると、その部分はスキップしたくなる、というのが、正直な読書感として最初に出てくるものだった。推測にすぎないが、そのような表現によって、「お高くとまった著者が書いた本ではない」、ということを示すことによって、読者層を広げたかったという意図からこんな記述法を採用したのだろう、というのが個人的推測だが。

A君:そうかもしれません。しかし、1971年という時代が、そうさせていた可能性は無いですか。

C先生:そう言われても、1971年のイメージが全く沸かない。したがって、何のデータもなく、それに答えるのは難しい。何が起きた年か、それを提示して欲しい。

A君:了解です。
 1月:ダボス会議の第1回目が開催、三島由紀夫氏の本葬。ザ・タイガース解散コンサート
 2月:アポロ14号が月面着陸。成田空港、第一次代執行。
 3月:地下鉄千代田線の大手町−霞ヶ関が開通。多摩ニュータウンの入居開始。
 4月:特になし
 5月:大鵬が引退。
 6月:沖縄返還協定の調印式。
 7月:江夏豊投手、オールスターにて9連続三振。
 8月:円変動相場制移行。
 9月:カップヌードル新発売。
 10月:NHK総合テレビ全放送カラー化。
 11月:日活ロマンポルノ第1作公開。
 12月:大映が倒産。

B君:音楽ヒットチャートの1位が、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)

A君:新旧が大幅に交代した時期という感じですかね。

B君:という感じはするね。

C先生:日本の経済成長も一段落して、日本の都合だけでは何もできない時代になった。特に、円変動相場制への移行によって、1ドル=360円時代が終わって、いきなり1ドル=300円ぐらいになった。その後も、ドル安の傾向が継続した。しかし、米国の労働者が日本車をハンマーでたたき壊して、穴に放り込むといったことが起きたり、バブル景気になるのは、1980年代半ばからだが。

A君:ということは、この「日本人ユダヤ人」が書かれたのは、日本経済の急成長が始まった時代ということで良いでしょうね。

C先生:そんな年が1971年か。GDPを調べてみると、1971年と1972年は、なんと8%ぐらいの経済成長をしている。振り返れば、私が結婚したのが1972年だ。まだ大学院生だった。なんとなく、国としての活力はあった時代だな。

B君:まあ、日本人が自信を付け始めた時代かも。そこに、日本人の特異性ユダヤ人との比較において記述する本を書けば、まあ、売れることがほぼ確実かもしれない。別に「日本人とユダヤ人」ではなくて、「日本人とアメリカ人」でも「日本人とドイツ人」でもよかったのかもしれない。もっとも、アメリカ人が一つの文化でまとまっていることは無いので、実際には無理だけれど。

A君:まとめてみれば、経済的な成長によって、かなりの自信を付けてきて、世界に目を向け始めた日本人が多くなったときに書かれた本。そして、日本人の特性を分析すると、ユダヤ人とは相当に違う。しかし、実を言えば、比較対象はユダヤ人である必要は無かったのでは。なぜなら、日本人は、やはり変わった人種だから。

B君:ユダヤ人が選択された理由は、著者の知識によるものと思うけれど、確かに、ドイツ人でもイギリス人でも良かったのだろう。しかし、実は、そのような本が別にすでにあった可能性が高い。しかし、比較対象が巨大国であったり、伝統国であれば、それは、国のレベルの差だよ、と言われてしまうが、ユダヤ人という小国の国民との比較になると、日本人としてどのように反応したらよいか分からない。すなわち、実に、上手な題材を選択したのが山本七平氏だった。

A君:確かに、そう言えそうですね。だから、実は、日本人はこういう特徴があるということだけを言えればよくて、ユダヤ人に関する記述の厳密性は、二の次でもよかったのかもしれない。

B君:この本の内容を真正面から批判した学者がいたのも事実だけれど、実は、山本氏個人としては、そんなことはどうでも良くて、単に、日本人の特性を記述する前段階の比較対象として、ユダヤ人を使ったのに過ぎなかったのだと思う。

C先生:分かった。そんな見方で、解析をしよう。そんな目的だと、日本人の特性を山本七平氏がどう記述しているか、だけを拾えばよいことになるね。

A君:了解。日本人の特性に関する記述だけを拾います。まずは、日本人にとって「安全はタダ」。ユダヤ人は「安全に投資する」

B君:これは、今でもそれに近い状況だ。

A君:それなら次に行きます。日本人は常に自由であった

B君:隠れキリシタンなどは不自由だったような気はする。

A君:それは、本書にも書かれています。しかし、生命の安全を求めて海外に出て行った日本人キリシタンが何人いるでしょうか。そして、その一つの表現が、「安全と水は無料で手に入る国日本」。

B君:すごい言葉を見つけた。「日本民族は、何の苦労もなく育ってきた秀才のおぼっちゃん」である。

A君:これに対して、多くの日本人が反論するかもしれないですが、山本氏は一刀両断して、「おぼっちゃんほど、自分も人並みに苦労はしたと言いたがる」という言葉を用意しています。さすがです。

B君:「地震・雷・火事・おやじ」は実に興味深い言葉だとしているね。なぜ、戦争は入らないのか、なぜ、伝染病の記述は無いのか、ジェノサイドも、差別も、迫害も含まれていないのはなぜ??

A君:伝染病ですか。現時点の日本を見ていると、コロナウィルス肺炎はちょっと大変。しかし、それほどの伝染力があるウィルスとも思えないですね。やはり、海に囲まれた鎖国状態が簡単にできる国は、海外からの影響という面で明らかに違う。もっとも、ダイヤモンドプリンセス号の乗客・船員の総人数の多さには、対処のしようがなかった感じですね。

B君:すごい記述を見つけた。フランスのことだが、百年戦争のとき、戦火とペストでフランスの人口は半分になった死体とペスト感染者を生きたまま城壁外に運び出した。そのため、狼が大繁殖して、パリは狼の群れに囲まれ、全員が餓死しそうな状況になった。

A君:振り返って日本について、考えてみよう。京都なる都市に城郭は有ったのか???ということですね。

B君:大体、田舎の家に戸の鍵があったのかということもある。

A君:その次が水の話。イスラエルを含めて、多くの都市で水の供給を守ることは、城壁を作るぐらい大変な作業であった。さらに、ペストの流行を防ぐために、下水道も必須であった。

B君:確かに、ヨーロッパ各地には、水道橋がある。しかし、日本では多くの河川水が元々利用可能で、しかも、急流を下ってくるので、自然と曝気されている。

A君:ただ地震はすごく大変。台風も大変だったし、今後の気候変動で、台風は「非常に大変」になることは確実。

B君:面白いのは、この国ではオヤジが、災害並みに取り扱われている。地震・雷・火事・オヤジ。日本のオヤジの操縦術の神髄は、他の災害同様、「オヤジの不機嫌も一過性だと思うべし」、だった。

A君:水を含めて、安全な国であることは事実。特に、東海道五十三次ですが、あの時代でも、女一人の旅が可能だったとのこと。これは初めて知りました。

B君:ということあって、日本以外の国では、保険というものを常に考えるのが普通だった。ユダヤ人がダイヤの指輪を付けるのは、暴漢に襲われたときに、それを外して投げ捨てる。その混乱に乗じて逃げる。

A君:C先生がブラジルに行ったときには、常に、胸ポケットに$20札を用意していて、いざとなったら、それを放り投げて逃げるということでしたね。

C先生:でも、今、考えれば、お札だと投げても遠くまで飛ばない。だから、ダイアの指輪の方が確実に優れている

B君:要するに、日本では「安全は無料」。山本氏は、こんなことを言いたかった。

A君:しかし、逆に、日本人はときに何かをキッカケに「自殺あるいはそれ相当の行為」をしてしまうとの指摘です。それが太平洋戦争末期の「一億玉砕」につながった。

B君:まあ「民族心中」か。これは、ユダヤ人にはない発想らしい。議論をすることによって、日本にあったような『思いつめ集団』を排除することが、ユダヤ民族の持続につながっている。

C先生:これで第1章がやっと終わりか。第15章まであるけど、どうしよう。エイとばかりスピードアップで行こう。全部をカバーすることは、絶対無理なので、行けるところまで行こう。

A君:了解。第2章です。「お米が羊・神が四つ足」。遊牧民の食料である羊に対する態度と日本人の米に対する態度は同じだ、という意味。

B君:この章での最大の問題記述は、アウシュヴィッツのこと。「当時のドイツ人は、家畜に触れても何も思わなかった。しかし、ユダヤ人に触れただけで、全身を洗った」。これは知らなかった。どういう神経をしていたのやら。

C先生:アウシュヴィッツとその近くにあるさらに規模の大きなビルケナウは、「一度は行くのが人間としての義務かもしれない」と思って行ったけれど、特にビルケナウは、背中が寒くなって長く居られなかった。どうしても、ドイツ人がなぜこんなことをしたのか、全く理解できなかった。いまだに、死者の総数が分からないとのことだった。本書では、それは、農耕民族と狩猟民族・放牧民族の違いであるとしているが、確かに、我々農耕民族として、どうしても納得できない差だ。そろそろ次に行こう。また、背中が寒くなってきた。

A君:第3章です。「クローノスの牙と首−天の時・知ノリ・人の和」。イスラエルの気候の多様さから始まります。熱帯ジャングルと氷雨が共存している。いわば、全地球のミニバージョン。日本を考えると、実は、こちらも地球のミニ版。冬服が必要だし、夏服も必要。この気候で農業をやろうとすれば、季節と戦う過酷とも言える訓練が必要となる。例えば稲作だが、フィリピンなら年に3回収穫できるのに、日本だと、綿密に予定を組んで作業をこなさなければならない。そのためか、日本人は、秒単位で予定を組んで、農作業をやった。これをこなせる世界唯一の民族になった。

B君:だから、日本人は、全員一致して同一行動をとることができる。これは、世界的にみても、異常な国民性。したがって、独裁者という指導者は不必要な国。

A君:日本人にとって「待つ」という行為も、他民族とは違う。日本人は「まだかまだか」といらいらしながら待つが、遊牧民族は、時間の波に乗っているだけ

B君:次は第4章、「別荘の民・ハイウェイの民」。

A君:さて。日本に世界的なハイウェイは無いし似合わないので、別荘の民が日本人ですね。でも、ハイウェイの民がユダヤ人ですかね。

B君:「ユダヤ人は、ユーラシアとアフリカをつなぐハイウェイに裸で放り出された子供」だそうだ。確かに、日本のようなユーラシア大陸のはずれのしかも海を越した先にある国は、別荘居住者だ。

A君:日本が唯一外国から侵略されそうになった「蒙古襲来」にしても、確かに、「別荘に乱暴な人間が侵入しようとした」、という表現がぴったり。もともと、この日本を占拠したところで、放牧の民にとって、喜んで住めるような土地ではなかったでしょうね。羊を育てる場所もほとんどないし。

B君:それに対して、ユダヤ人の歴史は、その地が通路だけのことはあって、大変だった。

A君:しかし、山本氏は、ジンギスカンによる日本以外での襲来は、まさに凄かったが、日本人は、幸いにしてその実態を知らないと述べている。

C先生:ルーマニアの片田舎をドライブしていて、世界遺産である古い教会を訪れたとき、老夫婦が迎えてくれた。奥さんは、「自分はハンガリー人だから、アジア民族だ。日本人とは親族関係があるかもしれない」、と言ってくれた。自分でも同じ感覚をもった。奥さんやはりアジア人の顔をしていたから。親近感を示す歓迎の言葉だったのだと思う。今考えると、モンゴル人と日本人は、顔は似ていても、性格的に全然違うという説明をすべきだったのかもしれないけれど、ニコニコして誤魔化してしまった。実に、ハンガリーも元の言葉はと言えばフンガリーで、フン族の国なのだ。フィンランドもフンランドだし。
 それはそれとして、この章はそろそろ終わりにしよう。なぜなら解析したところで、現時点の環境問題に関して、何かプラスの情報が出てくるわけではない。しかし、お奨めできる本ではある。なぜならば、この本を読めば、すべての日本人が、それなりに何かを得ることができる。そのような収穫は、確実にあると思うので、このあたりで、終わりにしても、良いと思うのだ。

B君:まあ、終わりまでカバーしようとしたら、まだざっと1/3強ぐらいだから、確実に無理だな。

A君:了解。日本人の本当の意図は、会話にあるのではなく、言外の言葉にあるそうですから、記述しないところにこの本の真実がある、という解釈で如何ですか。

B君:ということで、次の章へ行くことにしよう。。第5章は、「政治天才と政治低能」−是かリアの夢と恩田木工

A君:この章の主題は、実は、頼朝にあって、朝廷と幕府を併存させるという700年間も続いた政治体制を発明したこと。しかし、日本人には、この偉大な発明を全く評価しない

B君:その例として出てくるのが、「日暮硯」なる書籍。時は1756年、所は真田藩洪水・地震などで財政困難になった藩は、幕府から一万両の借金をしたけれど、それでもどうにもならない。

A君:この難局に対処したのが、藩を13歳で相続した名君・幸豊で、16歳のときに、末席家老だった恩田木工(もく)の人物を見抜きこれを登用して一挙にすべてを改革した。

B君:木工は、全権委任の確認をとって、そのかわり、自分の任期を5年と定め、その間に失政があれば、いかなる処分をも受けると誓約した。それからがすごい。

A君:本当ですね。家に戻ると、まず、こう宣言した。「今後は、一汁一飯のみとし、衣服は新調せず、妻を離婚し、子供は勘当し、親族は義絶し、雇人はすべて解雇する」と申し渡した。

B君:なぜ、そうするのだ、と問われると、「今後、自分は一切の虚言は言わない。しかし、家族が虚言(多分、無責任な発言)を述べれば、誰も、自分を信頼しなくなる」。だからだ。

A君:家族・雇人も偉くて、「今後、一汁一飯、一切の虚言はしない」と宣言。もとのままとなった。

B君:ここからは、原著の引用なのだけれど、それが異様に長い。

A君:ここであるユダヤ人との議論の話になって、この木工の話をしたところ、「その男の何が偉いのだ」、と激しく追及された。「そもそも、その木工という男は、どのような律法に基づいて、その改革を行ったのだ」。「ユダヤ人であれば、ユダヤ教を律法として、改革を行うのだ。木工はどうなのだ」

B君:そこで、著者である、ユダヤ人、イザヤ・ベンダサンの説明が出てくる。当然、山本七平氏ご本人による説明。
 木工の行為をこう説明した。「『理外の理』というものがある。それが日本人の共通の思考の基盤である」

A君:『理外の理』は明らかに日本以外の国では、まず通用しないですね。それを説明せよと言われたとき、山本氏は、「人間相互の信頼関係の復活」であると答える、と記述している。

B君:しかも、『理外の理』に類することが、もし西欧にもあるとすれば、宗教的な原理原則に依存するのだろうが、日本での『理外の理』は人間と人間の関係にしか依存しない

A君:確かに、根本的に発想法が違いますね。ところで、ここまで来ましたが、まだ4割程度です。どうしますか。

B君:まあ、どこで止めても同じような気がする。

C先生:この本が売れた最大の理由が、このあたりで分かったような気もする。それは、日本社会は、ユダヤ人が代表格で記述されてはいるけれど、いわゆる一神教の世界とは全く別の原理原則で動いている社会であるということを述べていたからではないか。

A君:ユダヤ人との比較を行うことによって、日本人のある種の自尊心を効果的にくすぐったために、300万という販売部数になった。

B君:ただ、自尊心だけを単にくすぐるような本であったとしたら、そこまでは売れないではないか。やはり、ユダヤ人の考え方を一つのグローバルスタンダードだとして見ると、やはり、日本という社会はかなり変わった社会なんだ、ということも同時に記述しているところも、好奇心を刺激したのでは。

A君:それに、この本まで日本国内でこのような本が出版されていない、ということが最大の要因だったのではないですか。

B君:今回、使っているこの角川文庫の本にしても、初版が昭和46年(1971年)。そして、この本は、平成30年(2018年)印刷で、なんと106版。

A君:ところで、この本を読んで欲しい人は誰ですかね。

B君:当然、政治家。そして、公的なポジションにいる人々。

A君:どのような行動をすれば、社会から全幅の信頼を得る政治家や人になれるか、かなりヒントが書かれているように思います。

B君:逆に、今のままだと信頼される政治家や人間にはなれませんということも書かれている。

C先生:とにかく、誰がいかなる反論をしようとも、この山本七平氏のこの著作は、面白い。いささか”?”が付く記述もある、という問題点が無いとは思わないが、ユダヤ人に関する記述は無視して、日本人に関する記述だけを選択して飛び飛びに読むことでも、十分に面白い。しかし、余りにも古い本であり、最近の若者にとっては、すでに時代を超えた古い本だと思うけれど、35歳になってからでよいから、こんな本もあったのだ、ということで誰かと共有して読む(読後に議論をすることを含む)ことが、日本人というものの特殊性を理解することができるようになるという意味で、本当に面白い。若者以外の方々にも勿論読むことをお勧めしたい。
 しかし、これで完全に終わりというのもなんとなく中途半端なので、また、やる気になったら、続きをやろう。実は、全15章もあるうち、今回は、たった第5章まで終了しただけだ。まあ、これで終わりにする可能性、すなわち、もはややる気にならない可能性も非常に大きいが。