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     今回のヨーロッパドライブの目的    08.26.2015
             南スラブ系の民族主義と歴史的結末        




 この記事は、本来であれば、08.30.2015にアップすべきなのですが、当日、ウィーンにいる予定ですので、若干早めにアップします。

 このところ、すでにいくつかご報告をしているように、ヨーロッパの全主要国カバーを目指して、年に2回ほど出かけては、レンタカーを借りてかなり長距離を乗り回す旅を行っています。行き先は、世界遺産を主とする観光地が多いのですが、行ってみて初めて分かることがあります。しかも、多様な発見があります。そして、徐々にですが、出掛ける目的が明確になってきています。

 現時点では、現在のEUというヨーロッパ体制は、究極のものなのか。そのうち、破綻するとしたら、どのような形に変わるのか。といったことに興味が集中しています。しかし、それには、EUを構成している主要国がどのような国であるかを体験的に感じる必要があると思っています。

 今回の具体的な旅程としては、直行便でウィーンに飛び、オーストリアの世界遺産を若干巡ってから、飛行機でクロアチアのドブロクニクへ。そこでレンタカーを借り、一旦、ボスニア・ヘルツェゴビナに入って、戦争遺産とも言えるポスタルを訪れ、再びクロアチアに戻って、スロベニアに向かいます。そして、クロアチアの首都、ザグレブに戻って、ウィーン経由で帰国予定です。

 ソ連邦が崩壊して、ほぼ同じ時期に戦争状態になったユーゴスラビアという国がどのような国であって、これがどのように成立し、そして、崩壊していったのか、その理由についてなんらかの感覚が得られれば良いかと考えている次第です。

 ユーゴスラビアの解体の年代は、スロベニア、クロアチア、マケドニアが1991年に独立、ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年に独立、モンテネグロが2006年に独立そして、セルビアが旧ユーゴスラビアを2006年に継承、コソボが2008年に形式上は独立し、7ヶ国に分かれました。もっともセルビアはコソボの独立を「永遠に認めない」というスタンスなので、未だに紛争が継続しているようです。

 ユーゴスラビアの歴史全般については、
http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/yugo/index.htm
というサイトに、非常に詳しく記述しています。もっとも、最近更新された気配がありませんが。

 解体を理解するキーワードはどう考えても「民族」です。要素に分割すれば、「民族」≒「言語」+「宗教」ですが、もっと詳しく言えば「民族」≒「言語」+「宗教」+「住民の世界観」となるでしょうか。

 ユーゴスラビアの英語はYugoslaviaですが、その意味は、「南スラブの国」という意味です。そもそも南スラブとは何か。その地図が、これです。


https://en.wikipedia.org/wiki/Slavs#/media/File:Slavic_languages_map_en.svg

 スラブ人と言えばまずはロシアですが、実際には、それ以外にも、かなり多数のスラブ民族がいます。スラブはロシアを中心とする東スラブ、チェコなどの西スラブ、そして、不思議なことに、オーストリア、ハンガリー、ルーマニアによって、スラブ地域は南北に分断されていて、その南の部分を南スラブと呼びます。

 この南スラブ地域の歴史は複雑で、とても記述しきれないので、チトーのユーゴスラビアが成立してからにします。

 チトーは、1892年生まれ。第二次世界大戦のさなかに、ドイツ軍への武力抵抗を呼びかけた人民解放軍パルチザンの総司令官を務めました。この活動は、連合国によって支援されていたのですが、その後、スターリンに接近したため、英米と険悪になりました。

 しかし、ナチスによる侵略をある程度回避する実力を持っていて、実際ドイツ軍を追い出すことに成功しています。

 戦後もスターリン主義で歩んだのですが、周囲の東欧諸国に影響力をもち、また、モスクワからの自立を意図したため、スターリンは1948年にユーゴスラビアをコミンフォルムから除名します。すなわち、ユーゴスラビアは、ソ連の圏外にいた共産国でした。

 秘密警察を用いた社会支配のやり方に慣れていたチトーは、ソ連から送り込まれた暗殺団をたびたび検挙し、逆に、スターリン宛に「刺客を送る用意がある」と反撃したそうですからご立派。

 その後、独自の自主管理社会主義を建設しました。すなわち、言論の自由をある程度許容する一方で、民族主義を強く弾圧し、連邦国家の崩壊を防いでいました。一方で、1974年の新憲法によって、各共和国には、実質的に拒否権といっても良いほどの権限を与えていました。

 チトーは、1980年5月4日にスロベニアの首都で死亡。葬儀には、大平正芳首相が出席しています。ユーゴスラビアのサラエボで冬季オリンピックが開催されたのは1984年2月ですが、開催決定は、1978年5月のことで、チトーの存在で国が安定していると判断され、オリンピック組織委員会による支持を得たものと思われます。

 たしかに、チトー亡き後、その「自由」のゆえに、民族主義、分裂主義、多民族排除などの主張が強くなり、そして、ソ連邦が崩壊した1991年12月の前後から、ユーゴスラビアの政情の不安定性が急増します。形は違うけれど、ロシアと並んで目指していた共産主義が崩壊したことが、大きな要因であったと考えられます。

 このあたりで、ユーゴスラビアの民族構成・宗教、使用している言語文字などを説明しておくべきでしょう。

セルビア人    42% セルビア正教会系
クロアチア人   24% カトリック
スロベニア人   9% カトリックと無宗教
ボシュニャク人  7% ムスリム系
マケドニア人   5% マケドニア正教
 以上はスラブ系

モンテネグロ人  ?% セルビア正教会
他にアルバニア人 ?% ムスリム系
 以上、イリュリア人系(インド・ヨーロッパ語族)

 この民族の分類ですが、どうやら自分は何人だと思うかということによる調査が基礎のようでして、上の%では、モンテネグロ人はセルビア人に含まれてしまっているようです。

 モンテネグロは国民投票の結果、2006年に独立しますが、自分達はセルビア人と違って、祖先はイリュリア人、すなわち、アルバニア人の祖先と同じではないか、ということが独立の動機の一つになったようです。イリュア人は、インド・ヨーロッパ語族系で、スラブ人ではないので、アルバニアという国は、もとからユーゴスラビアに属していなかったのですから、なんとも複雑な話です。

 民族とは何か、日本は人口が多い国の中では、世界でもっとも単純な民族構成の国ですが、他の国では、非常に難しい問題ですね。日本の状況に慣れすぎていると、理解を超します。


 次は、使用されている文字の分類です
◯キリル文字とラテン文字の混合 セルビア、ボスニア・ヘルチェゴビナ、モンテネグロ
◯ガイ式ラテン文字 スロベニア クロアチア
◯キリル文字のみ マケドニア

 なお、文字は違っても、言語はほぼ同一で、方言ぐらいの違いしかないとのことです。

 ユーゴスラビア末期に時代を戻します。この時期における民族の分布を示す地図で、もっとも正確ではないか、と思われるものを次に示します。ムスリム人=ポシュニャク人と考えて下さい。

                     
http://www.special-warfare.net/database/101_archives/euro_01/yugoslavia_01.html

 これが、2008年には、次のような分布になっています。これが、民族主義による内戦の結果起きたことだと考えられます。すなわち、各国が独立をする過程で、セルビア人の居住地がセルビアとボスニア・ヘルチェゴビナに集まったことが分かります。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E4%BA%BA

 この変化を招いたプロセスです。1990年に自由選挙が実施され、各共和国に民族色の強い政権が誕生します。なかでもミロシェビッチをチトーの後継者としたセルビア人の民族主義は強く、イスラム教のアルバニア系住民が住むコソボの自治権を取り上げるなど、紛争のタネを作ります。

 そしてとうとう、1991年6月、スロベニア共和国とクロアチア共和国はユーゴスラビアからの独立を宣言します。ユーゴスラビアの後継国を自認するセルビア共和国は両国との戦闘状態に入ります。

 スロベニアとの戦いは10日間ほどですぐに終結するのですが、それは、スロベニアという地域はほぼ単一民族からなり、セルビア人がほぼ居住してない地域であることと、さらに、ヨーロッパ各国の調停が効いたからでした。

 しかし、クロアチアでは内戦が始まります。その理由は、クロアチアのボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近いクライナ地方という地域と、セルビアとの国境に近いクロアチア最東部である東スラヴォニアには、かなりの人数のセルビア人が住んでいたからでした。セルビアは、ここを「クライナ・セルビア人自治区」として独立をさせ、戦闘状態が継続します。しかし、1995年8月にクロアチアはクライナを併合し、東スラヴォニアは国連の暫定機構の下に置かれ、その後の1997年の選挙でクロアチア側が大勝して、1998年にクロアチアに返還されます。

 最悪だったのはボスニア・ヘルツェゴビナでした。ボシュニャク人(ムスリム)が作ったボスニア政府は、セルビア人がボイコットする中で国民投票を強行して、1992年にその独立が承認され、国連にも加盟するのですが、セルビア人やクロアチア人は、ボシュニャク人による支配を嫌い、各民族ごとに、共同体を作って対抗し、とうとう、三つ巴の戦いになります。

 アメリカ主導で、1994年になって、やっとボスニア政府とクロアチア人勢力の間で停戦が成立。これによって、両勢力は協力してセルビア人勢力に対して反転攻撃を開始。また、NATO軍による空爆などの軍事介入も行われました。1995年に和平協定デイトン合意にいたり、紛争はやっと集結しました。

 しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナという国は、現在でも連邦国家であって、2つの構成体からなっています。一つは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦であり、もう一つはスルプスカ共和国です。後者のスルプスカ共和国は、セルビア人を主体とする共和国で、独自の大統領、政府、立法府を持っています。2005年までは、独自の国軍を持っていたほど独立性が高かったようです。

 さて、なぜこんなことになったのでしょうか。歴史になんらかの理由を付けることに意味があるとは思えませんが、それでも若干考えることは、「戦争の終決には、非合理性の中で見つけた合理性が寄与する」ことを見出すという点では、無意味ではないのかもしれません。

 さきほど示した南スラブ人の民族分布の図から明らかなことは、スロベニアは、ほぼ単一民族であることと、宗教はカトリック。すなわち、構造がもっとも単純で、セルビア人がスロベニアに攻め込むことは、単なる侵略としか思えないという特性がありました。しかも、この地域は、オーストリアと国境を接していることもあり、ハプスブルグによる支配が長く続いた地域でもありました。ということで、スロベニアという国は、ユーゴスラビア解体の副作用をもっとも受けないで済んだ幸運な国でした。そのためか、現時点での国民一人当たりのGDPも旧ユーゴスラビア圏では最大で、もともと工業立国であったこともあって、まずまずの経済状況を維持できています。

 クロアチアは、すでに述べたように、一部の地域にセルビア人居住区があったもので、内戦状態になりました。宗教的にはカトリックであって、周辺のヨーロッパ各国からの支持も得やすい状況でしたが、それでも内戦は、5年間も継続しました。セルビア人を現在のクロアチア国境内からはかなり追い出しましたが、その原状復帰が行われていないことが、国際社会の一部では非難の対象になっているようです。それでもなんとか解決したのは、この戦いが二者間のものだったからと言えるでしょう。

 やはりボスニア・ヘルツェゴビナのような三者間の戦いは複雑怪奇になります。

 そして、現時点でも残っている紛争地帯がコソボです。モンテネグロが比較的トラブルがなく独立ができたのに、コソボはなぜいまだにもめているのか。

 その比較をするとこのようになります。

 セルビア人  セルビア人 セルビア正教会
 モンテネグロ イリュリア人 セルビア正教会
 コソボ     イリュリア人 イスラム教

 民族主義の強いセルビア人でも、モンテネグロに関しては、宗教面から妥協ができたからかもしれません。真相は良く分かりませんが。。。。。

 というのも、モンテネグロという国は1516年に確立したという歴史があるのに対し、コソボの国家としての歴史は無く、1946年にセルビア共和国の自治州だったことが行政的な独立の最初のようです。その後も、自治権の確立を目指して暴動などが行われたという状況だったようです。

 そろそろ、なんらかのまとめをすべき段階に来たようです。

 まず、ユーゴスラビア内戦における「民族」とは何かです。「大昔は?」と言えば、彼らは南スラブ系の人種です。一部、コソボにはアルバニア人がいて、彼らはスラブ系ではないようですが、南スラブ系の言語の相違は、と言えば、それぞれが「方言の範囲内」というレベルで、お互いに理解はできる程度であったということです。となると、そもそも、正確に定義したとき、お互いに違う民族と言えるような存在だったのでしょうか。

 すでに書きましたように、民族=「言語」+「宗教」+「世界観」ですが、この最後の世界観とは何かということになります。

 なぜ「民族浄化」といったことを実践したのでしょうか。「民族浄化」(Wiki参照)という言葉は、民族主義を非常に強く持つような民族かどうか、ということを意味しているつもりです。もしも、自らの民族がそのような世界観に基づいて成り立っていると思ったら、やはり、ミロシェビッチのような「民族主義を掲げる政治指導者」を選択してはいけないのでしょう。民族主義という言葉に、どうしてもある特別な意味を見出してしまうのが、ある種の「民族」のもつ特性なのかもしれません。

 セルビア人というと、まず思い出すのが、ジョコビッチです。非常にひたむきに「テニスの理想を追及し、そして極める」という性格の持ち主のように思えます。それゆえに、世界No.1の地位を持続できているのでしょう。もしも、セルビア人の大多数がジョコビッチのような性格の国民であれば、なにか方向を間違えると、民族主義に陥り、極端な路線を選択してしまう可能性がありそうな気がします。要するに、真面目すぎる国民は危ないのです。

 最近の日本の状況をつぶさに点検して、民族主義と言えるような動きがあるかどうかをしっかりとチェックしないと、またまた、歴史的な悲劇が起きてしまうように思えます。日本人には、もともとその素質がありますので、このところの状況は、いささか怪しいような気がします。